絶対に百合に挟まらない司令の懐刀系性癖山盛りTSヤニカス不死リコリス 作:千年 眠
#4+:
Half Drunk
Under A Full Moon
「鉛筆みたいに持てばいいの?」
「基本は指三本ね。まあ、二本でも四本でも投げやすけりゃいいのよ」
「オッケー
床に刻まれた黄色いスローラインの前に立つと、白黒の派手派手しいダーツボードはやたらと遠く感じた。親指、人差し指、中指の三本でやわらかく包んだダーツはびっくりするほど軽く、それがかえって頼りなく思えて落ち着かない。
教えられたことを反芻して、狙いを定める。
ボードと、ダーツと、目を一直線に合わせて。
投げるというより、優しく送り出すイメージで放る。
手を離れていった安物のハウスダーツはゆるいカーブを描いて──あ、やべっ。さすがに弱すぎた──ブルと呼ばれる的の中央から大きく斜め下に逸れ、最も面積の狭い帯状のエリアであるトリプルリングに突き立った。
一九の
……マジで?
「Nice dart!」
呆気に取られていると、すぐ左隣にいたミズキさんが陽気な声を上げた。彼女が座る壁際の小さなテーブルには、一〇本近いビールの小瓶がまるでピラミッドみたいに積み上げられている。
そこでやっと集中の糸が切れて、周囲の喧騒が戻ってきた。
ジュークボックスから流れるダンサブルなUKロックは、フランツ・フェルディナンドのDo You Want Toだ。背後ではビリヤード・ボールが衝突する硬い音。空間を満たす話し声は賑やかだが騒々しさはない。この広々としたダイニングバーにいるのは節度ある大人だけだった。
なんでも人様にひどい迷惑をかける阿呆はもれなく、元
「ダーツにもビギナーズラックってあるんだね」
「まーまー、運も実力の内! あと二本よ!」
「はいよ」
最近完治したばかりの左手に束ねて持っていたダーツを右手に持ち替えて、今度は少し勢いをつけて投げてみる。ブルの真横にずれて、ナンバー六。たったの六点だ。
密かに気を落としつつも三投目。下手に知恵を回すとまた失敗する気がして、何も考えずにただ投げた。
すると結局それが一番良かったようで、ダーツはごく自然に指から離れて、見事ブルの縁ギリギリにとどまってくれた。
もう一回やれって言われたら絶対無理だな。
「上手いじゃーん!」
「喜びづれー……」
ミズキさんの拍手に苦笑で応えつつスローラインを踏み越えて、浅く刺さったダーツを一本一本回し抜く。一体何人の客に投げられたんだか、ボードは穴だらけだ。
「あ! ミズキがイケメン連れてるぅー」
意識の間隙に差し込まれた甘い声に、俺はつい振り返った。からかっているというよりは、じゃれつくような調子だ。ほら、フキさんにウザ絡みするときの俺みたいな。
自己弁護をしておくと、その言い方が興味を惹いただけだ。誓ってイケメン呼びに反応したわけじゃない。さすがにそこまでおめでたい頭はしてねぇ。
「モネ! 来てたの」
「アオイもいるよ」
声質に反して彼女のファッションは中々パンキッシュで、特に耳なんかピアスがいくつも空いている。インダストリアル──二箇所のホールに橋を架けるように通す、とても長いピアスのこと──って実在したんだな。初めて見た。
「それでぇ、こっちのイケメンさんはミズキのイイ人?」
「初めまして、斉藤です」
「サイトウちゃんね! よろしくよろしく!」
モネさん……漢字で書くなら萌音や百音、桃音あたりになるのかな? 分からないが、とにかく彼女は両手で俺の手を取ってぶんぶんと上下に振った。頬がやや上気しているのを見るに、すでに若干酔っているらしい。
店の壁掛け時計をちらりと見ると、もう二一時だ。二軒目ならこんなもんなのかな? 外で飲むのは初めてだからよく分からない。
「すぐそこに四人席取ってるんだ。よかったらどう?」
「ミズキさん、どうしよっか」
ダーツを的の下のホルダーに戻しながら聞いた。別にスコアシートは書いていないから、ゲームを中断することに未練はない。
「モネ、あんた確か今日って……」
「ううん、大丈夫。ここじゃ賑やかにってプランなの」
「あらそう? ならせいぜい賑やかすか!」
