いついかなるときも冷静沈着で、窮地でも眼鏡を弄ってから打開策を捻りだしていた高比良中隊長が戦死されたときの夢をみた。
なので、今朝はミントの歯磨き粉を使うと決めた。
洗面台に映った顔、そのすぐ横に闘士級の赤い瞳が輝いているように見えたが、これは幻視だと知っている。なぜならこの彼我の距離ならば、すでに殺されているからだ。生きて彼の赤い瞳を見ることができている以上、これがホンモノであるはずがない。いま聞こえてくる迫る戦車級の蹄の音も同様だ。
戦車級の蹄の音は、すぐに鳴り響く初期照射警報音に切り替わったが、これも無視しながら朝食を摂りに食堂に向かう。食堂では本日に限り衛士は食事が摂れないなどとアナウンスがされていたが、通りすがったまり中尉がふつうにトレーを持っていたので、私に食事を摂らせず、私のゼリーを銀蝿しようとした輩の仕業かと合点がいった。
「まり中尉」
「おはようございます、櫻大尉」
「申し訳ないが、私の分ももらってきてもらえませんか」
「もちろんです。任せてください」
まり中尉は、信用できる。搭乗機から戦車級に引きずり出された瞬間、闘士級に首を引き抜かれた鈴木京子少尉によく似ているからだ。京ちゃんはいつでも世話を焼いてくれた。まりも、もう一度列に並んで、私のためにトレーをもってきてくれた。
「櫻大尉、一緒に食べましょうか」
「ああ」
きょうの献立は、白ご飯、温泉卵、サンマのかば焼き、ごぼうとお麩の味噌汁だ。
「白ご飯、合成温泉卵、合成サンマのかば焼き、合成味噌汁ですね」
横に座ったまり中尉が、すかさず訂正する。
京ちゃんよりもすごいのは、彼女は私の考えが少し読めるらしいということだ。
「やっぱり、おいしくないですね」
まり中尉は合成温泉卵をご飯にかけて一口食べてそう言う。私は思わず笑ってしまった。親切でかっこいい彼女だが、味覚音痴なのだ。
「櫻大尉、私なにか変なこと言いましたか?」
「天は三物を与えず、とはよくいったものですね」と言うと、まり中尉は不思議そうに首を捻った。親切さ、かっこよさ、味覚は並立しないということだが、どうやらまり中尉はそこまで思い至らないらしい。
きょうは朝食後、事務室に詰める。ただ中隊の事務にかかわることは禁止されているため、肝心の業務はわんわん中隊の参謀役であるC小隊長のココ中尉にお願いしてしまっている。私はそれを監督しながら、安元先任曹長に更新をお願いされていた遺書の文面を考えていた。
……でも何を書けばいいのかわからない。そういえば以前、遺書を読んだことがあった。田中拓馬中尉の遺書だ。光線級の初期照射から逃れるために回避機動をとった先で、突撃級と激突――遺体は回収できなかったので、遺書だけご家族にお渡しすることとなった。しかし、参考にはならない。奥さんに宛てた文面だったからだ。
「クトゥルー01――駄目だ振り切れないッ!」
「田中ッ、上に跳べ! 突撃級が――」
「あ゛」
「櫻大尉。やっぱり遺書の文面、お悩みですか?」
「鵜沢中尉……」
事務仕事が一段落したのだろう、急にココ中尉が話しかけてきたのでびっくりしてしまった。
「恥ずかしいことに、そのとおりですね」
「クトゥルー31がやられた!」
「こちらクトゥルー01! クトゥルー32はクトゥルー31を捜索しろ! クトゥルー21から24はクトゥルー32を援護ッ!」
「ダメだ! 田中、脱出してない!」
「クトゥルー01、クトゥルー21だ! やばいッ、戦車級の群れが背後から来てる!」
「その悩みよう……。もしかして、ですけど。櫻大尉、彼氏とかいるんですか?」
「いまはいない」、と言いながら私はひとつ思い当たった。
そういえば私はココ中尉の遺書を読んだことがある。あれは確か――佐渡島を巡る戦いだ。横浜ハイヴに続き、五次元効果爆弾による攻略のため、地下から地表に一匹でも多くのBETAを引きずり出す陽動作戦をやる前日のこと。ココ中尉が連隊本部に残した遺書とは別のものを、なぜか私に託してきたのだ。細々とした内容までは覚えていない。作戦自体は見事成功したが、ココ中尉は発艦から渡洋攻撃の間に重光線級の照射を受けて戦死した。しかし、ココ中尉はいまここにいるので、おそらくココ中尉は不死身なのだろう。かつてココ中尉は私に「櫻大尉はヒーローです」と言ってくれたような気がするが、私からすればココ中尉の方がすごい衛士だと思っている。先日、実は斯衛軍の82式瑞鶴をやっつけた作戦も、以前にココ中尉が考えてくれたものなのだ。
……。
昼食後、JIVESによる鉄原ハイヴ漸減作戦のシミュレーター演習が始まり、衛士強化装備の感覚欺瞞に抱かれるとともに、私の狂気はどこかに去っていく。
澄み渡る思考。
――佐渡島ハイヴ?
――横浜ハイヴ?
――五次元効果爆弾?
