The bullet shoots you 作:ネムケノゴンゲ
その日の喫茶リコリコは、いつにも増して閑古鳥が鳴いていた。
接客する気のない独身女と威圧感すら漂わせるマスター。表情を変えない女子高生に、やけに大人びた幼女。これが異常な組み合わせだということは、ここに居る誰も気づいていない。それが当たり前になっているから。少なくとも、和のテイストが強い喫茶店には似合わないのである。
1カ月前である。とあるビルで爆発事故があったという。
幸いにも死者は出ず、その様子を目撃した人間も居ない。爆発の原因はガス漏れということで、ビルの管理会社や所有企業の責任問題を問うニュースもめっきり見なくなった。
1カ月前である。喫茶店リコリコに新人が入ってきた。16歳の少女だ。彼女は自身への関心もなく、ただただ目の前のことをこなすことに命を賭してきた。
「千束遅いわね。あんた何か聞いてないわけ?」
「いえ、特には」
ただ、すぐに天井近くに設置しているテレビに視線をやる。まだ朝早い時間ではあるが、背中からは妙に哀愁ある空気を醸し出している。
30歳を目前にして、未だに独り身である所以であるかのよう――。カウンター越しに二人の会話を聞いていた男は、喉まで上がってきた言葉を必死に飲み込んだ。これを言ってしまえば、また色々と言葉の大波を受ける必要があったからだ。
「ミズキ、スタイルは悪くないけど」
「けどなによ」
「性格に難ありだな」
「おめーに言われたくねーよ」
子どもにしては嫌味の度合いが重い。だが子どもではなく、その正体は凄腕のハッカー。ウォールナット改め、名をクルミという。最近になって喫茶リコリコに居候している。
この場に居る全員、錦木千束と同じようにDAの仕事を請け負っている。そもそも、喫茶リコリコ自体がDAの支部である。単独経営は厳しいようで、本部からの補助金頼りになっている。紫の和服を着たマスター、ミカの密かな悩みであった。
(早く戻らないと……! 私の居場所は――)
ただ唯一。新入りである少女だけは、この場の空気が苦手であった。一番の新参であるクルミの方が馴染んですらいる。
青色の和服制服を身にまとい、客が座っていない座敷をぼんやりと眺める少女。それが井ノ上たきなという人間だった。
DAに忠誠を誓い、あらゆる犯罪者を始末してきた。若干16歳の少女がだ。いや、DAにとってはそれが普通で、そこで育った彼女たちは何も不思議には思わない。
たきなにとって、左遷と同じだった。自身の力、射撃が人々の平穏を守っている。少なくともそんな自負が無意識にあったから、逃げ出したいなんて考えたこともない。
だからだ。そう。喫茶リコリコでの勤務は退屈。錦木千束のあり得ない動きを目の当たりにしたとは言え、やはり彼女にとっての居場所はDA以外に考えられなかった。
声がする。たきなは誰にも気づかれないように、本当に小さく息を吐く。
遅れてミズキが呆れた声を出した。「ほらほら来たぞー」とまるで周りに同意を求めるような色んな意味が込められた言葉を。
「千束が来たぞー!」
「おっそい! 何してたのよ」
「んーちょっとね」
この光景は割とよく見かけた。千束が最後に出勤してくるのは全然不思議でもなくて、ミカたちにも特段慌てた様子もない。
けれど、この日は違った。千束よりも背の高い青年が彼女の後に続くように店内に足を踏み入れたからだ。
「ささ、座って座って」
瞬間、誰かの私怨が聞こえてきた。あぁやった。やってしまったな錦木千束、と。キリリと鋭い視線が彼女の頭を射抜かんとする。無論、千束自身はなんとも思っていないが、
「てめぇ。やってくれたわね」
千束は目線を合わせることすらしない。ただいつも通り「はいはい」と笑いながら呆れながら。婚期を逃しかけている女を哀れんでいるようにすら見える。
「ただのお客さんだってば。ホントなりふり構わないんだね」
胸をナイフで突き刺されたようだ。ミズキは目線を落としながら、何も言わなくなった。千束も相手を傷つけるつもりはなかったが、思いのほか口撃が効いたらしい。
そんな二人を眺めながら、少年は座敷へ促された。客が誰もおらず、露骨に落ち込む女のいるカウンターは気まずいと千束が判断したからだ。
「コーヒーでいい? ウチのオススメなんだよー」
「あ、あぁ」
「オッケー」
千束のオーダーを待たずして、ミカは湯を沸かす。狭い店舗ならではの効率の良さだ。「客が少なくてよかった」と言いそうになったクルミだったが、追い出されるのを危惧して何も言わなかった。
たきなは不思議そうに少年を眺めた。座敷の上であぐらをかいて、ただ時間が過ぎるのを待つだけの暇な男。なのに、どこか雰囲気が独特であった。
千束が連れて来たという事実も気になった。あの錦木千束がだ。1カ月の付き合いしかないが、男っ気がまるでない。というより、人としてどこか浮世離れした存在だとたきなは考えていた。
