──まずは、位置的に近い方にあるペロロンチーノの私室へと向かう。
見やれば、ペロロンチーノの部屋の扉は開けたまま放置されており、その前で『八肢刀の暗殺蟲』が困った様子で待っていた。
『アインズ様、すみません。我々では、勝手に至高の御方のお部屋に入室して良いのか分からず……』
「いや、かまわん。ここは私に任せて、アルベドとアウラの方を監視してくれ」
『はい、わかりました』
「ああ、それと、二人とも一応は女性だからな。外からの監視に留め、異変が起きない限りはそのままでいい」
『はい、アインズ様!』
意気揚々と移動を始め(同じ階なので、大した距離ではないけど)る『八肢刀の暗殺蟲』を見送った悟は……改めて居住まいを正すと、ソッと……室内を覗いた。
……。
……。
…………中には、シャルティアが居た……が、様子がおかしい。
どういうわけか、部屋の中央にて座り込んで、こちらに背を向けたままでいる。悟の来訪に、振り返る様子もない。
それ以外にも、想定していなかった事が起こっている。
それは、座り込んでいるシャルティアの傍の床。大きさにして15センチ四方の穴が空いており、傍には蓋と思わしき部分も置かれていた。
……断言しよう、前に室内を入念に調べた時、そんな穴は無かった。
まさかの、隠し穴(?)である。
おそらく、相当に念入りに隠ぺいされていたのだろう。魔法的なモノではなく、見え難く分かり難い、視覚を騙すような隠し方だと推測出来る。
いや、そりゃあ、各自室はよほどヤバい(たとえば、BANされるような行為)事をしない限りは自由ということになってはいる。
けれども、悟の目から逃れるぐらいの隠し方となると……おそらく、プログラムやデザイン能力に長けたメンバーに頼み込んだのだろう。
そこまでして念入りに隠そうとしたナニカも気にはなるが……今はそちらよりも、こちらに背を向けたままでいるシャルティアの事だ。
「──入るぞ、シャルティア」
とりあえず、黙って入るのもなんなので、いちおう声は掛ける。
シャルティアのステータスならば、声を掛けなくても気付いているはずだが……そのシャルティアは、変わらず背を向けたままだった。
……。
……。
…………なんだろう、めっちゃ気まずい。
寝息を立てているとか、何かに熱中しているとか、そういうリアクションがあるならまだしも、こうまで反応がないと困る。
元々、悟はギルド長を務めてはいても、自ら提案するより、提案された事を調整する、内向きタイプの人間だ。
相手がNPCとはいえ、いちおうは女性にあたるシャルティアが、何も反応を示さずに俯いているのを前に……気の利いた言葉なんて思いつくわけが無かった。
「シャルティア、どうしたんだ、いったい?」
とはいえ、何時までもこうしているわけにもいかない。
正直、他へ行きたくなったが、ここで後回しにするのは……そう思った悟は、勇気を出して……その、小さな肩に手を置いた。
「シャルティア、せめて返事くらいは──っ!?」
そうして、気付く。
ゆるゆると力無く振り返ったシャルティアの目からは、大粒の涙が……それこそ、滝のように流れ落ちていることに。
「……泣いているのか?」
見たら、分かる。
これで分からなかったら、そいつは頭になにかしらの問題を抱えているだろう。
けれども、気付けば悟は改めて尋ねていた。
それぐらい、悟の中でイメージしていた『シャルティア』と、眼前のシャルティアとが一致しなかったからだ。
「アインズ様……」
そう、ポツリと返されたシャルティアの声には、やはり力は無い。いや、声どころか、全身から活力が消え去っているように見える。
とてもではないが、コレが、その気になれば何百人を数分でなぶり殺しに出来る恐ろしい怪物には見えないだろう。
「……とにかく、まずは立ちなさい。そうだな、そこのベッドへ座りなさい」
とにかく、床に座り込んだまま話し合うのも変な話だ。
ゆっくりと……本当に小さく華奢な手を引いて立ち上がらせ、その手に見合う小さく華奢な背中を押して……ベッドに座らせる。
そうして、改めて見ると……ゴシックロリータな衣服も相まって、正しく儚い令嬢といった印象を悟に与えた。
……なるほど、と。
普段が普段の印象だし、人を餌程度にしか思っていないのが透けて見えていたので気付き難いが……さすがは、ペロロンチーノが心血注いで作ったNPCだ。
そういう趣味が悟にはないが、それでもハッと目を見張る美しさが、そこにはある。
なんとなく、『シャルティアは俺の嫁!』と事あるごとに自慢していたペロロンチーノの気持ちをうっすら理解した悟は……そっと、シャルティアの隣に腰を下ろした。
