絶対に百合に挟まらない司令の懐刀系性癖山盛りTSヤニカス不死リコリス   作:千年 眠

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 なんであいつら俺を尾けてんだろ? 

 まあいいや。空気の読めない人間でもなし、仕事の邪魔はしないだろう。そう結論づけて、通りがかった高級SUVの黒く艷やかなバックドアから目を離した。先鋭的なパネルラインに沿って激しく折れ曲がった鏡面は正確な像を結ぶことこそないが、どこに誰がいて何があるかを大まかに把握するにはそれなりに使える。無論、車が徐行しているときに限るが。

 雑居ビルの両脇に張り付くようにして歩く群衆をすり抜けて、見知った横道に逸れる。歩調は緩めない。あくまで千束とたきなの尾行には気づいていない、という体を守る。

 するとスーツの男が一人、人混みの中から抜け出て俺の背後についた。彼の名は(ハラ)。DA情報部第六課から特命情報調査室に引き抜かれた精鋭だ。

 六課は主に、ラジアータでは追い切れない非デジタル情報の収集と()()を担っている。俺と同じ汚れ仕事の請負人(ウェット・ワーカー)にして、強力な即戦力というわけだ。

 その道のプロなだけあって、一五〇mほど後ろで基本的なセオリーを遵守したお手本のような尾行を続けるファーストとセカンドのコンビの存在にも、

 

「ハラ、無害だ。気にするな」

「そうか」

 

 彼はとっくに気づいている。

 二人の尾行は十分実戦に堪える練度ではあるんだが、さすがに俺たちのような本職相手じゃあ、どうしても経験の差が出てしまうな。

 俺が千束に正面戦闘で勝てないように、千束もまた諜報技術では俺に敵わない。専門分野の違いだ。

 

「たった今、合田(ゴウダ)侵入した(駅に着いた)そうだ」

 

 ハラが今言ったゴウダというのもそう。彼は陸上自衛隊特殊作戦群からDAにスカウトされた叩き上げのベテランで、二〇一〇年代の中東で起こったいくつかの政変に関わる武力衝突に対する軍事介入にアメリカ海兵隊の身分で関わっている。

 九条の制約を受ける陸自としてではなく、だ。

 あとは想像つくだろ? 特殊部隊(スネーク・イーター)が紛争地域でやることなんてさ。

 そういう奴らばっかりなんだ、特調(ウチ)は。全員がコードネームで呼ばれ、互いの本名など誰も知らない。その上構成人員も実働部隊については完全非公開。エージェントが何人いるか、また誰なのか、それらはたとえ同じDA職員であろうと部外者には秘される。

 時に我々は、身内さえ調査の対象とするからだ。

 不死身の人間兵器を従来の指揮系統から切り離し、最も効率よく運用するためだけに作られた名ばかりの部署が、今や司令の懐刀ときた。

 俺もずいぶん出世したな。

 したくなかったな。

 

「フェイズA21だ」

 

 隣を歩くハラに言うと、癖なのか、彼は首肯の代わりに、特段ずり落ちた様子もないメタルフレームのスクエア眼鏡を指で押し上げた。

 

「ハラは中村(ナカムラ)と店に入って取引を始めろ。私はゴウダを迎えに行く」

 

 俺が言い終えると共に、彼は人混みに紛れて消えた。お互い、それ以上の言葉は必要はなかった。

 ハラとは反対に、道を逸れてさらに細い路地に入る。建物同士の隙間と言い換えてもいい。人はずいぶん減った。壁には黒く汚れた細い配管が無秩序に這っている。愛煙家の肺の中にいるようだ。事実、ここは一種の病巣であり、まっとうな人間が立ち入るべき場所ではない。

 少し歩いて、左手に見えた裏口の前に立つ。

 右手を二度、素早く握って開く。前腕へ直に貼られたセンサーテープが特定の筋電位パターンを検知し、耳の奥深くにねじ込まれた極小のイヤホンとシャツの襟に隠されたスロートマイクを起動した。一瞬のホワイトノイズが片耳を刺す。

 

荒木(アラキ)

『一階はクリア。地下一階にガードが三名。その奥のサーバールームにタンゴ・ワン及びタンゴ・ツーを確認。全員非武装です』

「ゴウダは?」

『マルウェア注入作業を完了し、ICE無力化に成功。現在はサーバールーム内に潜伏中』

「警備を攪乱できるか?」

『目を盗んでいます。それ以上の妨害も仕込み終えました。いつでもいけます』

「了解。今から突入する」

 

