絶対に百合に挟まらない司令の懐刀系性癖山盛りTSヤニカス不死リコリス   作:千年 眠

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5++

「サイトウ」

 

 喉の奥が熱い。咳き込むと、嫌な酸味が込み上げた。

 

「起きられそうか?」

 

 目を開けた。湿ったカーペットからは頬を濡らす液体と同じ悪臭がする。どうやら気を失っている間に吐いたらしい。

 

「どれくらい寝てた」

「五分も経ってない。薬が効いてよかった」

 

 体を起こすや否や、清潔な濡れ布巾で口元を拭われた。すぐそばにはキャップを外されたペン型の注射器が転がっている。そこから少し目線を上げれば、まるで生活感のない小さなワンルームの全容が見えた。

 少しずつ、状況を思い出してきた。

 

「ここは、タチバナさんの」

「ああ。セーフハウスだ。何があったか覚えてるか?」

 

 差し出された手を取って立ち上がると、視界がふっと暗くなった。もう一度倒れる前に、彼が肩を支えてくれた。

 一歩一歩踏み出すごとに、頭に鈍痛が走り、吐き気の波が襲う。連れられるままにキッチンのシンクで口をゆすぎ、顔を洗ったところでまたえずいた。もう胃酸すら出てこない。

 

「……なんで倒れた?」

 

 腐りかけのゾンビみたいな声が出た。

 背中をさする大きな手が一瞬だけ止まった。

 

「一種のアナフィラキシー・ショックだ」

「心当たりがない」

「おそらく、体が脳を異物と認識しているんだ。破片をもらったのがまずかったのかもしれん」

「なんで脳の損傷に関係が……じゃなくて。そもそもそんなこと、ありえるわけ?」

「興味本位では、聞いてほしくない」

 

 分かっている。彼は別に、俺の覚悟を甘く見ているわけじゃない。けれど、それでも、腫れ物に触れるような気遣いはごめんだった。

 蛇口のレバーを叩き上げる。

 

「自分が誰かもわからないまま、死んでたまるか」

 

 

#5++:Lotus

 

 

 初めてこの家のベッドを使った。ここは情報交換と緊急避難のために設けられた拠点であって、長居するためのものではないから、当然といえば当然だった。

 タチバナさん個人の裁量で設置されたこのセーフハウスは、DAの()()()にあれど()()()にはなく、監視はない。それに機密漏洩を防ぐ名目でネット回線も引かれていない。

 密談には一番というわけだ。

 

「結論から言えば、その体は本来別人のものだった」

 

 彼はそう言いながら、アタッシュケースから出した紙束をひとつひとつ床に並べていった。見たところ全部英語で、ステープラーで簡易的に綴じられている。病院のカルテか、論文の類だろうか。どれも経年劣化で茶色く変色しているのが印象的だ。

 

「驚かないんだな」

「精神と体の不一致は今に始まった話じゃない。問題はHow(どうやって)の部分だ」

 

 ベッドから体を起こした。症状は既にピークを過ぎている。それに、彼が持ち込んだ資料にも興味があった。俺がDAのデータベースに何度潜り込んでも見つけられなかったものだ。入手経路も、その中身も、喉から手が出るほど欲しい。

 彼は安っぽいつくりのテーブルに腰掛けてしばらく悩んだ様子を見せたが、やがて決心したのか、顔を上げて俺を見た。

 

「レンって名前に聞き覚えはあるか? (はす)と書いてレンと読む」

 

 ない、と言いかけて、俺は黙り込んだ。

 

「わからない」

斉藤(サイトウ)(レン)。それがお前の──お前という人格の名前だ」

 

 記憶の表面を爪で引っかかれるような、奇妙な感覚があった。

 タチバナさんが床の紙束の一つをめくり、モノクロ印刷の紙面を俺に見せた。

 小さな男の子の顔写真と、身長、体重、血液型、それから健康診断か何かの結果がびっしりと書かれている。名前の欄には、Ren Saitohの文字。

 これが、俺?

