──ペストーニャ・S・ワンコ。
『ナザリック地下大墳墓』のメイド長を務める、治癒魔法の使い手である高位の神官である。
その外見は、おおよそ人型……らしい。女性メンバーの一人が設定したもので、昔に飼っていた犬がモデルなのだとか。
だから……なのかは知らないが、語尾に『わん』と付ける設定も入れられている、ナザリックでは変わり者のNPCである。
そして、ナザリックの中で唯一『優しい』という設定が成されているためか、悟が知る限り、とても優しい性格をしている。
詳細は聞いていないので不明だが、『ゲヘナ』作戦が立案され、各NPCに通達が成された時、ひと際強く反対したのがペストーニャである。
たしか、計画そのものが非道過ぎるので作戦中止の要望。
その時の悟はまだ『アインズ』であったため、作戦は変更なく決行され……今は、ナザリック内に居る人間たちの世話を行っている。
(ペストーニャの善性は、主に対しても一歩も引かない芯の強さがある)
とりあえず、思い出せる限りの設定を思い出しながら、隣に座って貰う。
これまでと同じように飲み物を促してみれば、ミルクを所望したので、マスターに用意してもらい……で、だ。
「……マスター、すまないが、少し席を外してもらえるか? 終わったら……パンドラに呼んでもらう」
そう訴えれば、マスターは恭しく一礼すると、静かにBarを後にした。
そうして、室内に残されたのは、悟と、パンドラと、ペストーニャの3名だけであった。
「……あの、アインズ様?」
「ああ、すまない。驚かせるつもりはないんだ。ただ、周りの目があると、お前は遠慮してしまうからな……後ろにいるパンドラは、居ない者として扱ってくれ」
「はあ、分かりました……わん」
首を傾げつつも受け入れたペストーニャを前に、悟は居住まいを正す。それから、おほん、と一つを咳をしてから……おもむろに、話を切り出した。
「──日常を送るうえで、不満(たとえば、外に出たいとか)はあるか?」
最初は、ジャブみたいなものだ。
正直、ここで不満があるなら解消するように動く(余裕が有れば)だけなので、よほどの事ではない限りは……とはいえ、だ。
ペストーニャは、何も無いと静かに首を横に振り……少し間を置いてから、私の不満ではございませんが……と、言葉を続けた。
「……王都の者たちを解放してやりたい、と?」
ナザリックで1,2を争う善性を持ち、『優しい』と設定が加えられたペストーニャだ。
しかし、方向性は想定通りであったが、まさか解放の訴えまでするのは想定以上であった。
「はい。以前より危惧しておりましたが、先日より精神的な不調を訴えてくる者が増えており……このままでは、子供たちにも影響が出始めます……わん」
「……やはり、ナザリックという環境は人間には適さない、か?」
「率直に言えば、そうなります。ここは、あまりに人を敵視し、蔑視し、害する事を躊躇しない者が多過ぎます……わん」
「待て、もしや、狙っている者が僕たちの中にいるのか?」
思わず立ち上がり掛けた悟に、「いえ、それはありません……あ、わん」ペストーニャは落ち着いて宥めながら……しかし、と言葉を続けた。
「アインズ様、どんな生き物であれ、自らを捕食する相手が傍にいて落ち着ける者はおりません……わん」
「私が、厳命したとしてもか?」
「絶対に安全だと言われても、自分たちを見て涎を垂らし腹を鳴らす者が居ると分かっていて、安眠できましょうか……わん」
「……ふむ、そうだな」
ペストーニャの話を簡潔にまとめると、だ。
例えるなら、自分たちを腕の一振りで皆殺しに出来る(しかも、その事に躊躇しない)者が、同じ建物の中に住んでいるような感覚だ。
それをするなと厳命されていると分かっていても、気紛れ一つ、事故一つで殺されるし、それを防ぐ為に訴えられる相手もここにはいない。
それ以前に、上の方針が一つ変われば、自分たちは何時でも殺される状態だ。寝ても覚めても、死の気配が足元にチラついている。
外がどうなっているかも分からず、自分たちがどのような立場で置かれているのかすら曖昧。残された家族の安否も気になり、気付けば……一日中、ボーっとして、力が入らない。