「シャルティア、私が傍に居ては嫌か?」
そうしてから、改めて尋ねる。
そもそも、ここへ来たのはシャルティアたちがいきなり『玉座の間』を出て行ったからで、『星に願いを』が思ったように発動しているのかすら分かっていないのだ。
なので、ここで嫌だと言われたら素直に出て行くし、嫌と言われた時点で何かしらの変化が起こっているのが悟には分かる。
正直、泣いているシャルティアを放置するのは嫌な感じがする。
けれども、『覚悟も無しに、女が涙を流している時に近付くと、面倒臭い事になるよ』という数少ない女性ギルド員のお言葉を思い出した悟は、その選択を取る事にした。
どちらを選んでも、とりあえずは……最悪、そんな気持ちで尋ねた……わけなのだが。
「アインズ様……聞いても、よろしいですか?」
まさか、質問したら、それ以外の質問で返答されるとは思って……まあ、いいか。
「構わない、私が答えられる事ならば、全て答えよう」
この状況で何を聞かれるのだろうか。
ちょっと不安に思う悟を他所に、未だうっすらとだが涙を流し続けているシャルティアは、静かに数回……大きく深呼吸をした後。
「ペロロンチーノ様は……ご存命なのですか?」
そう、まっすぐに悟の……骸骨の眼孔を見つめながら、はっきり尋ねた。
「 」
その瞬間。
悟は、頭の中が空白となり、何も考える事が出来なかった。
抑制は働いている。けれども、あまりに振り切ってしまった心の動きの前では、たかが抑制機能では抑えられるわけがない。
己が今、何を尋ねられたのか。
なぜ、シャルティアがそれを知っているのか。
様々な疑問がフッと脳裏を過っては、通り過ぎてゆく。
呆然と……幾度となく繰り返される抑制の感覚を認識しながらも、何も言えないでいる悟は……しばしの沈黙の後で。
「……どこで、その事を?」
辛うじて……それだけを絞り出すようにして口にするのが精いっぱいで。
「……っ、~~っ、──っ」
そんな悟の返答で、知りたかったことを察したシャルティアは……堪えようとした涙を抑えきれず、再びポロポロと大粒の涙を零し始めたのであった。
「──ペロロンチーノ様はよく、この部屋で私に語りかけてくれました」
シャルティアが、そう語り出すまで……あまり間を置かなかった。
「私にはよく理解出来ませんでしたが、『リアル』というのはよほど苛酷な世界なのですね。そのような事を、よく仰っておりました」
まだ涙は止まっていないが、それでも、シャルティアはポツポツと語りを続ける。
「本当に……本当に、色々な事をお話されました」
「多かったのは、ペロロンチーノ様の姉君であらせられる、ぶくぶく茶釜様のこと。何かをされたとか、命令されたとか、そういう話でしょうか」
「次に多かったのは、至高の御方たちが作り上げた『ナザリック』のこと。どれが一番多いのかは分かりませんが、アインズ様の事もよく話されました」
「そうそう、『リアル』の仕事についても色々話されました。なにやら、『あるばいと』なる者が不正を働いて、尻拭いが大変だったとか」
「他には……ペロロンチーノ様がよく口にしていた『えろげー』というモノについてでしょうか」
「詳しくは知りませんが、いわゆる、殿方が好まれる道具なのでしょう? アレは良かった、コレは駄目だった、新しいのを一つ買っては、その度私に感想を話されました」
他にも、他にも、他にも。
シャルティアの語る『ペロロンチーノ様のお言葉』というのは、些細な内容ばかりであった。
悟から見れば、愚痴にしか思えない事でも、シャルティアにとっては何物にも代えられない事ばかりなのだろう。
「ペロロンチーノさんは、いつもシャルティアに話しかけていたのか?」
あまりにも嬉しそうに、楽しそうに語るその姿に、思わず悟は尋ねていた。
「──はい、とっても。特に、あの日……大勢の人間が押し寄せてきた日の後、特にたくさんのお話をされました」
すると、シャルティアは……アンデッドであるはずなのに、まるで太陽をその身に宿しているかのように……朗らかな笑みを浮かべた。
「それは、攻めて来た人間への罵倒や愚痴か?」
「いいえ、違います。むしろ、ペロロンチーノ様は攻めてきた事を喜んでおられました」
「……その事に、お前は不満を抱かなかったのか? 殺されたのだろう?」
「……どうしてですか、アインズ様。ペロロンチーノ様もそうですが、皆様はとても喜んでおられましたし、楽しんでおられました」
──喜ばしくも、楽しくもなかったのですか?
