異聞・第2次ティアマト会戦   作:伊藤 薫

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 ヤンはうららかな日和の午後、楓の古木が立ち並ぶ通りを歩いていた。同盟軍の先達であるアルフレッド・ローザス退役大将を訪問するためだった。キャゼルヌと士官クラブで洋酒を嗜んだ夜から3日経っていた。キャゼルヌいわく元宇宙艦隊総参謀長はヤンの面会を快諾してくれたという。

 ローザス提督の私邸はメープルヒル17番地に建っていた。30代半ばの家政婦らしき女性が玄関ホールの右手にある広い部屋にヤンを案内した。部屋に入る際、頭上から足音がした。ヤンは顔を上げる。ポニーテールの髪型をした18歳ぐらいの少女が玄関脇の階段を足早に上がっていった。

「訪ねていただいて光栄だ。私のような半分、世を捨てた者に軍からこんな若い女性が出向いてくるとはね」

 ひたすらヤンは恐縮するばかりだった。

 ローザスは今年で78歳になる。背筋はまっすぐ伸び、品格ある紳士という印象を与える。言語も明晰であり、動作も迅速ではないが危うげなところは無かった。老提督は自ら淹れた紅茶を57も年少の客人に勧めた。

「妻が死んでから、その後は独り暮らしでね。この程度のことは別に面倒でもない」

「いただきます」

 ローザスが淹れた紅茶はヤンの好みからすれば、少し濃すぎた。無論、そんなことで老提督に文句は付けるつもりはない。ヤンが通された部屋は応接室というより、図書室という感じだった。ガラス戸がついた書棚が四方の壁面を埋め、老提督に勧められたソファは座り心地が抜群だった。ヤンにとっては理想的な部屋と言っていい。

「ところで、今日はどういった要件かな?」

 ローザスはヤンの向かいに安楽椅子に座った。

「ブルース・アッシュビー元帥のことをお聞きしたいのです」

「そうか」

 老提督はうなづいた。

「アッシュビーの幕僚で、私より優秀な人物はいくらでもいた。ただ、私がこうして長生きしてるから、口はばったいことを言わせてもらえるわけだ」

 ローザスは老いた顔に若々しい笑みを浮かべた。ローザスは指揮官としては「平凡よりややマシ」という程度の戦績しか上げられなかったが、総参謀長としては強烈な個性の塊だった同期の将星たちの緩衝役を務め上げた。アッシュビー率いる宇宙艦隊総司令部が全体の力量を損なわずに、統一的に機能し続けたのは間違いなくローザスの功績だろう。

「閣下、今日お伺いした本題ですが・・・」

 ヤンは躊躇いがちに口を開いた。

「アッシュビー元帥に関して、奇妙な噂があるのをご存じですか?」

「神話があれば、それに反する神話が生まれる。当然だな。アッシュビーと同じ時代を生きた人間が全員、彼を尊敬しなければならない理由などない」

 ローザスは軽く首を振った。

「アッシュビー提督は第2次ティアマト会戦で戦死なさいましたが、それが謀殺であると申し立てた者がいます」

 相手の反応をヤンはうかがった。ローザスは落ち着いていた。狼狽や怒気を発するような人ではないのだろう。ヤン自身も容易に反応が見られるとは思っていない。

「軍部としては、アッシュビー提督の死に関する不名誉な風聞を放置しておくわけにはいかないだろう。なるほど、それで君が老人の下に足を運んだわけか」

「閣下には何か心当たりがおありですか」

 ローザスはわずかにかぶりを振った。

「ない。たとえあったとしても、言うつもりはない。せっかく訪ねてきてくれたのに申し訳ないが」

 老人の声に怒りや悪意は無かった。見えざる鉄壁の存在をヤンは感じた。ローザスは相変わらず淡々と続けた。

「私は神話を作られるのに加担した人間だ。不当にアッシュビーを過大評価したつもりはないが、自分自身の裡にあるアッシュビーの像を壊そうとも思わん。私に異を唱えることが出来る者は当時なら、いくらでもいただろうが、今となっては・・・」

「死人に口なしですか」

「その通りだ。私が今ここで何を喋っても、否定できる者はおらん。生き残った者の勝ちということだな」

 ローザスは笑った。ヤンはこれ以上、相手を追求する気になれなかった。その後はアッシュビーや同期の提督たちに関する雑談をした。当たり障りのない話題ばかりだったが、老提督の口調は熱を帯びていた。ヤンは再会を約束して部屋を辞した時、窓に向かって置かれた執務机に中古のエディタが置かれていたことに気づいた。

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