絶対に百合に挟まらない司令の懐刀系性癖山盛りTSヤニカス不死リコリス   作:千年 眠

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 スピードメーターの表記はとっくの昔に時速二〇〇kmを超えていた。排気管(エキゾースト・パイプ)内部の流路切り替えバルブが開いているおかげで、排ガスはエンジン性能低下の原因となる消音器や触媒を一切通らず、そのサウンドはまるで雷鳴のようにけたたましい。あいにく、同乗者の中にその手の趣味に理解がある人間はいないようだけど。

 たった一.六リッターぽっちの直列三気筒ターボエンジンに六〇〇馬力を絞り出させることがどれだけ異常で困難なことか。それを知るのはこのハッチバックを仕上げたDA兵站部三課、通称車両課の物好き連中と暫定オーナーの俺だけというわけだ。

 思い返してみれば、司令部が要求した性能は市街地での良好な機動性とNIJレベルⅣ相当の全周防弾が精々だったはずだが、一体それのどこをどう解釈したらこんなスーパーカーまがいの怪物が出来上がるんだか。

 まぁ、別にいいけどさ。今まさにこいつの過剰スペックが役に立ってるところだから。珍しく。

 

『目標との距離は現在一〇〇〇。直進し、首都高湾岸線に入ってください』

 

 軍用ヘッドセット(ComTac)から聞こえるアラキの声に従い、俺はますますアクセルを踏み込んだ。二車線の高速道路に一般車両の姿はない。対向車線にもだ。すでにDAが国交省を通して辺り一帯を通行止めにしてあった。

 燃える別荘からリリベルを運び出したと思えば、ナカムラ共々ティルトローターでDA本部に呼び戻され、楠木司令直々の短いブリーフィングののちに再び横須賀へとんぼ返りと、機密保持のためとはいえ恐ろしく非効率な手続きを踏んだ我々特命情報調査室実働班は今、首都圏の各地に散り散りになってマリヤ・マギナを捜索している。

 いや、厳密に言えば、既に捕捉自体はしているんだ。問題は彼女の標的が、横浜、川崎、東京、浦安の四つからどうしても絞れないこと。四つの内の一か所だけか、複数か、それとも全部か、ラジアータにはそれすらもわからないときている。

 そして第二の問題が──

 

「わぁぁぁぁ先輩前カーブ! カーブ!」

 

 ──マリヤが乗っていると思われる車が、現時点で四台も確認されているってこと。

 

「サイトウ! ブレーキ! 頼むからぁっ!」

 

 フキさんの絶叫からきっかり二秒後、アクセルから右足を離すと同時に左足でブレーキング。

 パワーに見合った高性能な競技用ブレーキシステムが猛烈に車速を削る。同時にステアリング裏のパドルシフトを叩き、六速から五速へ。

 エンジン回転が跳ね上がる。アンチラグシステムのバブリング音。

 減速Gで荷重が移る。フロントが沈む。

 トンネルの入り口は左に切り込むブラインドコーナー。

 この道はよく知っている。路肩のひび割れ一つまで。

 今だ。考えるより早くブレーキを抜きながら、ステアリングを切る。

 前荷重が生み出す急旋回。理想的なアウト・イン・アウト。

 ゆるいコーナーの出口が見えた。

 じわり、じわりと再加速。

 ターボラグはほとんどない。

 四輪全てが路面を引っ掻き回す。か細い悲鳴。ゴムの焼ける臭い。

 吹っ飛ぶように右の追い越し車線に乗った。

 数秒足らずでまた、二〇〇kmオーバーへ。

 

「首都高を走るにはホイールベースが足りないか……」

「アホッ!」

 

 防弾ヘルメットの上から強めに頭をはたかれた。痛ってぇ。

 

「なに考えてんだバカ! お前の心中にゃ付き合わねーぞ!」

「いやぁ、そんなに攻めてないですよ。まだタイヤ冷えてるんで」

 

 しれっと言ってみたらもう一回シバかれた。マジ痛ってぇ。

 