 ノブを掴んだ。やはり鍵がかかっている。

 潰さんばかりに握り締めて、じわじわと引く力を強めていく。

 七割ほどの力で強度の閾値に達したらしい。中の突起(ラッチ)が壁側のくぼみ(ストライク)を破壊しながら外れて、ドアは握り玉を起点にひしゃげて開いた。ひどく唐突な破局だった。

 するりと中に身を滑り込ませる。間取りは既に把握していたから、サーバー行きの階段を見つけるのに苦労はしなかった。静かに、しかし素早く下りると、近くに気配。わずかに足音がする。

 アラキ──オペレーターの彼女は喋らない。そのほうが俺としても気が散らなくて助かった。

 階段の際に潜んで近づいてくる敵を待つ。蛍光灯の青白い光と一緒に落ちる薄い影が、俺の革靴(ストレートチップ)の上にかかる。

 身をたわめる。まだだ。

 もう一歩、踏み出させる。

 目の前にジーンズを穿いた足。

 飛び出して、無警戒な横っ面に拳を叩き込んだ。

 声も上げずに昏倒した男の胸ぐらを倒れ込んでしまう前に掴んで、片手でゆっくりとビニルの床に下ろす。殺すつもりはない。それに派手に音を立てられても厄介だ。

 

『残りの二人は控室にいます。電子ロックですね』

「締め出せるか?」

『既に』

「さすがだな。ついでにゴウダに繋いでくれ」

 

 それなりに大きなクラブの裏手、といってもメンテナンスエリアから隔離されたこのフロアは狭い。その上、リテラシーに欠ける素人がご丁寧にも回線を引いてくれているおかげでスタンドアローンですらないとくれば、苦労する要素などありはしなかった。ここまでずさんなつくりで今まで摘発されなかったのはラッキーと言うほかないだろう。

 ひょっとすると不良警官から金で買ったラッキー、かもな。

 

『サイトウ、俺はタンゴ・ワンの真上にいる。ツーの確保は頼むぞ』

「二人に動きは」

『仕事熱心な野郎だ。朝まで放っておいても動かねぇだろうよ』

「そうか、餌にかかったか」

『ICEブレイカーにウイルスのカクテルたぁ、またずいぶん食い出のある餌じゃねぇの』

「仮に食いつかなかったとしても、情報さえ抜ければ最低限の目標は達成できるからな」

『どっちに転んでも、ってわけか。意地が(わり)ぃ』

 

 サーバールームに続く鉄扉はアラキが開錠していた。肝心のICEが溶かされた瞬間、このざまだ。なんでもかんでもセキュリティネットワークに繋げばいいってもんじゃないだろうに。

 

「行くぞ」

『了解。お前に合わす』

 

 俺は隠れるそぶりもなしに、堂々と部屋へ侵入した。

 さして広くない。旧型のサーバーラックが低い天井いっぱいに詰め込まれた、いかにも急ごしらえの空間だ。機材の型式はざっと五年落ちくらいだろうか。運用環境が悪いせいか、いくつかの冷却ファンがじりじりと嫌な軸音を立てている。

 申し訳程度に天井へ配されたむき出しの蛍光灯は所々切れかけていて、不規則に明滅することで作業性の悪化に貢献していた。吊り下げ式の配線も相まって、壁や床に落ちる陰影はロールシャッハテストにも似てサイケデリックだ。

 件の男は最奥のデスクでモニターを睨みつけ、椅子に掛けることも忘れて必死の形相でキーボードを叩いていた。よれたYシャツを肘までまくった、サラリーマン然とした人物だ。

 こいつがこのアングラサーバーを管理している、コールサイン、タンゴ・ワン。彼の頭上を見れば、天井の石膏ボードが僅かにずらされている。手でも振ってやろうか。

 

「調子どう?」

 

 タンゴ・ワンの背中に声をかけた。彼は一瞬だけこちらに振り返ったが、店の人間だと思ったのだろう。額に浮かぶ冷や汗を拭うこともせず、再びモニターに鼻をくっつけんばかりに顔を近づけた。

 

