絶対に百合に挟まらない司令の懐刀系性癖山盛りTSヤニカス不死リコリス   作:千年 眠

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 その街に、空はなかった。

 薄汚れた大気から逃れんとうず高く積み上げられた摩天楼がまるで墓標の群れのように林立し、そのわずかな隙間さえもがビル間を結ぶ無数の渡り廊下に埋め尽くされている。建造物の内を清浄な空気と快適な室温で満たすべく、壁という壁に根を張り、いたずらに熱気を垂れ流す配管、ダクト、室外機。

 生きながらに朽ち果てているような、異様な超々高層都市群(メガ・ストラクチャー)

 それこそが。

 

「経済特区ユジノ・サハリンスク。ロシア連邦分裂を決定づけた第二次非核ロシア内戦の折、日本を中核とした事実上の反共同盟であるASEAN2.0(アセアン・ツー)が、どさくさに紛れてむしり取った土地をタックスヘイブンに仕立てたのがこの街の始まりだ」

 

 ゴウダらが行く最下層は、ビル群が生み出す廃熱と廃棄物が最後に流れつく、いわゆる掃き溜めだった。

 人も、物も、低きに流れる。全天候型のユートピアの最果てに広がる巨大なブラックマーケットは、この破綻した都市構造がもたらす当然の末路といえるだろう。

 

「共同統治領というが実態はこのざまだ。ASEAN2.0に加盟する各国は終戦後まもなく利益の追求に走り、国家主権すら固まらないうちに多数の多国籍企業を好き勝手にここへ誘致した。結果、そのおこぼれにあずかる地下組織や犯罪企業が大量に流入、無法地帯の出来上がりさ」

 

 橋の下を見な。企業のコンテナが地下河川を流れてるだろ。ロゴが読めるか。

 

「エメス・バイオ・リサーチ・オブ・サハリン。遺伝子組み換え作物の権威だが、奴らここじゃあクローンしたブタに移植用臓器を作らせてる。エメス社が本拠を構えるアメリカじゃクロでも、規制の緩い樺太ならシロになる。この街は先進国の実験場でもあるってわけだ」

「メディアは上層しか映しませんよね。やっぱり圧力ですか?」

 

 自宅の庭でも歩くような気軽さで高架下の往来を行くゴウダの背後で小さな人影が声を張り上げる。一帯は大勢の露天商やバーとも呼べない場末の酒場、男女を問わない客引きに街娼といったものが生み出す猥雑な騒音が氾濫しており、そうでもしなければとても会話など成立したものではなかった。

 

「もっと単純だ。たいていの場合、素人は最下層から無事に帰れない」

 

 肩が触れ合うほどの人混みの中。しなだれかかってくる派手な化粧の女を売春宿らしきバラックの方角へ押しのけながら答えたのは、ゴウダの隣を行く男、フクシマだった。

 

「はぐれるなよ、ナカムラ。俺たちはアウェーだ」

「子供扱いしないでくださいよ。俺だって元リリベルだ」

「元リリベルだからさ。国外は初めてだろう。まずは学べ」

「フ。ついでに言やあ童顔は舐められるからな、ナカムラくんにゃ今回のヤマはちっとばかし試練だぜ──と、ここだ」

 

 先頭を行くゴウダは小さな民家の扉を叩いた。高架橋の柱にへばりつくようにして建てられた総トタン張りの簡素な平屋だが、周囲の建物に比して妙に造りがいいことにナカムラは気づいた。よく見なければわからないが、壁や屋根の水平が取れていて、吹けば飛ぶような雰囲気ではない。

 

「気づいたか」

「ええ、多分」

「いい感覚だ。見てろ」

 

 耳打ちするフクシマをよそに、ゴウダが鉄扉の覗き窓越しに二言三言、言葉を交わすと、ほどなくして中から大柄な男が姿を現す。顔の半分には当たり前のように巨大なタトゥー。経済特区ユジノ・サハリンスクにおけるごく一般的な反社会的勢力(スラヴ・ギャング)の面構えだ。

 

「どうぞ」

 

 彼は存外に丁寧なロシア語で三人を中へ導いた。みすぼらしい外見とは打って変わって、室内は無骨なコンクリート製の壁と天井に囲まれていて、あろうことか空調まで効いている。

 だが何より驚くべきは、応接間ともリビングともつかない半端な広さの空間を埋める巨大なサーバーラックの数々だろう。最新型とはいかずとも数年落ち程度のパーツで固められたそれらは、電力供給の不安定なスラム街にもかかわらず十全に稼働しているように見える。ひょっとすると、別の街区から専用の電線を引いているのかもしれない。

 

「まだ生きてたか、モナ・リザ」

 

 部屋の最奥のデスクで何かがちらつく。こちら向きのモニターだ。

 画面いっぱいに現れたのは、壮年、否、ほとんど老年と言っても差し支えない一人の女だった。上等なスーツに身を包み、ガラス越しに青空を背負っている。おそらく都市の上層にオフィスを構えているのだろう。

 

『減らず口は相変わらずだね、小僧(チコ)

