絶対に百合に挟まらない司令の懐刀系性癖山盛りTSヤニカス不死リコリス   作:千年 眠

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「マリヤ・アレクサンドロヴナ・マギナ」

 

 照明を落とされたブリーフィング・ルームに、楠木司令の声が朗々と響く。彼女の横のスクリーンには目鼻立ちのくっきりした若い女が繁華街を歩く様子が映っている。

 マリヤ・マギナ、か。

 今はそんな名前なんだ。

 

ロシア対外情報庁(SVR)の対日工作員だ。中東および北アフリカ諸国における複数の武力衝突を武器供与によって扇動した疑いが向けられており、また、国内に潜伏中であるテロリスト、真島との繋がりも指摘されている」

 

 DAが収集した彼女のプロファイルが投影された。機密レベルがやけに高い。特に来歴なんかは黒塗りだらけだ。

 確かに、俺はともかく一介のリコリスが知るには過分だろうな。

 

「三日前、警視庁公安部がこの女の密入国を確認した。よりにもよって、日米安保条約改定に係る協議のため、米国国務長官および国防長官が来日するこのタイミングで、だ」

 

 隣の席でサクラがあくびを噛み殺した。彼女のさらに右隣のフキさんやヒバナ、エリカといった面々は緊張に身を固くしている。

 俺はどちらかというと前者に近い心境だった。

 もっとも気分は沈んでいる。

 手が冷たい。

 

中央情報局(CIA)は人道に対する罪の告発を理由に、マリヤの身柄拘束とその引き渡しを日本政府に要請しているが……我々の仕事は変わらん」

 

 できれば別の形で再会したかったよ。

 

「必ず殺せ」

 

 先輩。

 

 

#5:This Fire

 

 

「先輩?」

 

 無意識に口元へやっていた手を離した。

 

「なんか悩み事ですか?」

 

 真後ろからの声が、俺の意識をとりとめのない思考の渦から引き上げた。

 悩み事か。サクラの言う通りだ。とはいえ誰かに打ち明けることはできないし、しようとも思わない。出発前のブリーフィングの後、特調の俺だけに明かされたマリヤ・マギナの本当の名と、その来歴についてなど──彼女が元リコリスであることなど、誰も知る必要はない。

 誰も得をしない。

 俺はとっさに話を作った。

 

「いやさ。日本はレアアース供給を盾に日米安保をより有利な形に修正して……要するに親米路線で防衛力を高めようとしてるじゃん? なのに、アメリカがマリヤ・マギナの身柄をねだっても構わず殺害命令を出すなんて、与党は意志の統一が上手く行ってないのかなぁって」

「げ、難しい話は勘弁してくださいよ。あーし政治アレルギーなんスよ」

「大丈夫大丈夫、別にこんなの覚えとく必要ないから。あたし達はただ、ロシアのスパイを殺すだけ。でしょ?」

「まあ、確かに。やることは変わんないっスもんね」

「今はそのやることがないんだけど、ね」

 

 バンのステアリングに上体を預けて、並木道の先にある一棟の別荘を眺める。監視する、と言わないあたり察してくれ。

 神奈川県葉山町。人里離れた山の中腹。オーシャンビューの美しいこの邸宅は、マリヤ・マギナの活動拠点と目されていた。

 そして現在はリリベルの一個小隊がその中に突入しており、リコリスである我々はそのバックアップという名のお預けを食らっている。

 楠木司令曰く、この現場ではあいつらに花を持たせてやってほしいんだと。本来ファースト未満のリコリスには存在すら公開されていないはずの彼らを堂々と動かしてその仕事ぶりをひけらかすとは、上層部との間で何やら下らない政治があったらしい。

 とは言うものの。

 今の今まで銃声の一発も聞こえてこないのは流石に妙だ。すでに中はもぬけの殻、っていうのが俺の予想だが。

 

「……あいつらいつまでかかってんだ、たった一軒だぞ」

 

 助手席のフキさんは待ちぼうけに耐えかねてずっとイライラしている。俺とサクラが定期的におやつを口にねじこむことで暴発を防いでいるが、コンビニで買ったマカダミアナッツチョコレートはそろそろ弾切れだ。