「直ちに、直ちに復旧します!」

「別にチクりゃしないけど。そんなにまずいわけ?」

「……めちゃくちゃです、丸裸ですよ。ワクチンの生成を急いでいますが、バックドアを閉じないことには対症療法ですから」

 

 人に向けて話しているというよりは、どちらかというと頭の中を整理するための独り言のような口調だった。

 

「そういえば、もう一人は?」

「そこの奥でICEボードを替えてもらってます。根こそぎ焼けてしまって、CO2消火器まで使ったんですよ。ほら、換気装置がうるさいでしょう?」

 

 彼が指差した先にあったのは、工事現場で使うような武骨な外見の送風機だった。壁に空いた換気ダクトに蛇腹のホースとダクトテープで無理やり繋げられて、床に溜まった二酸化炭素を懸命に吸い上げている。こいつらも苦労してるんだな、とわずかながら同情した。

 ホースをまたいだ先に彼女はいた。伸びるままに任せた長い黒髪に、度の強い丸眼鏡。そして野暮ったいジャージ。足元はなぜかふわふわのスリッパ。部屋着と言われても納得する出で立ちだ。

 ……それにしてもデカい人だな。かがんでいるがそれでもわかる。

 

「あっ、すみません、どきますっ」

 

 立ち上がってくれたからよく分かった。俺より背デカいわこの人。

 なんだろう、このなんともいえない親近感。ちょっと毒気が抜かれる。

 

「おかまいなく、どうぞ続けて」

「あっ、はい……」

「ぐわーっ! 防壁展開が間に合わない!? まずいまずいまずい、考えろ俺……!」

 

 どちらのターゲットにも警戒心がまるで感じられない。お前らそれでも裏社会の犯罪者かよ。どっちかというとブラック企業に捕まってこき使われてる社畜って雰囲気なんだけど。

 もちろん事前に分析したプロファイルに合致しているのは間違いないんだが、なんだかなぁ。

 

『ハラ、ナカムラ、両名は目標ファイルの入手に成功。情報屋を護衛の上、作戦領域を離脱します』

『後はこいつら次第だな……』

 

 ゴウダがささやく。そう。問題はこの二人がどこまで知っているかだ。

 一〇〇〇丁の銃の行方と、その背景について。

 知らないなら警察に身柄を引き渡すだけだが、そうでなければ、その時には。

 

「相手に見当は?」

「あっ、すみません、えっと、反撃を試みてはいるんですが、攻撃者はダミーの中継ポイントをいくつも経由してまして、それを頻繁に切り替えて侵攻ルートを何通りにも分岐させているようなんです。ですので、大元を叩くのはまだ厳しいですっ」

「素人意見だけど、回線を切ったら攻撃も止むんじゃないの?」

「オフラインになんてしたらマーケットの取引どころか、ネットカジノも配送システムもみーんな飛んじゃいますよ! そうなったら我々の首も! 物理的に!」

 

 タンゴ・ワンが泣きそうな声で叫ぶ。なるほど、この惨状の原因は無理解な上司のせいか。かわいそうに。

 

「あっ、なので、今はこの板、ICEっていうんですが、これでメインの攻性防壁(ブラック・アイス)を復旧させて、同時にバックドアを……えと、敵の侵入口を塞ごうと」

「正面玄関に悪い奴を通さないバリケードを作って、裏口の方は丸ごと潰しちゃう、みたいな?」

「あっ、はい! まさに、そんな感じです!」

 

 話が通じたことがよほど嬉しかったのか、タンゴ・ツーは不器用に頬を緩めてこくこくと頷いた。

 愛嬌ある表情とは対照的に、空のラックに予備のサーバー・ユニットを組み込む手つきは恐ろしいまでに洗練されている。本人は自信なさげだが、ここまでできる人材は探しても中々見つかるものじゃない。

 タンゴ・ワンだってそうだ。ヤバいヤバいとしきりに叫んで顔を青くしているものの、そんな情けない姿とは裏腹に攻撃への対処は迅速で見事だ。

 ここまでの才能を腐らすのは惜しいな。できれば何も知らない下っ端であってくれないだろうか。それなら多少、やりようはあるからさ。

 能力があるから助けるというのは、無かったら助けないという意味ではない。使えそうな者は使う。そういう話だ。

 自分でもわかってる。こんなのは所詮、千束の猿真似に過ぎない。今更、数えるほどの命を見逃したところで、何かが変わるわけじゃない。

 罪から逃れることはできない。

 だが、見て見ぬ振りもまた、できなかった。

 

