絶対に百合に挟まらない司令の懐刀系性癖山盛りTSヤニカス不死リコリス   作:千年 眠

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 口径三〇mm。かすめるだけで人間を粉砕して余りある巨大な機関砲が火を噴く。

 幸い照準は甘い。とはいえ、砲旋回が追いつく前に懐に潜り込まなければ、俺も、その後ろにいる仲間も終わりだ。

 

「こっちを見ろ!」

 

 全力で前へ駆け出しながらM7A1を片手で構え、手当たり次第に弾をばら撒く。狙っている暇はない。砲塔各所の光学センサーにでも当たれば御の字だ。

 横腹を見せるBMP-2がエンジンの回転を上げた。履帯が軋む。超信地旋回だ。車体が回れば当然、その上についた砲塔の射角も変わる。早い!

 主砲の付け根が断続して光る。けたたましい銃声。プレートキャリアが抉れる。

 同軸機銃か。歩兵には十分だが、俺を止めるには不足だ。

 跳躍。ライフルを乱射。車体に付いた小さなレンズが一つ砕けた。

 平たいフロント天板に膝をつく。向かって左はスリット状のグリル。エンジンを損傷させられないか。わずかな期待を込めて射撃を加えたが、駄目だ。高威力が売りのM1186A1(6.8×51mm)弾でさえ貫通には至らない。

 眼前の砲塔がまた爆ぜる。機銃掃射を横っ飛びにかわし、サイドスカートの縁に手をかけ、車体側面に張り付き、寸でのところで落下を避ける。わかってはいたが、やはり天板には居座れそうにないな。

 

「こちらブラックジャック・ワン! わが隊は現在歩兵戦闘車(IFV)と交戦中、撤退許可を!」

 

 ヘッドセットをかけ直す暇なんかない。通信音量をありったけ上げてそのまま叫ぶだけだ。

 

『了解、司令部へ撤退許可を申請。アルファ分隊と第一九特設任務部隊(ナインライヴズ)は現在作戦領域を離脱中。ブラックジャック・セブンおよびエイトを護衛に付けます』

「時間を稼げばいいんだな!」

 

 喋っている間に装甲車は走り出す。まずい、このままじゃ内陸に入られる。そうなれば虐殺だ。

 

『いえ、あなたは自分の身を守ってください』

「こいつを何とかしないと大勢死ぬ!」

『これは司令のご判断です。もはやこの作戦はDAの手に負えるものではありません。ゴウダ班を回収したハミングバードが現在そちらに向かっています。上空からの攻撃で攪乱している間に脱出を』

 

 言い返す余裕はなかった。無人の道路を暴走する装甲車は、横っ面に張り付いた俺を引きはがそうと滅茶苦茶な蛇行運転を始めた。それだけならまだ耐えられたが、進行方向に目を向ければ、路肩に停められたトラックが真正面に迫っている。これで邪魔なゴミを()()()()()()腹積もりらしい。

 腕一本で体を引き上げ、もう片手で胸のポーチからスタングレネードを取り出す。たかだか一瞬の閃光くらいで最新鋭の軍用ベトロニクスをごまかせるとは到底思えないが、まぁ気休めだ。

 天板装甲に乗った瞬間、安全ピンを抜き、レバーを外し、握り込んだまま起爆。爆音と爆炎。砲塔に向けた掌は大火傷。だが、機銃は撃たれずに済んだ。這うような姿勢で反対側まで転がり、またサイドスカートにぶら下がる。その数秒後、装甲車は放置されたトラックにボディの片側を擦り付けながら再加速した。

 あと少しでも回避が遅れていたらミンチになっていた。底冷えするような殺意を感じる。

 

「……あなたは」

 

 そんなに世界が憎いのか。

 許されないことなのに、どこか、共感してしまう自分がいる。

 

『サイトウ、まだ生きてるな!』

 

 この低い声はゴウダか。

 

「ああ!」

『いいかよく聞け、お前がしがみついてるそいつにはヨーロピアン・アーマメンツの無人砲塔化キットがインストールされてる。最少乗員数はAI管制オペレーターが一名。センサーで捕捉した標的への発砲の如何はそいつが判断する仕組みだ』

「センサーを破壊すればロックオンもできない?」

『そういうこった。到着まで五分だ。五分だけ踏ん張れ。そうしたら俺たちが制圧射で目を潰す。その隙に逃げろ、いいな!』

「わかった!」

 