 

「そしてこの子が」

 

 もう一枚。今度はレンよりさらに幼い女の子だった。

 すぐに分かった。()()()俺だ。毎日毎日鏡で見る顔だ。年こそ違うが、面影がある。

 何年経っても自分のものとは思えない体。不死身の再生能力。四歳以前の欠落した記憶。近年、西側の特殊部隊を中心に浸透しつつある次世代歩兵構想と、彼らに施される高強度戦闘適応調整(ドーピング)──くそ。そういうことかよ。

 最悪だ。あまりに惨い。命をなんだと思っているんだ。人殺しの身でさえ小市民ぶって叫びたくなった。

 

「カミシロ・ヒマリ。その体の、前の持ち主だ」

「……脳を入れ替えたんだな。千切れた腕を繋げるみたいに」

 

 俺の問いかけはもはや質問ではなく、推理が正しいか、否か。その確認以上の意味を持たなかった。

 彼の答えは、やはり、肯定だった。

 

「お前は自分自身をヒマリではなくサイトウと定義している。その感覚は無意識だが、間違いではなかった」

「脳移植は俺が死なないことと関係がある。そうだろ」

「……ああ」

「誰がやった。DAか? 日本政府か?」

「……合衆国だ」

「嘘だろ、アメリカが? 一番の非人道アレルギー持ちがなんでだよ!?」

「リコリスとリリベルは存在しないことになっている」

 

 絶句した。

 目の届かないところで起きる悲劇に対して、人はどこまでも無慈悲になれる。見えない死は初めから無かったものとされる。墓標に名前は刻まれない。

 敵も味方も、等しく存在を認められない。自らの生きた証は、存在の証明は、この世のどこにも残らない。

 その虚しさは、リコリスとしてターゲットを殺し、仲間を殺されてきたからには理解しているつもりだった。

 だが甘かった。見誤っていた。

 この世界の狂い様を。

 

「俺は、なんなんだ」

「次世代歩兵の完成形。国防高等研究計画局(DARPA)がかつて目指し、そして放棄したものだ。何十人か、何百人か、それは分からないが……生き残ったのはお前とヒマリだけだった」

 

 破片を食らった右の側頭部が、ぎちりと軋んだ気がした。

 忘れていたのか。それとも消されていたのか。いずれにしろ俺の中から長らく欠けていたものが、さながら傷口から盛り上がる赤黒い肉芽のように、蘇ってくる。

 

「ヒマリは心が保たなかった。彼女は最も高い適性を示したが、そのためにテストの名目で何度も何度も切り刻まれた。大人だって耐えられない仕打ちだ」

 

 そうだ。窓のない大部屋に集められた。俺は防護服を着た大人達にたびたび外に連れ出されて、手術台に乗せられた。部屋に戻されるたび、同室の子供は櫛の歯が欠けるように減っていった。けれど何度か寝て起きてを繰り返すと、いつの間にか新しい子供が補充されていて。

 やがて、新入りは誰も来なくなって。

 俺と小さな女の子だけが残って。

 ついには彼女も姿を消した。

 その時は、みんな別の場所に連れて行かれたのだとばかり思っていたが、そうか。

 あいつら、死んだのか。

 

「レンは体が保たなかった。度重なる改修の果てに、体組織が異常に増殖し、肉塊が独房を埋めた。だが脳だけは無事で、電極を刺せばテキストを使った意思疎通が可能なほどに強固な自我を備えていた」

 

 独りになった俺は、いなくなったやつらの分まで体を開かれ、臓物を抜かれ、得体の知れない薬を打たれた。使途不明の機械と癒着し、歪な形に変じた改良臓器のグロテスクな色艶が、ありありと、思い起こされる。

 落ち着け。呼吸を整えろ。タチバナさんが心配する。

 たかが麻酔なしの開腹なんて、今さら屁でもないだろ。

 

「それを見たどこかのクソ野郎が思いついた」

 

 身体のパーツをおもちゃみたいに付け替えられて、外見も中身も人間と呼べるものじゃなくなった頃。完膚なきまでに壊されていたはずの五感が突然回復したことがあった。

 その時俺が見たのは、痩せ細り、骨の浮いた胴体から生えた二本の腕と二本の足。そしてガラス張りの(ケイジ)に映り込む、最後まで残ったあの女の子と同じ顔。

 

「健全な肉体に健全な頭脳を()()すれば、理想の性能に届く、と」

 

 サイトウ・レン。

 カミシロ・ヒマリ。

 ──サイトウ・ヒマリ。

 

「実戦データの収集はDAが受託した。島国である日本は脱走の難易度が高く、監視の手段にも事欠かない。その上、エージェントは皆子供だ。成人を待たずに試験運用を始められる」

 

 俺は、サイトウ。高等機密を扱う暴力装置。

 

