井伊万里少尉は1994年の春、満州にいた。
耕作が放棄され、草花の緑が茫々広がる平野は、彼女の目には新鮮だった。
彼女の所属する日本帝国大陸派遣軍第4戦術機甲連隊は、黒竜江省に拠点を移していた。
日本帝国にとっては、朝鮮半島の防衛こそ最優先であるが、日本海に面する沿海州も捨て置けない。沿海州がBETAに占領されれば、日本帝国は日本海渡洋侵攻の可能性に恐怖しなければならなくなる。
故にこの満州で、沿海州へのBETA東侵を遅らせる必要があった。
「すごい――」
井伊万里少尉を喜ばせたのは、第4戦術機甲連隊に配備された戦術歩行戦闘機不知火に搭乗できたことである。
この1994年春の時点では、不知火は地上に50機と存在していなかっただろう。その内の1個中隊定数12機と予備機が、第4戦術機甲連隊に廻されたのである。
理由は、といえば単純明快。
京都と市ヶ谷は“現在の”不知火が、実戦に堪えうるかを知りたかったのだ。
第3世代戦術歩行戦闘機不知火は、77式戦術歩行戦闘機・F-4J撃震をあらゆる面において凌駕しているように、井伊万里少尉には思えた。
しかしながら、どんな兵器にも長所と、そして短所があるものだと、彼女は身を以て学んだ。
……あとから思えば、12機の不知火を装備した第4戦術機甲連隊第433中隊は、安全な内地では実施できない実験を行い、不知火の改善点・戦訓を得るための試験部隊となっていたのだろう。
「パイロリーダー、こちらCP。現在地を固守せよ」
「CPッ、こちらパイロリーダーだ。あと何秒持ちこたえればいい!?」
「パイロリーダー。砲兵射撃は900秒後。一歩も後退するな」
「畜生ッ、そこまでして俺たちに近接格闘の実戦データをとらせたいのか!?」
一面の緑を踏み潰し、褐色の砂煙を巻き上げながら押し寄せる要撃級の波濤。
対する第433中隊はその場に踏みとどまり、突撃砲を掃射――中隊長を務める須能誠一大尉の指揮の下、すでに前衛小隊は74式長刀を抜刀していた。
高性能CPUを搭載する戦術機から成る第433中隊に命じられたのは、その場に踏みとどまることでBETA群を釘づけにし、砲兵部隊の戦果を確実なものにすることだった。だが、後退しないということは自然、近接戦闘が生起することを意味している。
即座に乱戦となった。
要撃級の前腕を躱して尾部を斬り落とし、数十メートル前方に迫る戦車級の群れに36mm機関砲弾を浴びせ、時速200kmで突っこんでくる突撃級を後方噴射で躱し、追いすがる要撃級に大上段から逆襲の斬撃を浴びせる。
井伊万里少尉の不知火は、瞬く間に返り血で赤褐色に染まった。
他の中隊機も不知火の高機動性を活かし、要撃級たちを翻弄しながら踏みとどまった。
「あと何秒――あと何秒だ!?」
「パイロリーダー、こちらパイロ12。半包囲されつつあるぞ!」
「パイロ31、32。こちらパイロリーダーだ。右翼の要撃級を潰せ」
「パイロ23、リロードしたい! 援護を!」
「パイロ23、遠すぎる!」
「パイロ34、前に出すぎだ! 俺から離れるな!」
「くそったれ、ひっかかって」
しかし間もなく、1機の不知火がやられた。
戦闘機動中に長刀の先端が突撃級の死骸に引っかかり、それで刃の動きが、主腕の動きが、上体の動きが少しずつ遅延し――その隙に、要撃級の横殴りの一撃が胸部装甲を破砕し、深々と突き刺さった。
「各機、エレメントを堅持しろ!」と須能誠一大尉が怒鳴った。彼の網膜に映る味方機のマーカーは、散り散りになっていた。不知火の高機動性に、中隊員たちの感覚が追いついていなかった。勿論、乱戦下ということもあるが、最高速度も反応速度も違う不知火を、撃震と同感覚で操った結果、相互援護が保たれていなかった。
「えっ、助っ――」
