絶対に百合に挟まらない司令の懐刀系性癖山盛りTSヤニカス不死リコリス   作:千年 眠

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 シガレットローラーを両手の親指で一回転、二回転。

 レギュラーサイズの紙巻き煙草と同じ全長七〇ミリのローラーに巻かれたベルトは何もせずにいると非常にゆとりがあり、真横からみると二本のローラーを頂点にして凹型にくぼんだ形になる。

 そこに煙草葉(シャグ)とフィルターを詰め、片方のローラーの軸を動かして隙間を閉じてやると、くぼみは円筒形の空間に変わる。転がすたび、葉はその形に成形されていく。

 三回転目で指に感じる抵抗が少なくなった。焦げ茶色のリコリス・ペーパーをローラー同士の隙間に差し込み、また一回転。

 紙がすべて飲まれる寸前で止める。

 リビングの照明を反射して光っている紙の端。糊が塗られているそこを、左から右へ舌でなぞって湿す。切手と同じだ。

 最後にまた一回転。かかっているベルトごとローラーを摘んで軸をずらすと、そこには一本の紙巻煙草の姿があった。ハンドロールよりは手間だが、そのぶん綺麗に巻けて葉がこぼれにくいから持ち歩くには丁度いいんだ。

 同じダイニングテーブルに置いていた金属製のシガレットケースにそいつを入れた。これでちょうど一〇本目。

 ケースの中で隙間なく並ぶ煙草はフルロードした弾倉みたいで気分がいい。明日への活力だ。一日で全部吸うわけじゃないから、厳密には向こう数日間の活力だな。

 

「くぁ……」

 

 あくびをしながら壁掛け時計を見たら二三時を回っていた。ぼちぼち寝よう。

 俺はテレビを消した。サブスクを使って見ていたのは、白人の運転手と黒人のジャズピアニストが主人公の伝記映画だった。あなたへのおすすめ枠にあったから軽い気持ちで見てみたら、いつの間にかのめり込んでこんな時間だ。

 面白かったな。史実はどうだか知らないが美しい結末だった。特に、レイシスト野郎を容赦なくぶん殴る運転手は痛快でよかった。俺は誰にでもフェアなやつが好きだ。

 

 ダイニングテーブルに広げていたシャグの袋をガラスの密閉瓶に突っ込み、フィルターのパウチやらローラーやらと一緒くたにしてキッチンのカウンターに置いてある戸棚に仕舞う。

 つくづく一人で住むには広いセーフハウスだ。四人家族くらいで丁度いいんじゃないだろうか。

 まあ、風呂とトイレは別だし、ベッドルームで寝られるし、キッチンも自炊に苦労しない大きさだし、豪華な分には文句はない。

 ベッドに潜ったら、サイドテーブルに置いていた仕事用のスマートフォンが震えた。暗闇の中メールボックスを開いてみると、一見してデタラメな英数字の羅列が十数行。暗号文だ。ラジアータの秘匿回線で送られてきて、読み終えると復元不可能なレベルで自動削除される。

 まだ数行しか読んでいないが、どうにも嫌な予感がする。こういうのはもう、経験でわかるようになってしまった。

 ……予感は的中。制服を着ない任務だ。久しぶりに面倒くさい案件が来た。

 俺は詳細を知るべく、平文と大差ないスピードでそれを解読していった。

 

「……ウォールナット。システムをダウンさせた野郎か」

 

 奴はDAが誇る世界最高のスーパー・コンピューター、ラジアータを一時とはいえ乗っ取った、化け物みたいなウィザードだ。

 奴が仕掛けたハッキングのせいで部隊の指揮系統は麻痺し、銃取引の現場でたきながマシンガンの引き金を引く羽目になり、結果約一〇〇〇丁の銃が行方知れずになった。

 武器商人を捕縛できずに死なせた直接的な原因は俺のミスだが、そもそもウォールナットが攻撃を仕掛けてこなければ通信は途絶せず、オペレーターがその場の隊員に俺の行動を伝達していただろう。