このまま食卓に並べられるまで飼い殺しにされるのか、それとも人質として扱われ続けるのか。あるいは、全く別の目的の為なのか。
何一つ先が分からない状況に、徐々に精神的な疲労が溜まってきている。
……なので、このままでは長期に渡る治療が必要になる状態にまで悪化するかも……というのが、ペストーニャの話であり見解であった。
(……そうだよな。俺が彼女たちの立場だったら、とてもじゃないけど一日足りとて安眠出来ないよな)
──それを聞いて、表面上は変わらず……内心では冷や汗を流した悟は、ペストーニャにはいいだろうと判断して、話し始めた。
「その点については、心配しなくていい」
「え?」
「これはまだ、他の者たちには黙っていてほしいのだが……実は、既に王国のラナー王女との密談を進めていてな。人間たちを引き渡す方向で話が進んでいる」
「まあ! それは本当ですか──あ、わん!」
「本当だとも。とはいえ、すぐにではない。いずれ戻す予定だから、そのように元気づけておいてくれ」
「はい! それはもう、皆様方もお喜びになると思います──わん!」
──いちおう言っておくが、そんな話は、ラナー王女との間で全く行われていない。
しかし、あまりに辛そうに、人間たちの現状を語るペストーニャ(その人たちに対しても)が可哀想で、思わず悟はでたらめを口走ってしまった……というわけである。
……いや、だって、さあ。
チラリと、右に左に、それはもう嬉しそうに激しく揺れているペストーニャの尻尾を見やった悟は……そのまま、振り返ってパンドラを見やる。
「……!」
すると、パンドラは……無言のままに、親指を立ててOKサインを出した。
──本当に、イケるか?
無言のままに、悟は視線で訴える。
すると、パンドラは強調するようにグッと立てた親指に力を入れて……静かに、軽く頭を下げた──のを見て、悟も親指を立てて──改めて、ペストーニャへと向き直った。
「……では、次だ。これは、ある意味お前たちに一番聞きたいと思っていたことなのだが」
──現在のナザリックの運営方針に対して、思うところはあるか?
それは、ある意味では僕たちにとって、非常に重い質問なのだろう。
実際、これまで尋ねたNPCたちは、1人の例外もなく、『何一つ思うところはありません』といった感じの返答を、満面の笑みと一緒に返してきた。
そこに、打算の色は見られない。誰も彼もが、心からアインズのやり方に喜んで付き従っているのだと……告げていた。
まあ、それも致し方ないだろう。そう、悟は思っていた。
パンドラにも事前に相談したが、この質問は僕たちにとって、『至高の御方のやり方に文句はあるか?』とのことらしい。
なので、そもそも思うところがあるという発言自体が、ナザリックへの裏切りに繋がると思うのが、ここでは常識。
だから、それ以外の返答が成されることはあり得ない……そうも、パンドラより言われていた。
「……不敬であり無礼を承知で言わせてもらっても、よろしいでしょうか?」
「かまわない、私に気を使うようなことはせず、一切の遠慮をするな」
「わかりました」
それ故に……そう、だからこそ。
その質問をした瞬間、ペストーニャは……それまで嬉しそうに揺れていた尻尾の動きを止めた。
「私としては……以前のアインズ様の方針に従えない部分はありましたが、ここ最近は……従いたいと思っています……わん」
だが、はっきりと……アインズに否定をぶつけたペストーニャの姿に、悟は……驚きと共に、喜びを抱いた。
「……それは、どうしてだ?」
「それは……」
「ああ、いや、怒っているわけではない。ただ、純粋に聞きたいのだ。いったい、何処が嫌なのか……それを知らなければ、改善することが出来ないからな」
言いよどむペストーニャに対して、そのように声を掛ける。
「……アインズ様。これは、私の気の迷いとでも……思っていてほしいです……わん」
それが上手く効いてくれたのかは分からなかったが、ペストーニャは気を落ち着かせるかのように3回だけ深呼吸をした後……おもむろに、語り始めた。