敵の衝角が“かすめた”ことで装甲を削り取られながらバランスを崩し、転倒した不知火が突撃級に踏み潰された。撃震ならば文字通り、かすり傷ですんだかもしれなかったが、これは反応速度を上げるために不安定な機体バランスが採用されている不知火だった。操縦する衛士・林環奈少尉は悲鳴さえ上げられなかった。圧し潰されたフレームと管制ユニットに挟まれて即死した。
「パイロ34、パイロ34! 井伊少尉――戻れ!」
井伊万里少尉機もまた、隊から離れた場所で、要撃級の尾部感覚器を袈裟懸けに斬り飛ばし、頭部を踏み潰し、体当たりに失敗して緩旋回をする突撃級の背部に長刀の切っ先を突き立てていた。カーボンブレードと生体装甲がぶつかり合う死地。
そこで井伊万里少尉は、肩まで伸びた髪を振り乱し、口の端を歪めながら不知火を操っていた。
「井伊――! 貴様、なぜ俺の指示を聞かなかった!」
BETA群の足止めと砲撃の誘導に成功し、哈爾浜市郊外にある基地に帰還するなり、井伊万里少尉は頬を張られていた。
同じ分隊を組む瀬古二郎少尉が激怒したのである。あの乱戦の中、敵中単機で長刀を振り回して無事でいられるわけがない。少なくとも瀬古二郎少尉はそう思った。であるから彼は乱戦の中、周囲の要撃級を躱しながら、突撃砲による狙撃で井伊万里少尉を援護した。実際、死角から井伊万里少尉機に忍び寄る要撃級や戦車級を射殺したのは、1回、2回に留まらなかった。
「やめろ!」
直情型の瀬古二郎少尉を、須能誠一大尉が羽交い絞めにして引き離す。それから周囲にも「我々には反省が必要だ」と告げた。
戦果は連隊規模のBETA群の足止めと殲滅の成功。
損害は不知火2機――船田和文少尉機と、林環奈少尉機の全損。
決して褒められた結果ではない。
ただし、特定の誰かの行動が問題だったというわけでもなく、貴重な戦訓として再度、エレメントを基本単位とする戦闘訓練が実施された。
ところがその後の戦闘でも井伊万里少尉機はともすれば突出した。敵の衝撃力が最も強い場所に斬りこみ、その衝撃力を破砕していく――勿論それは前衛の仕事ではあったが、彼女はあまりにも自身の間合いに極度に集中するのであった。
……井伊万里少尉は、不知火を降ろされた。
日本帝国本土防衛軍第92戦術機甲連隊・第32中隊における井伊万里中尉のポジションは、必ず中衛か後衛だ。彼女は事あるごとに「近接戦闘よりも砲戦の方が得意です」と発言していたので、周囲もそうだと思っていたが、連隊長の東敬一大佐は知っている。彼女は、射撃よりも、剣戟を得手としていた。
「井伊小隊長ッ」
「なに?」
「自分に突撃前衛を任せてもらえるように、中隊長に推薦してはいただけないでしょうか!」
シュペルエタンダールを用いた渡洋攻撃訓練終了後、格納庫で強化外骨格を脱いだ保科龍成少尉は、いきなり井伊万里中尉にポジション変更を願い出た。
彼は常々、敵を一撃で斬り伏せることができる近接戦闘を好んでおり、客観的にみてもその技量は並より上であった。
井伊万里中尉は、それをよく知っている。
ところが彼女はしばらく考え込んだあと、
「近接戦の善し悪しは私にはわからないから、田所大尉に直接伝えなさい」
と答えた。
……。
「もともとが海軍機だから問題はないと思うけど、中古機であることだし、塩害などでフレームの腐食などが進んでいないか、きょうは徹底的に検査してほしい。それから、F-8クルセーダーについてだが……」
格納庫の片隅では連隊本部第4科・戦術機担当幹部の久野平太大尉が、整備兵たちを集めて細々と指示を出していた。
やらなければいけないことは山積している。
シュペルエタンダールの点検もそうだが、西部方面司令部から「F-8クルセーダーを装備する中隊の稼働率を高め、維持するように」と言ってきていた。村中弘軍曹は内心(きつかー)と呟いたが、口には出せないし、結果は出すしかない。
なにせ第92戦術機甲連隊は、他の戦術機甲連隊と比較すれば、2倍近い整備兵が配されているのだから。