「真面目な話、急がないとまずいでしょう。ラジアータが答えを出しあぐねてるんですから、何かされる前に仕留めないと」

「そりゃあそうだが……」

「心配はいりませんよ、フキさんの部隊は誰も死なせません。まして、単独事故なんてしょうもない死に方はね」

 

 ルームミラーをちらと見た。バンに比べればはるかに窮屈な後席には、サクラ、ヒバナ、エリカの三人が足を精一杯縮こめて並んでいる。全員、半袖の夏季制服の上にプレートキャリアを身に着け、アタッチメントだらけのラトラーをスリングで胸元に吊るしたフル装備だ。

 こいつらが傷つくところは、見たくない。好きとか嫌いとか、好かれてるとか嫌われてるとか、そんなのはどうでもいいんだ。

 ただ、怪我無く、苦しまず、人らしく生きていてほしい。

 俺のようになってほしくない。

 助手席のフキさんは苦虫を噛み潰したような面持ちで俺の横顔ををまじまじと見た。聞かん坊の後輩に頭を悩ませているんだろうな、なんて思った。

 

「なぁ、サイトウ」

 

 思っていた。

 

「お前、大丈夫か」

 

 俺は反射的に、何がですか? としらを切った。

 彼女があまりにも穏やかな口調で言うから、ついうろたえてしまった。

 これから恩人を殺すのに何も大丈夫なわけがない。ないけれど、なんでもない風を装うことはできていたはずだ。今更、誰かに自分の腹の内に抱えているものを気取られるような真似をするほど、俺は密偵として未熟じゃない。

 なのになんでこの人は、

 

「お前が寝てるところを見たことがない」

 

 ああ、そっか。そっちか。

 よかった。見抜かれてたわけじゃなかったのか。

 俺は見抜いてほしかったのか? 

 いや、まさか。ガキじゃあるまいし。

 そんなこと、あってたまるかよ。

 

「人前では寝ないんです。二時間も眠れば充分な体質なので、なおさら」

「足りないだろ」

「いえ。眠れないんじゃなくて、眠らなくていいんですよ。無理をしてるわけじゃありません」

「……そうか」

 

 合流レーンが加わって三車線に増えた直線区間のずっと先の方に、商用バンを一台見つけた。アクセルを抜いて徐々に相対速度を合わせていくと、フキさんはラトラーのチャージングハンドルを引いて初弾を装填した。会話はそこで途切れた。

 彼女は多分、何かもっと別のことが言いたかったんだと思う。

 俺に話してほしくて、俺ならその真意に気付くと思って。

 気付いた上で黙殺したことも、きっと察しただろう。

 ヘッドセットのプッシュ・トゥ・トークスイッチを押して、わずかばかりの後悔を強引に断ち切った。

 

「こちらブラックジャック・ワン、ターゲット・ゼロワンを目視で確認。距離三〇〇まで接近し索敵を行う」

『了解。反撃に注意してください』

「分かった。他の班の状況はどうか」

『ゼロツー、ゼロスリーをそれぞれフクシマ班、ゴウダ班が追跡中。ゼロフォーをハラ班が確保。こちらは自動運転車で、爆発物は確認されませんでした』

「ラジアータの予測に変化はあるか」

『前提条件に誤りがある可能性を考慮し、情報部が再演算中です』

「ま、ここまで読みが外れればな」

『それと、タチバナから報告が一件』

「聞こう」

『ロシア総領事館の車が霞ヶ関へ向かった、と』

 

 一瞬、呼吸を忘れるほどの衝撃を覚えた。

 マリヤ・マギナを擁するはずの、ロシアが? 

 

「アラキ。我々の推理、案外当たっているかもしれないよ」

『彼女は対外情報庁(SVR)さえ裏切っている?』

「彼女の目的が、日本国内でのサボタージュではなく、ロシアの国際的信用を失墜させることにあるとしたら、今までの行動に筋が通る」

 

 彼我の距離は三〇〇m。すでにエンジンパワーは落として、排気音も抑えてある。

 フキさんに横目で合図をした。彼女は左手でラトラーのグリップをしっかりと握ったまま、空いた右手でチェストリグのポーチから単眼鏡を引っ張り出した。

 