「問題は所属だった。身体(ドナー)(レシピエント)、どちらの性別を適用すべきか。そんな建前の下、お前の指揮権を巡って、楠木、虎杖両司令による政争が起きた」

 

 司令直属の密偵にして不死身の人間。

 

「最終的には当初の配備計画に則り、楠木が権限の大部分をもぎ取った。しかし虎杖はせめてもの抵抗にか、リリベルが管轄する任務の一部をお前に委託可能とすることを上に認めさせた」

 

 女の身体と、男の精神。

 

「よりにもよって奴は、リコリスの処刑ばかりをお前に押し付けた。手に入らないなら壊すまでとでも言わんばかりにな」

 

 半々に混ざった(ハーフ・スワレの)、リコリス。

 

「……ふざけやがって」

 

 手で顔を覆って、そこで初めて自分の身体が震えていることに気がついた。

 自分の、だって?

 ヒマリの、だろ?

 

「何が先進戦闘有機義体だ。人の身体を物みたいに」

「……知っていたのか、サイトウ」

「思い出したんだ。話を聞いてたら急に。でもこれは、多分」

「まさか、彼女の?」

 

 震えながら辛うじて頷く。その些細な仕草さえも、俺か、ヒマリか、どちらがそう望んだのか、もはや欠片もわからない。

 記憶の時間軸が二つある。俺にとってはどちらもこの身で体感してきた血生臭い真実で、同時に白昼夢のような非現実感が端々にへばりついた薄っペらな幻覚だった。

 ()か、()か、どっちが自分だ。俺はいつから俺なんだ。俺は私の妄想の産物で、実はどこにもいないんじゃないか。

 階段で、存在しないもう一段に脚をかけようとして、すとんと空振るような、宙ぶらりんの気持ち。

 俺は。

 わたし、は。

 

「息をしろ。ゆっくりだ」

「たすけて、タチバナさん」

「大丈夫だ。お前は、お前だ」

「俺は、誰なの?」

「お前はレンだ。ヒマリじゃない。俺が保証する。お前がお前を信じられなくても、俺はお前を信じている」

「なんでさ」

「わかるんだ」

「何が!」

「お前の全てが、だよ」

 

 胸が痛くなるほど優しい声だった。

 だが、どこか、悲壮な覚悟を孕んでもいた。

 

「この世でたった一人の弟を、見間違えるはずないだろ」

 

 諜報員の勘が告げている。彼の声音も、眼差しも、嘘をつくもののそれではないと。

 何もかもが、真実だと。

 

「……は?」

「俺が七つの頃──お前はその時二歳だった──親父は安アパートで母を殺し、その親父をリコリスが繁華街の路地裏で殺した。頼れる親類のいない俺達はDAに拉致され、そこで散り散りになった」

「待てよ、そうなったら前の身分は全部抹消される。エージェントとしての登録名から戸籍を割り出すなんて、不可能なはずだろ」

「ああ。だから俺は、俺達を拐った連中の会話を覚えていた」

「覚えてたって……」

「何もわからないガキだと思ったんだろう。お前をアメリカに送ることを、奴らは無警戒にも俺の前で喋った。逆に言えば手掛かりはそれしかなかったが……人生を賭けたよ」

 

 客観視すれば、彼の告白は荒唐無稽な妄言としか表しようがなかった。なにせ語られているのは全てが俺の認識の外で発生した出来事だ。真否の確かめようがない。であれば、一連の話はひとまず嘘と仮定し、かつ、それをみすみす信じた場合に発生するリスクを鑑みて動くのが当然の道理だろう。

 だが、俺は心のどこかで彼の物言いに納得したがってもいた。この世がそんな与太話の成立するような世界だというなら、俺はとっくに殺しをやめられて、月並みなハッピーエンドを迎えているだろうに。

 めでたしめでたし、なんて陳腐な結びの言葉が入り込む余地なんざあるもんか。世界はいつだって地獄だ。臓物と硝煙の悪臭を、愛と平和の芳香でマスキングしただけの、蛆の湧いた肥溜めだ。そうでなきゃ。そうでなきゃ俺は、なんでこんな目に合ってるっていうんだ。

 世界が俺の味方だった試しなんか一度もないっていうのに。今更、こんな巡り合わせを信じろだなんて。

 

「……信じられない。いや正しくは、信じることが、できない」

「そうだな。正しい選択だ」

「けど」

 