 威勢良く答えはしたものの。

 

「……やっぱ無理かもな」

 

 今度は工場のシャッターに突っ込む気だ。避けようがない。かと言って車両から飛び降りようものなら、マリヤは俺をすぐさま轢き潰すだろう。

 履帯に巻き込まれれば戦闘不能は免れない。このまま食らう。

 体感速度は時速六〇kmくらいか。インパクトの衝撃の前には、歯を食いしばったところで気休めだ。

 シャッターを突き破る瞬間、装甲車は片側の履帯を停止してドリフト・アングルを作った。

 壁と、真横を向いた車体。その間に俺がいる。

 一瞬、意識が飛んだ。

 骨の折れる音が聞こえる。サイドスカートにかけていた指もまとめて駄目にされた。

 体が空中にあることが感覚でわかる。慣性には逆らえない。

 固く閉じていた目を開けた。

 薄緑の、恐ろしく背の高い箱が至近にある。上方にはメンテナンス用の足場らしき構造物。

 プレス機?

 気づいた時には、背中からそこへ叩きつけられていた。

 

「ぇ、は」

 

 肺が潰れる。肋骨が砕ける。肩が外れる。

 落下。

 

「が」

 

 断裂した神経から発せられるでたらめな電気信号が、ボロ切れ同然の身体を不規則に痙攣させる。逃げないと。わかっていても手足が動かない。

 

「あ、ぐ」

 

 巨大な工作機械同士の隙間に見えていた履帯と転輪が、ゆっくりと逆転を始める。

 装甲車が来る。殺される。急げ。急げ。

 急げ。

 

「は、はっ……」

 

 指も、腕も、まるで関節が増えたように捻じくれている。それでも、激痛をこらえてコンクリートの床を這う。

 とにかく奥へ。できる限りの速度で再生を続けて、籠城するんだ。時間さえ稼げれば助けが来る。それでいい。

 それで、俺は、この手で先輩を殺さずに済む。

 

「くひ」

 

 口端がひとりでに歪んだ。

 あの時、アラキと交わした言葉に嘘はない。

 百合先輩を殺す。その覚悟は、確かにあった。

 あったんだ。

 なのに、もっともらしい言い訳が見つかった途端、俺は安心してしまっている。自分の心の安息のために、何もかもを投げ出そうとしている。

 なんて腐り切った性根だ。

 俺は、俺は、

 僕は、

 

「助けて」

 

 最初は幻聴だと思った。

 

「誰か」

 

 幸い、俺の口から発せられたものではなかった。

 

「助けて……」

 

 今にも消え入りそうな、か細い女性の声が、どこからか聞こえてくる。

 装甲車は反応しない。駆動音から察するに、停車し、砲塔を左右に回して俺を探しているようだが、もしかして音を拾うことができないのか?

 レッグホルスターから拳銃を抜いた。アメリカ特殊作戦軍(USSOCOM)のお下がり、Mk.23 Mod.0。普段使っているグロック17に比べても一回りは大きい。

 右腕と両脚は辛うじて骨が繋がった。最悪、走って逃げられる。

 たった今身を隠している旋盤らしき機材に向けて、一発だけ撃ち込んだ。サプレッサーはない。銃声と共に、跳弾した弾が甲高い騒音を立てる。

 砲塔はこちらを見ない。

 いける。

 スタングレネードのピンを抜く。レバーはまだ握ったまま。

 マリヤは頭が切れる。反対側に投げようものなら、炸裂した位置から射角を逆算されるのが落ちだろう。

 だから、ここで起爆させる。

 転がしたグレネードを蹴り飛ばし、隣のレーザー加工機のブースまで滑らせる。数秒後、一度は俺の手を焼いた閃光が全方位に弾けた。

 たちまち野太い砲声が構内に響く。向かいに並んだ工作機械の数々を三〇mm機関砲が薙ぎ払っている。

 陽動には成功したが、正直、BMP-2の火力を侮っていた。あの主砲がぐるりと一周した頃にはきっと、工場内にまともな遮蔽物は残らない。

 だがゴウダの言を信じれば、たとえ全方位にセンサーがあっても、それらが収集した情報を最終的に発砲許可という形で処理するのは生身の人間だ。なら隙はきっとある。そして、今がその時だろう。