『だとしたら、CIAを離れる意味がわかりません』

「確かに。彼女の心理を分析するにはデータが少なすぎる」

『どちらにせよ根拠には欠けますが、状況証拠から考えれば……やはり日本へのテロという体裁をとったロシアへの攻撃と考える方が自然ではありますね』

 

 フキさんは単眼鏡を覗き込んだままハンドサインを二度出した。意味は残敵なし、そして前進。

 距離一〇〇mを目指して緩やかに加速する。

 

「まだ結論は出せないけどね。領事館絡みで何かあれば、すぐに連絡を」

『了解』

 

 ヘッドセットから手を離す。目線は前を走る商用車から片時も離さない。あれが突然、自律運行からリモート操作に切り替わってこっちに突っ込んでこないとも限らないからだ。

 自走爆弾の疑いのある無人車両は遠距離から対戦車ミサイルや自爆ドローンで無力化するのがセオリーだが、DAはその手の兵装を保有していない。

 もっとも俺一人なら捨て身の特攻でどうとでもできるが、今は仲間がいる。ここは極力、()()()()で行くべきだろう。

 

「グレネードで破壊しましょう。トラップだったとしても射程いっぱいから狙えば危険性は低いはずです。サクラ、ランチャー取ってくれる?」

「ウッス。対装甲榴弾はーっと、これか。かっくいー!」

「フキさん、ハンドルお願いします」

「普通ガンナーは助手席じゃねーのか」

「顔出した瞬間にターゲットが自爆でもしたら危ないでしょ?」

「それはお前だって」

「フーキーさーん?」

「わかったわかった! それが一番ローリスクだって言いたいんだろ、その通りだよ……ったく」

 

 横から渋々伸びてきた手にステアリングの操作を任せて、俺はパワーウィンドウを全開した。同時に後ろ手で擲弾発射器(グレネードランチャー)を受け取る。

 M320A1。陸自のGLX160とは違って、こっちは米軍制式の品だ。DAがどこから仕入れてきたんだか知らないが、妙に使用感があるあたり、きな臭いよな。

 フォールディング・ストックを展開。バレルをスイングアウトしチャンバーチェック。多目的榴弾(HEDP)の装填を確認。スイングインの後、セイフティを解除。

 窓から身を乗り出しても、ヘッドセットの聴覚保護機能のおかげで風切り音はほとんど聞こえない。加えて、顔に沿ったラップアラウンド形状のミリタリー・アイウェアは風の侵入を一切許さず、照準器を覗き込む目が痛むようなこともなかった。

 彼我の距離は変わらず一〇〇m。時速一〇〇km分の向かい風だが、この中初速弾なら届くだろう。

 トリガーを引こうとした瞬間──前方で唐突にブレーキランプが点いた。

 

「回避!」

 

 四人の命を思えば、攻撃の中断に葛藤はなかった。即座にセイフティをかけてトリガーをロックすると同時にブレーキペダルを蹴りつける。制動力はこちらがはるかに優秀だ。詰まりかけていた車間距離が再び開く。

 上体を車内に収め、パワーウィンドウスイッチを叩く。

 ランチャーを片手に、フキさんからステアリングをひったくるように奪う。

 シフトダウン。エンジンの回転が跳ね上がる。

 被害を抑えるには、俺が盾になるしかない。

 サイドブレーキを引いた。

 後輪がロック。

 ステアリングをわずかに左へ。

 タイヤが鳴く。進行方向はそのまま、車体が向きを変える。

 サイドを戻す。

 右に切り返し、カウンターステア。

 ドリフト・アングルは約四五度。失速しながら維持。

 このハッチバックは右ハンドル。だから、俺が一番前だ。

 俺が一番、被害を受ける。

 ウィンドウが閉じた。

 誰かが何かを叫んだ。

 轟音に塗り潰されて、聞き取ることはできなかった。

 色のない爆炎。

 無数の破片。

 防弾ガラスが真っ白にひび割れる。

 硬いものがボディを打つ音がする。豪雨の中にいるようだ。

 メーター類から光が消えた。

 ステアリングがやけに重い。

 ドリフトの抵抗で、車は自然に止まった。最後に残った慣性が、客室を一度だけ大きく揺さぶった。

 

