小春六花と小春兄が遊んでいる様子を、小春母が見ているだけのお話です。


(「もっといい人が」「後輩になった日」同様に、原作名は「VOICEROID」ということにしてあります。このサイトではCevio勢もこれに分類されていると思われるので)

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小春兄の名前は「侑己」くんです。ふとロッテに入った唐川くんが浮かんだので。


積み木

 半袖を着るべきか、長袖にすべきか、どっちつかずの気温が鬱陶しい季節の頃の話だったと思います。侑己と六花が家にいましたから、私は何をするでもなく、ただぼんやりと二人の方を眺めていました。夕飯の用意をするにもまだ早い頃で、たいしてすべきことも、したいこともありませんでした。それなのに二人が外で遊ばず家に居たのは、おおかた季節柄の嫌な雨が降っていて、外に出ようにも出られなかったからでしょう。私もその低気圧にあてられたのか、もうケータイを触るのもなんだか億劫で、頬杖をついてみたり、腕を重ねて枕がわりにしてみたり、ちょうど、学生の頃の、つまらない授業を受けているときのような気分で、テーブルの前に座っていました。

 

 とはいえ、私も、授業で指されるのを怖がる学生と同じくらいには、気をほんのりと張っていました。六花が生まれる少し前に引っ越したこの家は、リビングとダイニングが一緒になった部屋が二階にあって、いや、もしかすると、名目上は一階の少し広めの部屋がリビングなのかもしれませんが、とかく、普段私たちが過ごす空間は階段の上だったのです。

 

 それだから、侑己や六花が階段から落ちたら大変だと、階段に柵を付けています。ええ、今もです。さすがにもう落ちやしない歳ではありますが、なんだかんだといるうちに、壁側に止めておけばさして邪魔になるわけでなし、外すのが面倒になってしまいました。この前、六花と「認知症になったらお母さんたちが落っこちないようにまた使えばいいんじゃない」なんて話もしたのを覚えています。

 

 その頃、侑己はもう小学校に上がっていたはずですが、六花はその三つ下ですから、階段がまだ危険地帯で、柵がついているとはいえ、注意を払ってやらなければならなかったのです。

 

 六花は何かキャラクターのよくわからないものを触っていて、侑己は黙々と積み木を積んでいました。それは侑己がもっと小さい頃に買った積み木だったはずです。私は初の子育てに相当気合を入れていたようで、プラスチックのおもちゃはダメだとか、今にして思えばかなり過敏でした。それで外国の木のおもちゃなんかを買ってきてもらったうちのひとつが、たぶんそれだったと思います。ところがその積み木は、上から見ると四角いのですが、横に倒すと三角が二つくっついた、学生時代に散々やったにもかかわらず、ついぞ一度も出したことのなかったボウリングのストライクの記号のような形をしていました。手に取ってみて角の鋭さにびっくりした私は、それを倉庫にしまい込んで、夫に「お金無駄にした」だとか、ずいぶん当たったのでした。

 

 いつだか、侑己がそれを見つけて来たのか、夫がもういいだろうと与えたのか、その積み木は倉庫から引っ張り出されてきました。けれども元気な子供たちには全然遊んでもらえず、おもちゃ入れの隅っこのヌシになっていたのです。さすがにその日がはじめてではなかったと思いますが、片手で数えられる回数よりも多くはなかったでしょう。

 

 さっき言ったような、変わった形をした積み木でしたから、夫曰く、うまく積み上げるとかなりアクロバティックな形にもできるらしいのでした。私はそれがなぜ崩れないのか不思議でなりませんでしたが、侑己はすぐに要領を掴んだようで、変わった形の積み木を、変わった使い方で、変わった形に積み上げていました。

 

 ふと、六花の遊んでいたはずの方に目をやると、そこにはもう六花はおらず、ちょっと不細工なキャラクターの顔だけが寂しそうにこっちを見ていました。それで私は少しばかり焦りましたが、階段の柵が開いていないのを見て胸をなでおろし、あの人によく似た白い髪が、今度は侑己の方に来ていただけだとわかり、ようやく安堵の溜息をつきました。積み木が物珍しかったのか、六花はまじまじと見つめていました。