馬鹿げている。
今度こそ本物の照射警報。舌打ちしながら、脚部を斬り裂いて擱座させた突撃級を盾にして初期照射を躱し、稜線上の光線級を左主腕で保持する120mm滑腔砲で射殺する。と同時に、右主腕の突撃砲で迫る戦車級の群れを制圧する。
私は網膜に投影されている戦況図に一瞬意識をやった。現在地は鉄原ハイヴ最外縁に位置するSE14ゲートから約6km南東の山間部で、大隊規模のBETA群に両翼包囲されている。この包囲自体はさしたることはないが、鉄原ハイヴからさらなる増援を引きずり出すには、もう少しSE14ゲートに接近する必要がある。が、我とSE14ゲートの合間には、連隊規模のBETA群がわだかまっていた。
突破すべきか、後退すべきか。転がる突撃級の外殻を飛び越してきた要撃級の前腕の一撃を後退して躱す。頭部に36mm機関砲弾を叩きこんで殺し――左手の丘陵、森林を踏破してきた要撃級を射殺する。
「サクラ姐さんッ、このあたりが一番厳しいっす……ね!」
ゼノサイダ6、小清水仁中尉が言うとおりだ。もうこの地点にまで至ると、洋上からの艦砲射撃は届かない。火力支援がないことも同様だが、砲弾に紛れて発射される補給コンテナもこの地点には存在しないので、推進剤や武器弾薬の補給ができない。
日高大和中尉が率いる前衛のB小隊は弾薬を節約しながら、74式長刀で半死半生の突撃級を作り出し、光線級や突撃級の攻撃を妨害。後衛のC小隊は的確な狙撃で無駄弾を使ってはいないが、やはり荷が重すぎる。
「ゼノサイダ9、こちらゼノサイダ1。チャーリーは敵右翼を駆逐して退路を確保せよ」
「ゼノサイダ1! ゼノサイダ9、了!」
「ゼノサイダ5、ブラボーは下がってこい。チャーリーが退路を確保するまで、アルファ・ブラボーが共同でここを固める。チャーリーを砲撃戦に専念させる」
「了」
ゼノサイダ9――鵜沢心菜中尉機がC小隊機を率い、長距離砲撃戦で敵の右翼を120mmキャニスター弾や36mm機関砲弾で乱打する。荒野と廃墟に狂い咲く異形の花。紅の体液がぶちまけられ、退路を示す。
B小隊はゼノサイダ5、日高大和中尉機が殿となって後方跳躍を繰り返し、A小隊のところまで後退してきた。
「ゼノサイダ5、どのくらい釣れた」
「1000」
「それでは誘引できるのは併せて概ね1500だな――ゼノサイダ各、敵前衛集団との接触を保ちながら、娥眉山公園まで後退する。その後は艦砲射撃の有効射程圏内である襄陽ICまで敵群を誘引する」
「了」
「わかりやしたよっと、でもサクラ姐さんは簡単に言ってくれるぜー。このルートじゃ100kmもBETAを引きずり回すことになるんですけど」
「ゼノサイダ6、黙れ」
私は久しぶりに苛立っていたし、結果も私をさらに苛立たせるに足るものだった。
2度に亘ってSE14ゲート10km圏内と襄陽ICを往復したものの、連合艦隊の艦砲射撃射程圏内にまで誘引できた個体数は3000強に過ぎなかった。これでは水上艦艇を危険に晒し、AL弾を消費するに足る戦果だとはいえないだろう。
「こらだめでんなあ。ハイヴに突入するくらいの勢いでやらな」
と、まるで他人事のようにゼノサイダ2、菅井麗奈中尉がぼやくとともに、シミュレーター演習が終了する。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛いやだあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! 助けて大尉ィ゛!」
途端、響き渡る悲鳴。
「ハスター1! シノが戦車級にたかられて――どうすればいい!」
「ハスター5、ハスター6を撃て!」
「正気ですか、櫻大尉ッ」
「早くしろ鵜沢ァ――思考制御が暴走して、もうハスター6は!」
「で、できませ――」
「じゃあ私がやるッ!」
「ハスター1ッ、櫻大尉! こちらハスター6゛でずッ! 助けて゛ぇ゛! 脱出できないッ、脱出できない゛い゛い゛い゛い゛! 止まって゛ぇ!」
「過入力になってる! シノ! シノ!」
「すまない――」
だが大丈夫だ。これは倉敷のあたりで私が射殺した田村詩乃少尉の悲鳴だから、いまこの瞬間のものではないはず。
「やっぱり難しいですね」
と、隣のJIVES筐体から出てきた鵜沢心菜中尉が溜息まじりに言う。
そして鵜沢心菜中尉は私をあざけった。
「さすがシノを撃ち殺したあなただ。どんな幻覚も、幻聴も、妄想も、あなたの正気を完全に失わせるには足らない。味方殺しに味方見殺し、敗北に敗北を重ねてもあなたの心は折れない。あなたは戦術機に乗り続ける。でも、あなたができるのは所詮、延々と戦場に身をおいてBETAを殺し続けることだけですよね? 私に誓ったBETAを殺し続けるっていうすごい簡単な約束しか守れない。誰かを守るとか、帝国を守るとか、世界を守るなんていうそんなことはあなたごときにはできない。戦技を磨き、BETAを殺し続けることしかできない無能。屍の積み重ねて得た戦訓と、見殺しにしてきた人々の戦術を借りて戦い続ける無能。無能。無能。無能。無能。無能」
「そうですね――まあ、なんだって変わりません。BETAを殺す、ただそれだけです」
人差し指で眼鏡の位置を直しながらそう返事をすると、ココ中尉は微笑みを浮かべた。
「そういえば前から気になっていたんですけど、櫻大尉のその眼鏡、伊達、ですよね?」
「……昔、お世話になった中隊長の真似をしているだけです」
「そのとおり、重慶であなたを助けて死んだ高比良中隊長の真似をしているだけ。伊達眼鏡も、その仕草も。そうやって理想の中隊長を演じようとしている。所詮、あなたの外面も、戦術機の腕前も、すべて他人の借り物」
――それで何が悪い?
私も笑った。
BETAを殺し続けるというココ中尉との誓いを守れるなら、何を使ったっていいじゃないか。