 鼓膜が破れそうなほどの大音響。何かの冗談のように大きな薬莢が、主砲の根本から絶え間なく吐き出されていく。

 資材置き場を駆け抜ける。パーティションで区切られた事務所らしき区画が最奥に見えた。道中の壁にかけられていた安全第一の標語はもう、装甲車に押しのけられ、玉突き事故の様相を呈したロボット溶接機の群れに押し潰されてどこにも見えない。

 体当たりでドアをこじ開ける。やはり歪んでいた。閉める際に近くのロッカーを引き倒してバリケード代わりにするか悩んだが、どうせこんな軟弱な仕切り、あんな化け物には時間稼ぎにもならない。やるだけ無駄ってものだ。

 

「誰かいるのか」

 

 社長席だろうか。壁際の大きなデスクの後ろから、若い女性が顔を覗かせた。

 やっぱり幻聴じゃなかった。幻であってくれたほうがよかった。逃げていてくれたほうが。

 

「ブラックジャック・ワンより司令部、民間人を一名発見」

「警察の方ですか? あの、避難しようとしたら祖父が倒れてしまって、救急車も来られないと……」

 

 ヘッドセットのマイクを口元に近づけながら、視線を合わせて頷いてみせた。

 

「訂正、二名発見、うち意識不明が一名。指示を乞う」

『私だ。状況を報告しろ』

 

 民間人への情報漏洩は許されない。イヤーカップの片方を耳に押し当て、声を潜めて言う。

 

「工場内、仕切りを隔てて距離一五の位置にBMP-2がいます。私を失探(ロスト)したようで、攻撃が止みました。今なら安全に退避できるかと」

『ランディングゾーンを変更する。所定のスキームに従い民間人を連れ出せ。だが、あくまでお前の回収が最優先だ。それを忘れるな』

「了解」

 

 デスクの裏に回ると、女性のすぐ傍に体格のいい男性が倒れていた。うちのゴウダを一回り縮めて二〇年ほど年を取らせたような(いかめ)しい老人だ。

 手首に触れても脈がない。自発呼吸もない。胸に耳を当てる。

 微細な振動。心室細動だ。いくら耳を澄ましたところで、俺にしか聞こえないだろう。

 

「一人じゃとても運べなくて……息もしてないんです!」

「残っているのはお二人だけですか?」

「え、ええ。他の従業員はみんな先に避難させたんです。祖父は工場長ですから、私と残って、手分けして戸締りを」

 

 心肺蘇生自体は可能だ。事務所にはAEDがある。

 だが、壁一枚隔てた先で装甲車が俺を探している。

 見つかれば、全員死ぬ。あれには、俺をすら殺しきる火力と質量がある。

 

「落ち着いて聞いてください」

 

 命を選ぶ。

 

「お祖父さんは、すでに亡くなられています」

 

 この人はまだ助けられる。

 

「……え?」

「非情とは思います。しかし、今はどうか一刻も早い避難をお願いします」

「で、でも、祖父を置いていけませんっ! 私、わたしっ」

「ここにいれば死にます!」

 

 混乱に流されるまま、人として当たり前の情に従って言い募ろうとする彼女を、俺はそれ以上に強い語気でねじ伏せた。

 

「今は逃げてください。私に、あなたを守らせてください」

 

 我ながら吐き気を催すような美辞麗句だったが、彼女はひとまず納得した様子を見せた。素直に首を縦に振ったのは砲撃音を聞いたせいでもあったんだろう。銃声すら知らない人間があれだけの轟音に曝されて平静を保てるわけがない。

 うなだれる彼女の手を引いて裏口を開ける。そうやって急かし、感傷にも罪悪感にも浸る時間を奪うことが、俺にできる最大限の慰めにして償いだった。

 戸口の目と鼻の先にはまた扉があった。建屋と建屋の隙間に見える幅一メートルほどの空は嫌味なほどに晴れ渡っていて、上空からの火力支援を受けるには絶好の条件といえる。言い換えれば、ハミングバードは屋内に隠れた装甲車に対して打つ手がないということ。

 ドアの先もまた事務所。まるで鏡合わせだ。

 マリヤはまだ来ない。それがかえって恐ろしい。

 

『ブラックジャック・スリーよりブラックジャック・ワンへ。ハミングバード、作戦空域到着まであと二分です。回収地点までは私が口頭にて誘導します』

「了解」

『今は生き残ることだけを考えましょう。いいですね』

「……」

 

 念を押されてしまった、か。アラキには敵わないな。

 でも、ごめん。やっぱりその言いつけは守れそうにない。

 