「みんな、怪我は」

 

 言いながら、ステアリングコラムの下にあるノブを引いた。蜘蛛の巣状にひび割れた防弾ウィンドウの向こうで傷だらけのボンネットが僅かに持ち上がる。

 エンジンが止まったのは、多分電装系が壊れたせいだ。どこかがショートしてもヒューズが切れるから発火の心配はないと思うが、念のためバッテリー端子を外しておきたい。仲間が丸焼きになるなんてごめんだ。

 

「後ろはみんな平気っス……つーか、聞かれてんだから答えろよ、お前ら。そんなに先輩が嫌いかよ」

「えっ? や、ちがっ、違うの!」

 

 違わねーだろうが。サクラは弁明しようとするエリカの言葉に被せて、吐き捨てるように毒づいた。

 

「喧嘩は任務が終わってからにしろ。今は退避が先決だ」

 

 フキさんも無事、か。見た限りどこにも外傷はないし、自分でシートベルトを外してドアを開けられている。脳震盪や脳挫傷の可能性も限りなく低いとみていいだろう。

 俺も早く外に出て、自爆した車両の確認、を、

 

「……ん?」

 

 車体がじわじわと傾斜している。なんで。

 いや、違う。

 傾いてるのは俺の頭だ。何かが顎を伝って、滴り落ちている。

 

「血?」

 

 だけではない。指ですくった雫には、透き通った黄色の液体が混ざっている。

 

「サイトウ? どうした?」

 

 頬に手を当てて、鮮血混じりの筋を辿った。こめかみの後ろ、耳の辺りから流れているらしい。

 ヘッドセットに触れた。

 鋭いものが指に当たった。何かが、覆いを、突き破っ、て。

 頭が、いたい。ぐらぐら、する。きもちわるい。

 ちからが、入らない。

 え、

 死ぬ? 

 

「……っ! おい! 大丈夫か、返事しろ!」

 

 うごけない。

 

「外に寝かせるぞ。ヒバナ、降ろすの手伝え!」

「りょ、了解!」

「エリカとサクラは止血の用意だ!」

 

 うごきたいのに。

 

「重っ! また筋肉つけやがったなお前……!」

「先輩! サイトウ先輩、どうしちゃったんスか──ひっ」

「大丈夫だ! こいつなら、絶対大丈夫だ!」

 

 みんなが、みてる。

 

「司令部! ブラックジャック・ワンが負傷、破片が頭蓋骨を貫通している! 至急救援を求む!」

「止血ったって、こんなのどうすりゃ……」

「ヘッドセットを取ったらこれも一緒に抜けちゃう。そうなったら本当に助からない……」

「先輩なら治せるんじゃ?」

「でも、脳だよ?」

「くそっ……!」

 

 こえがする。

 

「あっ、先輩駄目です! 抜いちゃ駄目!」

 

 あたまのなかから、こえがする。

 

「みんな押さえて! サイトウさんが死んじゃうっ!」

 

 あなたは、だれ? 

 

「すごい力っ!?」

「やめろサイトウ! マジで死んじまうぞ!」

「ヤバいよフキ、ビクともしない!」

「先輩、やめてください……やめて……!」

 

 ふと掌に痛みを感じて、目を向けた。俺は知らないうちに焼け焦げた金属の破片を握り締めていた。白い塗装が片側に残った鋭い切っ先は真っ赤に濡れている。なんだろう。車の外板だろうか。

 ずいぶん深く刺さってたんだな。そんな他人事みたいな感想を抱いて、

 

「……死ぬかと思った」

 

 ぽつりと呟いた。

 

「お前っ──」

「せんぱぁい!」

 

 その瞬間、ライトブラウンの物体が胸に飛び込んできた。面食らったが、よくよく触ってみると温かくて、それでやっと目の前のふわふわが人間であることを理解した。それも、泣いている少女だ。

 涙の理由がわからなくて、その子の頭を片手で抱きながら辺りを見回した。

 アスファルトの上に寝そべる俺を、重武装のリコリス三人が見下ろしている。背の高い子と、そのすぐ横に引っ付いているミディアムボブの子は安堵の表情を浮かべているが、一番小柄な子は、なぜだか今にも堪忍袋の緒が切れそうに見えた。