……。
……。
…………所々言葉が詰まり、それでいて、必死に内心を、考えていたことを吐き出し始めたペストーニャ。
それに耳を傾けていた悟は……途中で、出ない涙が零れ出そうな感覚を何度も覚えた。
何故なら、その内容は……他のNPCたちが『1500人討伐隊』の事を覚えていた時と同じく、まだギルドメンバーたちがナザリックに大勢ログインしていた時のこと。
その中でも、日常というか、ある意味では一番楽しくユグドラシルをプレイしていた時の……仲間たちとの触れ合い、そんな日々の話が含まれていたからで。
「以前のアインズ様は、とても冷たく冷酷な面を多く見せておりました。私が目にしていた貴方様とは、まるで別人のように……」
そして、なによりも。
「でも、今のアインズ様は違います。『至高の御方』たちが居てくださった時のように、穏やかで優しくて……そんなアインズ様に戻られて、私は嬉しく思っております……わん!」
ペストーニャの口から、そのような言葉を言われたのが……悟にとっては本当に嬉しくて、それでいて悲しかった。
「……では、外部の者に対して思うところはあるか? 特に、人間に対してだ」
そんな、複雑な内心から目を逸らすかのように……悟は質問を続けた。
「いえ、思うところはありません」
「それは、『1500人の討伐隊』の話があってもか?」
「はい、だって至高の御方であるアインズ様もそうですが、皆様方……本当に楽しそうにしておられました」
「……楽しそうだったか?」
「はい、とっても。だから、私も殺されはしましたが……蘇生してくださった時に、笑っている皆様方を見て……ああ、良かったと私も嬉しく思っておりました」
「……では、人食を好む者に対して、どう思う?」
「それは、仕方がありません。そうしなければ生きられない以上は、そうするしか……ですが、せめて痛みなく……とは思っております」
……あっ、わん!
そう、取って付けたかのように語尾を入れたペストーニャのソレが、終わりの合図だと思った悟は……そこで、面談を打ち切る事にした。
「それでは、次の方を呼んでまいりますが……よろしいでしょうか?」
「うむ、頼む」
すると、ペストーニャは席から立ち上がり、深々と一礼をすると、静々と足音を立てずにその場を離れ──。
「ペストーニャ……一つ、いいか?」
──ようとした時……どうしてか、悟は、その背中に声を掛けていた。
なんでしょうかと振り返ったペストーニャに対し、悟は……しばし、視線をさ迷わせた後。
「仮に……そう、仮に、だ」
「はい」
「仮に、このナザリックを崩壊させ、全ての僕たちを死に追いやろうと私が考えているとして……さて、ペストーニャ、お前はどう思う?」
──瞬間、ペストーニャの動きが止まった。
「……そう、ですわね……わん」
けれども、止まったのは一瞬だった。
まるで、不意を突かれただけで、それ以上は気にも留めていないと言わんばかりに悟を見つめた後。
「それが、アインズ様の未来に繋がるのでしたら、私は喜んで従います……わん!」
はっきりと、そう答えたのであった。
あまりにはっきりと返事をされたことに、逆に悟の方が言葉を失くして目を(まあ、眼球無いけど)光らせて……大きく、息を吐いた。
「それは、本心か?」
「はい、本心です、わん。今のアインズ様のままに、その未来が広がるのでしたら、私も本望というものです……わん」
「そのために、命を落とすことになっても……蘇生されることがないと分かっていても、か?」
「もちろんでございます。私は、アインズ様含め至高の皆様方の為にいるのです。私の為に、アインズ様たちがいるのではございません」
「……そうか、ありがとう、ペストーニャ。そして、すまない」
「謝らなくても、大丈夫です。どうか、アインズ様……迷わず、御自身が正しいと思った選択を御選びください」
……わん。
最後に、思い出したようにその語尾を呟くと……恭しくメイド服の裾でカーテシーを行い、静かにBarを出て行った。
……。
……。
…………しばしの間、悟は何も言えなかった。