「迎えが来ています。急ぎましょう」

「はっ、はい!」

 

 聞こえるんだ。後ろから。ドロドロと濁った排気音が。

 

「アラキ」

『はい』

 

 工場中央の通路を小走りで駆け抜けながら言う。

 

「今から無線を救助対象に渡す。誘導を頼む」

『あなたの生存が第一と、今――』

「マリヤに気付かれた」

『……了解』

 

 聡い人だ。今の言葉だけで全てを察してくれた。

 歩調を緩めて振り返る。肩のポーチから取り出した無線機をヘッドセットと一緒くたに差し出す。

 

「これを」

「えっ?」

「オペレーターと繋がっています。聞こえてくる声に従えば、安全に避難できます」

「あなたは?」

「すみません。最後までご一緒したかったのですが、助けを必要としている方が他にもいます」

 

 履帯の動く音がする。彼女にも聞こえただろうか。

 

「走って。何があっても絶対に振り返らないで。さぁ!」

 

 肩を叩いて送り出した。彼女は困惑しながらも、しかし背後に迫るものの気配を感じてか、迷いのない足取りで出口へ向かっていく。

 見送る暇はない。ライフルを手放してスリングに預け、バックパックのホルスターからグレネードランチャーを抜く。

 セイフティを解除した。

 同時に巨大な破砕音。

 BMP-2が奥の壁を突き破って現れた。

 多目的榴弾(HEDP)の装甲貫通力は均質圧延鋼装甲(RHA)換算で五〇mm。比較的角度の立った砲塔を狙えば貫通も難しくないはず。

 もっとも、こんな小さい擲弾を貫通させたところで、奴がどうにかなるとは思えないけど。

 これしかないんだ。

 照準器を覗く。

 トリガーを引く――同時に、機銃が薙ぎ払う。胸の防弾プレートが軋み、両腕から鮮血が弾ける。向こうは砲塔の付け根が小さく爆ぜた。

 唐突に掃射が止まった。兵装を破壊したのか。しかし、喜びより先に湧いたのは疑問だった。

 この手の車両が装備する同軸機銃は狙撃銃並に精度が高いとされる。真正面で棒立ちしている俺を殺すのに、わざわざ辺り一面に弾をばらまく必要なんかない。会敵時のようにピンポイントで急所を撃ち抜けばいいはずだ。

 これじゃまるで、他にターゲットがいたかのような。

 主砲が動く。やっぱりグレネードランチャー一丁でこいつと戦うのは無茶だったか。

 背中を向けて逃げる。けれどもう諦めはついている。どう考えても、俺の足より砲弾のほうが早いだろう。

 最初に右腕が吹き飛んだ。

 間髪入れずに左腕。どちらも砕け散ってはいない。徹甲弾に食いちぎられた。

 二本の腕が錐揉みに宙を舞い、俺を追い越す。

 一拍あってから、血飛沫でできた大輪の花が咲いた。

 いたぶってくれる。

 転倒し、地べたに頭を擦り付けながら内心で吐き捨てた。

 間もなく大量の脳内麻薬に思考が痺れる。

 這う。腹の下のライフルが邪魔だ。

 這う。エンジン音が聞こえる。

 這う。轢き殺される。

 這って、這って、這って、血溜まりの中に落ちている右腕に噛み付く。掌はランチャーをまだ握っている。

 断端と断端を押し当てる。肉が絡み付く。

 早く繋がれ。

 ぼやけた低音がすぐ横を通った。

 顔を上げても視界は暗く。

 温い血に浸かっているのにひどく寒い。

 誰かに横腹を蹴られた気がする。

 

「一次止血が早い」

 

 頬を張り飛ばされた。飛びかけていた意識が戻るや、二の腕に重みを感じる。

 俺は今、仰向けに?