そう、まっすぐ尋ねられた悟は、静かに首を横に振る。
途端、「ええ、ええ、本当に、皆様楽しんでおられて……!」シャルティアは嬉しそうにクイッと背筋を伸ばした。
「残念ながら、私は何も出来ないまま殺されてしまいましたが……それでも、お優しいあの方は、よく頑張ったなと私を慰めてくれました」
「……辛くはなかったのか?」
「いいえ、まったく。だって、私はペロロンチーノ様の為に生まれたのですから。あの御方が喜んでくださるのであれば、二度、三度、四度、殺されることだって本望でございます」
「そうなのか?」
「はい、そもそも、私は人間を憎み、蔑み、殺す事を望まれて生まれたわけではありませんもの」
「ん? そうなのか? ペロロンチーノさんの話だと、かなり残虐的な性格だと設定されていたような覚えが……」
首を傾げる悟に、シャルティアはほんのり笑みを浮かべた。
「確かに、そのように私は作られました。ですが、そのように作られたからといって、そのように振る舞えとは望まれてはいませんでした」
「……?」
「私は、残酷で冷酷で非道で……そして、可憐な化け物である事を望まれましたが、だからといって、悪戯に命を摘み取れ等とは望まれておりません」
その言葉と共に、シャルティアはフワッとベッドから降りて……クルクルと回転し、膨らんだスカートのフリルをはためかせて……ピタリと、悟へ向き直るように止まった。
「ペロロンチーノ様が私に望んだのは、只一つ」
「……『シャルティアは、俺の嫁!』か?」
「はい、私は、ペロロンチーノ様のお嫁さん、それだけなのです」
にっこりと、シャルティアは満面の笑みを浮かべた。
「全ては、あの御方が望み喜ぶのであればこそ、槍を振るい暴虐を尽くすのです。必要でないのであれば、ソレを振るう必要などないとは思いませんか?」
「む、それは、そうだな」
「そうなのです、私の力は全て、ペロロンチーノ様の為にあるのです。それ以上でも、それ以下でもございません」
そこで……シャルティアは言葉を止めて……また、涙を零す。
「だからこそ……私は、苦しみ悩むあの御方を眺めるだけの日々が、身が引き裂かれるよりも辛かった」
そうして、ゆっくりと……片手を広げる。
「尊きあの御方が、自らの死がもうすぐやってくる事を私にお伝えした時……なにも、不安で怯えるその心を慰めて差し上げることが出来なかった」
そこには、小さな……悟にとっては写真でしか見た事がないそれは、『口紅』というやつだった。
「ぶくぶく茶釜様が体調を崩された事に、お辛くなられていたあの御方を抱き締めてあげる事が出来なかった。その苦しみの一端を担って差し上げることすら出来なかった」
「──きっと、とても綺麗だと」
「『きせいかんわ』なる変化が起きたら、是非とも塗ってやりたいと私に送ってくださったのに、私は最後までコレを塗った姿を見せてさしあげられなかった」
「叶うならば、綺麗だと思ってくださった姿で、あの御方を抱き締めてさしあげたかった」
「あの御方が『ナザリック』を去られる時も、その背中に縋りつきたかった。動かない身体が引き千切れたとしても、構わなかったのに」
「ほんの一瞬でもいい、ペロロンチーノ様の苦しみが和らいでくれるのであれば……それだけで、私は……それだけで、良かったのに……!」
そこまで話した辺りで言葉を止めたシャルティアは……グイッと、悟へと身体をぶつけんばかりに顔を近付けた。
「アインズ様、教えてください」
「どうして私は、今の今まで忘れていたのですか?」
「今だから、分かるのです」
「『玉座の間』でアインズ様が私たちに掛けてくださった魔法」
「アレのおかげで、私の頭の中にあったモヤが晴れました」
「晴れるまで気付かなかったモヤが晴れて、見えなかったモノが見え、忘れていた事を思い出しました」
「私は、取り返しのつかない罪をいっぱい犯してしまいました」
「失った命は回帰しない。奪ってしまった命は元には戻せない。私の両手は、数多の尊厳を踏みにじりました」
「でも……それでも、嬉しかった」
「それはとても苦しく、胸が張り裂けそうな程に辛い事ではありましたけど」