 小さく華奢な手が、俺のコンバットシャツの胸ぐらを掴んだ。吊り上がった目に睨まれる。心当たりは全くない。

 何かを封じ込めるように食いしばられた彼女の白い歯が、やけに目を惹いた。

 殴られる、とも思った。 

 

「……馬鹿野郎」

 

 血を吐くような声音で彼女は言った。予想に反して、それだけだった。

 俺はよくないことをしてしまったのだろうか。

 そもそもなぜ俺は、制服ですらなく、暗灰色の戦闘服なんてものを着込んでここに倒れているんだ。特殊部隊でもあるまいし。

 いや、そんなことより、白いハッチバックの向こうからくぐもった沸騰音がする。道路のど真ん中ということを考えると、音源は乗用車のガソリンタンクである可能性が高い。

 何がなんだか知らないが、遮蔽の外にいる長身とボブの二人が危ない。跳ね起きて彼女達の手を引き、ハッチバックの陰に引きずり込んだ。

 

「わ、え、何!?」

「サイトウさん、急に動いたらダメだよ!」

 

 それでも不安で、二人に後ろから覆い被さった。小柄な子と、泣いているツーブロックの子はエンジンのあるフロント側に隠れているから、まだ生存率は高い。だから、俺がこっちで盾にならないと。

 そしてまた、爆発。

 頭への衝撃。ヘルメットの顎紐が破片の着弾に伴う過剰な外力を受けて自動的に外れ、吹き飛び、リアウィンドウの破片が肩に降りかかる。

 

「きゃっ!?」

「わぁっ!」

 

 腕の中の二人の悲鳴を聞きながら、割れた窓から様子をうかがう。今度は火柱まで上がっている。ボディが溶けて内部のシャーシが見えるほどの勢いだ。

 二種の爆破装置を時間差で起爆することで、もうトラップはないだろうと無防備に近づいてくる敵を叩く。そういう仕掛けだ。俺自身、今まで何度も使ってきたし、使われもしてきたから、この手口はよく知っている。

 二種の爆破装置? なんだそれ。一つ目があったみたいな言い回しだ。

 俺はここで何が起きたか知っているのか? 

 

「怪我はない?」

 

 腕の中の二人は困惑した様子で小さく頷いた。

 

「そっか。よかった……」

 

 爆発を予見したことが不思議だったのか、それとも別の理由があったのか、俺にはやっぱりわからない。わからないけれど、みんなが無事だと俺は嬉しかった。

 名前も知らないのに、そう思った。

 

『──ック・ワン、応──願います。ブラックジャック・ワン、聞こえますか』

 

 ヘッドセットから声がする。奇跡的にも、右耳のスピーカーが死んだだけで他の機能は無事だったらしい。

 

「こちらブラックジャック・ワン。どうした」

『負傷したと聞きました』

「……ああ。被弾はしたが、作戦行動に支障はない」

 

 そうだ。俺はマリヤ・マギナを追ってここまで来たんじゃないか。

 特調実働班のメンバーのみで編成された第二一特設任務部隊、通称ブラックジャックス。リコリスを超える秘匿性とリリベルを凌駕する火力によって、重大犯罪に対して超攻性な対応を行う第三の処刑人。

 特調はあくまで情報機関としての権限しか有していないから、本来、こういう荒事への介入は難しい。そこで楠木司令は数多の規則を()()()()()()し、リコリスとリリベルの両方を支援する後方部隊という名目で、DA有数の精鋭を鉄火場に放り込むための都合のいいガワを繕った。

 二一人の仲間を殺した俺が第二一部隊だなんて傑作じゃないか。創設にあたって内心でそう自嘲し、ギャンブルのルールになぞらえてブラックジャックの名を付けたのを覚えている。

 ああ、覚えている。思い出したよ。

 

『了解。フクシマ班が追跡中のターゲット・ゼロツー、およびゴウダ班のゼロスリーが同時に爆発。ハラ班のゼロフォーはその二七秒後、燃料タンクより出火。全焼したとのことです』