 そうか、多分、踏みつけられてるんだ。

 

「薬漬けの次世代歩兵だな。どこの所属だ。特戦群か? 海兵隊か?」

 

 じわり、じわりと、目の焦点が合う。

 

「答えろ。貴様らがこの程度で死なんのは知っている」

 

 変わらないな、百合先輩は。

 ああ、でも、少し痩せたかな。

 

「答えろ! 痛覚までマスキングしているわけではあるまい!」

 

 髪を掴まれ、頬には冷たいものが押し当てられた。ややあってナイフだと分かった。肉を削ぐつもりだ。殺すためじゃない。苦痛を与えるため。

 今まで何人の敵にこうして切っ先を突きつけてきたのだろう。けなすでも憐れむでもなく、平坦な心境でそう思った。

 

「覚えてますか、私のこと」

「質問をしているのはこっちだ」

日葵(ヒマリ)ですよ」

「その名を騙るな」

「そして、あなたは」

 

 ぷつり、と皮膚を破る音。

 

「栗原、百合だ」

 

 刃が止まった。

 

「もう七年になりますね、先輩」

 

 背、伸びたでしょう。そう呟くと、彼女は弾かれるように俺の右腕から足をどけた。

 たとえ強化された兵士でも、切断された四肢をその場で再接合することはできない。

 俺にしかできない。

 

「――あ」

 

 彼女は知っている。

 

「ああ、ああっ……!」

 

 かつて、彼女を車から庇った時。俺はバラバラになった手足をこうして繋げた。

 歩けなくなったアラキに次いで、俺が彼女の身代わりになったことは、きっとトラウマとして刻まれている。

 俺は先輩の罪悪感の象徴だ。

 

「そんな、すまないっ、ああ神様っ!」

 

 彼女は血の海から俺を抱き上げ、傍らに落ちる左腕を断端にあてがってくれた。何時かの再現のような構図に、俺は密かに歯を食いしばった。できるなら、彼女がこうして無用に傷つく前に殺したかった。自分が情けなかった。

 

「先輩」

 

 死体同然に冷たい俺を抱き締める百合先輩は、目尻に浮かぶ涙を拭うことも忘れて顔を覗き込んできた。

 肩口で切り揃えられた彼女の髪が頬に触れる。

 

「どうして、テロを」

 

 時折顔に落ちてくる雫は熱い。視界いっぱいに悲しげな先輩がいる。

 許されるなら頭でも頬でもいい。とにかく手で触れて、その痛みを、苦しみを、和らげたい。そうやって彼女に寄り添えるなら、俺にはもう何もいらなかった。

 けれど、それは許されないことだった。

 

「誰かがやらなければと、思ったから」

 

 その目を見ればわかる。暗い決意の滲む目だ。

 彼女は救いを求めていない。

 

「私達の命を食い潰して生きるこの国を、この構造を、壊さなければ」

 

 彼女は俺を求めていない。

 

「みんなを、守らなければ」

 

 俺は百合先輩を救えない。

 

「……そっか」

「なのに私は、また君をっ……」

「俺は平気です。ただ、あの人は」

 

 装甲車が停まる工場の出口に目をやる。彼女はそれで察したようで、俺の肩をより強く抱いた。

 やっぱり殺したんだ。理解するにつれ、鉛のように重苦しい何かが腹の底に落ちた。

 

「大勢を大勢の前で殺せば、DAは情報統制を維持できない」

 

 ひどく憔悴した声だった。思わず彼女の顔を見上げてしまうほどに、疲れ果て、擦り切れた、老婆のような独白だった。

 

「……それは」

「ああ、そうだね。許されないことだ」

 

 それなのに、俺を見るその目だけは、七年前と変わらない温かさを湛えていて。

 

「もう退けないんだ」

 

 気が狂いそうだった。

 

「定点防衛モードを解除。対空レーダー全周警戒、飛翔体の自動迎撃を許可」

 

 彼女の声に合わせて装甲車の主砲が持ち上がる。エンジンの回転も上がった。放っておけば、あれは人を際限なく殺すだろう。

 無神経になるべきだ。

 栗原百合、年齢二五歳、身長一六五cm、元セカンド・リコリス、かりんとうが好き、茄子が嫌い、ちょっぴり気弱で、けれど誰よりも優しくて、気分が沈むたび、幼い俺を膝の上に乗せて撫で回しては「充電」などとうそぶいた――そんなことを考えてはいけない。

 敵。

 その一文字で済ませるべきだ。余計な情報は切り捨て、思考を止め、岩よりも鈍感になれ。

 そうだ、サイトウ。

 敵を、殺せ。

 幸い両腕はもう動く。武器はどれも壊れていない。俺の筋力をもってすれば、いっそ素手でもいい。

 

「私は行く。一緒に来るか?」

「……俺は、百合先輩が好きです。本当の家族みたいに思ってます。だからもう、誰も殺してほしくないんです」

 

 俺は、あなたを止めなきゃいけない。

 彼女は静かに目を伏せた。

 

