ウマ娘に転生したらパクパク……してなくて、むしろツンツンしてるお嬢様のお目付役になった件について。 作:流星の民(恒南茜)
「……どうして、でしょう」
一度も踏まないまま、雪は溶け切った。
昨日までは白一面に染まっていたその庭は、今や剥き出しになった芝生によって緑一色に染まっていて。
代わりに庭に飾られた一本のクリスマスツリーと、自身のいる部屋より少し下に据え付けられた星飾りが、遂にその日が来たのだと告げていた。
けれど、未だに額は熱く、倦怠感も消え去らない。
『……お嬢様。まだ、お熱が……』
当然だった。
まだ熱は下がり切っていなかったのだから。
「……ほんとうに」
『——ですから、今日も安静に……』
朝方、じいやが口にした言葉が脳裏をよぎったせいか彼女は独りごちるも、その続きが紡がれることはない。
代わりに震えた手が、手に持った紙にくしゃりと、シワを作ってしまう。
招待状と銘打たれたその一枚の手紙が昨日、彼女に元気を与えたのは確かだった。
だからこそ、もうパーティーへと参加できない今日、それを目にしていると、まるで胸が締め付けられるようで。
そのはずなのに、最後の一節からはどうしても目を離すことができなくて。
——“それでも、わたしはお嬢様と仲良くしたいのです“
こぼれ落ちた一滴の雫によってインクは滲む。
じいやも今日は忙しくしており、なかなか来てくれない。
忙しなく響く、足音も、部屋の外から聞こえる話し声も。
むしろ、中途半端に治りかかっている分、以前ほどずっとは構ってくれないのだ。
だったら、まだ前の方が良かったのかもしれない、だなんて。
考えてしまう自分にもまた、嫌気が差してくる。
「……私は、メジロ家の……ウマ娘、なのです」
ソレは、今までずっと自分を奮起させる時にも、強がる時ですらも、口にしてきた言葉。
だからこそ、だった。
——強く、あらねばなりません。
ずっと、己に命じてきて、律してきたのだ。
弱音など吐いてはならない。
——私は、気高くあらねばならないのです。
ましてや、先ほどのように一滴の雫すら、瞳からこぼすことは許されるはずもなくて。
「……っ」
強く唇を噛み締めて、込み上げてくるものを我慢しようとした、というのに。
「……っ……うぇ……っ」
一滴、二滴、と次々にそれが手紙を濡らすとともに、小さく嗚咽が漏れて。
きっと表情はひどく歪んでいたのだろう。
そんなもの、誰にも見せたくなかったからこそ、マックイーンは枕元に置いてあったぬいぐるみへと顔をうずめた。
“みんな、マックイーンが元気になるのを待っています。“
けれど、視界を塞いでしまえば、なおさら気が紛れなくなる。
“だから、クリスマスパーティーで元気な姿を見せてね!“
脳裏をよぎったのは、手紙に記された文字。
——これでは、ライアンにも、ドーベルにも、他の……みんなにも……。
主治医にも、じいやにも、従姉妹たちにも、自分を気遣ってくれた皆に、これでは申し訳ない。
——そして、彼女に、も……。
そして、何よりずっと強く残っていたのは、なぜか一番一緒にいた時間が短いはずの少女の姿だった。
いや、むしろ一番短かったからこそ、なのだろう。
一点に定まらなかったその瞳と途切れ途切れになっていた声にも、うなされていた時に自身を呼んだ声にも、手紙の最後に小さく書かれた字面にも。
まだ一度も、何か返すことすらできていないのだ。
「……の……そ……んな、の……」
枕を通してくぐもった声が反響する。
『強いていうならば、明日のクリスマスパーティーを楽しみにしていたこと、くらいでしょうか』
それでも、彼女の様子が容易に想像できてしまうからこそ、来てほしいと彼女に頼むことはできなかった。
ただ、鬱屈とした気持ちは消えることがなく。
誰にも見せたくないその顔と、誰にも聞かれたくない掠れた声を隠すように、更に深く、マックイーンは顔をうずめる。
けれど、目元に滲んでは、布へと染み込んでいくその雫だけは——止めることができなかった。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「……んぅ……」
コンコン、と。
響いたノック音は、今日も彼女の意識を引き戻した。
ほのかに香るのは、昨日と似たものでも、少し冷めたお粥の香り。
少しばかり顔に触れている不快な塊を引き剥がして瞼を開けてみると、それはぐっしょりと濡れたぬいぐるみだった。
そして、差し込む光は既に濃い橙色になっていて。
「……もう……始まる時間、でしょうか」
時計を見てみると、それが指していたのは既にパーティーの始まる時間。
そして、今回はもう、夢を見ることすらなくて。
せめて、寝ている時くらいは幸せに過ごさせて欲しかったものだと、彼女は一度、ため息を吐く。
その時、コンコン、と。
もう一度、ノック音が響いた。
——一体、誰なのでしょう?