 

 しかし、ほっとしたのも束の間、直後、私の緊張の糸は、その三か月ほど前に、開きっぱなしにしていた柵の方に六花が近づこうとしていたとき以来に張り詰めました。

 

 六花が、不意に手を前に出して、もうだいぶ組みあがっていた積み木に触れたのです。いえ、はっきり言いましょう。倒したのです。侑己がさっきまで必死に積み上げていた、奇妙な形の積み木の山を。

 

 一つ一つにそれなりの重量があるせいか、「ガシャン」というよりは鈍い「ゴトン」という音をたてて、それらは一瞬で崩れました。私はもうその先がはっきりと浮かびました。きっと侑己が、六花を叩いて、それでなくても大声で怒るなりして、六花が泣きだし、すると侑己もばつが悪くなって不機嫌になるのです。わかりきったこと、それでも私はいったいどうすればいいのか、皆目見当がつきません。よしんば何か浮かんだとしても、ここからではきっとどうしようもないのです。

 

 そんな、諦念と焦燥がないまぜになったような感覚で、さぁ叩くか、それとも怒鳴るのかと恐る恐る見ていますと、突然、笑い声がしました。六花の声でした。私は一層恐れました。古今東西、怒られそうな雰囲気を察して、曖昧なへらへらとした笑顔を向けた輩が、良い扱いをされた試しなどどこにもありません。

 

 しかし、よくよく六花の笑みを見てみると、どうにも少し違うような気がしました。そういう誤魔化しの笑いでなくて、いっそ確信犯的な、自信に満ちた顔にも感ぜられます。開き直りでもなく、さもそれが当然のような態度なのです。

 

 途端、違う笑い声が混ざりました。今度はもう少し小さい声で、けれどもたしかに聞こえた、侑己の声でした。いったい、何が起きたのでしょうか。私にはわからない何かが侑己と六花の間にあって、それが通じ合った、というわけでもなさそうです。

 

 しかも、侑己はただその六花の失態を許したというより、むしろ、六花に崩されるところまで含めて、新しい遊びと捉えたようでした。その後も、数度、重ねては六花が崩し、そのたびに二人が笑い合ったのですから。今思い返してみても、賽の河原の石積みとひとつも変わらないじゃないかと言いたくなるのですが、それでも当人たちはそれを楽しんでいました。それどころでなく、私も、なぜか、それがはじめから当然そうなるべきことだったように思えてきたのです。

 

 きっと、それが六花の、不思議なようで当然な、当然のようで不思議な、天賦の才なのでしょう。そういうところまであの人によく似ているなと、その白い髪を眺めながら思います。客観的に見れば、あの人はとんでもない悪人なのでしょうけれど、いまだに、私はあの人を嫌うことができないのです。もちろん私の贔屓目もありますが、それが私ばかりでなかったのが何よりの証拠でした。

 

 もちろん、六花にはそんな悪人にはなってもらいたくはありません。きっと、もっと良い使い方が、良いことに活かす手段があるはずです。けれども、あの人が悪いように、私も悪いのですから、せめて悪用せぬよう祈るくらいが関の山なのかもしれません。

 

 あるいは、侑己がそれを受け入れてしまうのも、また生まれ持った才能であるかもしれません。こちらは悪いことにはほとんど使いようがないと思いますが、悪い人につけ込まれてしまう恐れはあります。ちょうど、私のような悪人に、です。それもまた、親によく似たのでしょう。私の側、たとえばあの人を赦してしまったことなんかも、その元になった才なのやもしれません。けれども、やはりこちらも父親の方の影響が大きいような気がします。

 

 また、侑己が積み上げた山が崩されたようです。今度はまだ大きくならないうちに崩されたようで、「もうちょっと待ってよ」なんて、いくらか不満を口にしながら、夫によく似たその黒い髪を携えた頭を、数度掻いていました。

 





はい。


いや……本当に申し訳ない。「髪の毛が黒いタイプの兄」って先に言っておけばよかったですね……


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