傍のパンドラが心配そうに見てくるのは分かっていたが、何も出来なかった。
(……あ、マスター呼ばないと、飲み物用意してもらえないじゃん)
けれども、すこし間を置いた後……そういえばと思い出した悟は、マスターを呼ぼうと──。
「お待たせ致しました、アインズ様」
──したのだが、遅かった。
(あ、次はセバスなのか)
Barに入って来たのは、燕尾服のナイスミドル……『セバス・チャン』であった。
彼は、悟がユグドラシルを続けるキッカケとなり、『アインズ・ウール・ゴウン』が設立する前の、『ナインズ・オウン・ゴール』のリーダーを務めていた、『たっち・みー』が制作したNPCである。
その性格は、『たっち・みー』譲りの善性。
ペストーニャのように『優しい』という設定は入れられていないが、カルマ値は全NPCの中でも最大。これまた、ナザリックでは稀有なNPCでもある。
……そうして、ふと。
見ず知らずのツアレを助ける為に、アインズの不興を買うようなことを行い、『ゲヘナ』においても、反対意見こそ出しはしなかったが、非常に不快感を露わにしていた……ような話を、思い出した。
(……今にして思えば、セバスは忠義の人なんだろうな。それはそれ、これはこれ、そういうのが出来ないタイプなんだろう)
とはいえ、そんなセバスを前に、どうしても拒絶の意思が出てしまうのは……やはり、『ゲヘナ』のあの時だろう。
……今だからこそ、悟とて、分かってはいるのだ。
忠義に溢れた彼にとって、アインズを第一に優先するのは当たり前である。どんな非道であっても、まずアインズが無事であるならば……ただ、不器用なだけなのだ。
そうでなければ、裏切り疑いからそしりを受けると分かっていても、ツアレを助けたりなどはしない。
ただ、己の不満や憤りや願いよりも前に、『アインズ』の命令を遂行する……それが、彼にとっての当たり前なのだ。
ペストーニャは、アインズに反抗する形になると分かっていても、優しさを持って前に出る。
セバスも、形こそ違うがアインズに黙って行っていたのだ。
ただ、方向性と性格が違うだけで、その中身はペストーニャに引けを取らない善性であることも……ん?
しばし考え事をしていると、セバスはツカツカと足音を立てて入って来た。
普段のセバスからは想像が付かない強引な態度に、おやっと首を傾げた悟を他所に、セバスは……悟の前に、ピタリと立ち止まると。
「──アインズ様、どうか、この通りでございます」
深々と……いや、それどころか、その場に膝と額を床にこすり付けるように、その場にて深々と土下座をした。
……えっ?
これには、悟も驚いて感情抑制が働いたのを自覚する。
いや、まあ、そりゃあそうだろう。
なにか緊急事態が起こっている最中に頭を下げられたのならばともかく、今はいちおう平時だ。
それも、事前に何かしらのトラブルが起こっていた……といった感じで報告を受けていたら心の準備も出来るが、今回はそれが無い。
(顧客先からの突然の仕様変更……唐突に始まる、お願いという名の強制デスマーチ……営業からの無茶な追加業務……うっ、頭が……!)
ズキリ、と。謎の痛みが頭を過る。
別の意味で思い出したくもなかったリアルの事を思い出した悟は、気分を入れ替えるかのようにテーブルのウイスキーを一嗅ぎ、二嗅ぎ……そうして、気持ちを落ち着かせた悟は……改めて、セバスへと向き直った。
「どうしたのだ、セバス。何かあったのであれば、正確に報告を──」
「どうか、ラナー王女に取り次いでもらい、ツアレを王都へ戻せるように便宜を図ってもらえないでしょうか?」
「……すまない、話がよく見えないのだが」
「どうか、お願い申し上げます。以前より傾向はみられておりましたが、ここ最近のツアレは思い詰めてしまっているようで……」
しかし、そんな悟の努力も。
「そのせいで、先日から私のベッドへ裸で入ってくるという淑女にあるまじき行為をするようになってしまいまして……」
「待って、何がどうなってそうなったの!?」
あまりに想定外な話が飛び出したことで、水の泡となってしまった。
悟くん、曇っちゃう