 ……よそう、敵に責任を押し付けるのは無意味だ。本部からのバックアップに依存しきっていた俺が悪い。隠密行動中で通信途絶に気づかなかったっていうのは、言い訳にならない。最悪の想定が甘かったんだ。

 普通のリコリスならそれでいいが、俺に求められているのはもっと高いレベルの作戦遂行能力なんだ。俺はリコリスであってリコリスではない、ある種の密偵みたいなものだから。

 ウジウジ後悔するのはやめにして読み進める。

 

 人員は俺一人。いつも通りの単独任務。

 データリンクシステムのサポート、なし。石器時代かよ。

 それで火器使用が、無制限……無制限!? 

 

「はぁ!?」

 

 素っ頓狂な声と共に飛び起きた。タオルケットが翻る。せっかく風呂に入ってパジャマに着替えたっていうのに冷や汗が滲んできた。最悪だ。

 隠密を第一とするリコリスにあるまじき火器使用無制限、その上制服着用なし。それで何をやらされるのか大体察したが、予想が外れている可能性を願って最後まで読んだ。

 俺の祈りは無駄だった。

 これ、ウォールナットの殺害命令だ。

 

 

§

 

 

「おーっとなんか元気ないですねお客さん。てか私服珍しっ、休み?」

 

 時刻は一一時。カウンター席で羊羹に黒文字ようじを突き入れていたら、和服を着た千束に声をかけられた。

 リコリコの従業員はみんな和服だ。たまのバイトのときは俺も着ているが、正直趣味ではない。ガーリーとかフェミニンとか、そういう言葉で表されるデザインなんだよ。男性用もあるにはあるが、少数派(マイノリティ)は人の記憶に残りやすいから選択肢には入らない。

 私服も男装と呼べるほど好みに寄せたものではなく、ボーイッシュコーデ。あくまでレディースファッションの範疇に留めている。

 とはいえ仕事以外でスカートなんて俺はごめんだね。誰に何を言われたってそこを譲るつもりはないよ。

 

「休み。だから昨日遅くまで映画見てたんだ……くそ眠い」

「映画かあ、いいねぇ! サイトーってどんなの見るの?」

「割と何でも。こないだはヒューマン・ドラマで、昨日はホラーだったよ」

「サイトーって一人暮らしでしょ? 家に自分しかいないのにホラー映画って怖くない……?」

「うーん、あたしはあんまり」

「度胸あんねー!」

「千束ほどじゃないよ」

 

 俺は世間話を一区切りする意味で湯呑みに口をつけた。リコリコの煎茶は急須で出てくるのがまたいい。

 元気がない本当の理由は連日連夜のブラック労働のせいだ。でも大丈夫、この体は常人より疲労しにくく回復も早い。これはただの気疲れってやつ。

 心の疲労には甘い物が一番の薬だ。最後の一切れを口に放り込んで、急須に残っていた茶を最後の一滴まで湯呑みに注ぐ。

 さて。

 ウォールナットの殺害命令が出て今日で一ヶ月になる。奴の居場所を掴むのに二〇日、殺害計画を練るのに八日かかった。殺すのに必要なのは下準備込みでもたった二日だけなのに、やるせねぇ。

 思えばひどい任務だった。

 制服を着ないってことは、殺しの免許証(ライセンス)に守られないってこと。

 それが要求されてるってことは、その仕事が俺と同じ実働部隊(リコリス)にすら知られてはならないものだってこと。

 つまり俺はこの一ヶ月間、事情を知らないリコリスと警察の両方に追いかけ回されるリスクを負いながらも、世界最高のハッカーをぶっ殺す算段を延々と整えてたってこと。

 命がいくらあっても足りねぇ。だからいくらでもある俺に回されたのか、ハハ。

 笑えねぇよバカ。

 

「今日はでかい仕事があるんだって?」

「そーなんだよ! なんかね、すっごい羽振りいい依頼なの。なんと相場の三倍!」

「うーわ、すげー裏ありそう……」

 