「君は、」

 

 その時のことだった。

 音速を超えた巨大な何かが、BMP-2の天板装甲を貫通したのは。

 瞬きを一度した。

 体はもう、空中にあった。爆風だ。とはいえ人が消し飛ぶ威力じゃない。何度か床を転がる程度で済んだ。

 何が起きたのかまるでわからない。今のはミサイルか? だとしたら自衛隊だ。DAにそんな装備はない。

 ライフルを構えて飛び起きる。先輩はすぐに見つかった。彼女も爆風に揉まれたらしく、俺にほど近いところで倒れている。

 工場の入口を塞ぐ装甲車は燃えていた。弾薬庫をやられたのだろうか。砲塔のハッチから噴出する火柱はさながら逆しまの滝のような勢いで穴の空いた天井を叩き、鉄骨造りの柱と梁を焼き溶かしていく。

 舌に硝煙の味を感じるほどの、濃密な火炎の渦の中。トタン屋根を貼り付けたままの鉄筋が、ゆっくりと、ゆっくりと、自重に耐えかね、降ってくる。

 真下にいる百合先輩の胸は、今なお浅い呼吸に合わせて上下している。引き伸ばされた体感時間の中で、それがいやにはっきりとわかった。

 その瞬間、脚が勝手に、一歩踏み出して。

 走っていた。

 殺さなければならない相手を、死力を尽くして守る矛盾。もう絶対に助からない敵の命を、一秒でも引き延ばそうとする二律背反。

 馬鹿げていた。

 俺はそういう馬鹿だった。

 

『初めまして、栗原百合です。一緒にいられるのは一年だけだけど……その分、たくさん遊びましょう?』

 

 銃を手放す。

 

『大丈夫、大丈夫。撃てなくてもいいの。無理しないでいいの。殺せない方が、本当はずっといいんだから』

 

 鋭い鉄柱が頭上に迫る。

 

『奴らは? えっ、あなたが全部? そっか。誰かを守るためなら、あなたは……』 

 

 間に合わない?

 

『隊長はすごいんだ。頭がいいだけじゃなくてさ、射撃も格闘も信じられないくらい上手で、敵う人なんかいなかった……ごめん、ヒマリ。やっぱりもう少しだけ、このままでいさせて』

 

 先輩の元へ、

 

『ごめんなさい。すぐ、落ち着くから』

 

 飛び込んで――

 

『今だけは、許して』

 

 ――彼女共々、腰から下を磨り潰されて。

 それでも、この胸を突き破って彼女を貫こうとした一本だけは、寸でのところで食い止めた。

 両腕が砕ける。裂ける。ひしゃげる。癒える。コンバットシャツの袖の下では絶えず肉が蠢いて、規格外の負荷に拮抗しようとしている。暗灰色の都市迷彩が、内側から染み出た暗い赤に染め上げられていく。  

 一トンを優に超える荷重に、人間の体が耐えられるはずがない。突っ張っていた腕は少しずつ、少しずつ、関節からも、そうでないところからも座屈してゆき。

 血濡れの歪んだ切っ先が、彼女の胸元に触れた。

 俺の中で、何かが弾けた。

 歯を食いしばる。喉を潰さんばかりに唸る。背を反らし、肘を突っ張り、唯一感覚が残る胸から上の全てを使って抗う。どこにそんな力が残っていたのか、自分でも不思議だった。

 彼女は死ぬ。下半身全てを失って生きていられる人間はいない。

 それでも、少しでも苦痛のない死を。

 穏やかな、死を。

 そう願うのは、悪いことだろうか。

 

「かおり」

 

 場違いに甘い声が聞こえた。倒れた彼女から発されたものだと理解するのに、少し時間がかかった。

 

「そこにいるの?」

 

 頬に触れられた。はっとして、目線だけで彼女を見た。

 もはや何も映さない、茫洋とした瞳を。

 

「いるのよね」

 

 潰れた片肺に残されたほんの僅かな空気を使って、辛うじて、ここにいる、と返した。そう答えなければならないような、そんな気がした。

 

「きて」

 

 彼女の震える両手が探るように俺の煤けた頬を撫ぜ、こわばった首を包み込み、軋む鎖骨をなぞり、やがて砕けた肩を抱く。何度も何度も愛おしげに、荒木(アラキ)の名を呼びながら。