 後部座席はもっとひどい。

 サクラは私物の携帯ゲーム機で遊ぶなり、俺と世間話に興じるなり、フキさんに餌付けするなりして適当に暇を潰してくれているから全く構わない。

 だが、今回はヒバナとエリカがいた。

 たきなの機銃掃射を食らって一度ボロ雑巾になった俺に、不死身の俺に、怯えていた二人が。

 ヒバナは時折、複雑な感情の入り混じった目を向けてくる。エリカは俺を見るたびおどおどと落ち着かない様子だ。

 別に良いといえば良い。

 そういう視線には慣れているから。

 一〇歳の頃。ある卒業生から俺のパートナーを引き継いだ先輩は、通り魔に滅多刺しにされても悲鳴一つ上げなかった俺を生きていたことを喜ぶよりも先に気味悪がって、転属願を出してどこかに消えた。

 その二年後。先輩、先輩、と無邪気に俺を慕っていた下級生を即席爆弾から庇った時。十秒ばかり失神したせいで勝手に体の再生が始まり、全身の肉をぶくぶくと泡立てて傷を埋めていく俺の姿を見て、彼女はその場で嘔吐した。

 離れていった奴らを恨みはしない。その気持ちは理解できるものだから。

 俺を人間扱いしてくれる人が隊に二人もいる。それだけで万々歳だ。これから一人減るかもしれないけれど、それは嘆いても仕方がない。

 そう、仕方がないことだ。

 

「確かに時間がかかりすぎているかもしれませんね。ブービートラップでも仕掛けられていたか……」

「クソッ、なんで向こうの司令部は情報を回さねぇんだ」

「我々はアウェーってことですよ、フキさん。とはいえそれもいい加減、癪ですよね?」

「お前、何企んでる?」

「いやなに、特調の伝手から戦況を教えてもらおうかと」

「……合法なんだろうな」

「職務上、それなりのスタンドプレーは司令にお認め頂いていますので」

 

 そう言ってニヤリと笑ってみせると、彼女はしばらく悩んだ末に、小さく頷いた。

 インカムに指を当てる。

 

「ナカムラ。女王様のお許しが出た」

『了解、送ります!』

 

 若い男の甲高い声が返ってくると同時に、カーナビと後席モニターに映像が出た。

 建物の廊下を、低い視線から捉えた──なるほど、隊員のボディカメラか。

 

「お前いつから仕込んでたんだよ……」

「彼、あっちに顔が利くので、最初っから向こうの指揮車に相乗りさせてました。言っときますけどちゃんと許可は取ってますからね」

 

 映像の主は四人の分隊の先頭を行くポイントマンのようだった。白地にペパーミントグリーンの戦闘服だからサードだろう。目の前には何の変哲もない押し戸がある。ドアノブを捻ると思いきや、彼はウェストポーチからビデオスコープを取り出し、ドアの下に差し込んでクリアリングを図った。

 

「慎重派だな、こいつ」

「道理で遅いわけだ」

 

 スコープのモニターを注視する。リリベルがチューブカメラを巧みに手繰り、真上を映した。

 L字型のドアノブの上に、プラスチックの透明なカップが乗っている。

 中にはカーキ色をした卵型の物体が。

 あれは、

 

「手榴弾……」

「えっ、まじスか?」

「うん。ピンが抜いてあってさ、ノブに触ると落っこちて、カップで抑えられたレバーが外れて起爆するんだ。古典的な手口だよ」

「怖っ!」

「でも、マリヤは単独だろ? それなら籠城戦で自分から逃げ場を潰すよりも、狙われてることに気づいた時点で拠点なんか引き払った方がずっと有利に立ち回れるはずだよな」

「フキさんもそう思いますか。このペースでいくと、三個分隊がかりでも相当かかります。それこそがマリヤの狙いって可能性は──」

 

 閃光。

 一瞬遅れて車が揺れた。

 顔を上げた。

 邸宅の窓から薄い黒煙が上がっている。

 燃えている。

 

「言ってるそばからヘマこいたぞ!」

「フキさん、あたしは先行してリリベルの救助に回ります。隊のみんなで後ろの救命コンテナをお願いできますか」

「非常時なら介入もやむなしか、わかった。任せろ」

「えぇ、なんで二人ともそんな冷静に……」

「聞いてたなお前ら、全員装備B5を維持して負傷者の護送準備だ。建物には近づくな、破片、火炎、有毒ガス等による二次災害に留意しろ!」

 

 皆に先んじて車を飛び出し、プレートキャリアの上にサッチェルバッグを背負いながら、全速力で坂を駆け上がる。やはりフル装備では多少なり機動性を損なう。重量はともかく可動域が狭い。

 

