激しく揺さぶって
「もう失うものなど無い」と
1人にしないで
どうか夜が明けるなら
私を現実ごと連れ去って
下さい
温かく愛おしい声も
増えてく擦り傷にさえ
敵わなくなって
だらだらと残した
わずかな奇跡を
何度も振り返り確認したり
私はどうして
夢をみないんだろう?
鬼束ちひろ『Cage』
「泣いても笑っても、明日はレースだ」
夕方。練習しすぎて死んでマグロになっている面々(ゴルシは将棋打ってる。元気余り過ぎでしょ)をよそに、僕とスペちゃんは沖野さんの前に立っていた。
「ブロワイエは予想より速えし、スズカのレースにも調子を上げてるヤツが出る」
ブロワイエは曰く皇帝シンボリルドルフのタイムを上回ったらしい。レースとタイムトライアルは違うから一概には言えないが、これは相当な強敵と思っていい。
一方僕はサンバイザーとか言う子か。知らない子だが沖野さんが言及するということはそうなんだろうな。僕にとってのブロワイエになりうる。
「勝つよ」
「私も勝ちます」
「強くなったもんだなァ、二人とも。言い切りやがったよ!」
二人そろって沖野さんに頭を撫でられる。僕だけでいいんだけどなんて無粋なことは流石に言わないよ。
「絶対なんてない。だけど、俺はお前たちが“絶対”に勝てるって信じている」
「トレーナーさん。合宿の時、こう言いましたよね」
「ああ、あれか………覚えてるよ、僕。“俺はお前たちが全員参加するレースが見たい。そう、今日みたいなワクワクするようなレースだ”って」
結局沖野さん、僕達全員にスイーツ食べ放題を奢ったわけだけど、その時に言った言葉がそれだ。つまり僕達全員が実力をつけ、年末年始なり、G1なりで全員が参加資格を得て、参加して競う。そんな光景が見たいのだと言ったのだ。
「……そんなこと言ったっけ」
沖野さんがすっとぼけた。恥ずかしかったのかもしれない。
「私、お母ちゃんの夢も、トレーナーさんの夢も背負っていることを忘れません!」
「僕は………沖野さん、僕は夢は見ない。夢がないから」
「スズカさん……」
僕は言い切った。僕に夢はない。僕を突き動かすのは無念と、後悔、そして愛だ。
サイレンススズカがついに見られなかった光景を、見るために動いているのが、僕と言う残骸なのだ。
「だけど誰かの夢を背負うことはできる。みんなの夢を背負って僕は先頭を駆け抜けるよ」
沖野さんは手を外すと、僕達に微笑みかけたのだった。
夜。
流石の僕も肝心のレース前日で走り込みをする程イカれているわけではないので、とっとと支度を済ませてパジャマに着替えていた。
何やらカリカリとスペちゃんが手紙を書いていた。お母ちゃんに書いているのだろう。あえてメールではなくて手紙と言うのが彼女らしいと思う。
「スペちゃん、もう寝るね」
「スズカさん、明日頑張ってください」
「うん」
「スズカさん、夢がないっていうのは……」
「僕はね、とにかく速く走っていたいだけなんだ………」
なぜ、世界を目指すのか。なぜ天皇賞秋を乗り越えなければならなかったのか。
言えるはずがない。言って信じてくれる話でもない。たとえスペちゃんでも言われても困惑するだけだろう。僕が実は元トレーナーであって、サイレンススズカと一種の融合を果たしている等と、言って理解しうるだろうか? いや、ない。だから、この話は墓場まで持って行くつもりでいる。
「結果的に、みんなの夢を背負うことになった。それだけだよ」
「それがスズカさんの夢なんですね」
「………そうかな?」
「そうだと思います。誰よりも速く走りたい、みんなに夢を見せる存在でありたいというのが、スズカさんの夢なんじゃないでしょうか」
「…………そうかもね。もう、寝るね、スペちゃん。スペちゃんもあんまり遅くまで起きてちゃだめだよ」
言うと僕は布団をかぶって目を閉じた。
みんなに夢を見せたい、という夢か。そうかもしれないね。そうありたいかもしれない。
サイレンススズカ、君の夢はなんだったんだい?
そして、当日。
ターフに出る、少し前のことだ。
「スズカ」
「うん」
沖野さんと僕は並んで歩いていた。
「俺な、ウソをついていた」
「知ってた。嘘をつくとき、飴を噛みしめる癖があるもんね」
「な、なに……?」
沖野さんが飴を噛みしめる。無意識にやってるのかな。
僕はくすくすと笑ってしまった。
「うーそ。動揺した? どうせ、医者から走れるようになるのは絶望的だとか言われたんでしょ。それくらい理解してるよ。あの傷だもん」
他ならぬ僕が
だが、僕は乗り越えた。そして、これから乗り越えようとしている。
「行ってきます」
僕はそういうと、くるりと背を向けた。振り返らずに手を振りつつ歩いていく。
話は、最初に戻る。
ターフに出ると、僕は大歓声を受けた。それだけ待っていたのだろう。この、サイレンススズカという存在に夢を託しているのだ。
観客席最前列。
『勝て~勝て~勝て~勝て~』
なんか念というか呪いを送ってるチームメンバーがいるのはとりあえずスルーしておくか。
「サイレンススズカ先輩」
高慢ともとれる、自信家な口調のウマ娘が僕の前に立ちふさがる。
名前の通りにサンバイザーを付けた子だ。この子か、画像でしか見たことがないが、この子なのか。
「サンバイザーちゃん?」
「オープン特別だからってなめてもらっちゃ困るのよ。一年もレースから離れてホントに勝てるとでも? 今日の主役は私が貰うから!」
言うなりサンバイザーちゃんが僕に指を突き付けてきた。
挑発的だ。いいね、嫌いじゃない。
僕はにこりと笑うと、言った。
「影も踏ませないよ」
「言ったわね………その言葉、忘れないわ」
『おっとサンバイザー、サイレンススズカに宣戦布告か!?』
実況にばっちり見られてました。やられたからには倍で返してやる。それが僕なので。
「精々騒げばいいわ。今日鮮やかに勝利して、スターウマ娘の座を掴んでみせる」
「………
僕は簡単な英語を使った。勉強してなくてもわかるだろう、これは挑発だ。挑発して返してやる。爽快じゃないか。
こうして僕達はターフの、ゲートへと場所を変えたのだった。
ゲートイン。出走の準備が整った。
「スズカ、僕に勝利を」
『あの日の沈黙を破り、サイレンススズカが今ゲートに入ります』
ゲートオープン。
僕は、一年と一か月振りのレースで、一歩目を踏み出した。