 一度言葉を区切り、短く息を吸って吐く。

 冷静にならなければ。

 

「裏切るなら三年前、俺に協力を持ちかけた時点でそうしているはずだ。おとり捜査だとしても、離反の用意がほとんど出来上がっている今の今まで反乱分子を泳がせておくメリットはない。それに過去、いくつか付け入る隙を与えてどう動くかを見ていたこともあったが……あんたは何もしなかった」 

 

 俺も手札を一枚切る。彼に翻意がないことは事実が証明している。もう伏せておく意味はない。

 

「何より、()()()子飼いの諜報員がDAに楯突く合理的な理由が見当たらない」

 

 そうだろ? サイトウ・ヒロキさんよ。

 俺はめいっぱいのしたり顔で、彼の、誰にも打ち明けていないだろう本名を呼んだ。

 アメリカ政府が各省庁職員のデータ管理を委託する情報セキュリティ会社のセキュアサーバー内に、彼の生体認証登録はあった。それにはもちろん、指紋や虹彩、静脈パターンの類が誰のものかを示すために社会保障番号が紐づいている。

 彼は内閣調査室の人間ではあるが、日本国籍を持たない。中央情報局(CIA)が同盟国との緊密な連携を狙って送り込んだ分遣班の一人だ。

 だからこそ日本は彼をDAに出向させ、俺のそばに置いているんだろう。俺はどうやら、アメリカの所有物でもあるようだし。

 

「ウォールナット殺しの時にくれたDARPA製の止血注射キットもそうだけど、第二一特設任務部隊(ブラックジャックス)が装備する米軍制式のランチャーやらライフルやら、そんなものはよほどの伝手がなきゃ手に入らない。だから俺はアメリカを探れってメッセージとして受け取ったけど、違った?」

 

 彼は相変わらず背の低いテーブルに腰掛けたまま、視線を床に落とし、目頭を何度か指で揉んだ。そして、

 

「降参だ」

 

 苦々しげに寄せた眉間に深い皺を刻みながら、肩をすくめるようにして両手を掲げてみせた。

 

「そこまで辿り着いていたとは、想定外だよ」

「ま、想定外の助っ人がいてね」

「というとウォールナットか。ああ、だな、奴にとっちゃ国防総省(ペンタゴン)だって庭みたいなもんだ……待てよ、ってことはだ」

「いいや、悪いけどまだ断定はできない。姓と人種が同じであることは、必ずしも血縁関係を意味しない。決定的な何かが得られるまで、そこは願望と区別しておきたいんだ」

 

 俺の前の身体はどうせ医療廃棄物としてとっくに処分されている。身元だって残ってない。だからDNAの一致率を調べるとか、戸籍から血のつながりを追うとか、そういった決定的な証拠探しというのはもはやできない。真実を確定させるに足るものの一切は永久に失われたことだろう。

 それでも彼は──推定、兄は、出会ってこの方皮肉っぽいニヒルな笑みばかりを作ってきたその口元を、初めて素直に綻ばせた。

 

「さて自称兄上殿、ぼちぼち状況を整理しよう。俺たちのゴールはDAの暗殺稼業を、米帝様の言い回しを借りれば人道に対する罪を世間に告発し、永久にこれをやめさせること。現在検討中の手段としては、目下建設中の新電波塔、延空木を完成と同時に占拠して、マスメディアとネットの両方に最高強度で情報をばら撒くってのがある」

「敵の戦力はリコリス、リリベル、我らが特命情報調査室実働班、警官隊に特殊急襲部隊(SAT)、内閣調査室、CIA、下手すりゃ自衛隊に在日米軍。おまけに情報統制や戦術予測のバックアップにラジアータがついてくる」

 

 友軍は俺とお前の二人きり。そう彼が続ける。絶望的な戦力差に思わず乾いた笑いがこぼれた。

 

「ついでに真島と愉快な仲間たちとも延空木でかち合いかねない。とはいえこっちは、俺の遺言が効いてるなら案外使えるかも。全く信用できないけど」

「テロ屋が軍隊とやり合えるとは思えん。それに奴は民間人を虐殺しようとした前科がある。俺たちのやり方にはそぐわない」

「そこで今一個思いついたんだけど、聞く?」

「言い回しからしてろくでもなさそうだが、一応」

「怒らない?」

「俺が怒りそうなアイデアなんだな……」

 