「四台ともデコイだと? なら本命は?」

『順を追って説明します。先刻、ロシア領事館がマリヤ・マギナの一連の事件に対して全面的な協力を申し出ました』

 

 庇っていた二人から、そっと体を離した。

 息を大きく、吸い込んだ。

 

『マリヤは同国内からの逃亡に際し、ヤクーチア自治区軍が管理する武器庫から多数の小火器とその弾薬、加えて工兵用の可塑性(プラスチック)爆薬までもを無断で持ち出していたそうです。この事態はロシア対外情報庁(SVR)の制御下にないイレギュラーであり、そのためにロシアは自らの潔白を証明するべく、日本とアメリカの両国に経緯の一切を打ち明けたようですね』

 

 関係各所が対応に追われている影響で、こちらに入ってくる情報は微々たるものですが。アラキはそう付け足した。

 指先が冷えていく。

 

『彼女は盗み出した装備を行く先々の独立過激派に売り渡し、治安維持部隊との小競り合いを誘発。その混乱に乗じて新たに装備を鹵獲または窃取することで、次の管区への()()を確保すると同時に追手の目をくらませ、日本まで逃げおおせた』

 

 考えたのは、マリヤの、百合先輩のこと。

 彼女にもう逃げ場はない。日本、アメリカ、ロシア、そのすべてを敵に回してまでやりたいこととは、一体何なのか。

 俺にはわかってしまった。

 

『以上の情報と現在の状況を元にラジアータが再計算を終了。マリヤの推定現在地は千葉県浦安市、鉄鋼通りです』

「一番近いのはハラ班だな。二人に偵察させろ。手空きの部隊がいればバックアップに回すんだ」

『了解、手配します。加えて、上空にて待機中のハミングバードにブラックジャック・ワンおよびアルファ分隊の回収を要請しました。一度帰還し、救護班のバイタルチェックを受けてください。ハラ班にはフクシマ班と第一九特設任務部隊(ナインライヴズ)を充てます』

「いや、フクシマとコイズミは戦闘に向かない。私がこのままアルファ分隊と共に浦安へ向かい、マリヤを急襲するのが最も確実だ」

『……サイトウ君』

 

 アラキの声音が深く沈んだ。

 

「何でしょう、先輩」

『確かに彼女は止めなければならない。だが、必ずしも君が撃つ必要はない。そうだろう?』

「……」

『なぜ君は、自分から傷つこうとする』

 

 俺は答えに窮した。当たり前に過ぎて、かえってどう言えばいいのか分からなかった。

 強いて言うなら、苦しむため、だろうか。

 俺は数百の他人と二一の友人を殺した。

 人間、八〇年は生きるとして、誰かから奪った時間の総計は五万年を超える。

 それで俺は、一体何日の自由を買った? 自分が優れた殺しの道具であることをDAに示し、実験動物として消費されることから逃げるために、どれだけの罪を犯した? 

 でもその考えを通そうとすると、たきなやフキさんや、ほかのみんなにも罪がある、ということになる。それは嫌だ。認めたくない。

 

 殺しの免許証(ライセンス)は免罪符じゃない。

 放たれた弾丸(リコリス)に罪はない。

 

 自己矛盾が俺を苦しめる。

 きっとこれも罰だ。

 俺は罰を欲している。

 俺は苦しまなければならない。

 

『……すまない、知ったような口を利いた。忘れてくれ』

「いえ、いいんです」

 

 日差しを遮るものがあった。顔を上げれば、翼端の巨大なプロペラを真上に向けた機影が見えた。

 三車線の道路の中心にゆっくりと降りてくる黒塗りのティルトローター。頭上から吹き降ろすダウンウォッシュに髪を乱されながら、俺は着陸地点へ歩き出した。

 

「……いいんです」

 

 今なら風切り音を言い訳にして、黙っていられるから。

 

 

§

 

 

「立てこもった?」

 

 交差点から一五〇m先、右手。スコープ越しに見える港湾倉庫の大扉は固く閉ざされていた。手前にも奥にも同じような折板屋根の倉庫や工場の類が軒を連ねている。このあたり一帯は鉄鋼通りの名が示す通り、巨大な工業団地なんだ。