「じゃあ、その悪い奴らはサーバーに入って何がしたいの?」

 

 タンゴ・ツーから焼けたボードを預かって、邪魔にならないよう隅に立てかけておく。破壊した数が数だから、彼女の周りはもう黒焦げの薄箱だらけだ。

 クルミ監修のICEブレイカーは効果てきめんだな。

 

「あっ、ありがとうございます……そうですね、今のところ攻撃されているのは、主に会計帳簿です。このサーバーを踏み台にして、幹部の方々のパソコンから取引の記録を盗もうとしているようで。兄さんが辛うじて食い止めてはいるんですが、正直それもいつまで保つか……」

「やめろー! 縁起でもないこと言うなー! コンクリ詰めは嫌だぁーっ!!」

「なるほどね。ところでその帳簿って、君達は見たことある?」

 

 イエスか、ノーか。

 ここが分水嶺だ。

 

「あっ、いえ、いえ! 私達はアクセスできませんから!」

「まさか! 滅相もない! 僕らだって命は惜しいですよ! そもそも興味無いですし!」

 

 嘘をついているようには見えない。顔色も、仕草も、さっきの世間話で観察したパターンの範囲内だ。二人は()()()焦っている。

 嘘をつく人間は、大抵決まった挙動をするんだが、彼らにはそれがない。

 

『二人のアクセス記録をこちらで洗いました。事実です』

 

 アラキのお陰で裏も取れた。

 この二人はシロだ。

 

「それもそうか。わかった、信じるよ」

 

 二人は器用にも、作業を続けながら大げさに胸を撫で下ろしてみせた。生きた心地がしない、と顔に書いてある。純朴な奴らだ。嫌いじゃない。

 

「最後に見て欲しい物があるんだけど、いいかな」

「あっ、はい、なんでしょう」

 

 追い討ちをかけるようで悪いが、ぼちぼち連行するか。

 スーツの懐に手を伸ばし、内ポケットの物を。

 

「私、こういう者で」

「えっ……え、えぇっ!?」

 

 警察手帳を提示した。

 

「ゴウダ、出てきていいぞ。フェイズA33だ」

「了解。お人好しだねぇ」

「うわぁっ!?」

 

 タンゴ・ワンは天井から降ってきたスーツの大男にあっさりと取り押さえられ、もとい押し潰され、抵抗する暇もなく手錠がかけられた。

 元特殊部隊員の奇襲なんてぞっとする。これが戦場だったら、今ごろ奴は首筋、脇下、内腿の順に血管を搔き切られて失血死しているところだ。

 

「痛い痛い痛い!」

「兄さんっ!」

「ったく、大げさな野郎……サイトウ、先に行くぞ」

「ああ」

「放せよおい! くそ、妹に何かしてみろ、お前らただじゃおかないからなっ!」

「何もしねぇよ、こちとら警察だぞ」

 

 まるで米俵でも担ぐようにしてタンゴ・ワンを背負ったゴウダは、重さを全く感じさせない軽快な足取りで部屋を出ていった。もうじき五〇になるってのにちっとも衰えていない。あるいは、衰えた上でここまで動けるのか。

 ともあれ、これでサーバールームに残されたのは俺とタンゴ・ツーだけになった。

 へたり込んでわなわなと震えるだけの彼女に何ができるわけでもなく、守りの要を失ったサーバーはものの十数秒で制御を奪われ、同じネットワークに接続されたあらゆる機器から、データが根こそぎ吸い出された。

 

『全目標の転送を完了。システムをダウンさせます』

 

 アラキが言ったその瞬間、すべてのサーバーラックから稼働音が消えた。ややあって、タンゴ・ワンがかじりついていたモニターも。

 沈黙。

 送風機だけが健気に回っている。

 ゆっくりと、膝を折った。

 目を合わせて、優しく微笑む。 

 

「ご安心ください。あなた方の身の安全は我々公安部が保障します」

「こ、こっ公安っ……」

「よく聞いてください。お二人は一度逮捕されますが、司法取引による起訴の回避、および改正暴対法に基づく証人保護プログラムの適用が可能となります」

 

 ここまではよろしいですか? 

