絶対に百合に挟まらない司令の懐刀系性癖山盛りTSヤニカス不死リコリス   作:千年 眠

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5+

「遊びに来たわーっ!」

 

 アポなしだった。ていうか、セーフハウスを教えた覚えからしてなかった。

 

「……いらっしゃい」

 

 まあ、嬉しいサプライズだったよ。

 とっても。

 

 

#5+:A Perfect Day for Bananafish

 

 

 ミズキさんはビニール袋いっぱいの食材と一緒にやってきた。道すがら近所のスーパーで買ってきたようで、焼き立てのバゲットはまだ香ばしい匂いがしたし、牛もも肉のパッケージには見慣れたデザインの三割引きシールが貼ってあった。

 それに家の冷蔵庫に入っていた申し訳程度の買い置きと残り物を加えて、

 

「乾杯!」

「乾杯」

 

 二人で作ったのがこのビーフシチューとボウルいっぱいのサラダだ。シチューは多分、マグナムボトルの赤ワインを罪悪感なく買うための大義名分だろう。牛肉を煮るのに四分の一ほど贅沢に使ってもまだ一リットル以上残っている。これを全部飲み干すとなると、なかなか長い夜になりそうだ。

 それに、今日のミズキさんは様子がおかしい。いつもより口数が多くてよく笑う。良いことのように聞こえるけれど、俺にはなんだか無理に元気を絞り出そうとしているように見える。こういう日はどうしても酒の量が増える。

 詳しいことを聞く気はない。彼女もきっと望んでいない。ただ、潰れてしまう前に家まで送ろう、と思った。

 

「土井さんっているじゃない、いっつもブレンドコーヒーだけ頼む人」

「ああ、千束とたきなが何かと世話焼いてたよね」

「そーそー。それでね……例によって千束が()()()()わ」

「えっ、恋愛脳が?」

「炸裂よ!」

「なんで!?」

「そう、事の発端は二週間前!」

 

 彼女はよく喋った。俺は聞き役だ。あまり自分から話したい気分じゃなかったから丁度良かった。ミズキさんの声は柔らかくて耳心地がいいから、なおさらだった。

 

「――で、結局、土井さんとたきなの恋模様とかいうのは全部勘違い。千束が店のど真ん中で土下座かまして一件落着!」

「が、学習しねー……」

「……玄関事件が効いてんのかしら」

「千束が初心すぎるだけでしょ……」

「そういうあんたは」

「ノーコメントで」

「早いわ! 駆け引きさせろや!」

「少なくとも千束やらたきなやらよりは、」

「なにぃーっ!?」

「そんなに気になる?」

「たりめーよ」

「どこまで」

「んー、言いたくないトコと生々しいトコはカットで」

 

 手で作ったハサミをチョキチョキやってみせるミズキさんを尻目に、生々しくない恋愛なんてあるわけ? なんて思いつつワイングラスを傾けて唇を湿す。それから一旦テーブルの上に視線を落とし、空になったシチュー皿を眺めて言葉を探した。向かいの彼女は俺のそんな様子がよっぽど面白いみたいで、オペラ歌手みたいな芝居がかった裏声で高笑いした。

 

「付き合うまでは行ったことないよ。普通の人とは生活リズムが全然違うし、かといってリコリスの子はちょっと、そういう目では見られないし」

「あら、しっかりしてんのね」 

「しっかりは……多分、してないかな」

「ほほーう? その辺詳しく教えてもらおっかしらっ!」

「生々しいトコはカットじゃなかった?」

「やっぱそっちはいいわ! 観念して酒の肴になりなさいっ!」

「なりふり構わなくなってきたね?」

 

 いや、俺はミズキさんが喜ぶならそれでいいけどさ。

 これ言っていいやつ……だよな? 倫理的にまずいかな。ま、いっか。そんなこと言い出したらキリないもん。

 

「三年くらい前かな。女の人の家に何ヶ月か通ってた」

 

 その瞬間、ミズキさんは激しく咳き込んだ。ちょうどワインに口を付けたタイミングだった。

 