 

「はい。第一九特設任務部隊(ナインライヴズ)がドローンで全周を監視しているんですが、現在までどこにも逃げた形跡はなく、屋内から散発的に対空射撃が見られるばかりです」

 

 アサルトライフル──このM7A1も米軍からの払下げだろう──から頬を離すと、俺と同じ都市迷彩の装備一式を身に纏ったナカムラは手元の軍用スマートフォンから顔を上げた。

 

「内部の様子は未だ不明ですが……突入しますか?」

「フロントマンは私が。お前とハラはウィングマンとしてアルファ分隊をカバーしろ。元セカンド・リリベルのお手並み拝見だ」

「りょ、了解……プレッシャーだなぁ」

 

 物心ついた頃から訓練を受けているだけあって、口振りの割に全く気負った様子がないのは流石というべきか。

 ハラも大概だ。彼の古巣である六課は情報部の中でも比較的銃を撃つ機会の多い部署とはいえ、せいぜいが拳銃止まり。踏んだ場数だけなら最年少のサクラより少ないだろう。だというのに文句の一つも言わず、それどころか表情を変えることすらせず、淡々と所定のフォーメーションを組んで俺の命令を待っている。とんでもない胆力と順応性だ。

 徹底した実力主義。それが特命情報調査室の有り様だった。

 

「初めまして、ナカムラと言います。コールサインはブラックジャック・セブンです。一応元リリベルなので、経験だけはそれなりにあります」

「私はハラ、ブラックジャック・エイトだ。CQBの経験は少ない。極力カバーはするが、不測の事態が発生した際は彼かサイトウを頼った方が生存率は高いだろう」

「アルファ分隊隊長、アルファ・ワン、春川フキです。よろしくお願いします」

 

 この部隊がある限り、子供が無茶な作戦に使い捨てられることはまずない。

 俺も子供じゃないのか、って? 

 そうだよ。俺は子供じゃない。理論上、どんな目に遭っても必ず帰還できる俺は、上層部にとっては決して壊れない()()でしかない。

 補充しにくい孤児とは違う。だから丁寧に運用する道理もない、ってわけだ。もっとも、実質的な飼い主である楠木司令がどう考えているかまではわからないが。

 

「……先輩」

 

 胸のスリングで吊ったM7のグリップを握ろうとしたら、誰かに袖を引かれた。

 振り返った。サクラは俺の手を見つめたまま動こうとしない。それを咎めようとしたのか、フキさんは口を開きかけたけれど、俺が目配せをするとばつが悪そうに頭をかいただけで何も言わなかった。ナカムラもハラも、何かを察して見て見ぬふりをするだけだ。

 

「よしませんか、もう」

 

 かすれた声だった。彼女はティルトローターに乗ってからも泣き続けていた。ずっと機内で手を握り、背中をさすってやって、ようやく落ち着いたばかりだ。フキさんは精神的に不安定な状態にある彼女を戦闘に参加させることをよしとせず、撤退用の車両の回収を命じた。

 彼女とは一度、ここで別れなければならない。

 

第二一特設任務部隊(ブラックジャックス)は各地に散ってる。ハミングバードに回収を要請しても、犯行予想時刻にはもう間に合わない。あたしたちでやるしかない」

「先輩の頭に破片が食い込んだのを見たとき、死んじゃうんだと思いました。自分で引き抜いてましたけど、あたしの指より長かったっすよ、あれ」

「……そうだね。心配かけた。でも、もう大丈夫」

「どこ見てるか分かんないような顔で、息もしてなくて」

「あたしは死なないよ」

「嘘だ」

 

 腕を掴む手に力がこもった。大した腕力でもないのに、振り払える気がしなかった。あるいは、俺は心のどこかで自分をこの世に繋ぎとめてくれる(よすが)を求めていたのかもしれない。

 そう。いつだか、相棒に利口ぶって語ったように。

 

「さっきはただ異物が刺さっただけだった。じゃああの爆発がもっともっとでっかくて、爆風で体が全部バラバラに吹っ飛んでたらどうなってました? まさか新しく首が生えてくるなんて、そんな都合のいいこと、あるわけない」