『室長、原因が分かりました。リモート式の焼夷爆弾です。隊は作戦を中断、撤退中ですが、チャーリー分隊からの応答がありません……』

「隊長は一緒だな?」

『はい』

 

 邸宅の前には四台の大型ワンボックスが門を包囲するように停まっている。一台は兵員輸送用のコミュータータイプで、残りの三台は指揮システムや固定火器の類を満載した、リアウィンドウのない商用バンだ。

 バンタイプのほうから目当ての一台を見つけて、スライドドアを乱暴にノック。返事を待たずに開け放つ。

 

「服部!」

「うわっ!」

 

 そう、赤服(ファースト)のこいつに用があるんだ。

 

「チャーリー分隊の様子を見てくる。医療班に準備させておけ」

「駄目だ、中はまだ安全化されてない」

「お前の意見は聞いちゃいねーよ」

「おい!」

 

 制止の声を無視してドアを閉めた。今は口論の時間さえ惜しい。

 二階の窓から吐き出される黒煙は明らかに濃くなっている。それにこの異様なまでの焦げ臭さ、鼻が曲がりそうだ。

 屋内には何らかの燃料が撒かれていると見ていいだろう。急がないと骨も残らないな、あいつら。

 正面玄関から這う這うの体で逃げ出してきた四人組とすれ違うようにして、中へ。

 

「ナカムラ」

『二階のゲストルームです。どうかお気を付けて、時間差で第二波が起爆される可能性も十分にありますから』

「ほかに残っている者は」

『ブラボー分隊は窓から脱出しました。彼らが最後です』

「わかった」

 

 玄関の奥、真正面に見える木造の階段を上る。煙はあらゆる場所からこんこんと湧き出していて、どこが火元かは判然としない。つまり、もうそこら中に火の手が回っているってこと。マリヤはよほど周到に計画を練ったようだ。

 二階に着くと、辺りを取り巻く熱気はますます強まった。見える範囲に炎はないが、きっと近い。黒煙の塊が絶えず天井を這っている。一酸化炭素中毒を警戒して身をかがめた。

 

『右に進んでください。左手に開いたドアが見えてくるはずです』

「……ああ、見えた」

 

 それと、複数のうめき声も。

 

「チャーリー分隊だな! 助けに来た!」

「──ろ、リコリス……!」

 

 逃げろとでも言ったんだろうが、聞いてやらない。壁伝いに歩いて部屋を覗いた。

 覗いて、納得した。確かにこれは絶望的だ。ここが火元の一つで間違いない。ナパームの石油臭に、奥で赤々と燃えるクローゼット。その直上では、何本もの梁が焼けた天井を突き破って崩れ落ちてきている。

 口を開いた瞬間、喉から肺まで痺れるような痛みが走った。

 

「歩ける者はいるか!」

 

 床に倒れる四人全員、爆風をもろに食らったのだろう。手足にガラス片や木片の類がびっしりと突き刺さり、激痛に喘いでいる。

 そのうちの一人が頭をもたげた。煤だらけの頬には涙の跡があった。

 ああ、そうだよな。

 つらいよな。

 

「俺は、ぎりぎり。でもみんなはダメだ……指向性の破片で、脚をやられた……」

「お前、一人で脱出できそうか?」

「うん。でも……」

「仲間は私が全員運ぶ」

「じゃあ、相田を一番先に頼むよ。眼鏡の小柄な奴。そいつが一番ひどいんだ」

 

 件の相田は火元に一番近かった。意識は辛うじてあるが、混濁している。声をかけても反応が薄い。瞼を開けて瞳孔を見たが、左右で大きさが違っていた。

 脳内出血が起きている。

 サッチェルバッグから捕縛用のボーラガンを抜いた。内蔵カートリッジからケーブルを一本引きずり出して、相田の脇下から背中にくぐらせていく。パラコードも持っているが、あれは耐熱性がない。これが一番信頼できる。

 彼の脇の下から出てきた二本のケーブルを自分の両肩に回し、引っ張り、彼を背負う。そのままケーブルの余りを彼の両脚に通して一周させ、腰の両脇から出てきた終端を肩紐の下に差し込んで、胸の上で固く縛った。

 本来なら担架で慎重に運ぶのがベストなんだが、四の五の言っていられないんでな。

 残りの二人は背中の彼のように脳へのダメージは見られなかったから、それぞれ小脇に抱えた。

 背中に五〇キロ、右腕に六〇キロ、左腕に六〇キロってところか。全身の筋繊維が過負荷で絶えず千切れている。とはいえ、再生速度で補完できる範囲だ。問題ない。

 