 子供に言い聞かせるような猫撫で声で言うと、彼女は不安げに目を泳がせながらも、遠慮がちに頷いた。緊張は和らぎつつある。

 

「我々はある事件を追っています。この摘発は通過点に過ぎません。それほど大きな事件です。お二人にはぜひその捜査に、そして公判での証言にご協力頂きたい」

「あっ、あの、それは、どんな事件なんでしょうか……」

「平たく言うと、テロリズムです」

 

 このサーバー内に存在するブラックマーケット、そこで銃の一部が仕入れられた。真島を擁する武装集団の全容を明らかにするためには、根元を辿らなければならない。

 そして、断ち切るんだ。

 

「あなた方は我々の捜査に協力する。我々はあなた方に新たな戸籍を与え、その身を守る。政府の監視下に置かれることには、なりますが」

 

 提案の体をとった事実上の命令だった。

 雇われエンジニアの彼らに大した罪状はつかない。どれだけ長く見積もっても、一〇年以上塀の中にいることはないだろう。

 しかし釈放されて心機一転、というのも難しい。苛烈なロシアン・マフィアは、これほどの大失態を演じた人間を決して許さないからだ。自由の身になった瞬間、なんの後ろ盾も持たない彼らは必ず殺される。

 彼女はそれがわからない人間じゃない。

 

「助けて、頂けるんですか……?」

 

 俺のことが救世主にでも見えているかのような口ぶりだった。兄貴なら違ったのかもしれないが、どちらにせよ選択肢はないんだ。関係ない。

 

「取引に応じて頂ければ、必ず」

 

 俺はあくまで誠意を込めて、そう言った。

 差し伸べられた俺の手を、彼女はおずおずと取る。

 

「わかり、ました。協力、しますっ」

「ありがとうございます」

 

 手を握り合ったまま立ち上がって、そのまま彼女を助け起こした。

 

「事が事ですから、署に着き次第すぐに取り調べが始まるでしょう。そこでは何も喋らずに私の到着を待ってください。お兄さんをダシに何かを言われたとしても、いえ何を言われても、それらはすべてブラフです。彼には部下がついていますから、くれぐれも信じないようお願いしますね」

「あっ、は、はい! 分かりました!」

 

 狭い廊下を歩く。階段前で昏倒させた男はしばらく目覚めないだろうし、残り二人もアラキが閉じ込めている。猫背なタンゴ・ツーの遅々とした足取りに付き合う時間は十二分にあった。

 強いて言うならそろそろ手を放してほしいところだが、追手が来やしないかとビクビクしながらしきりに背後を振り返っている様子を見るに、彼女にそんな余裕はないだろう。俺の手を握っているのは完全に無意識の行動のようだ。

 大の字に伸びている男の前を素通りしたあたりで、イヤホンからアラキの嘆息が聞こえた。

 

『女たらしですね』

 

 いや、今回は何もやらかしてないだろ俺。

 

「人聞きの悪いこと言うな……それでゴウダ。タンゴ・ワンは取引を飲んだか?」

『無事にな。それで今、福島(フクシマ)が本庁に送っていった。タンゴ・ツーの車は小泉(コイズミ)が路地の前に持ってくるとよ。しっかしサイトウ、規制線の向こうからリコリス二人がこっちを見てるんだが……ありゃお前の連れか?』

「あー、中らずと(いえど)も遠からずかな。社会科見学に来たちびっこみたいなもんだから、ほっといていい」

『あぁそう……そんじゃあ俺はぼちぼち上がらせてもらうぞ。表の店にはもう警官隊が突入してるんでな、いよいよ手持ち無沙汰だ』

「そうか。また後で」

 

 階段を上り切ってしまえば外はすぐだ。ついさっき派手に壊したドアを開けた先に警官の姿はなく、窮屈な路地の出口を塞ぐように黒いセダンが停まっている。リアのナンバーからして、あれがタンゴ・ツーの迎えだろう。

 

「サイトウ、こっちだ。早く来い」

 

 運転席でコイズミが手招きしている。息を切らす彼女の手を引いて近づくと、彼は車を降りてリアドアを開けてくれた。

 彼は身振りで彼女を車内に導きながら、俺の耳元に口を寄せてくる。

 