 具体的な内容は聞かないし、彼女も言わない。俺は喫茶リコリコの仕事には関知せず、また喫茶リコリコも俺の仕事に首を突っ込むことはしない。

 DAとリコリコは実質、別々の組織みたいなものだからな。お互い余計なことを知りすぎずに共存するためのルールだ。

 

「まーまーポジティブに考えましょうよサイトーさん。大丈夫、備えはする」

「気をつけてね」

「まぁかしときなさい! 明日は三人でパンケーキだもんね!」

 

 カフェには俺から誘った。パンケーキが好きと言っていたような、いないような、そんな記憶があったから。

 もっとも二人きりでは確実に俺が気まずくなるから、たきなに緩衝材の役割を期待して三人とした。

 千束とたきなはそこそこ仲が良さそうだし、最悪俺が黙ってても場は持つだろう。お前らはお前らで存分に楽しくやってくれ。俺は邪魔にならないよう静かにしてるよ。

 腕時計を見た。いい時間だ。ぼちぼち出るか。

 ちょうどミカさんが店の前に準備中の看板を出して戻ってきたところだったから、湯呑みを空にして会計を済ませた。

 スキニージーンズの尻ポケットにスマホと長財布を突っ込みながらドアノブに手をかけたその時、言い忘れていたことを思い出した。

 振り返ってたきなを目で探すと、奥の座敷から食器を回収してきた彼女もこちらを見た。頬のガーゼはもうない。

 

「そういえば、たきなって千束の戦い方、見たことあるんだっけ?」

「先日見ました」

「ああ、ならいいんだ。初めてだったらびっくりするかなと思って。それじゃあ、また」

「私からも一つ」

 

 開きかけたドアから外のぬるい空気が流れてくる。

 

「プリン、ごちそうさまでした。美味しかったです」

「……そっか。そりゃよかった」

 

 俺は笑った。

 たきなが言っているのは、表参道のとあるパティスリーで買ったプリン詰め合わせのこと。店で食べて美味かったから、この間左遷のお詫びに四個入りのやつを贈った。

 あそこは墨田区から足を伸ばして行くだけの価値がある。特にダークチョコレートのやつがおいしい。

 買うの結構大変だったんだ。まあまあ人気ある店だし、やらなきゃいけないことは山程あったし。だからここ数週間はろくに寝てない。それでもほとんどパフォーマンスが落ちないこの体を呪うべきかね。

 

「え、たきなサイトーにプリン貰ってたの!? ねーねーそれ初耳なんだけど!」

 

 おっと、うるさいのが食いついてきた。逃げよ。

 

「へいへい待て待てちょっと待てサイ」

 

 トーを聞く前に扉を閉めてダッシュで逃げてやった。千束も店の前に出てきてこっちを見ているが、俺はすでにはるか遠く、豆粒サイズ。

 残念だったな、俺はこれから仕事だ。千束に片手をひらひらやりながら背を向けて歩き出す。

 さあ、地獄みたいな超過勤務もこれで最後だ。せいぜい暴れるとしよう。フラストレーションが溜まってしょうがないんでね。

 何しろここ最近の俺の仕事は、都内各所に点在する監視ポイントをひたすら行き来して、DAの捜索網の隙間を現実とダークネットの両方からチマチマ調査するという地味なものだった。それもほぼ二四時間営業で。

 奴だって人間だ。飯を食い、眠り、用を足さなきゃ生きていけない。生活に必要な物や人の流れは、決してゼロにはできない。電気、水道、ガス、食い物、その他生活必需品のあれこれ……配達に頼って引きこもってちゃあ尚更分かりやすい。

 死なないだけあって経験だけはそれなりに豊富でね。命じられればCIA(ラングレー)のエージェントだって見つけてみせるよ、俺は。これだけのスキルを活かす機会が日本国内に限られるのが悲しいとこだな。

 

 一〇分ほど歩いて閑静な住宅地に差し掛かったそのとき、べージュのカーディガンを着た老婦人に声をかけられた。すべては定刻通り、計画通りだ。

 