 あいにく怒りそうどころか絶対に怒られるアイデアだが、同時に俺が取りえる最善策でもあった。これが上手くいけば、今までのように、内閣を組織する政治家相手にせこせこと自衛隊出動までの時間を稼げるだけの弱みを嗅ぎ回る必要もなくなる。

 

「あんたがかき集めた人体実験の証拠をダシにアメリカを脅迫する」

「馬鹿野郎!」

「あー、だよなそりゃ」

「当たり前だ! お前、あの地獄に戻りたいのか!?」

「上層部は人体実験が嫌なら仕事をしろって俺を脅しつけてる。ということはつまり、DARPAはまだまだ俺で遊び足りなくて、この体を返却するようDAをせっついてるはずだ……まぁ今だって隔月の定期健診でバラされてるんだけど」

 

 実戦での運用データが十分に取れているうちは、アメリカは俺をDAに貸し出し続ける。だが楠木司令の下で、やれ特命情報調査室長やら高等指導教官やら、大層な肩書きと共に懐刀として重用され始めると、向こうは貴重な実験サンプルを戦場から引き離されるのみならず、あれこれ理由をつけて使用限界いっぱいまで使い倒され、実質的に借りパクされるんじゃないかと危惧し始めた。というのが俺の見立てだ。

 

「そこが狙い目だ。アメリカは正義のヒーローとしてのブランドイメージに傷をつけられることを何より嫌う。俺は奴らの悪行の最大の証拠品だろ? それも足が生えてて口が利ける。そんな危険物はとっとと回収して、後ろ暗い過去を何もかも揉み消したいと思うはずだ」

「……任期を終えたリコリス、リリベルを情報機関の職員として買い上げていることも、か」

「流石、察しがいいね。そう、アメリカとしては人道もクソもないDAとの繋がりが露見することだけは避けたい。ところが厄介なことにマスメディアをジャックしたどこぞの馬鹿が、人権を奪われ、洗脳教育で組織への忠誠を刷り込まれ、日夜望まない殺しをさせられる哀れな孤児達のことを洗いざらい喋っちまったとしよう。あんたがアメリカだったらどうする?」

「悪の秘密結社からかわいそうな子供達を救う正義の兵隊を演じて、DAとその関連組織を丸ごと刈り取り、全ての証拠を隠滅する。幸い日本には、ヤクーチアと中華連邦に対する守りとして、海軍、海兵隊合同の遠征打撃部隊(ESF)を丸々一つ常駐させている。中小国家の全軍をも凌ぐ戦力規模のな」

 

 完璧な回答を導いた彼を讃える意味を込めて、俺は鷹揚に頷く。

 

「な、これで敵はDAと真島だけになったろ?」

「得意気なところ悪いが、何もよくないぞ。それじゃお前が救われない。記憶が戻ったならわかるだろ、向こうで何をされるか」

「ああ、それはもっとも。でも、普通にやったら勝ち目はない。使えるものは全部使わないと──」

 

 突然視界が大きく揺れた。最初はまた、さっきのショック症状かと思ったが、違う。

 彼に胸ぐらを掴まれている。そう理解するのに、少しかかった。ここまで感情を露わにした姿を、俺は知らなかった。

 

「命は、道具じゃない。その考えは、お前が何より憎むDAと同じものだぞ」

 

 俺はすっかり呆気にとられて目を瞬いた。

 情けないことに、言い返そうにも言葉が全く出てこなかった。彼の言うことが何度も脳裏に響いて止まなかった。

 

「レン。お前はなぜ戦う」

「え、と」

「友達を助けたいからか? これ以上誰も殺したくないからか? それとも」

 

 ただ死にたいだけか?

 違う。たった三音ばかりのはずなのに、どうしてか声にはできなかった。

 

「お前の幸せが俺の幸せだ。世界を敵に回すことがお前の望みで、それでお前が満たされるものだと思って今までやってきた。だが違った」

「ち、がわない」

「嘘だ。お前はお前を、自分が救うべきものの中に数えていないだろう」

 

 身勝手にも、湧いてきたのは怒りだった。自分でも理由が分からなかった。その幼稚な衝動は、決して解き放ってはいけないものだと、俺はよくよく理解していたはずだった。

 なのにいつの間にか、口は言葉を紡いでいた。

 駄目だ。言うな。

 やめろ。

 

「知ったような口を利くんじゃねぇよ」

 