ミズキさんが緑色のビール瓶片手に席を立ったのを見て、俺も座席に引っ掛けていたユニセックスのテーラードジャケットを羽織った。
俺の荷物はこいつと、小ぶりなクラッチバッグの二つ。出掛ける相手が千束やたきなだったら、尻ポケットにスマホと財布とハンカチを突っ込んで終わりにするところだけど、今回ばかりは化粧直しをサボりたくなくて珍しくバッグを持ってきた。
「ミズキ飲みすぎじゃない?」
「まだ四本しか飲んでないわよ」
「あぁ、その瓶の山はだいたいあたしが」
「お、サイトウちゃんイケる口だね! いいねぇ……」
俺は今日、一六にしてビールの味を知った。同時に結構気に入った。
コンプライアンス? うるせぇよ今更。発育に悪影響があると言われても、俺の体はそんなもんでどうにかなる造りをしてないからな。
それに法的にも問題ない。財布の中の免許証の上では、俺は二〇歳ってことになってる。誰も不利益を被ったりしないさ。
「アオイー、連れてきたよー! こっちの子はサイトウちゃんね!」
「よろしく」
席につく前に、初めまして、と会釈を返す。
黒いロングヘアを真っ直ぐ伸ばした彼女は会社帰りなのか、洒落たパンツスーツを見事に着こなしていた。ボリューミーなミディアムボブのモネさんとは好対照だ。
そして俺の目がおかしくなったんじゃなきゃ、ハイボールらしき琥珀色の微炭酸が注がれたタンブラーを持つ彼女の左手の薬指には指輪が嵌まっていた。
それも、モネさんが左の薬指に着けているものと同じ。
なるほど。最初、ミズキさんが遠慮したのはそういうわけか。
「すごく久しぶりに感じるけど、一月しか経ってないのよね。お酒の量が減ったんじゃない? ミズキ」
「まぁーねっ!」
「その調子の乗り方、本人の努力じゃなさそうね……背の高いお友達のおかげ?」
「ぐっ!?」
「ミズキさん、見張ってないと止まらないんですよ」
「ぐああっ!」
「あはは! おっかしー!」
「うっせー! 笑うんじゃねー!」
言いながら、ミズキさんは瓶ビールを呷った。これで五本目だ。そろそろ強いのはセーブしてもらおうかな。もちろん無理のない範囲で。
「サイトウさんはミズキと長いの?」
アオイさんは控えめな抑揚で喋る人だった。しかし口調が柔らかいおかげで無愛想という印象はない。
「だいたい三年前からですね。リコリコ──喫茶店に通うようになったのがそのくらいで」
途中で隣のミズキさんに目配せすると、
「私も丁度その時に転職したから」
彼女は俺の言葉を引き継いだ。口裏は三年前に合わせてあった。DAに拾われた──あるいは拐われた?──と思われる四歳前後の時分を除けば、記憶の欠落が一番ひどい頃だ。
今はそれ以上のことを思い出す気にはなれなかった。まだ心の準備ができていないし、何より今夜は楽しむと決めていたから。
月並みな表現だが、胸がちくりと痛んだ。
大切なものを、軒並み捨て置いているようで。
大丈夫。近いうちに必ず決着をつける。こんなことをしている場合じゃないなんて思う必要はないんだ。
ないはずなんだ。
「私達と同じくらいね」
「そういえばミズキと初めて会ったのもここだったっけ。もっとずっと前から一緒に飲み歩いてる気がするわぁ」
そこから先の展開は早かった。
ビール片手にポテトサラダをもりもり食べながら、友達の友達はもう友達、などというゲシュタルト崩壊を誘発する持論を展開するモネさん。
グリルドサーモンをアテに
ミズキさんは言わずもがな、ほら、その……クルミの件で色々あったから、もう互いに遠慮するような仲じゃない。元からそうといえば、確かにそうだけれど。
でも間違いなくあの日から、関係は少しだけ変わった。一種の信頼関係に近いものが築かれたような気がしている。
もちろん、罪悪感を忘れたわけじゃない。リコリコのみんなが俺を許してくれたとしても、俺は俺を許さない。
それでも。
ミズキさんは、ここにいていいんだと言ってくれた。
「あたし」でも「俺」でもない、斉藤ヒマリという一個人のありのままを肯定してくれた。
生きていていいのかもしれないと思わせてくれた。
救われたんだ。
いつの間にか、時刻は二二時を回っていた。