「すみません、豊原さんのお宅をご存知ないかしら?」

「六番地の豊原さんで合ってますか? それなら、あの十字路を右に行ったところに」

「あら、ありがとう。お礼を差し上げたいんだけれど……べっこう飴、若い子は好きじゃないわよね」

「そんなことないですよ、ありがとうございます」

 

 去っていった老婦人──DAの連絡員が渡した飴を口に放り込み、透明な包み紙に小さく印刷された一〇桁の数字を見る。意味はこうだ。

 本部はターゲットを再びロスト。補給地点一三の二に装備あり。索敵を継続されたし。

 なんでこんなに回りくどいことをしなきゃなのかというと、本部が俺とのデータリンクをずっと切断してるから。俺が持ってる端末を踏み台にラジアータに侵入されるのを避けるために、こんな古典的な手段を取ってるんだとさ。

 ……ターゲットをロストか。監視カメラだけに頼らず、人を置いて見張らせたほうがいいと進言したのに聞かなかったな? 本部は奴を見つけることより奴から隠れることを取ったんだろう。

 ったく、一度ハッキングされたからってウォールナットにビビりすぎだ。

 

「まあ、ここまでは想定通りか」

 

 俺は自分が街頭の監視カメラの死角に入ったのを周辺視野で確認してから包みを口に含んで溶かし、飲み下した。オブラートは処分しやすくて助かる。

 プランを微修正、少し巻く。気持ち、早歩き。

 拠点からは間違いなく逃走されてるだろうから、狙撃ポイントにつかなきゃ。当初の予定通り、今日が最初で最後のチャンスになりそうだ。

 閑静な住宅街を外れて街中の方へ歩く。景色は少しづつ変わり、風の音以外にも人の声や車のエンジン音といったノイズが増えてくる。

 背の低い雑居ビル、コンビニ、飲み屋、クリーニング店……それらを取り巻く、ある種濁ったような空気は駅に近づいてきた証拠。

 俺は右手に見えてきた三階建てのアパートに入った。ガラス戸を押し、誰もいない受付を素通りして階段で最上階へ。唯一、ポストにスーパーのチラシが刺さっているドアを選んで入り、すぐに鍵を締める。

 カーテンが締め切られた室内はしかし、昼間なだけあって薄明るい。短い廊下の先の家具一つないダイニングには、ありふれたデザインのダッフルバッグが無造作にフローリングへ置かれていた。

 バッグのファスナーを開けて中身を探り、俺が最初に取り出したのはワインレッドのシングルライダースジャケットと濃紺のジーンズ、そしてボトムスと同色のYシャツに靴下。

 今回の仕事着は男物か。いいね、今着てるのより好みだ。私服を脱いでシャツとジーンズに着替え、ライダースだけは着ずに置いておく。

 俺は手当たり次第に取り出した物資を床に広げながら、シャツの上から細身のチェストリグやショルダーホルスター、タクティカルグローブといった装備を身に着けていった。

 銃は初代ジェームズ・ボンド(ショーン・コネリー)も使ったワルサーPPK。銃口付近を斜めに切り落としたような形をした小さい拳銃だ。

 両手で構えて重みを確認する。どうやらマガジンには弾が装填済みらしい。一応スライドを少しだけ引いて確かめたが、さすがにチャンバー内は空だった。予備マガジンはすでにリグのポーチに入れてある。

 

「もっとデカいのじゃダメかな? いいけどさ」

 

 PPKはグロック17に比べると小型にすぎ、女の割に大きめな手にはいまいち馴染まない。それでも脇下のホルスターに収めると、一つだけ欠けていたパズルのピースがやっと嵌ったかのような、なんとも言えない充実感がある。頼りない見た目だが、この取り回しの良さは気に入った。

 あとは太腿に黒のレッグパネルを巻き、そこにコンバットナイフを鞘と一緒にナイロン製の帯(MoLLEシステム)で固定して、床に放っていたジャケットを羽織れば一丁上がり。その辺のリコリスに見つかれば即座に銃弾をぶち込まれること間違い無しの暗殺者コーデが出来上がりだ。

