Ⅰ
ヤンとキャゼルヌは週末の夜、豪華なビリヤード台が置かれた士官クラブでかび臭い革張りのソファに収まっていた。客はまばらでスヌーカーを楽しむ者もなく、バーの給仕が行きかう姿もなかった。ひそひそ話を聞いているのは、壁を飾る過去の名士たちの肖像画だけだった。
2人はバーボンのロックを注文する。肴はミックスナッツ。ヤンは景気づけに洋酒をひと口含んだ後、本題を切り出した。
「アッシュビー提督が謀殺されたという件の調査なんですが、結論としてはその可能性が高いということです」
キャゼルヌは眉を吊り上げた。
「それは本当なのか?」
ヤンはうなづいた。キャゼルヌはかぶりを振った。
「まともには信じられん話だぞ。アッシュビー元帥が乗ってた戦艦に当たったのは、敵の流れ弾だったんだろう?それで元帥は深手を負い、最後は戦死した。帝国軍は狙いすまして元帥が乗った艦を撃ったということか?」
「帝国軍の攻撃はおそらく偶然でしょう。問題はその後のことです」
「その後?」
ヤンは調査報告を行った。帝国軍の攻撃を受けた後、音信不通で遭難した戦艦「ハードラック」の捜索に参加したクラーク軍医中尉が遺した日記。戦史叢書などの公式文書とクラークの日記に現れる数々の相違。そうした点を逐一説明した後、最後にアッシュビーの検死報告に触れた。ヤンはある書類を表示させたタブレット端末をキャゼルヌに手渡した。
「これは公式に出されたアッシュビー提督の検死報告です。提督の検死は戦艦『ハードラック』に乗ってた軍医のエリス中佐は戦死したため、マクブライト隊に同行したパディントン軍医中尉が行ってます」
キャゼルヌは書類に眼を通した。戦艦「ハードラック」が発見された翌日の13日、マクブライト隊はアッシュビーの遺体を駆逐艦「コンウェイ」に移送した。検死は駆逐艦「コンウェイ」の医務室で行われた。ヤンは続けて言った。
「いろいろと所見が書かれていますが、問題はこの箇所です」
ヤンはある一文を指でなぞってみせた。
『死後推定35時間と予想される』
「検死の開始時刻は13日の10時ごろ」キャゼルヌは言った「そこから逆算すれば、35時間前は11日の23時。敵の襲撃は同じ日の19時ごろ。問題は無いんじゃないか」
ヤンはバーボンをひと口含んだ。
「先輩の言う通り、正しい結果に思えるでしょう。ですが、これは問題が2つあります。1つ目はアッシュビー提督が『出血性ショックのため即死』したとされていますが、マクブライト中佐が発見した時点では遺体が綺麗な状態だったと証言しています。即死ならすでに腐敗していてもおかしくありませんから矛盾します。2つ目は、ある人物が公式と異なる検死結果を出しているんです」
「クラーク中尉か?」
ヤンはうなづいた。
「そうです。しかも、クラーク中尉による検死はパディントン軍医が実施するよりも前に、戦艦『ハードラック』の中で行ってます。この時、クラーク中尉がいたフレッチャー隊の後からデュトワ中佐の捜索隊が戦艦に到着しています。検死はデュトワ隊にいたアイヴス軍医中尉も一緒でした。クラーク中尉は検死の詳細を日記に書いてました」
ヤンはタブレット端末にコピーした日記の一部を表示させた。
「クラーク中尉はアッシュビー提督の死亡推定時刻をこう書いてます」
キャゼルヌは眉間に皺を寄せた。納得しがたい回答を出された時の仕草だった。
『―遺体の状態より察するに、アッシュビー元帥閣下は死後6時間から10時間。死亡推定時刻は12月12日午後7時より11時の間頃と認められる。アイヴス中尉も同意見―』
キャゼルヌはヤンに顔を向ける。
「これは一体、どういうことだ?」
ヤンは説明する。もちろん大破した戦艦では設備などは不充分であり、正確な死亡推定時刻の算出は不可能である。だが、クラークとアイヴスは仮にも軍医である。2人とも死亡推定時刻を大きく誤認するとは考えにくい。ヤンは低い声で言った。
「さらに、重大な事実があります」
もしクラーク中尉の検死結果が正しいとするなら、マクブライト隊が戦艦を発見した時点では、アッシュビー提督はまだ生きていた可能性があったことになる。もちろんクラーク中尉はこの時、他の捜索隊がすでに遺体を発見したことを把握していない。
「ならあの勝利の後、アッシュビー元帥にいったい何が起きたんでしょう」