 地獄の底みたいに冷たくて、低い、乾いた声だった。自分の喉から絞り出されたものだとは到底思えなかった。

 

「……なんだと」

「お前は何も分かってない。俺はあと二年でリコリスを()()する。そうなりゃどのみち解剖台行きだ。戦おうが、戦うまいが、結局俺はDARPAの変態共に死ぬまで切り刻まれる」

「ならせっかくウォールナットが生きてるんだ。奴の手を借りて、どこへでも逃げればいいだろ!」

「それ本気で言ってねぇだろうな。だとしたら相当おめでたいぜ、お前」

 

 ヒマリという一六歳の少女の細腕は、DARPAの研究者が思い描いた通り、激痛を伴う筋繊維の断裂と再生を繰り返しながら、彼の手首を容赦なく捻り上げていく。この体に自己破壊を防ぐリミッターはない。必要ないからだ。

 

「お前、自分で言ったよな。俺の持ち主は合衆国だって。あの合衆国だぞ? 奴らの目からは誰も逃げられない」

「それでも、可能性はゼロじゃ──」

「ああそうだな、ゼロじゃないな。じゃあ何パーセントだよ? 小数点の後ろに何個ゼロが続くんだ? え? 何百とある監視衛星から身を隠し続けるなんて不可能だろうが!」

 

 体勢がまるきり逆転する。彼が苦悶に低く呻いた。一列に並べられた実験記録のうちの一束が立ち上がった俺に踏み潰され、耳障りな音を立てる。それが静かな部屋にやけに響いて、俺はほんのわずかに冷静さを取り戻した。

 

「……俺はずっと、ずっと生き方を選べないままここまで来た。女の格好をして、女の振りをして、命じられるがままに殺してきた。俺が俺のままでいられたのは、ほんの瞬きみたいな時間だけだった」

 

 目を閉じれば、いつだってその暗闇に殺した相手の顔が浮かんでくる。近頃頻繁に出てくるのは、DAからの脱走を図った一人のリコリスだ。彼女が最も新しい、二一人目の身内殺しだった。

 背後から不意を打ち、喉笛をこの手で掻き切ったその時、彼女は頸動脈から勢いよく血を噴き出しながら、俺の胸に身を委ねて、後ろ手に頬を撫でた。丸眼鏡の似合う彼女は、今際に何を思って逝ったのか。

 信頼していたはずの新たなパートナーに襲われて、なぜ、あんなにも安らかな顔で死ねたのか。

 彼女の最期は、退行を起こし、俺をアラキと思い込んだまま、幸福の中で圧死した百合先輩にも重なって見える。

 偽りの友人や虚像の恋人に看取られるのは、そんなにいいものなのだろうか。

 彼女達の命を奪うのは他でもなく、それを演じる俺だというのに。

 

「自分らしく生きられないなら、せめて自分らしく死んでやる。俺が戦う理由はそれだけだ」

 

 彼の黒い瞳と、抑え込んだ腕とが、それぞれ支えを失ったように揺れた。

 

「わかってくれよ。俺はもう、手遅れなんだよ」

 

 そう言って俺は彼を離した。取り返しのつかないことをした自覚はあった。もう今までのようにはいかないだろうな、という予感もあった。俺は彼の人生のすべてを、くだらない衝動に任せて否定した。許されないことだ。

 罪悪感を抱いて自己憐憫に浸ったところで、吐いた言葉は戻せない。

 

「お前が一体何をしたっていうんだ。なんで俺の弟ばかり辛い目に遭わなきゃいけない?」

「……」

「お前は、お前たちは、幸せになっていいはずだろ……?」

 

──あたしたちは、幸せになっていいはずでしょ……?──

 

「っ!?」

 

 耳元で囁かれた声は彼のものでも、俺のものでも、ましてやヒマリのものでもなかった。

 それは鈴を転がすように可憐で、すべてを包み込むように甘やかで、そして、親に縋る子供のように震えていた。

 知らない。俺は、こんな人、知らない。

 頭に雨粒が落ちる。見上げれば分厚い雲。土砂降りだ。いつの間にか着ていたサード・リコリスの白服は水を吸ってずっしりと重い。

 そこは古いアパートの解体現場だった。

 建物自体の解体はほとんど済んでいて、鉄筋コンクリート製の柱や梁は、一階から三階の一部までしか残っていない。

 左手にはプレハブの現場事務所、二階建て。反対側には空荷の大型ダンプや、アームの先端にコンクリートブレーカーを取り付けられた油圧ショベルといった種々の機材が放置されている。