 最後にダッフルバッグの一番底に押し込まれていた薄っぺらいバックパックを背負う。これには主にファーストエイドキットが入っている。命を助けるものというよりは滴る血を止めて痕跡を残さないようにするものという意味合いが強い。

 刃がくの字に曲がった救急バサミに粉末の止血剤、止血帯、ガーゼ、包帯、副木(スプリント)、緊急時の焼灼止血用にガスバーナー。あとは……すげえ、この注射器って最近実用化されたDARPAの発泡止血注射システムじゃないか? どこから仕入れたんだろ、こんなの。

 なにはともあれ、欠品はなし。計画通りだ。俺は脱ぎ散らかした服と私物の一切を空になったダッフルバッグに突っ込むと、玄関の靴箱からクラシカルなライディングブーツを取り出して履いた。

 柄にもなく緊張してきた。こんな大仕事は久しぶりだから、ちょっとビビってる。

 胸に手を当てて、四秒息を吸う。

 四秒息を止める。

 四秒息を吐く。

 また四秒息を止める。

 心拍数が下がっていく。

 緊張感は持つ。だが緊張はしない。

 

「……とっととぶっ殺してパンケーキ。そうだろ?」

 

 軽口が言えるなら、もう大丈夫。ライダースのファスナーを閉めて装備を隠す。

 俺は補給物資を使用したことをDAに知らせるため、外に飛び出ていたチラシを中に引き込んでからドアを開けた。

 次に俺が向かったのはアパートの駐車場だ。住民の買い物車に紛れて赤いスポーツバイクが止めてある。

 スーパーチャージャー付きの四〇〇cc。セパレートハンドルの端にヘルメットフックがあって、ミラーシールドのフルフェイスがカラビナで引っかかっている。

 被ってみるとやや重い。防弾加工とは嬉しいね。

 このバイクは普通二輪のくせに大型並のパワーがあるってことでえらく売れたハイパフォーマンスモデルだ。カウルも軽量なカーボン製で、赤黒のツートンカラーが映える。惚れ惚れしちゃうな。密かに乗ってみたかったんだ、これ。

 喜び勇んでライダースのファスナー付きポケットから鍵を取り出そうとして、妙なものが入っているのに気づいた。

 出してみると煙草のソフトパックだった。銘柄はノース・ポール。日本製。サラリーマンがよく吸ってるありふれたやつ。もしやと思い反対側のポケットを探るとジッポと携帯灰皿まで。

 なんだよ、これがあるならボックス呼吸なんかしなくてよかったじゃないか。俺は喉の奥でくつくつ笑った。

 

 呆れたよ。緊張に負けてライダースを羽織った時に気づかなかった自分にも、こんなサプライズを仕込んだ相手にも。

 犯人は補給担当のタチバナさんだな。こんなことをするのは、というかできるのはあの人しかいない。全く、お茶目なんだから。

 まあ、おかげでやる気が出た。帰ったら礼を言っとこう。

 シートに跨ってサイドステップを払い、キーを回す。

 始動は良好。軽く回してみると、四気筒エンジンの滑らかな回転に呼応してスーパーチャージャーが高級な管楽器みたいに吠えた。最高だ! 

 ギアはニュートラルのまま地面を蹴り、バックで切り返す。足つきもちょうどいいし、そこまで重くもない。これならカーチェイスだって楽勝だろう。

 スロットルを軽く開けながら一速へ。クラッチミートは素早く。考えるまでもない。ウィンカーを出して車道へ出る。

 それから俺は大通りへ出ると荒川方面へ一五分ほど走り、道路沿いの中層マンションの地下でバイクを止めた。

 さっきまで走っていた通りを道なりに行くと、首都高の入口に辿り着く。ウォールナットの拠点からは近すぎず遠すぎず、羽田空港にも近い。

 

