夢の世界は理不尽で、ご都合主義だ。
整合性もあったもんじゃないけど、たまに面白い夢、悲しい夢にあたることがある。
すさまじく速いウマ娘がいる。まだ僕の知らない、けれど、僕の好きな白と緑色のスマートな勝負服を着ている。
でも僕なら、スカートではなくて、ズボンにするだろうな。女の子の恰好は苦手だから。
僕は観客席からそれを見守っている。
場所はどこなんだろうか。大きい木が聳え立っているのが見える。邪魔だな。もうじき、あの速いウマ娘が木で隠れて見えなくなる。
痛い。
痛い。
痛い。
痛すぎて、走っていられない。
おかしなことだけど、僕は苦痛を覚えていた。
振り落としてはならない。振り落としてはならない。怪我をさせてしまう。怪我を……。
ああでも、誰もいない。だから足を止めてもいいはずだ。
足を止めよう。木を越えたところで、コースから外れて………倒れ込む。ぐきりと、左足が悲鳴を上げる。致命的な何かが起こったことが分かった。
ウマ娘のバリキは膨大だ。人間数十人がかりでも綱引きが成立できてしまうように。そんな力が、人間と大差ない大きさの肉体に掛かるのだ。怪我をした時のダメージはあまりにも大きい。
すぐさまチームメイトが駆け寄ってくるのが見える。救急車も。そして、トレーナーさんも。つまり、これは……?
視点が変わる。病院で僕は説明を聞いている。粉砕骨折。倒れ込んだ衝撃で筋肉が損傷し、靱帯も捻ってしまった。手術が必要だと………。
ウマ娘の走れる期間は短い。本格化を迎え、たった数年間が競争バとしての寿命だ。例外的な子もたまにはいるけれど、ほとんどが人間でいう社会人になる頃には、違う選択肢を取ることになる。
命短し走れよ乙女。誰かがそんなことを言っていた気がする。
手術すれば治るだろう。でもリハビリをして復帰しても、そのころには、もう、競走バとしての力は発揮できないかもしれない。先頭の景色は、もう見られない。
泣く彼女を僕は慰める。
これは僕の責任だ。責任を取らなければ。
「さん…………スズカさん!」
「はっ……!?」
起きた。悪夢を見ていた気がする。詳細は思い出せないけれど、とても悲しい夢を。
普段は、スペちゃんを起こす側だったけど、今日は起こされる側に回ったらしい。
僕はベッドから上半身を起こすと、心配そうに見つめてくるパジャマ姿のスペちゃんにぼんやりと視線を向けた。
「おはようございます。うなされていたので……」
「あ、ありがとう………」
僕は布団をめくり上げると、左足を見た。左足が猛烈に痛かった、そんな夢だったからだ。足はいつも通りの状態で、走りたくてうずうずしているのがわかった。
「これ、使ってください。洗濯はしてありますからっ!」
「? あれ……どうして、僕は……」
ハンカチを渡してくる。これいる? と思って目元を擦ると、涙でぐちゃぐちゃになっているのがわかった。
悲しい夢だった。競走バが………えーっと、まずいな記憶がどんどんと抜けていくのがわかる。
夢は情報の整理整頓をしている最中に起る現象らしい。だから、整頓中にみた記憶は鮮明ではなくて、覚えようとしないとすぐに忘れてしまう。同じように、つい今しがたまで見ていた夢は春先の雪のように溶けて消えていく。
一通り顔を拭うと、スペちゃんが手を握ってくれた。本当にいい子だよね、君。
「私は、怖い夢を見たときはお母ちゃんに抱き着いてました。スズカさんも抱き着いてみませんか?」
「え? ……じゃ、遠慮なく……」
抱き着いてって言われたので抱き着いてみる。温かい。柔らかい。羞恥心を覚えるどころか、なんだか安心してくる。どくんどくんという脈拍が伝わってきて、心が落ち着いていくのがわかる。
「ありがとう。もう大丈夫」
「どういたしまして! そうだ! 今日は休養日ですけど軽く一緒に走りませんか? 走ればきっと気分もすっきりすると思うんです!」
ああ、可愛いなあ。近くてみると本当にかわいい愛嬌ある顔をしているのがわかる。精神が男なだけに心臓がドキドキしてきた。あまり見つめるのもおかしいので、僕は、目線をそらした。
休養日だけど、軽くワークアウトすることまでは禁止されていない。ガチで走るのはやらないよ。
僕は再度目元を拭うと頷いた。
「よろこんで!」
しばらく走っていると気分が紛れて、スペちゃんとお昼ごはんを食べる頃には夢はあまり思い出せなくなっていた。
夢は、しょせん夢だ。だけども、体には気をつけたほうがいいかもしれない。牛乳をたくさん飲むとか……断じて胸を気にしてるわけじゃないんだ。