早期警戒機や電子戦機といった国家間戦争用装備を引っ張り出したにもかかわらず、ソ連軍の大敗という形で終わった樺太島における日ソ紛争は、世界各国の軍事関係者に大きな衝撃をもたらした。
「現代の国家間戦争は、より洗練された対人・対BETA両戦装備、あるいは対人戦用装備を揃えた側が勝つ」
彼らが得た戦訓はそんなところであり、と同時にBETAの本土侵攻によって大損害を被り、未だ国内にハイヴを抱えている日本帝国でさえ国家間戦争に備えていたことに驚愕していた。
……しかしながら、米軍関係者だけは納得していた。
なにも日本帝国は朝鮮半島や西日本にBETAが捲土重来する中で、対戦術機用装備品の開発をスタートさせていたわけではない。
たとえば日本帝国が北部方面隊に優先配備した試製99式空対空誘導弾の研究がスタートしたのは1980年代だ。すでにソ連は死に体であったとはいえ、研究開発をやめるわけにはいかなかった――なぜなら“現在”必要ないからといって、20年後に必要がないかはわからないためである。
限られたリソースの中で開発される先進的軍事兵器の開発開始と完成配備には、どうしても時期的なラグが生じる。
その好例がF-22だ。
これもまた開発スタートは1980年代である。
未だBETA駆逐がかなっていないのに、というのもまた正論であるが、地球上におけるBETAとの攻防戦が終わってから国家間の武力紛争に備えた装備品開発を開始しても、それが実を結ぶのは20年後――急いでも数年から10年はかかる。
国連憲章を信じ、BETA戦のみに目を向ける正直者は、20年後に痛い目に遭うであろう。
紛争の当事国となった日本帝国は日本帝国で、国家間戦争に適した正面装備の強化を図らなければならないと痛感していた。
今回活躍した日本帝国本土防衛軍西部方面隊第92戦術機甲連隊の戦術機は、みな揃って、電子攻撃に対する抗堪性や対装甲・対戦術機戦闘に適したFCSを備えていた。
翻って、
未だ配備数の多い77式撃震では、ハード面で対BETA戦は苦しく、搭載されているアビオニクスの面では対人戦闘も厳しい。OSの改良に伴って忘れがちになるが、77式撃震はもともと“蛙飛び”――つまり跳躍と着地しかできなかった。現在こそ長距離飛行が可能になっているが、F-2AとMiG-31の間で生起したような空戦で活躍できる戦術機ではない。
よってまず賛否両論の日米共同開発で落ち着いたXFJ計画は、より弾みがつくことになった。
再設計によって強化発展の余地を増やした94式不知火の新型。
それが登場すれば77式撃震の更新が加速するのは勿論だが、アビオニクスの強化・増設も可能となるため、対BETA戦・対人類戦双方の備えとなるに違いない。
一方で前述のとおりF-2Aのアップグレードを自社研究しているロックウィード・マーディン社は、日本帝国やユーザーとなりうる国々の歓心を得るために、F-2Aの大型化と継戦能力、長距離巡航能力の向上に努めはじめた。
他方、割を食ったのは日本帝国にステルス機――F-15SE(仮称)を提案していたボーニング社である。
今回の日ソ紛争でパッシブ・ステルス能力を有する“だけ”の戦術機は、株を落としたといっていい。
強力な電子攻撃で、あるいはシステムの隙をついて敵戦術機のデータリンクを騙すアクティブ・ステルス能力であったり、赤外線の放射量を局限した第3世代の純ステルス機であったりするならばともかく、第2世代戦術機の外装をステルス形状にしただけの戦術機は、高度なFCSを有する第3世代戦術機に対して、そこまでの優位性はない――それが日本帝国の軍関係者の評価となってしまったのである。
つまりF-15JやF-15JKをF-15SE(仮称)にアップグレードすることに、大した魅力を感じなくなっていたのである。