確かに気になるものだ。皆は、準備やらで忙しくしているはずなのに……。
そんなことを考えながら、ドアを開けると、そこに立っていたのは——
「お嬢、様……その、お休みのところ、大変……もうしわけ、ありませんが……その……」
頭の動きに合わせて揺れる白毛と、真っ直ぐこちらを見つめておらず、多少逸れた紅い瞳。
間違いなく、マックイーンが話したいと願っていた、少女の姿だった。
「……な……ぜ、ですか……? 貴女は、パーティーを楽しみにしていると……」
しかし、真っ先に口を突いて出たのは、そんな疑問だった。
それで言葉を遮られたせいか、少しばかり彼女は目を見開いて、口をぱくぱくさせたのちに、一度、つぐんで自身を落ち着かせるように深呼吸をすると……もう一度、声を発した。
「……いえ。もうお手伝いは大丈夫と、じいやさんに言われましたから……。だから……だから——今は、もう一度お嬢様と話したくって……もし、許されるのなら……一緒に、過ごしたいのです」
「けれど……貴女はそれで良いのですか? こんな大切な時間を、私と……過ごして」
「……むしろ、大切な時間だからこそ、です」
「気を……使わなくても良いのですよ? ずうっと、私は、貴女を……はねのけて……きた、のに……」
——違います。
決して、彼女をもう一度拒絶したいわけではなくて。
——もっと、素直に……。
なりたい自分とは裏腹、気が強くって、中々素直になれない今の自分が、たった一つの願いすらも塗り潰そうとする。
「ですから……貴女は、パーティーを楽しんできてください。私は大丈夫……ですから」
そして、そんな自分が嫌になってきて、こう口にしていると、胸が締め付けられるよう。
少しばかり滲んできた視界のせいで、次第に彼女の姿は、ぼんやりとしてくる。
そして、熱い雫が一滴頬を伝った時、そっと伸びた白い輪郭が、それを拭き取った。
「……いい、え。わたしは——ここに……います」
まだ少し滲んでいたけれど、先ほどよりはっきりとした視界の中で映ったのは——ずっと真っ直ぐに見つめることのなかった、鮮やかな紅だった。
それが湛える光は決して、今までのようには揺れず、真っ直ぐに自分の瞳を捉えて離さない。
そして、今までとは違ってはっきりと口にされた意思を曲げて解釈することは、今のマックイーンにはできないことだった。
——私は、気高くあらねばなりません。一人でも、強くあらなければ、ならないのです。
それは、メジロ家のウマ娘である自分へと、課せられた使命だった。
——けれど、今は、この手を取りたい。……触れたい。たとえ、使命に反していたとしても。
きっと、今、自分の意思に正直になれなければ、もう機会は訪れない。
僅か、半身分の距離だった。
それでも、なぜだか、それはたまらなく遠くって。
——もどかしい、もどかしいです。
伸ばしても、中々辿り着けなくて。
だからこそ、少し冷たいその手に触れた時、彼女は決して離さぬように、と。
強く、ぎゅっと握った。
それに対して、ミゾレがいつものように上ずった声を発することはなかった。
ただ、受け入れるように。
握られた手は、やさしくマックイーンの手を握り返す。
それは、柔らかで、あたたかで。
自分を、受け入れてくれているようで。
そのせいで、きっと彼女は一つ、口にできたのだろう。
「……私も、です。貴女と、話したい。一緒に、この時間を……過ごしたい、です」
——自分の、意思を。
「もちろんです。……お嬢様と、この時間を過ごせるのは、わたしにとって、たまらなく嬉しいもの、ですから」
その返答に対して、少しだけマックイーンの瞳が濡れた意味はきっと、先ほどまでとは全く違うものだった。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「……その……つまらないものかも……しれないですけどっ……お嬢様、最後に……これ……どうぞ……っ」
時折、じいやが持ってきてくれたケーキを食べたり、少し枯れた声だったけれど、クリスマスソングを歌ってみたり。