「や、すごいなあんた……」

「行くぞ。痛むだろうが、気張れよ」

「う、うん!」

 

 アジトは既に無人。その上中はトラップまみれで、重症者が四名も。

 初戦は完全敗北か。

 さて。これから、どうしたものかな。

 

 

§

 

 

 着火し損なったマッチが手の中でへし折れた。筒型のスタンド灰皿に放って、もう一本を指だけで取る。

 もう一度、片手で擦った。

 また、折れた。

 

「……チッ」

「荒れてますね」

 

 火が隣から差し出された。

 

「してやられたよ」

 

 顔を近づけて、短く吸い込んだ。甘草(リコリス)の巻紙が燃え、独特の甘い芳香が鼻をくすぐる。

 ため息をつくように煙を吹いた。鼻の奥がまだ焦げ臭くて、どうにも気が滅入った。

 滅入りっぱなしだった。

 

「あなたに」

 

 アラキは自分の煙草に火を着けた。

 

「私的な報告があります。マリヤ・マギナ──旧称、栗原百合についてです」

 

 彼女の口から言葉と一緒に、ダークチョコレートにも似たほろ苦い香りの煙がこぼれる。それを尻目に、俺は革張りのベンチソファに深く座り直し、姿勢を正した。

 

「私のプロファイルは読まれましたか?」

「ああ。目を通してある」

「では、この脚についてもご存じですね」

 

 彼女が指差す自身の脚は、スラックス越しにもわかるほど痩せていた。自重を支えられないことは、誰の目にも明らかだった。

 

「一〇年前、任務中の事故とだけ」

「では、話しておきましょう」

 

 荒木(アラキ)佳織(カオリ)は、弱冠一五歳にしてファースト・リコリスに抜擢された才媛だった。

 そして同年に前線を退いた。

 その後は本来四年を必要とするDAの幕僚養成プログラムを半分の二年で終え、一七歳の若さで作戦司令部第二課配置に。かつての実戦経験を活かし辣腕を振るった彼女には出世が約束されていたが、彼女はそれを望まなかった。

 ほどなくしてアラキは課長代行のポストを蹴り、より現場と距離感の近い情報部第六課へ転属。高い能力を評価した楠木司令は、特命情報調査室の組織規模拡大にあたり、彼女を手元へ呼び戻した。 

 それが、俺の知る彼女の全てだ。

 

「ラファトというテロリストがいました。その男は中東、クルディスタンに発生した独裁国家の陸軍大佐で、米国の介入によって政権が崩壊するとともにシルクロードを辿り、偽造旅券で日本へ入国。潜伏を図りました。世間ではともかく、我々の間では有名な事件でしょう?」

「分かるよ。奴はアメリカへの報復テロを計画していたが、欧州に張られた捜査網を避け、あえて地球の裏側を行った」

「ええ。そして、DAによる執拗な追跡を受け、これ以上の逃走は不可能と判断したラファトは標的を切り替えた」

 

 同盟国である、日本に。

 

「私はその追討作戦に小隊長として参加していました。ファースト・リコリスとしての任務は、それが最初で最後です」

 

 彼女らは各支部間との緊密な連携の末に、新千歳空港で消息を絶ったラファトを栃木県宇都宮市で再捕捉。首都圏を目指して南下を続ける彼に二四時間体制で絶え間ないハラスメント攻撃を加え、茨城県つくば市内の再開発地区に追い込んだのだという。

 

「ラファトはゲリラ戦を熟知していました。放棄されたアジトはおろか、逃走経路に至るまで、あらゆる形でブービートラップを残していきました。多くは過酸化アセトンにガソリンを組み合わせた手製の焼夷爆弾で、解除にリソースを割くことを強要するものでした。彼は逃亡時に国庫から大量の金塊を持ち出していましたから、材料の調達には困らなかったのでしょう」

 

 それはラファトが逃げ込んだ建設中の高層ビルにおいても同じことで。

 

「今思えば、我々はあの男を追い込んでなどいなかった」

 

 アラキ率いる選抜部隊は、ラジアータの──といっても当時は今ほど高精度の予測能力は持ち合わせていなかったが──演算結果に従い、おびただしい数のトラップを一つ一つ解除しながら慎重に進んでいった。

 そしてついにはラファトを完全に包囲し、

 

「我々は、誘い込まれていた」

 

 自爆に、巻き込まれた。

 