 彼女の目に俺は映らない。

 俺の潰れた掌を温かいものが濡らす。

 彼女の頭から滲む赤が。

 頭蓋の中に収まっていたはずの柔らかな組織が。

 ()()()()()、溢れている。

 

「き、て」

 

 両腕はもう保たない。骨も、肉も、元の形に戻ろうとしてはその端から壊れていく。少しずつ、少しずつ、重みに屈して、彼女の顔が近づいてくる。

 不可抗力だった。しかし、俺はそれを拒んでもいなかった。それが彼女の望みなら、応えなければならないと思った。

 背中に腕が回された。俺の胸を突き破った鉄骨はもう、いつ彼女を貫いてもおかしくない。

 抱き締められる。抱き寄せられる。

 俺は動けない。

 彼女の上体が、わずかに浮く。

 額と額が触れる。

 

「かおり」

 

 七年の月日は、百合先輩を大人に変えた。

 そしてまた、彼女は少女に還る。

 

「だいすきよ」

 

 唇が血に湿る。

 鉄の味がする。

 彼女の味がする。

 死の味がする。

 俺はこの感触を知っている。

 

「だいすき」

 

 幼子のようにあどけない、柔らかな微笑。

 炎に照らされ、ほの赤く染め上げられた頬。

 大きな瞳。

 俺を見ない瞳。

 瞼が微睡むように下りる。

 彼女の肢体が離れ。

 俺の両腕が破断する。

 ぞぶり、とおぞましい音が胸の下で鳴った。

 百合先輩はもう、何も言わない。

 もう、動かない。

 折り重なった体は、俺のほうが大きかった。あんなに高く見えた背を、いつの間に追い越したのだろう。

 首を傾げて、横髪に口づけをした。鼻腔を刺す血と硝煙の臭いの奥に、懐かしい匂いがした。

 辺りを覆う炎は、いよいよ激しさを増していく。

 

「さよなら。百合お姉ちゃん」

 

 全部燃えてしまうがいい。

 

 

§

 

 

 心電図モニターの電子音で目が覚めた。

 口の中がひどく渇いている。手足は一応、全部揃っているらしい。間仕切りのカーテンがかかっていてベッドの外の様子はわからないが、窓側が薄ぼんやりと明るいのを見るに、少なくとも昼間なんだろう。

 医療棟、だよな。ここ。人のお見舞いに来たことはあっても自分が世話になったことはないから、なんだか奇妙な気分だ。

 嘘。

 最悪の気分だ。胃袋が空じゃなかったら、多分吐いてた。そうじゃなくても手の震えが止まらないし、希死念慮も下手すると今までで一番きつい。今だけはちょっと、普段みたいにヘラヘラできそうにない。

 何より、あれだけ慕っていた百合先輩が死んだのに、さっさと現実を受け入れて円滑に思考を巡らせている自分の心理が不気味で仕方がない。

 千束とミズキさんを殺しかけた時はあんなに泣いたのに、なぜ今は泣けないんだろう。

 俺、あの時はどうやって泣いたんだっけ。

 どうやったら、泣けるんだっけ。

 

「……参ったな」

 

 俺もいよいよか、なんて独りごちながらナースコールに手を伸ばす。伸ばして、気付いた。肩から指先まで包帯だらけだ。地肌が全く見えない。そんなにまずい壊れ方をしたのか。

 意識が戻ったことを伝えると、また暇になった。作戦の事後処理がどうなったか知りたい気持ちは山々だが、まさかワンピースタイプの病衣一枚でそこらをほっつき歩くわけにもいかない。

 おのずと興味は自分の身体へ向いた。

 横向きに寝たまま腕を曲げ伸ばし、拳を作っては開き。それでも別に痛みがあるわけではない。じゃあなぜ?

 包帯の終端を見つけて引っ張る。ほどきはしない。中を覗ける程度に……うわっ。

 外傷としてはもう残っていないが、今まで散々負傷してきた俺でもちょっと引く程度にはグロテスクなケロイド状の傷痕が、こう、びっしりと……常人が見たら失神するんじゃないか。

 なるほど。この包帯は傷隠しってわけだ。

 見るんじゃなかった。

 

「調子はどうだ?」

 

 太い低声が聞こえたかと思うと、カーテンの向こうで黒い影が動いた。二メートル近い大きさで、まるで樫の巨木みたいな存在感があった。

 誰だっけ。何秒か考え込んだ。

 あっ、そうだ。

 

「……ゴウダ」

「おう、司令の代理でな。本当はアラキが来たがってたんだが、今は手が離せないってんで、一番暇な俺にお鉢が回ってきたのよ」

 

 見知った相手なのにわからなかった。なぜ?