俺はその一時間でカリフォルニア・レモネードとジン・フィズを飲んだ。女三人寄れば
静かになったのは単純に、全員のスタミナが切れたからだ。そろそろ飲み会も潮時かな。そう思って帰るタイミングを伺っていたら、
「さぁて、そろそろ──」「ミズキさん、そろそろ──」
ちょうどミズキさんと言葉が重なった。こんなしょうもないことで吹き出すの、なんか悔しいんだけど。
「そういうわけで、あたし達はこれで」
とりあえず俺が言い切った。
「そっか、もうそんな時間かぁ。私らも出よっか」
「そうね。化粧直ししてくるけど、モネはどうする?」
「じゃあ、サイトウちゃんに上見せたげたいな。それに……ね?」
「ん、皆まで言うな」
「なんか企んでません?」
「まーまー、悪いようにはしないからちょっとおいで。ミズキ、サイトウちゃん借りるよ」
「おう。早く返せよー」
どうやら拒否権はないらしかった。あったところで別に拒否なんかしないけど。
ハンドバッグを持ったモネさんの背中を追いかけていくと、彼女はバーカウンターの前を横切ってホールを出た。この店はキャッシュ・オン・デリバリー、注文ごとに会計を済ませるシステムだから問題はない。だから一応、廊下も店舗の一部になっていて、化粧室なんかはそこにあった。
「屋上にも席あってさ、煙草吸えるんだ。だから一緒にどうかと思って」
その廊下にある階段を上りながらモネさんは言った。
非喫煙者にとって煙は凄まじい悪臭ということは重々承知していたから、誰かと一緒の際は控えている。それをやんわり伝えると、
「ミズキは気にしないよ」
返す言葉が見つからなくて諦めた。
屋上は全面テラスになっていた。下のそれよりだいぶ小ぢんまりした屋根付きのカウンターを囲うようにして、丸いガーデンテーブルがいくらか置いてある。それなりに高いビルのてっぺんだから、よそに煙草の煙が流れる心配はないだろう。
人混みを避けて、テラスの端の席に掛けた。
じき、夏が来る。だからだろうか。風は切り裂くような冷たさとも、周囲のビルが放つエアコンの廃熱とも無縁で、火照った顔を冷ますのに丁度よかった。
歩道をひしめく酔っ払い達の騒ぎ声はもちろん、地上を走る車のロードノイズや排気音も、ここまでは上がってこられないようだ。
ゆるく張られたストリングライトの薄明かりの中では、時間の流れさえ緩やかに思えて。
大人達がこぞって来るわけだ、と納得した。
「……いいところですね」
「でしょ? 私も好き」
膝の上のクラッチバッグからソフトパックを取り出した。
手首のスナップでパッケージを振り、飛び出た一本をくわえながら、もう片方の手でジッポライターのフリントホイールを擦る──横から気配がしたから目線だけでそちらを見ると、モネさんは古木の円卓に頬杖をついてニマニマと笑っていた。
「……なにか」
「んふふ、サマになるねぇ。なりすぎるくらい」
火を付けてから「年相応には、見えない?」と聞いてみた。口からかすかに白煙が漏れる。
「二年……いや、一年フライングしたでしょ」
当てられてしまった。喫煙歴という意味ではそうだ。
「
「あはは! 悪い子だぁ」
「真面目に待つ人っているんです?」
「私は待ったよ。なんせしっかり者ですから」
細長い紙巻を、これまた一〇〇円ライターのか細い火にくぐらせながらモネさんは言う。テーブルに置かれた明るいグリーンのボックスは、典型的な女性向けの銘柄だった。
「……ここ笑うところよ?」
「勘弁してください」
「優しいのね」
存外に真面目な調子でそう言われてしまって、少し戸惑った。
動揺を隠すようにフィルターを口に運ぶ。紙ではなく、焦げ茶色をしたシートタバコで巻かれたリトルシガーだ。
珍しく煙を肺に入れた。呼気と一緒に出ていくそれが夜空に溶けて消えていくのを、二人で何度か見守った。
「ミズキが気に入るわけだ」
「あたしの話を?」
「ええ。結構気にかけてるのよ、あれで。だからどんな男なのかなーと思ってたら」
テーブルの中央に置かれた灰皿に、二人揃って灰を落とす。
「超カッコいい女子でびっくりしちゃった。アオイとくっつく前だったら声かけてたかも」