「ラファトだけではありません。同じ信号でビル内部に仕掛けられた複数の焼夷爆弾が起爆し、現場はすぐに火の手が上がりました。自爆で六名が死亡、四名が負傷。無事だったのは私と、私のパートナー、栗原百合だけでした」

 

 そのビルは建設中とはいえ、複合商業施設や展望台、ホテルといった様々な施設を内包する巨大なものだった。火災の只中、どこに残っているとも知れないトラップを警戒しながら手足の吹き飛んだ仲間を運び出すような余裕は、二人にはなく。

 

「ええ、ええ。ご想像の通り、四人は見捨てましたよ。私と百合は、仲間の悲鳴を背に脱出しました。しかし直後に、我々の頭上で未解除のトラップが熱によって誘爆し、五階の高さまで組み上げられていた足場が吹き飛んだ」

 

 さながら鉄パイプの雨だった、と彼女は呟いた。

 

「陳腐な言い方をすれば、あの時私が加害範囲から彼女を突き飛ばせたのは奇跡だった」

 

 彼女の華奢な指が、灰皿に火種を押し当てた。

 赤い光が、ぢお、と一鳴きして消えた。

 潰えた。

 

「私が司令二課に配属された翌年、百合はセカンド・リコリスとしての任期を満了し、CIAへ()()された。日本政府が求める採用基準に、彼女の能力は達しなかった。だがどういうわけか、今は名を変え、SVRにいる」

 

 アラキは自身の脚にまとわりつくカーボンの骨格を撫ぜた。瓦礫に背骨を砕かれ、神経を損傷した彼女は、今やその筋電歩行補助外骨格(アシスト・スケルトン)なしに歩くことは叶わない。

 

「彼女は一線を超えました。もはや殺す以外にない」

 

 マリヤ・マギナが別荘に仕掛けた即席爆発装置(IED)はラファトの事例に酷似しているが、脚への加害を重視した設計は彼女独自のアレンジだ。

 あの場では、相手の機動性を奪うことで確実な焼死を狙うものとばかり考えていた。だが今となっては、脚を潰すことが全く別の意味を孕んでいるように思えてならない。

 マリヤは、百合先輩は、なぜそんなことを。

 俺のために泣いてくれたあの人は、なぜ。

 吸おうとした煙草は途中で立ち消えていた。

 マッチ箱を掌の中で操り、片手で擦った。

 今度は失敗しなかった。

 

「マリヤは、ラファトの事件に執着しているんだろうか」

 

 彼女のことは、あえて今の名で呼ぶことにした。心理的な距離が少しは遠のくような気がしたから。

 

「可能性は高いでしょう。ナカムラの報告にもあった通り、彼女は択捉から根室へ渡り、その後首都圏へ南下するルートを取っています。一〇年前とほぼ同一です」

「東京を素通りして神奈川へというのが気になるところだ。いくらロシアでもアメリカの人間を直接暗殺するような暴挙には出ないだろうとは踏んでいた。しかしそうなると、わざわざ事を荒立てた目的がわからないのも事実だ」

「諜報でもなく、暗殺でもない。では、陽動の可能性は?」

 

 各所のモーターからかすかな高周波音を鳴らしながら、彼女は脚を至極滑らかに稼働させ、組み替えた。

 

「確かにそれなら説明はつく。でも国家の看板を背負った諜報員なら、陽動にしてももっと波風の立たない方法を選ぶんじゃないかと思うんだけど、どうだろう」

「なるほど。ラファトの場合は既に飼い主が消滅していたが、仮にも東側の大国が指示したとなれば話は変わってくる」

「今の時代、誰も第三次大戦など望まない。指導者の急逝に伴う内乱で国力を消耗しているロシアならばなおさら」

「下手に蜂の巣をつついて経済制裁などされたらたまったものではない。対外関係の悪化は極力避けたいはず」

「マリヤ・マギナのやり方は、ロシアへのメリットが何一つない……」

 

 そこまで言って、俺も足を組んだ。火の粉をかぶって穴だらけになったタイツが嫌でも目に入った。忌々しいことに四〇デニールでは肌が透ける。本当はもっと分厚いのが穿きたかったんだが、夏の暑さに屈した。

 だからスカートは嫌いなんだ。

 駄目だ。負傷した四人のリリベルの顔と、リコリスだった頃のマリヤの顔が、頭の中で交互に浮かんでは消えてを繰り返している。そのせいで何もかもに苛立ってしまう。

 今は冷静にならないといけないのに。

 力不足を、痛感する。

 