 

「あれからどのくらい経ったの?」

「丸二日だ。マリヤ・マギナは死亡、BMP-2の残骸は政府が回収。作戦に参加したアルファ分隊、第一九特設任務部隊(ナインライヴズ)第二一特設任務部隊(ブラックジャックス)のいずれにも負傷者はいない。お前を除いてな」

「民間人二名が死亡」

「お前の責任じゃあねぇ」

「何も言ってない」

 

 影が身じろぎをした。俺には肩をすくめたように見えた。今のは流石に言い方が悪かったな、なんて遅まきながら後悔した。

 

「政府はBMP-2の密輸に気づいていた。だがDAがマリヤの逮捕要請を蹴ったことを理由に情報共有を渋った、ってのが特調の分析だ」

「じゃあ、あのミサイルはやっぱり」

「空自の無人戦闘機(UCAV)が発射したステルスミサイルだな。随分前から、有人機と一緒に訓練の名目で辺りを飛び回ってたらしい」

「東京湾上空に機影はなかったよね」

「なんせカタログ射程一二〇〇kmの巡航ミサイルだからな。高空から超音速巡航(スーパークルーズ)で飛んで来られちゃあ、ハミングバードのレーダーじゃノイズさえ掴めねぇ」

 

 カーテンの隙間からタブレット端末を持った太い前腕が差し入れられた。それ以上ゴウダの体は入って来ない。どうやら俺を年頃の娘とみて気を遣っているらしい。資料が映されたそれを受け取ると彼はすぐさま腕を引っ込め、また喋りだした。

 

「マリヤの動機や背後関係については調査中、正統西ロシアも協力的だ。ヤクート=シベリア社会主義共和国――ヤクーチア自治区の方は相変わらず鉄のカーテンを引いてるがな」

「少なくとも歩兵戦闘車(IFV)がそう簡単に手に入るものじゃないってことは、なんとなく想像つくよ」

「俺はロシア分裂のゴタゴタで大量に流出した兵器のうちの一台と見てる。近代化改修したBMP-2はヨーロッパのPMCがよく使うからな、どこかから買い取ったか、あるいは廃車を共食い整備したか、どちらにせよ兵器を日本に持ち込むなんざ、よほどの支援者(パトロン)がついてなきゃできねぇ芸当だ」

「なるほどきな臭い。それで、司令は私に何をしろって?」

「次のファイルを開いてみろ」

 

 切り替えた画面には脳の3Dモデルが二つ映っている。一方は正常な脳で、もう一方は右脳の表面、大脳皮質の一部が抉れていた。

 

「破片を除去した後、欠損部が再生したそうだ。司令が言うには、神経細胞が置換された影響で記憶障害が起きている可能性が高いらしい。調子が戻るまでしばらく休めとよ」

 

 えらく曖昧な指示だ。司令らしくない。眉をひそめずにはいられなかった。

 

「調子が戻るまでって……いつまでに調整してくればいい?」

「特に指定はねぇ」

「えっ?」

「楠木の奴、あれでなかなか気にかけてんのさ。不器用なりにな」

 

 ゴウダは喉の奥で愉快げに笑いながら言った。単なる上司と部下の関係からはどうやっても出てこない類の気安い声音だった。

 

「すぐに帰ってこいとは言わねぇ。お前もたまには子供らしく遊んでこい」

 

 ゴウダの大きな手が横合いからタブレットを取り上げようと伸びてきて、

 

「子供を使うのがDAの仕事じゃないの」

 

 呟くと同時に手が止まる。

 

「てめぇのケツはてめぇで拭く。それが大人ってモンだ」

 

 当たり前のように彼は言った。いつからそれは当たり前じゃなくなったんだろう。

 ゴウダは端末を小脇に抱え、じゃあな、と簡潔に別れの言葉を述べて病室を去った。

 

「子供、ね」

 

 一六歳。普通なら中学三年か、高校一年生。

 俺は特命情報調査室長、二等陸尉相当官、時々リコリス。

 こんなのが今更、子供をやれるんだろうか。

 望んでいたはずなのにそう思った。

 枕に頭を預けて目を閉じる。

 姉さんの死に顔が脳裏にちらついた。

 子供みたいな寝顔だった。




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