 

 サクラは俺をすがるような目で睨む。

 

「あんたは死なないんじゃない。死ににくいだけだ」

 

 自分でもわかってるんでしょ。

 不死なんてもんがありえないことくらい。

 怒気と失望と、それからかすかな悲しみを滲ませて、彼女は俺に詰め寄った。どことなくフキさんの影響を感じて、場違いにも微笑ましく思った。

 彼女の言葉が届かなかったわけじゃない。

 彼女の叱責にはっとして、行いを改めるような気力はもう、俺には残っていなかったんだ。

 死のうが、死ぬまいが、俺は誰かの身代わりになり続ける。

 俺は燃え殻みたいなものだ。もはや新しい火も起こせない、ゆっくりと冷えていくだけの灰。

 熾にさえなれない余熱を使って、最期の最期にけじめをつけて、いなくなるつもりではいるけれど。

 俺は死なない。

 生きてもいない。

 死んでないだけ。

 だから、俺は、

 

「みんないつか死ぬ。あたしも、君も、誰だってそうだ」

「だったら!」

「サクラ」

 

 生きる気のある人間に、道を譲ることにしている。

 

「死んでほしくないんだ」

 

 腕にしがみつく彼女の手を取って、自分の指を絡めた。コンバットグローブのごわついた生地は熱を通さない。それでも、こちらの動きに合わせて柔軟に曲がる指の一本一本に彼女の命を感じる。

 これは、尊いもの。失わせてはいけないものだ。

 奪ってはいけないものだ。

 

「……やめてくださいよ。そんな、そんな言い分、ずるいでしょ」

 

 俺は彼女の表情を直視できない。

 

「うん。わがままだ」

「ふざけてる」

「ごめん」

「そんなこと言われたら、こっちが譲るしか、なくなっちゃうでしょ……」

「ごめんなさい。どうか、恨んで」

 

 サクラの方から自然に指がほどかれた。

 

「……死んだら恨みます」

 

 隊列を逸れて遠くへ駆けていく彼女の背中が十分に小さくなったことを見計らって、俺はライフルのセイフティを外した。

 感傷はもういらない。

 

突入(エントリー)

 

 被弾率の高い先頭は俺。その両翼をナカムラとハラが固め、フキさんを始めとするリコリス三名は後ろへ一列に。ちょうど矢のような陣形で建物へ近づいていく。

 俺達が使える出入り口は正面の大扉以外にない。倉庫の最奥は東京湾に直接面していて、船を横付けして貨物を直接やりとりできる構造になっている。逃げるなら奥へ。かかってくるならこっちへ。二つに一つだ。

 

「待て。中から何か聞こえる」

 

 大きな破片を食らったせいか、電子処理された低音には激しいノイズが混ざっていた。ヘッドセットを耳から外して首にかける。

 排気音だ。まだ暖機運転が済んでいないのか、少し湿ったようなニュアンスを含んでいるが、重機やトラックに使われる大排気量のディーゼルエンジンのものだということは明確にわかる。

 ぐずついた低音は次第に大きく、そして、徐々に近づいてきて、ついには金属同士を擦り合わせたような金切り音と、連続した硬質な打音が混じり始めた。

 

「っ、総員退避! 扉から離れろ、路地から身を隠せっ!」

 

 金属製の大扉が内側から叩き壊される。

 ひときわ大きくなる駆動音。

 眼前に現れるは、オリーブ色の巨大な車体と、アスファルトを蹂躙する強靭な履帯。極めつけは、第三者企業(サードパーティ)製の近代化改修キットによって、全周にセンサーが増設された平たい砲塔。

 設計、製造、旧ソ連。

 生産車の全てが退役して久しい骨董品。

 しかし、これがいかに古くとも、歩兵の携行火器など一顧だにしない装甲と、数km先の人間さえロックオン可能な火器管制装置(FCS)を備えた歩兵戦闘車であることに違いはない。

 

「……BMP-2」

 

 総重量一四トンの怪物が、俺にその主砲を向けた。




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