「想像の百倍ナマっぽいな!?」

「だから言ったの。やめる?」

「続けて!」

「きっかけは覚えてないけど……うん、最後は覚えてる。お互いのためにならないってことで縁を切って、それっきり」

「三年前でしょ? アンタ一三歳でしょ? 事案じゃん!」

「一七歳ってウソ付いてた。どっちみち犯罪だけど、気持ちね」

「通んのかよ! いや通るわな、そのお耽美な顔面じゃあな!」

「そりゃ、ただの半同居じゃなかったけど、かといってお互い付き合ってるとは思ってなくて、待って、お耽美って何……?」

「あー違う違う、セクスィーお耽美イケメンフェイス」

「ミズキさん大分酔ってるでしょ」

「まだ四杯しか飲んでないわよぉ!」

「三〇分でそりゃ酔うわ」

「いやー、でもなんちゅーか、納得だわ。アンタの貫禄はそっからってワケねぇ」

「逆にそれくらいしかないよ。好きだったのかわからないし。好かれてた実感もそこまでないし。褒められた関係じゃなかった」

 

 バゲットの最後の一欠片を口に放り込んだ。味は感じない。舌に薄い膜でも張っているみたいに。ここ数日は何を食べてもそうだ。多分、ミズキさんにはバレてないはずだけど、どうかな。隠し通せるかな。

 

「そっかぁ」

 

 ミズキさんは一転して静かになった。とはいえ重い空気は感じない。ただ、グラスの中の液体を回しては、気まぐれに口に運ぶだけ。視線は低く、卓上に。

 今の話に考えるところがあったんだろうか。いや、何にせよ、詮索する気はない。彼女から言い出さない限りは。

 俺はボトルを取って、注ぎ口を彼女に向けた。

 視線が合う。いいのか、と問われているような気がした。飲み過ぎを控えるように口酸っぱく言っているのは、いつも俺だったから。

 頷くと、彼女はくすりと微笑んでグラスを差し出した。

 

「何か作るよ」

「ありがと」

 

 サラダに使ったクリームチーズの余りでカナッペを作ることに対する礼にしては、やけに深い情感が伴っていた。俺は何も言わずにキッチンへ引っ込んだ。

 

「J・D・サリンジャー」

 

 そのつぶやきが聞こえたのは、ちょうど最後のクラッカーにジャムを乗せた頃だった。

 

「意外……って言ったら失礼か」

「知り合いからもらったんだ」

 

 ミズキさんはダイニングを離れて、テレビの前のソファにいた。ローテーブルの上に無造作に置いてある文庫本は、彼女の言う通り、サリンジャーのナイン・ストーリーズだ。この間、燃える別荘から救助したリリベルの一人がくれた。あの眼鏡の子は何て名前だったっけ。まあ、とにかく、その本好きで引っ込み思案な彼が考えてくれた精一杯の感謝の品がそれだった。

 

「まだ読んでない。英語版だし」

「邦訳でもサリンジャーはよくわかんないわよ」

「そうなの?」

 

 皿をテーブルに置くと、ミズキさんはそこからカナッペを一つ取って、なぜか俺に食べさせた。グラスのワインはまた少し減っている。彼女の不可解な行動は、いよいよ出来上がってきたのでぼちぼち寝落ちします、って意味だ。

 その時はベッドを譲って、ソファに寝ればいいか。どうせ今日も眠れないと思うけど。

 

「んー……小さい頃ナイン・ストーリーズで挫折したからそう思うだけかも。今更読む気にもなんないけど」

「子供向けじゃないもんね、明らかに」

「図書室にある中で読んでなかったのがこの辺のしかなくて、やむにやまれずよ」

「読書家だ」

「ううん、それしかすることなかったの。落第したのよ、リコリス」

 

 彼女は気まぐれに表紙を撫でながら、何でもないように言った。

 知らなかった。

 

「ならないほうがいい」

 

 俺も彼女の口調を真似て、何でもないように返した。

 湿っぽくなる必要はない。下手に同情する必要もない。

 何もいらない。

 

「……ふ、ふふ」

 

 ミズキさんは笑みをこらえながらグラスを置いて。

 唐突に抱き着いてきた。

 

「んふふふふ」

「どうしたの、急に」

「くっくっくっくっくっ……あっはははは!」

 

 しゃくりあげるような笑い方だったから一瞬ぎょっとしたけれど、本当にただツボに入っただけらしい。

 意味が分からない。釈然としないままもみくちゃにされた。

 撫で繰り回されながら壁の時計を見る。二一時だ。

 早いけど、この様子じゃそろそろ帰した方がいい。

 