 広いばかりで誰もいない箱庭の四方は背の高い目隠しに覆われて、外の様子は窺えない。

 前にもこんなことがあった。その時と全く同じだ。

 定期健診と称して麻酔で眠らされている間に見る悪夢の舞台は、いつもここだった。

 

「嫌だ」

 

 右手には銃。グロックのポリマーフレームには温度を感じない。

 俺の前には、背中を向けた青服(セカンド)

 意志に反して、腕はひとりでに持ち上がる。

 

「い、やだ」

 

 亜麻色の髪の彼女に震える照星(サイト)が重なって──

 

「嫌ぁっ!」

 

 トリガーが引かれ、銃口が光ったその瞬間、すべての雨粒が静止した。

 歌が聞こえる。

 甘く可憐な声が耳元で囁いている。

 Singin' in the Rain(雨に唄えば)だ。

 背中に熱。肩口に小さな顎が預けられた。血に塗れた手を、太腿から、下腹へ。下腹から、みぞおちを通って、胸元まで。確かめるように這わせてくる。

 耳元で彼女が息を吸い、そして、

 

「しね」

 

 息を呑むことすら、できなかった。

 

「ごめ、なさ」

「しね」

「せ、んぱい」

「しね」

「おれの、せいです」

「しね」

「ころして、ください」

「しね」

「ごめん、なさい」

「しね」

「ごめんなさいっ……」

 

 彼女は愛を囁くように呪詛を吐いた。何度も、何度も、何度でも、全く同じ声音で俺を呪った。

 俺は命じられた。

 命令を受け入れた。

 俺が殺した。

 俺の意志で。

 

「恨んでください」

「しね」

「憎んでください」

「しね」

「全部ぼくが悪いんです」

「しね」

「絶対に、許さないで」

「しね」

「ずっと、ずっと」

「しね」

「ぼくが、死んでも」

 

 気道が締まる。ぎりぎりと、指の皮の擦れる音が聞こえる。彼女は俺を抱いてなどいなかった。首の位置を探っていただけだ。

 すべてが止まった世界で彼女だけが動けた。意識が薄らいでいく。

 ぼくはなんて幸せ者なんだろう。

 彼女が、先輩が、憎いぼくを自らくびり殺してくれる。

 甘い怨嗟が遠ざかる。

 眼球が裏返る。

 ぼくは、やっと、

 

「レン! しっかりしろっ、レン!」

 

 心臓が異常な速さで脈打っていた。肺は痙攣しながらも辛うじて呼吸に似た挙動を繰り返している。

 誰かに強く抱き締められていた。

 もう雨は降っていない。怪訝に思って顔を上げると、ワンルームの天井が見えた。

 

「なに、が、起きた?」

「すまない……俺があんなことを言ったばっかりに……すまない……」

「幻覚を、見た。俺はその間、何してた?」

「……泣いていた。声も上げずに。途中で過換気発作が出て、また倒れた」

「だから手が痺れてんのか。オッケー分かった、大丈夫だ。落ち着いた」

 

 もういつもの俺だ。そんな意味を込めて彼の背中を軽く叩き、頬どころか顎まで濡らす涙を制服の袖で拭う。ファーストの赤服だ。どう見ても白くはない。だから、ここは現実だ。

 

「あんたは悪くない。こいつは時限爆弾みたいなもんだ。多分、遅かれ早かれこうなってた」

「その、幻覚っていうのは……」

「リコリスを撃ち殺す夢だ。内容を覚えていられたのは今回が初めてだけど、それでやっと気付いた。過去、俺はこれを何度も見ている」

 

 俺の頭はもともと多少おかしかったが、破片を食らってからは狂い方に磨きがかかってきたように思う。意識が覚醒状態にありながら悪夢を見るなんて、今までにはなかったことだ。

 俺の精神は崩壊に近づいている。

 

「なあ。俺は多分、二年ももたない。それまでにケリをつけたい」

 

 付き合ってくれるか。最低の口説き文句と思いながらも、できるだけ真摯にそう言った。

 

「……それがお前の望みなら」

 

 地獄の果てまでとことん、な。

 そう言う兄に、俺はさっきの失言を謝った。

 彼は一度だけ、俺の髪をわしりとかき混ぜた。

 

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