「この件、実働班に共有しても?」

「もとよりそのつもりです」

「……わかった。ありがとう」

 

 吸い殻を灰皿に投げ込んで、立ち上がった。

 

「これは先輩としての小言ですが」

 

 喫煙室を出ようとした矢先にアラキは言った。肩越しに振り返ると、

 

「君は四人の命を救った。自分を責めるよりまず、それを誇りなさい」

 

 彼女は対面の壁から視線を離さないまま、フラットな口調で続けた。

 彼女に、言わせてしまった。

 心臓を握り潰されるような思いがした。

 違う。違う。あなたはそんな人じゃない。

 見捨ててなんかない。

 

「先輩。リコリスの私にパートナーがいないのは、なぜだと思いますか?」

 

 俺は彼女に向き直り、その目を見つめた。彼女は視線に気づくと、唐突な問いに困惑するどころか、眉根一つ動かすことさえなくこちらを見返した。

 

「不死性を秘匿するため」

「おっしゃる通りです。ですが、別の理由もあります」

 

 彼女は話してくれた。

 俺も話そう。

 隣に腰掛けた。

 

「不死身の人間の存在を許容できる者が、ほとんどいないからです。どんな負傷からも十数秒以内に復帰可能なヒト型というのは、大抵の場合、人として扱われることはありません」

「幼稚な価値観だな」

「ですが、栗原先輩は違いました」

「親交があったのか?」

「九歳の頃です。最初のパートナーでした」

「君が九歳の頃というと、彼女は一八か。そうか、最後の年に……」

 

 養成所を出たリコリスは、多くの場合一五歳以上の上級生とパートナーを組む。そして、付きっ切りで仕事を教えてもらうんだ。

 

「あの人はとても優しかった」

 

 百合先輩はいつも俺の手を引いてくれた。

 

「私が不死身と知っても見る目を変えなかった」

 

 訓練施設での日々を夢に見てうなされていた俺の頭を撫でてくれた。

 

「姉妹みたいに、仲良しでした」

 

 何よりも。

 彼女の代わりに車に轢き潰され、肉も骨も(はらわた)も一緒くたにぶちまけた俺の、醜く再生していく体を抱きかかえて、生きていてくれてありがとうと。そう、言ってくれた。

 自分を大事にしてちょうだいと、泣いて、叱ってくれた。

 百合先輩は、消耗品として使い潰されることを受け入れていた俺を、人間にしてくれたんだ。

 

「ですから、荒木先輩」

 

 前に身を乗り出すようにして、彼女の顔を覗き込んだ。

 

「あなたは二人救ってるんです。どうかそれを、誇ってください」

 

 彼女はやっと表情を変えた。切れ長の目が見開かれ、何度か瞬きをした。それだけなのに、なぜだかとても新鮮に思えた。

 

「全く、君は……」

 

 やがて喉の奥からくつくつと押し殺した声が聞こえてきて、

 

「女たらしだな」

 

 彼女は初めて、俺の前で笑った。困ったように眉を下げ、晴れやかに、のびやかに。

 愉快で愉快でたまらない。そんな風だった。

 

「ここにいたか」

 

 まるでアラキが笑い終えるのを見計らっていたかのようなタイミングで、ゴウダが扉から顔を覗かせた。思わず隣の彼女の表情を盗み見ると、驚くことにもういつもの鉄面皮を張り付けている。凄まじい切り替えの早さだ。

 

「マリヤ・マギナの件で実働班全員に緊急招集だ。司令がお待ちだぜ」

 

 言うだけ言うと、彼はすぐさま引っ込んだ。どうやら本当に火急の用らしい。

 背後から聞こえる外骨格(スケルトン)の作動音に合わせて、俺も席を立った。

 

「すまない。本来ならば私が始末をつけなければならないことだ」

「いえ、いいんです。マリヤ・マギナは何としてでも止めなくちゃいけない。私はこれ以上、彼女に罪を重ねてほしくない」

「そうか。そうだな……」

 

 彼女は片頬で軽く微笑みかけた。どこか哀しい笑みだった。だがそれでも、何もかもを心の奥底に封じ込めて作り上げた仏頂面に比べれば、ずっと満ち足りて見えた。

 

「行きましょう、サイトウ()()

「ああ」

 

 むせ返るような濃度をもって漂っていた辛気は、紫煙もろとも換気扇に吸われて消えた。

 俺は少しだけ前向きに、百合先輩を殺せそうだった。




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