「ねえ」

 

 俺より、ほんの少しだけ早くミズキさんが口を開いた。

 手がいつの間にか止まっていた。

 頬に触れる髪がこそばゆい。

 密着した体から次第に熱が伝わってくる。

 

「まだいていい?」

 

 

§

 

 

 眠るとき、いつも右手に握っていた銃を、今日は枕の下に隠した。たった六発装填のリボルバーでもいざ体から離すと心細くて、警報装置の作動を何度も確かめた。

 サイドテーブルに捨て置かれた仕事用のスマートフォンはこのところずっと黙り込んでいる。代わりに、背中側から深い呼吸音。二人となるとシングルベッドは手狭で寝にくい。けれど瞼は確かに重くなっていく。不快じゃない。

 むしろ、いや。

 よそう。

 

「もう寝た?」

 

 無声音で囁くと、衣擦れが聞こえた。薄手のブランケットが彼女の寝返りに巻き込まれる。

 暗闇は静かで、何もない。

 ここでは自分を繕う必要がない。

 

「僕は」

 

 その一人称はこの上なく自分に馴染んだ。

 

「僕は男で、女の人を好きになって、その上、身体の性が同じでも、ミズキさんよりずっと力が強いんだよ」

 

 だから、ねえ。

 

「もっと僕を恐れて」

 

 肩に触れるものがあった。細い手指だった。

 次に背中に体温を感じた。

 うなじに息がかかる。

 後ろから回された手が、おずおずと、僕のパジャマのボタンに触れ、

 

「やめて」

 

 僕はその手を掴んで止めた。やはりかすかに震えていた。

 見逃すはずがない。

 

「そんなことをさせたくて、泊めたんじゃない」

「……ごめんなさい」

 

 消え入りそうな声だった。

 

「ミズキさんは何も悪くない」

「私、あなたに甘えてた」

「もっと頼ってほしい」

「いい年して泣きつきに来たのよ」

「僕だって泣いた」

 

 向き直ると、彼女は急に押し黙った。眼鏡をかけていない顔を見るのはこれで二度目だ。

 

「救われた」

 

 目尻の赤みはきっとアルコールのせい。そう、自分に言い聞かせた。

 

「だから」

 

 今度は、僕が。

 華奢な体を抱き、めくれたブランケットをかけなおす。

 いつか彼女がしてくれたように、背中を優しくさすり続ける。

 

「大丈夫」

 

 腕の中の体から、少しずつ力が抜けていく。

 

「大丈夫」

 

 こつ、と頭が胸に触れた。

 彼女が息を吸った。

 僕が息を吐いた。

 彼女が吸った。

 僕が吐いた。

 吸った。

 吐いた。

 吸った。

 吐いた。

 深く、深く、沈んでいった。

 二人で、一緒に、どこまでも。

 落ちていく。

 

「まだ眠い?」

 

 底に触れた。

 

「リビングにいるから」

 

 温かい。

 

「休んでて」

 

 いい匂い。

 

「……ん」

 

 光を感じた。ふわふわと、ゆるり、ゆるりと浮上する。

 目を開けた。カーテンの隙間から日が差している。

 

「んぅ」

 

 また寝入ってしまおうか。

 自然と瞼が降りてくる。

 豆を挽く音が聞こえた。そういえば、コスタリカのジャガーハニーがまだあった。あれ、おいしいんだ。甘酸っぱい余韻が。記憶が脳裏に蘇って、急に目が冴えてきた。

 といっても、足取りはまだまだ危うい。

 

「ごめん、起こしちゃった?」

 

 ふる、と一往復だけ首を横に振った。大きなあくびも出た。

 

「コーヒー、飲むでしょ」

 

 こくり、と頷く。絶対に寝過ぎた。

 頭からソファに墜落した。まだ夢うつつ。

 ローテーブルの上のナイン・ストーリーズにはしおりが挟まっている。その隣に湯気の立つカップが二つ置かれた。

 もぞもぞと体を丸めてミズキさんの席を作る。

 

「ちょっとなにそれ、猫みたい」

「……にゃに」

「えっ!? 待って!? なに!? もっかい!!」

「……なに?」

「奇跡の産物かよチックショー……!」

 