まだ、小さくて、か細い声ではあったけれど、ミゾレと談笑する時間は、マックイーンが望んでいたもので、今まで経験したクリスマスパーティーと比べても、楽しい時間だったことに違いはない。
だからこそ、あっという間に時間は過ぎていって。
辺りも暗くなり、階下から聞こえていた話し声も消えて、片付けのために外を忙しなく動く足音の聞こえる頃合い。
もう寝る時間の直前、その時間が終わりを告げる直前に、ミゾレが差し出してきたのは、折り紙で作られた、小さなクリスマスツリーだった。
器用に切り抜かれた折り紙を組み合わせて、頂点に星を据え付けたそれは、今まで貰ってきたプレゼントの中でも、一番安価なものであったのは確かだった。
しかし、じいやが持ってきてくれた、従姉妹や他の親族からの豪華にラッピングされたプレゼントの中にあっても、今のマックイーンにしてみれば、少しも見劣りしないものでもあった。
「……いえ。つまらないものなんかじゃ、ありません。とても……嬉しいもの、ですわ。この、プレゼントも。貴女のくれた、この時間も。ですから、そんなに遠慮しなくても構いません。……貴女は、私のお目付役、ですから……っ」
——明日からも、一緒に。
もしかしたら今日、この場をもって、彼女と会うのは最後かもしれない。
今までとってきた態度があるからこそ、そんな考えが一瞬浮かんで。
ちょっと、虫がいいかもしれない、だなんて。
その言葉は、紡がれることなく、消えゆく。
「……お嬢様が、構わなければ」
そんな意思を、汲んだのかはわからない。
「……明日からも、ずっと、一緒、です」
けれど、部屋を後にする直前、柔らかい微笑みと共にミゾレが口にした言葉は、今、彼女の一番望んでいたものだった。
「……そう、ですね。……そうです。よろしく、お願いいたします……ミゾレさん」
「……ええ。こちらの方こそ、です。よろしくお願いいたします。マックイーンお嬢様」
交わされた言葉と握手は、一つの約束。
幼い少女が求めてやまなかった関係。
ぎゅっと握ったその手は、離れるまでの間しばし、温もりを伝え続けてくれていた。
◆ ◆ ◆
◆ ◆
◆
「——大奥様、そろそろお休みになられてはいかがでしょうか」
僅かな暖色が灯る部屋の中で、じいやは自身の仕える相手へと一つ、声をかけた。
「そう、ですね。そろそろ……そういえば、マックイーンの具合はいかがですか?」
「マックイーンお嬢様、ですか。風邪の方はもう、治りかかっています。あとは……本日のパーティーに参加できなくて落ち込んでいる様子でしたので
、手が離せなかった私の代わりにミゾレを。お休みになる直前にはもう、普段とあまり変わらない様子……むしろ、上機嫌でした」
「そう、ですか。では、良い相手、だったのでしょう。……あの娘は、閉ざされた環境で育ってきました。だからこそ、少しばかり、親族以外の他者に抵抗を覚えてしまっていて、人見知りゆえの尖った態度を、他者に向かって取ることも少なくはありませんでしたね」
彼女は、語りかけるように、けれども、どこか自分で懐かしむように、話し続ける。
「——だからこそ、それを解してくれる相手が必要だったのです。言ってしまえば、目付け役、というよりも……友人になってくれるような、相手が」
「それが、ミゾレである……と?」
「ええ。彼女に接しようとする意思のある娘であれば、誰でも構いませんから。別に特別でなくても……いえ、ある意味では、それは特別、なのかもしれません」
最後の言葉は、まるで呟くように発された。
それは、普段よりもどこか柔らかいもので。
聞いたのちにじいやは、そっと頷いた。
◆ ◆ ◆
◆ ◆
◆
「……今日は、ずっと……ずうっと前から想っていた相手と、仲良くなれました。……わたしは今日も元気です……このこと、伝えたらお母さん、喜んでくれるかな?」
先ほどまで手紙に記していた内容を復唱して封筒に入れると、ミゾレは今日の出来事を思い出したせいか、一つ、微笑みを浮かべると、ベッドに入り、瞼を閉じた。
ごめんなさい、大分空きました。