異聞・第2次ティアマト会戦   作:伊藤 薫

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「ふわっ、ふああああ」

 尾を引く母音が不意に口から漏れた。ヤンは眼をつぶり、大きな欠伸をする。眼尻の涙を指で拭う。上司のセシル・メイウッド中佐がヤンを恨みがましく見やる。当の本人は眼をしばたたき、首の後ろを揉んでいる。

 あの(あま)、良い気なものだ。メイウッドは鼻を鳴らした。同盟領内情報の収集・整理を担当する第2班長のロイド・ペイリン少佐もヤンの隣で首を震わせて欠伸している。同盟軍統合作戦本部の調査部記録統計室のそこかしこで間の抜けた声が漏れた。メイウッドは低い声を発した。

「何だ、みんな真昼間にあくび大会か。たるんどるぞ」

「ここは造りが悪いですよ」ペイリンは言った。「昼を過ぎると陽がまともに当たる」

 記録統計室は統合作戦本部ビルの1階にある。部屋の窓は全て南に面している。昨日まで降っていた雨はすっかり止んで、ハイネセンポリスは朝からよく晴れている。午後一時を過ぎた今は陽光がたっぷり降りそそいでいた。

 記録統計室に郵便が届いた。部屋の入口に近い席に座るヤンが配達員に対応する。ヤンは受取票に漢字で「楊瑞丹」とサインした。ヤンの姓名表記形式は姓が名の前に来る東洋(イースタン)式である。自分のアイデンティティを意識しているという自覚はないが、書類に署名する場合はアルファベットを使わずに漢字で名前を書くことにしていた。

ヤンが自席に戻った時、PCのディスプレイ上にショートメッセージが表示される。

《これから新天地に出発する。元気で。また会おう》

 メッセージの差出人は士官学校の同期、ジャン・ロベール・ラップ中尉だった。ラップもヤンと同様に統合作戦本部で勤務していたが、今度の異動でエル・ファシルの警備艦隊に配属されることになった。ヤンはメッセージに返信する。

《また飲みに行きましょう》

 同期でもっとも出世するのはラップだろう。ヤンはそう思っていた。首席で卒業したのはワイドボーンで学業こそ優秀だったが、他人の欠点や失敗を抉るような面があり、同級生や下級生に信望は薄かった。ラップはヤンと似たような事情で、本来は軍人志望ではなかったそうだが、自然と集団を指導する力量と誰からも信頼感を寄せられる人格の持ち主だった。面倒見の良い男で、ヤンも何度か助けてもらった。

 ヤンは気を取り直して業務を続けた。この部屋では武勲の立てようも無いが、ヤンにそのつもりは無かったし、同盟軍の古い記録に接することが出来る仕事に満足していた。業務のかたわら、「フリープラネッツ・ヒストリカル・レビュー」に投稿する記事の調べ物が出来ることも大きなメリットになっている。

「失礼します」

 記録統計室の入口で声がする。メイウッドは椅子を回転させて眼をやる。参事官付きの副官が一礼して部屋に入ってくる。彼はまっすぐメイウッドの前に来て一礼し、少し言葉を交わした。

「ヤン中尉、こっちへ」メイウッドは言った。

 ヤンは上司の机の前で踵を合わせる。

「参事官がお呼びだそうだ。副官が案内するそうだ」

 メイウッドは警戒と疑念と好奇心と諦めをごった煮にした眼でヤンを見ていた。ヤンは無表情でそれを見つめ返した。上司は状況を把握できず、ヤン自身も自分が参事官に呼ばれる理由が分からず、やり場のない不安や不快がこういう形で噴き出している。

「わかりました。すぐ行きます」

 ヤンは副官について記録統計室を出て行った。メイウッドはヤンの背中に冷たい視線を送った。

 彼はヤンが気に入らなかった。遅刻や欠勤は皆無で勤務態度は良い方だが、人事考課表に記載されていた士官学校の成績表は今まで見てきたものの中で最悪だった。周りの人間が残業で残っていても、定時になったらさっさと帰宅するのも気に食わなかったが、こちらが頼んだ仕事はきっちりこなしてくるので強く言い出すことも出来ない。

 あんないい加減な奴は戦場に行ったら、まっ先に死ぬに決まってる。メイウッドはそう思うことにして日々の怒りをやり過ごしていた。

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