モネさんは特段気負った様子もなく、冗談めかした口調でそう言った。だがどこか、ぱっと見ただけでは分からない程度に、五体が緊張している気がする。
俺の反応を確かめようとしているのか。
口を開いて、当たり障りのないことを言おうとして、やっぱりやめて。少し逡巡してから言葉を返す。
「……半分、男でも?」
「私はそうね。身体の性が女の子なら、あとは相性。イケメンならなおよし!」
大丈夫、だった。
煙を吐く仕草に紛れて、ほっと一息つく。
緊張していたのは俺も、か。
「あ、でも最初はミズキにちょっかいかけててぇ!」
「ゲッホッ!?」
「あはは、マジマジ! 知り合ったばっかりの頃……二一の時ね、結構いい線行ってたんだけどフラれちゃったぁ」
「えっ、あの、
あの、をことさら強調すると、モネさんは煙草を挟んだ手で口元を抑えて、ひどく苦しそうに大笑いした。断じて悪意はなかったんだが、俺もつられて笑いが込み上げてきて、腰を曲げて腹筋を震わす羽目になった。
気の済むまで二人で悶え苦しんでから、半分ほどになった煙草を一口吸って区切りをつける。
「ま、結果オーライね。もしミズキと付き合ってたら今の関係はなかった。こっちのほうが心地良いわ」
「気まずくなったりしないものなんですか?」
「気まずくなるトコまで行かなかったからねぇ。あの人、そうなる前に我に返ったの。私は
「気の迷いだったんだ」
「どうだろうね?
「タイプじゃなくても惹かれることはある……ってこと?」
モネさんは柵の向こうの摩天楼に視線を向けたまま、鷹揚に頷いた。
俺にはよく分からなかった。そもそも好きなタイプがどうとか、あまり考えたことがない。男がストライク・ゾーンのはるか外ってことだけは確かだけど、逆にそれ以外はさっぱり。
「冷静に考えた結果、交際を断った……計画性があっていいように思えるけど」
「あら、正気の恋ほどつまんないものはないわよ?」
恋は盲目、みたいな? 内心で呟く。専門外の分野だから余計なことを言うのはよしておいた。実体験の伴わない知識は大抵役立たずだ。
「正気の、恋?」
「恋愛感情と混同しちゃいけないものは沢山ある。でもそれは自覚をしなさいってだけで、一緒にあっちゃいけないわけじゃない」
モネさんは煙草を一口吸って、続けた。
「ごちゃごちゃしてていいのよ、最初は……いえ、きっと最後まで分からなくたっていいんだわ。どうしてその人が好きなのか、一緒にいたいのかなんて」
付き合ってからわかることだってあるしね、と彼女は最後に言い足した。
静かな口調に深い郷愁を感じた。聞いていると、居住まいを正さなければならないような気持ちになる。
他人事ではないからだろうか。
「先のことばかり考えてしまうのは、やっぱり良くないんでしょうね」
「逃したくない相手がいるのね」
「……傷つけたくない女性です」
「相手のことをそう思えるなら、きっと大丈夫よ。真摯に話し合って、それでも妥協点が見つからないっていうなら、潔く失恋するしかないけど……ま、そのときは私達が慰めてあげる!」
朗らかに締めくくるや、モネさんは吸い殻がまばらに植わった灰皿の隅に、桃色の口紅が薄く付いたスリムフィルターを押し付けた。その微かに上る紫煙からシトラスメンソールの爽やかな残り香を感じられるのは、きっと喫煙者だけだろう。
最後の一口は長く吸った。温かい煙を細く吹きながら、俺もリトルシガーを揉み消した。
「……頑張ってみます。色々と」
「応援してるわ」
今日は満月だ。
§
「そういえばあんた、屋上で何喋ってきたの?」
「秘密」
「ケチぃ」
「ヤダ。恥ずかしい」
信号が青に変わった。普段より随分丁寧にアクセルを踏んだ。
とても送迎には使えたものじゃないな、この車は。見た目はただの三ドアハッチバックだけど、エンジンが凶暴すぎる。
やっぱりセダンに乗ってくるべきだったか。でもあれ、若干高級志向だから自称二〇歳には似合わないんだよな。まして装甲バンなんて論外。中間が無いのが悩ましい。
交差点を真っ直ぐ抜けて、首都高の入り口に入る。法定速度を若干オーバーしながらゆるいコーナーを曲がり、見えてきたETCゲートを通過──
「やっぱ乗り心地いいわね、この車」
──マジで?