加えてF-15E相当のF-15JKをF-15SE(仮称)に改修すれば、逆に兵装搭載量が減少してしまう可能性があった。
そのため日本帝国の関係者の間では、F-15SE(仮称)を配備するくらいならば、特殊戦用の不知火ステルス仕様機と、多数のミサイルとF-16XLのFCSを搭載するF-2Aの配備を推進した方がよい、という結論に至りつつあった。
故に焦ったボーニング関係者は
「出来らあっ!」
と啖呵を切った。
「F-15E以上の兵装搭載量を備えたF-15SEができるって言ったんだよ!」
が、日本帝国国防省の担当者――
「ではF-15E以上の兵装搭載量を備えたF-15SEをつくっていただきます」
とだけ返した。
「え! F-15E以上の兵装搭載量を備えたF-15SEを!?」
自ら啖呵を切ったにもかかわらず、なぜか呆然とするボーニング社戦術機部門の面々であったが、吐いた唾は飲み込めない。
彼らは自らの矜持にかけて、F-15E以上の兵装搭載量を備えたF-15SE(仮称)の開発を開始した。
とはいえ作業に着手してみれば、そこまで難しいことでもないことがわかった。
大量生産されたF-15A/Cを第3世代戦術機相当にまでアップデート可能にする、というフェニックス構想の下で開発されていたF-15ACTVは完成段階にあり、そのデータを大幅に流用することが可能であったためである。
F-15ACTVは肩部ユニットと背部兵装担架にスラスターを増設しているが、このスラスターを廃せば武器弾薬の追加携行が可能だ。世界規模の需要を見越して動くボーニング社では、ちょうどこのタイプもF-15EXとして売り込もうとも考えていたのである。
そこでF-15EXの外装をF-15SE然としたものにいじればいいだけだったのだ。
◇◆◇
「よろしくおねがいします」
2001年1月――日本帝国本土防衛軍西部方面隊八代基地の食堂で、第92戦術機甲連隊の隊員たちはどよめいた。
流暢な日本語で挨拶したのは、つぶらな瞳をした少女であった。
外見からすれば“幼女”といってもいいかもしれない。
黒い瞳。緑がかった黒い髪と青白い肌。
無表情のまま、どこかきょとんと周囲を見回す彼女に対して、誰もが「かわいい」と口を揃えた。
――ソビエト連邦出身、スェーミナ。
彼女の自己紹介はそれだけ。
が、それだけで第21中隊、第32中隊の衛士たちはピンときた。
樺太庁に超巨大航空機とともにやってきた亡命者ではないか――。
実際、そのとおりである。
核決戦航空機動要塞Tu-119は日ソ紛争収束後、原子炉を搭載している関係から特別な整備が可能な環境を有する基地への移送が決定した。
が、横浜基地をはじめとする東北地方・関東地方の軍事施設への駐機は認められず(人口密集地が存在するため)、さりとて岩国基地では整備にしても解体にしても、必要な技術者と設備を揃えるのが難しいということで、ひとまず福岡空港に移動することとなった。
そして同機動要塞に搭乗してきた亡命者たちもまた、日本帝国への亡命が認められ――“横浜”が、“東京”が、と当事国である日本帝国内で様々な勢力が、彼女たちの獲得のために手を挙げたのである。
無論、“熊本”も、である。
が、そうした事情を第92戦術機甲連隊の隊員たちは知らない。
日本帝国本土防衛軍に志願してきたソ連出身の若き戦術機技術者。
それがスェーミナの表向きの肩書きである。
「……」
周囲が黄色い声を上げる中で、困惑や鋭い視線を遣る衛士もまた少数だがいた。
櫻麻衣大尉は、より敵意を滲ませていた。
殺意、といってもいいかもしれない。誰もいない暗がりでスェーミナと出くわすことがあれば、彼女はその正体を確かめないままに殺していただろう。
(硫黄の臭い――)
小型種がひしめく敵地でベイルアウトしたときに嗅いだ臭い。
ほんの僅かだが彼女からそれが、した。