 DAの監視がない逃走経路はここしかない。それ以外の有力なルートは、昨日()()()()()()トレーラーの横転事故で通行止めか、指名手配犯潜伏の報(DAのカバーストーリー)に踊らされた警察が検問を張っているかのどちらかだ。だからここで迎え撃つ。

 ヘルメットは被ったまま、地下の立体駐車場からエレベーターに乗る。

 行き先は屋上。そこだけはすでにDAが人払いをしているから目撃者を気にする必要はないが、問題は狙撃の後だ。通行人の通報を受けた警官や、銃声を聞きつけた巡回中のリコリスが絶対に来るだろうから、顔は隠しておかないと。

 エレベーターが止まる。ペントハウスの外はやけに風が強い。長距離狙撃をするわけではないからいいけど、観測手なしでどれだけ精度が出せるか。

 道路沿い。首都高への入口とは反対側にあたる、俺から見て左奥の角。そこだけ落下防止の手すりが取り外されていて、代わりにバイポッド付きのライフルが置かれている。狙撃銃を頼んだのは確かだけど、やけにデカい。

 俺は不審に思いながらも近づいていった。 

 本部がどんな銃を用意したのか、俺は知らない。数日前、このポイントに狙撃銃を置いておくよう要請したけど型の指定はさせてもらえなかった。

 距離的に、セミオートのSR-25なら万々歳。ボルトアクションのM24やAWPとかでも全然悪くない……けど、件のそれは今挙げたどの銃とも形が違う。もしかして338.ラプアマグナムを撃ち出すようなやつだろうか。

 

「……嘘だろ」

 

 338.ラプア(八.六mm)なんて生易しいものじゃなかった。

 こいつの名は、M200 Intervention.408。

 口径一〇.三六mm、最大射程二kmオーバー。

 常識外れの大口径スナイパーライフルだ。

 

「司令は相当キレてんな」

 

 本部が一式一万ドル越えのライフルと一発一〇〇ドルの専用弾薬を惜しみなく用意してくれたのは、別に俺の仕事に期待してるからとかじゃない。それだけウォールナットを確実に殺したいんだよ。

 ラジアータに攻撃を仕掛ける意志があろうがなかろうが、その能力があるってだけで危険だ。奴は既にハッキングでこっちのデータを抜き取ってるんだから、尚更殺さなきゃまずいって思ってるんだろう。

 だからってこんな象撃ち銃みたいなのを使わせるかよ普通。一発でターゲットを確実に仕留められるのはメリットだが、いくらなんでも貫通力が過剰だ。奴の体を貫いた弾がそのまま罪のない市民に当たるなんてことも十分ありえるぞ。

 ため息をひとつついた。

 今回もなんというか、例に漏れず──

 

「クソ仕事だ」

 

 小馬鹿にするような調子で呟いた。

 真面目にやるのがアホくさくなってきた俺は、銃の点検をしながらノース・ポールを吸うことに決めた。狙撃地点に腰を下ろし、ヘルメットは脱いで地面にそっと置いておく。

 ソフトパックの煙草を包むビニールは上だけ取ることにしている。銀色の封緘紙を片方ちぎって、ゴミは全部、バックパックに入れてあったチャック付きの袋へ。痕跡は灰の一欠片も残さない。

 右手でパッケージを持ちながら同じ指で上部を叩く。せり出てきた最初の一本を口で引き抜きつつ、同時に左手でライターを取り出す。分厚いグローブがうっとうしい。

 親指でジッポの蓋を弾き、返す動きでフリントホイールを回しながら箱を持つ右手で風よけを作る。火はそれでも揺らいでいたが、消えはしなかった。

 吸い込んだ煙にオイルのニュアンスを感じた。手巻き煙草じゃなければライターを使うのもたまにはいいかもな、なんてことを考えた。

 

 くわえ煙草のまま片膝を立て、膝射(しっしゃ)の態勢に移行。短いバイポッドを地面より一段高くなった天端部に立て、ストックに肩をつけると、長大なサプレッサーが付いたM200のバレルはやや斜め下を向く。