だからそう、何かしら理由があると結論づけた。客引きなんてしたことがない。そもそも人通りが多い場所でもなく、人を連れてくるにしても大通りから案内する手間がある。それは千束にとっても客にとっても魅力的ではないだろう。
となれば、この二人には何かしらの接点がある――。そう答えを導き出すのに時間はかからなかった。
「……腕、どうしたんですか?」
桜色のシャツに目線が奪われていたが、少年の少し焼けた肌に切り傷があった。何かで擦ったようなモノ。血が止まって少し経っているようで、顕現したのはついさっきと言っても過言ではない。そこまで分析して、たきなは少し息を吸った。
無視してもよかったのに、千束との関係性を妙に勘ぐってしまったから思わず問いかけただけ。一方で、少年は驚いてみせた。
「え、あ、あぁこれは……」
動揺である。本人は気づいていないようだったが、心当たりがある反応を見せた。そしてそれは、誰にも言いたくない理由な気がして。
井ノ上たきなは非常に真面目な人間だ。実に合理的な考えの持ち主。だからこそ、理詰めして真実を暴こうとする。悪気はないが、よく千束から指摘を受ける。
「こ、転んだだけです。気にしないでください」
「転んでそんな傷が付くのでしょうか。もしかして誰かに――」
真面目だからこそ、生真面目にDA復帰の道を模索する。DAが見逃すような暴漢に襲われたとなれば、それこそ解決の手柄は大きい。しかし、その可能性はゼロである。なぜなら――。
「ちょっとちょっとたきな。お客さんを詰めてどうするの」
その言葉の主、錦木千束が連れてきたのだ。仮に暴漢に襲われたとしても、彼女にかかればいとも簡単に処理する。それこそなかったことのように。
「……すみません」
「でもホントだ。怪我してたんだね。ちょっと待ってて!」
大した問題ではないのだ。この擦り傷も、千束が少年を引き上げたときに地面で擦っただけ。血も乾いていて、これぐらいなら子どものころ幾度となくやった。むしろそれが生きた証として自慢できる年頃でもあった。
「たきな、コーヒーを運んでくれ」
「わかりました」
ミカから受け取ったソレは、いつも頭がスッキリするような匂いを放つ。たきなは、千束と二人で組事務所へ持っていったことを思い出した。
あの強面の男たちをある種従えている。錦木千束が放つソレはコーヒーと似ているのかもしれない。
目的地である座敷へ目線を移す。少年はやはり悲しそうな瞳をしている。ワケアリであることは間違いないが、千束に注意されて問い詰めるのにも気が引けた。
「おまたせし――」
千束に教わった通りの文言を言おうとした。こんなこと、戦闘に比べれば造作もないこと。であるのに、彼女の言葉は言い切る前に喉元で消えてしまう。
「おまたせー!」勢いよく言ったのは、自身へ指導した張本人である。教え子の言葉をかき消すぐらいの声。普段感情を表に出さないたきなだったが、今回は少しムッとした。
「塗り薬と包帯持ってきたよ。腕出して」
「良いってべつに……」
「よくない。早く」
「誰のせいで……」
「なんか言った?」千束の圧に少年は狼狽えて、そして何も言わない。
大人しくなった少年と治療する千束。二人を眺めながらたきなは「お待たせしました」と言い直した。
「おお、よく言えました」
千束に悪気はなかった。けれど、今その言葉はたきなにとってただの煽りでしかない。感謝の言葉を告げることなく、あえて背を向けて店の奥へ消えていった。
淹れたてのコーヒーからは、苦くも甘い匂いが空気に乗って二人の鼻を通り抜けていく。少年はあまり得意ではなかったが、体が疲れていて妙にその苦味が恋しくなっていた。
「センセーのコーヒー、すっごく美味しいんだよ」
少年は、センセーという単語に少し驚く。あまり喫茶店には来ない人種であるが、普通の言い方とは一線を画していたからだ。
千束の制服には見覚えがあった。けれど、それがどこの学校なのかまでは理解できない。それ以上知るつもりもなかったと言えばそれまでだが、さっきまで死のうとした人間だ。世間のことなんてどうでも良かった。
「よしっ。痛くない?」
「ん、まぁ……」
もともと指摘されるまで気づかなかったぐらいだ。そもそもの痛みがない。しかし、包帯を巻いてくれたおかげで先程よりも腕が動かしやすくなった。
手当てを頼んだわけでもない。彼女が勝手に助けて、勝手に擦り傷を付けられて、勝手に治療する。すべて自己満足だ。錦木千束が「死」を見たくないが故の行動。
苦味。口の中に広がっていく感情の味。それはまるで、深く深く沈み込んだ「生」への思いを引っ張り出すように冷たい。
「まぁ……美味しいよ」
「でしょぉ」
満足そうに笑う少女。死とは正反対の場所に居る彼女は太陽のように眩しくて、少年はただ目を逸らすしかできなかった。
人の心の中は誰にもわからない。彼が死のうとした理由も知らない。それでも助けてしまうのが彼女だ。いや、わからないからこそ。
錦木千束、井ノ上たきな。
二人が生きている世界は、決して平穏なんかじゃない。
死にたくなるぐらい、必死に生きている人間も多いと、千束は気づくのである。