The bullet shoots you 作:ネムケノゴンゲ
瞬間である。首元を掴まれ、体が反対方向に靡く様を見届けられたのは一人も居ない。いや、唯一。一人を除いて。
この世界は平和だ。誰もが口を揃えて言う。日本の治安は世界一と言われる所以がここにある。
犯罪を未然に防ぎ、人知れず平穏な日々をもたらす秘密組織Direct Attack。通称DAに所属するリコリスと呼ばれる少女たちが危険人物を抹殺することで、市民は危険に身を晒すことなく生きている。
リコリスは人並み以上の身体能力を有している。戦闘には射撃スキルや身のこなしが必要。日々訓練に励み、陰ながら日本の平和を維持する。いわば、人助けである。
本部からの命令は絶対だ。常に無線で指示を受け、その通りに行動する。それが彼女たちにとって、また本部にとっても最善なのだ。
――中には例外もいる。
命令もほどほどにしか聞かないし、そもそも殺しをしない。殺せと言われても、対象の治療を始める始末。優秀であるのは事実だが、それ以外な生意気なクソガキ――と評価する者もいる。
目の前で危険に晒されている人間がいれば、体が勝手に動く。本能がそうさせるのだ。自分の前で命が失われるのを極度に嫌う彼女は、人目を
テロリストはいつも、彼女の温情に
だってそう。死ぬことは怖くて生きるとは正反対の存在。死んでしまったらこの平穏な世界から切り離されてしまうのだから。
だから――。
「なぜ、助けた」
死を望む人間の気持ちがよく分からなかった。
「理由は必要かな?」
迫り来る轟音。甲高い音とともに吹き付ける人工風。金属の塊が二人の目の前を走り抜け、やがて止まる。自身よりも20センチは高いであろう男が尻餅をついて彼女を睨みつける。
痴話喧嘩かと行き交う人々の好奇な視線。強気に返答したものの、
桜が満開の季節はとっくに過ぎ去っている。雨に覆われた日常のうち、珍しく晴天に恵まれたこの日。少し羽を伸ばしたくなった彼女は、普段滅多に着ない桜色のブラウスと白いチノパン姿。
一方で、自身よりも体格の良い少年は同じように桜色のシャツに白いチノパンを履いている。
「うおっ!?」その小柄な体でどうやって、と言わんばかりの反応。無理矢理立ち上がった少年をそのまま引きずるようにその場を離れる。
「ちょ、ちょっ苦しい……!」
「あーちょっと待ってねー。うん」
自身より重いはずの人間を引きながら、いとも簡単に人波をかい潜っていく。
あのまま少年と別れるわけにはいかなかった。そうなるときっと、彼はまた飛び込もうとする。自身の知らないところで。でも、一度助けた彼は知らない人じゃなくなったから。
「ここまで来ればいっか――って大丈夫!?」
駅を出て人気のない裏路地にやって来た二人。そこでようやく千束は彼の襟元から手を離した。
少年は何度も咳き込みながら心臓に酸素を送り込む。その様が「生」を渇望しているように見えて、千束は少し微笑ましく思えた。
「なんなんだ……あんた……」
「錦木千束。よろしくね」
名前は聞いていない、別にどうだっていい、とは言えなかった。死を目の前に見た彼にとって、それはあまりにも眩しすぎたのである。目眩がする。太陽に酔いしれたグラつきが。
「あなたは?」
反射的に言葉が飛んでくる。彼女の口からリズムに乗って、少年の体を伝わる綺麗な声。
答える気なんてなかった。答えたところで、どうせもう二度と会うことはない太陽。これから自分は闇の中に身を投げ出すだけの存在だから。
「……別になんだっていいだろ」
自身とさほど年が変わらないと見えたせいで、少し生意気な口ぶりになった。けれど、彼には反省する理由も、反省するつもりもない。
「良くないよ」
けれど断言される。初対面であるのにも関わらず、少女が自分のことのように問い詰めてくる意味が理解できなかった。
「命を大切にしないと」
「関係ない」
「あるよ」
「なぜ」
「目の前で死のうとしたから」
少年は困惑した。そして直感が言う。目の前にいるこの可憐な少女は、決して普通ではないと。シックスセンスが訴えかけてくる。
「それこそ無関係だ」
背を向ける彼を千束は見上げた。「本当に大きいなぁ」と感嘆しながら、少年の広い背中をツンツンと人差し指で突く。
「でもこうして助かってる」
「あんたのせいでな」
「良かったと思いませんか?」
「今の会話でなぜそう思う?」
思わず振り返る。キャッチボールが出来ていない。そう思うのに、少年は揶揄われている気がしてならなかった。
千束が持つどこか独特な浮遊感。現実から浮世離れした存在感。生きてきた中で出会ったことがないタイプの少女。
「どうして死のうとしてたの?」
目が合う。大きな朱色の瞳に覗き込まれる。喉元が動いて、くすくすと千束は笑ってみせた。
不思議だ。笑みとは正反対の問いかけをしているのに、どうしてそんな顔をするのか。どうして心の中を見透かしたような顔をするのか。
「だから――」
何度目だ、と言わんばかりの露骨な態度で。
彼女を威圧するつもりで言おうとした。けれど、少女は相変わらず優しく笑う。
「桜色」
「え?」
「どうしてそんな明るい服を着てるのかなって」
当たり障りのない会話。であるはずなのに、千束の問いかけに戸惑ったのは少年であった。
確かに、今から死のうとする人間にしては明るすぎる印象を受ける。千束じゃなく、その辺の警察官が助けたとしても何かの拍子で聞いていたかもしれない。
千束は表情の僅かな変化を見逃さなかった。
緊張。動揺。おそらくとも言わず、ほぼ確実に死ぬ理由と関係があるのだろうと察する。
けれど、それを無理矢理聞き出すつもりにはなれなかった。喧しいと言われる彼女も、その辺は
「ごめんごめん。忘れて」
呆気なく引き下がった千束に少年は驚く。けれど、心のどこかでは安堵しきれない自分がいた。
まだ来る。遠回しの追撃が。そんな予感は不思議と当たってしまう。
「このまま帰すと変な気起こしそうだし……甘いモノでも食べて落ち着かない?」
「いや別に……」
ビル風が吹き抜ける。とおに散ってしまった桜の香りがする。それは彼がもう二度と味わいたくない死の匂い。
吐き気に近い。胸の周りが苦しくなる。憂鬱な感情に乗せ、体中の血液を吐き出して、いっそのこと死んでしまいたい。
――目の前で死のうとしたから
そうしたら、少女はまた助けるのだろうか。生の世界に引き上げるつもりなのだろうか。誰もそんなことは望んでいないというのに、錦木千束という少女の我儘で。
「――リコリコって言うんだけど。どう?」
この世界は平和である。
リコリスたちが危険を未然に排除し、人々の安寧を守り続けている。
けれど――。人々が見る日常は、ただのまやかし。幻想。彼からする死の匂い。
リコリスが守ってきた世界を否定された気がして、千束は少しだけ俯いて歩き出した。
平和のシンボルである旧電波塔が二人を見下ろす。闇に被さった嘘つきのカーテンを剥ぐ日がいつの日かやって来る。
その日は誰にも分からない。