 よくわからない種類の悲鳴で脳を揺らされて、ようやく思考のモヤが晴れてきた。とりあえず、むくりと起きてコーヒーを一口。

 熱い。かすかに苦い。柑橘系の酸味のあとに、豆本来のほのかな甘み。とろみさえ感じるコク。

 驚いた。味がする。

 

「朝ごはん」

「お腹すいた?」

「作らなきゃ」

「私、やる」

「悪いよ」

「昨日のお礼ってことにしといて」

「……ありがとう」

 

 本当に感謝すべきは僕だ。そうは思ったけれど、あんまりにも眠くて動けなかった。ポンコツだ。今ならサード・リコリスにだって負ける気がする。

 何とはなしに、卓上の本を手に取ってページを気まぐれにめくった。真ん中あたりに挟まったしおりはそのままにしておく。

 題名は、A Perfect Day for Bananafish(バナナフィッシュにうってつけの日)。表紙と違う。不思議に思って目次をよくよく見たら短編集だった。ナイン・ストーリーズってそういうことか。

 

「どういう話?」

 

 言ってから、自分で読めよと内心で突っ込んだ。

 

「戦争帰りの男の話。バナナフィッシュを探しに行こうって言って子供と海に入るんだけど、多分なんかのメタファーね。そいつの頭の中にだけいる存在しない魚」

 

 ミズキさんは一度言葉を切り、コーヒーを一口飲んだ。カップを持つ手は半分が袖に隠れている。彼女に僕のパジャマは大きすぎた。

 

「子供はそういうごっこ遊びだと思ったんでしょうね。バナナフィッシュを見た、っていうの。男が考えてる小難しいことを、その子は知らないから」

「小難しいこと?」

「そ。戦争でどうにかなっちゃった男がドロドロドロドロ、溜め込んできた悩みっていうか、絶望っていうか」

「敵と殺し合って、この世の醜さを知ったのかも」

 

 これは僕の実体験。だけど不思議なことに、推測の体で吐き出しても苦しくはなかった。今までの殺しも、百合先輩の死も、すべて現実として認知できる。しかし、絞め殺すような重圧だけがない。

 

「ああ、そっか。シーモアはそれをバナナフィッシュって呼んだのかしら。じゃあシーモアの文身(いれずみ)は戦争で負った傷の跡……だから体を見られたくなかった? 罪を暴かれることと同じだから? シーモア・グラース。Seymour Glass。もっと鏡を見ろ(See more glass)。シーモアこそが、バナナフィッシュ。罪のメタファー。罪悪感から抜け出せなかったから……」

 

 本を閉じると、ミズキさんは弾かれたように顔を上げた。無自覚に没頭していたみたいだ。

 

「いけない、悪い癖だわ」

「悪いの?」

「小難しいことを考えて人生を小難しくするのはやめにしたの。今はバナナフィッシュを捕まえに海に潜ったり、ストーブの爆発事故で恋人を死なせたりするより、アマゾンで買い物してドミノ・ピザをデリバリーする方が好き」

「ハラペーニョ・ピザを認証で受け取って?」

「脂っぽいビッグマックが食べきれなくて」

「ゴミ箱に捨てる」

「いいえ、あんたに押し付ける」

「わー嬉し」

「スターバックスの永遠とドミノ・ピザの普遍性は二一世紀の神よ」

 

 それを言った男がいる世界は虐殺の文法がばらまかれて大変なことになったんだけど。そう切り返そうとしたけど、言葉尻を鼻で笑って吹き飛ばした辺り、ミズキさんは自覚的なようだったから黙っておいた。伊藤計劃の虐殺器官は映画版を一度見たっきり。寮の図書室で原作の小説を読み込んだだろう彼女に比べたら、僕の知識や解釈なんて大したことない。

 

「顔、洗っといで」

 

 ミズキさんは席を立つと、僕の頭を一撫でしてからキッチンの方へ歩いていった。

 僕もリビングを出た。洗面台の鏡を覗き込む。

 メンズパジャマを着た長身の少女が立っている。

 体に傷跡はない。文身もない。

 ぬるい水で顔を洗い、真新しいタオルで拭う。

 もう一度鏡を見る(See more glass)

 黒い目。瞳孔は海底(うなぞこ)の暗い穴に似ている。

 そこにバナナフィッシュはいなかった。

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