「それ以上に……あの御方との掛け替えのない日々を思い出させてもらえた事が、私には嬉しい」
「そうです、私は嬉しいのです。だからこそ、怖いのです」
「また、忘れてしまうと」
「また、モヤが掛かって何もかも見えなくなってしまうと」
「それが何よりも恐ろしい」
「あの御方の事を忘れ、何も出来なかった己を忘れ、白痴の吸血鬼として振る舞うようになるのが」
「愛しきペロロンチーノ様も望まぬ暴力を振るい、その事に私は喜び、積み重ねる死体を前に悦に浸る」
「そんなのは、お嫁さんではありません。私は、ペロロンチーノ様のお嫁さんなのでございます」
「お願いします、アインズ様」
「どうか、私を私のままに留めておいてください」
「あの御方の事を胸に、最後を迎えさせてください」
「あの時出来なかった事はもう、何一つ挽回出来ないけれど」
「それでも、あの御方の思い出と共に逝きたいのです」
「どうか……アインズ様、どうか……!!!」
全てを言い終えたシャルティアは、その言葉と共に……悟へと土下座をした。
……。
……。
…………その姿を黙ったまま見つめていた悟は……そっと、シャルティアの肩に手を置いた。
「シャルティア……不甲斐ない私を恨んでもらって構わない」
「──アインズ様」
驚いて頭を上げたシャルティアに、悟は……涙が出てこない眼孔を向けた。
「おそらく、今のお前がソレを自覚出来ている時間は、そう長くはないだろう」
「…………」
「せいぜい、数日だ。そして、その数日を終える前に……お前は死ぬ」
「…………」
「だが、お前だけではない。死ぬ時は私も……私たちも一緒だ。大丈夫、寂しいのは一瞬だ」
「──アインズ様?」
敬愛する相手から飛び出した言葉に、思わずシャルティアは立ち上がり──だが、その前に、悟より差し出された衣服一式を見て、目を白黒させた。
「これは?」
見覚えのない衣服やら何やら。
見たところ、優れた装備には見えないそれに、シャルティアは首を傾げた。
「それは、ペロロンチーノさんが、おそらくはシャルティアの為に用意していたモノだ」
「──っ! ペロロンチーノ様が?」
「その口紅から想像する限り、規制緩和で口紅が付けられるようになった時に渡すつもりだったのだろう」
「これを……私が?」
「受け取ってくれ。その方が、ペロロンチーノさんも喜んで──」
それ以上、悟は言えなかった。
「──受け取れません! 私にはもう、受け取る資格がございません!」
それ以上を告げるよりも前に、悟の手に返されてしまったからだ。
あまりの剣幕に思わずたじろぐ悟を他所に、シャルティアはまるで全てから耳を塞ぐように……その場にしゃがんで、俯いてしまった。
「だって、私はもう……ペロロンチーノ様が愛したシャルティアではありません。ただの、血に飢えた怪物なのでございます」
「シャルティア……」
「あの方が愛した者たちを守るためではありません。ただ、己が楽しむ為だけに……悪人を含めて、いったいどれだけの命を足蹴にしたのでしょうか」
「…………」
「そんな私が、そのようなモノを受け取れるはずがありません。もう、ペロロンチーノ様が愛したシャルティアでは──」
シャルティアは、それ以上己を罵倒出来なかった。
「──それは違う! シャルティア、それだけは違う!!!」
何故なら、それ以上の悟の大声によって、掻き消したからだ。
「たとえ、どれだけその身が血に汚れようとも……これは、お前だけの花嫁衣装なのだ」
「花嫁……アインズ様、私は……」
「お前が、自分を許せないのは仕方がない。だが、愛を疑うな。ペロロンチーノさんの愛を、お前だけは……信じてやってくれ」
「………………」
無言になるシャルティアに、再び差し出される花嫁衣装。
それを、今度は受け取ったシャルティアは……また、涙を目尻に浮かべると、それに顔を埋め……すんすんと泣き始めた。
……。
……。
…………小さな背中を見下ろした悟は、しばしの間……思い出に浸ると、そっと……この場を後にするのであった。
自我を持つNPCってのは難しいよね、塩梅がね