 道路を走る車を撃つには理想的だが、今は点検中だから街中に銃口は向けたくない。ストックを地面に置き、銃には上を向かせておく。

 そのままボルトを少し引き、チャンバーをチェック。初弾は装填されていない。

 煙を口に溜めながらマガジンを外す。バカみたいに長い弾が詰められていてずっしり重い。弾を指で押し込んでもあまり沈み込まないから、どうやら七発全部入ってるらしい。

 溜めた煙はそのまま吐いた。あまり知られていないが、ノース・ポールは肺に落とすより口腔喫煙のほうが旨い。加湿していないからバニラの着香に先んじて辛みが来るが、これはこれで。

 ゼロインの調整は既に行われているはず。まさかここで試射して修正なんてできないからな。

 だからスコープのエレベーションノブとヴィンテージノブ──上と横にそれぞれ飛び出ているつまみがどれだけ回されているか、それだけを確認しておく。

 

 俺が撃つのは、本番の一発だけ。

 この銃は弾速が速すぎるから、弾が強烈な衝撃波を生む。サプレッサーでも銃声は消しきれない。

 一発撃てば、必ず見つかる。

 警察にも、リコリスにも。

 隠密行動中ならDAは俺をリコリスの目からそれとなく匿ってくれるが、発見されれば一切助けない。目の前にいる凶悪犯を見逃せ、だなんて、何も知らないリコリスに命令すれば必ず不信感が生まれるからな。

 自力で追跡を振り切るまでが計画のうち、ってこと。

 そう、すべては計画通り。携帯灰皿を取り出すついでに、支給品の腕時計を見る。奴が来るのは五分後。

 せいぜい無駄な抵抗を楽しめウォールナット。お前はもう袋の鼠だよ。

 ああ、お前はネズミじゃなくてリスだったな? 

 今日の午前三時二七分。警察が持ってる街頭防犯カメラのネットワークシステムを手当り次第にクラックしながら、人目につかない深夜帯を選んで拠点を引き払ったのはいい判断だった。

 だが、逃走用の着ぐるみを今の今まで着っぱなしっていうのはさすがに迂闊だな。

 カメラが見ていなくても、俺は見ていたぞ。

 キャリーケースを引いてマンションを出るお前の姿を。

 

「……残り三分一〇秒」

 

 計画に遅れはなし。煙草もまだ三分の一残ってる。

 何も問題はない。後は奴が乗る車がこの通りに入るまで待つだけ。

 残り一分を切ったところで、フィルターぎりぎりまで吸ったノース・ポールを携帯灰皿に入れた。

 ストックに肩を付ける。銃口はやや斜め下。ボルトを引き、戻し、弾をチャンバーに送り込む。

 レンズの反射を気取られないよう付けたままにしていたスコープのキャップを初めて外す。

 ズーム。中央分離帯のない全四車線すべてを視界に収める。道路はこの狙撃地点から三二四mの地点でゆるく右にカーブしていて、その先は向かいに並ぶ建物の陰になって見えない。

 そこからウォールナットが乗った車が必ず来る。大して遠くもない距離からファンシーなリスを探して撃ち抜く、それだけの仕事。

 右目でスコープを覗きながら、開けたままの左目で時計を見る。

 残り三〇秒。考えられる誤差はプラスマイナス二〇秒。

 そろそろだ。集中力を高める。横転事故の影響があってもなお交通量は決して多くない。すべて目で追える。だからここに誘い込んだ。

 二〇秒。

 一五秒。

 一〇。九。八。七──いた。白黒の軽自動車。

 風を読みながら照準を合わせる。六。

 ステアリングを握るリスの着ぐるみ。五。

 後部座席に垣間見える青と赤。四。

 ウォールナットとリコリスが同じ車に乗っている。三。

 あれは──二。

 千束と、たきなに見える──一。

 リスの後ろに、千束が──ゼロ。

 気づくのが遅かった。

 俺は。

 俺の指は。

 もうトリガーを引いていた。

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