「所轄の刑事(デカ)連中が本庁の介入に騒いでる。見つかると手間だ、なんとか気を逸らしといてくれ」

「ゲッ……だからゴウダは消えやがったのか」

「なんだ、お前さんハメられたのか。そいつは災難だったなぁ」

「はぁ……とにかく、彼女のことは頼む。どうも訳ありっぽいんだ」

 

 最後の一言は声を潜めた。

 コイズミは皺に囲まれたその目を鋭く細めて、任せろ、と端的に答えた。まったく、いぶし銀なおっさんだ。

 ドアを閉める前に、後席のタンゴ・ツーに語りかける。

 

「もう大丈夫ですよ。すぐにまた、兄妹で暮らせます」

 

 丸い凹レンズの向こう側で、濡れた瞳が一度二度、瞬いた。

 彼女の薄い唇が、何か、言葉を紡ごうと曖昧に震える。

 喉の奥から空気を吸い込むかすかな音。

 ついにはくしゃりと、相貌が歪む。

 俺が差し出したハンカチを、彼女は黙って受け取った。

 それでも零れ落ちた幾粒かの涙が太ももに落ちて、洗いざらしたポリエステルの生地に模様を作った。

 ありがとう。

 そう言われた。

 悪い気分は、しなかった。

 

 

§

 

 

「……すごかったなぁ」

「ええ」

「……すごかったなぁたきなぁ!? パトカーぎゅんぎゅーんてさぁ!!」

「前見て運転してもらっていいですか!?」

 

 割と本気でビビるたきなにベアハッグ並みの締め付けを腹に食らい、千束は思わず、ぐえっと品のない悲鳴を絞り出した。前を向きはしたものの、少なくともヘッドライトの光が当たる範囲に車はいない。

 街中を抜けたせいもあるが、そもそも単純に夜が更けつつあるからだろう。

 

「サイト―が裏に回ってってからさ、大体五分くらいでしょ? 警察来たの。めっちゃ早業じゃんね」

「違法クラブの摘発が任務、だったんでしょうか」

「うーん、たぶん? でもなー、じゃあなんだったんだろーなー、あのいかちぃおじさん。刑事さんにしては歩き方が強そうだったんだよなー」

「強そうというと?」

「体幹がどっしりしてるっていうのかな。重心が全然ぶれなくてさ、すごいプロっぽかったんだよね」

「……目がいいんですね」

「弾避けられるくらいね!」

「勘は鈍いようですが」

「うぐっ……」

 

 いや、それにつきましては、ほんと、たきなさんのおっしゃる通りです。誠にサーセン。

 しどろもどろに千束は謝罪した。平謝りだ。

 千束は結論を急ぎすぎるんです、なんてお叱りを受けた。

 結局、サイトウのデレの理由を掴むことはできず。なんなら警官隊の突入に伴う混乱で彼女を完全に見失い、その上アプリを使って町内を調べても影すら掴めず、その後の追跡も断念。

 完敗も完敗、狐に化かされたような気分だ。そもそも最初に見つけたサイトウは本当にサイトウだったのか、なんてありもしない可能性を大真面目に検討しかける程度には、千束は自分を信用できなくなっていた。

 はぁ。自信なくすわぁ。帰って早く寝よ。

 千束にあるまじき健康志向であった。

 そこまでは良かったのだが。

 

「ここまでで結構です。ありがとうございました」

「おん……おやすみ……」

「おやすみなさい」

 

 たきなを彼女のセーフハウス近くで降ろし、すっかり軽くなった車体を発進させようとスロットルを捻ったその時、それは起こった。

 バチン。そんな音が足元から聞こえたのだ。張り詰めた何かが切れたような異音が。

 

「おん?」

 

 未だに失敗を引きずる千束は、麻痺した判断力の赴くまま、もう一度スロットルを煽った。

 エンジンが軽やかに吹け上がる。

 スクーターは進まない。

 

「おんおんおん……?」

 

 もいっちょ煽る。

 ぎゅぎゅーん、と唸る。

 微動だにしない。

 千束は努めて冷静にエンジンを切り、大きく深呼吸した。

 吸って、吸って、吸って、肺いっぱいに空気を詰め込んで──

 

「たきなヘルプ! スクーター壊れたぁ!」

 

 ──前を歩く相棒に、家に泊めてくれと泣きついたのだった。




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