思わず助手席のミズキさんを横目で見た。サイドウィンドウに赤らんだデコをくっつけて呑気に夜景を眺めている。この様子じゃお世辞ではなさそうだ。
「そう? よかった」
口ではそう言いつつも、こっそり首を傾げた。俺が敏感すぎるだけなのかな。
確かに電子制御式サスペンションの減衰力は限界まで落として柔らかくしてあるし、ターボにはリミッターをかけてピークパワーを三〇〇馬力に制限中。ボディも剛性強化の際には変な共振が起こらないよう、振動特性にえらく気を遣った。
それにしたって、取り繕えない挙動の硬さはあると思うんだけど。
「ボディ剛性とスプリングレートが噛み合ってて、タイヤが路面にしっかり吸い付いてる……熟成されてるわ」
「……うん。結構、頑張った」
「ウチの社用車もこんくらい速いといいのに」
「リッター五キロしか走らなくなるけどいい?」
「最高!」
ミズキさんもスピード狂だったか。
わからないな、全然わからない。俺はまだまだこの人を知らない。だからこうやって一緒に出かけるのが楽しいのか。
いや、きっと全部わかっても楽しいんだろうな。
「ね、合流で踏んでみて!」
「えー……車内に吐かない?」
「そこまで酔ってねーやい!」
「なら、ちょっとブースト上げるよ」
ダッシュボードの小物入れを開けて、中に隠していたタッチパネルからエンジンの制御モードを切り替えた。
「これで四五〇馬力」
「ちょっとで出していいパワーじゃねーな……」
パドルシフトを弾いてマニュアルモードに入れ、ギアをひとつ落とす。右ウインカーを出しながら前後を確認。周囲に車がいないか、特に覆面パトカーの存在をチェック。
アクセルを底まで踏んだ瞬間、俺たちは
タコメーターの針が一瞬でレッドゾーンに迫る。あまりの加速に内装がぎちりと軋む。一度のシフトアップを挟んでなお、それが緩む気配はない。
「う、お、おおおぁぁぁっ……!」
隣で苦悶の声が聞こえる。見れば、亜麻色の長い髪が慣性でみんなシートに張り付いていた。
四速の
「アーッハッハッハ! ヤバーい!」
エンジンブレーキでゆるゆると減速していく車内でミズキさんは高らかに叫んだ。お気に召したようで何より。
やっと回転数が落ちてきて、カーステレオから流れるレトロなポップソングが聞き取れるようになってきた。フラテリスのHalf Drunk Under A Full Moonだった。シンデレラを自称する某喫茶店員のリクエストだ。
「あ、見て」
速度が二ケタまで落ちたところで、ミズキさんは不意にそう言った。視線は正面、ずっと上。フロントガラスに鼻を擦り付ける勢いで身を乗り出している。
「満月」
「本当?」
彼女を真似て、俺も空を見た。
雲の切れ目に、確かにあった。
黄色くて、大きくて、
「綺麗だね」