 

 彼女のスペイン語は独特の訛りが強く聞き取りにくい。しばらくゴウダと流暢に軽口を叩きあっていたようだが、スラング交じりなこともあって具体的な内容は今一つ理解できなかった。混乱する様子を見かねてか、フクシマがキューバ訛りだと教えてくれた。

 

『さて、そろそろ商談に入ろうじゃないか。()()()()()()に何の用だい?』

 

 ナイトシティとは、ここユジノ・サハリンスクを指す汚名の一つだ。古典SF小説ニューロマンサーに登場する巨大な都市になぞらえて、いつしか誰かがそう呼び始めた。

 ……と、現在休養中のサイトウ室長が残してくれていた引継ぎ資料に書いてあった。

 

「約一〇〇〇丁の軍用銃を武装組織に提供した金持ちを探してる。歩兵戦闘車を日本に持ち込んだ疑惑もあってな」

『噂は聞いている。空自の非公開部隊が動いたんだってね』

「そっちは済んだが、銃を持ってるほうにアメリカの国務長官を殺された。俺たちのボスはテロ屋の元締めがこの街に来たんじゃないかと疑ってる」

 

 アメリカと聞いてモナ・リザなる女はかすかに眉をひそめると、年齢を感じさせない艶やかな黒髪を耳にかけた。なんでもない仕草だが、ナカムラの目には、ゴウダの話を一言一句逃すまいとしているかのように映った。

 

『へえ。首輪を嵌められて鈍ったものと思っていたけど……楠木の奴、やるじゃないか。正解だよ』

「居場所は分かるか」

『それらしいのを最後に見たのは三か月前だ。もう出ていったよ』

「身柄までは望まねぇ。どこのどいつか分かりゃいい」

『銃はさておき、装甲車を捌ける組織は少ない。再生工場からの横流し品だからね……調べるならそこからがいいだろう』

「ああ。ヤクーチアの軍閥と付き合いのある連中を洗うつもりだ」

『なら、そうさね。あんたたちが街を駆けずり回ってる間に、こっちで使えそうな情報をピックアップしておこう。内戦の借りを返す意味で、代金はサービスしてあげる。分かってると思うけど、こっちにも付き合いってものがあるからね。表立っては動けないよ』

「十分だ。助かるぜ」

『世辞はおよし。お互い自分の仕事をするだけだろ……明日、また来な。詳しい手筈をそこの男に伝えておく。ああそれと、ここ以外のアクセスポイントで私に繋ぐんじゃないよ。足跡を消すのだってそれなりに手間なんだ』

「今さら俺がそんなヘマやると思うか?」

『後ろの坊や(ベベ)に言ってるんだ』

 

 その発言を最後にモニターは暗転した。

 少しの間があって、ゴウダが振り向く。白い歯を見せてくつくつと笑っていた。

 

「俺がハナ垂れ小僧で、お前が赤ん坊か」

「あの人、何者なんですか?」

 

 ゴウダの揶揄はあえて無視した。彼は特段機嫌を悪くするでもなく、むしろ順調に図太さを身に着けつつあるナカムラをますます気に入ったようで、愉快げに鼻を鳴らすだけだった。

 

「ここらを仕切ってるフィクサーだ。下層は行政が軒並み死んでるからな、あのおっかねぇキューバ美人が金と暴力で一応の秩序を作ってんのさ」

「まるで浄化戦争前の麻薬カルテルだ」

「ナカムラ。比喩は所詮、比喩だ。理解ではない」

「フクシマさん俺に厳しくないですか……?」

「それだけ目ぇかけられてんだよ。なに、これもお勉強だぜナカムラくん!」

「また始まったよ」

「室長並は求めない。が、食らいついてこい。ナカムラ()()

「フクシマさんまで!? 酷いっス!」

 

 入った時と同じく、マフィアの男の丁寧な見送りでアクセスポイントを出る。浄化され、調温された空気に慣れた鼻腔に、路地を埋め尽くす人混みと工業廃水が発する暴力的な臭気が容赦なく絡みついた。

 最下層に下りて二時間と経っていない。たったそれだけの間に嗅覚が麻痺していたのだ。

 

「……海外旅行ねぇ」

 

 ゴウダとフクシマ、二人の背中を追いながら、ナカムラはひとりごちる。

 その掃き溜めには、やはり、空などなかった。

 

 

§

 

 

 かつて、サイトウが違法な手段(グロック・スイッチ)でフルオート化したグロック17を常用していると聞いた時、たきなは自分の耳を疑った。

 毎分一〇〇〇発近いレートで放たれる9×19mmパラベラム、それも通常より装薬を増やして威力を高めた強装(+P)弾の反動(リコイル)をストックなしに制御するなど不可能だ。ひとたびトリガーを引けば銃口は際限なく暴れ回り、照準などつけようもない。凡百のリコリスでは精密射撃はおろか、敵も味方も区別なく殺傷するに終わることだろう。

 銃へのダメージも甚大だ。本来の仕様であるセミオート射撃しか想定していない設計のグロック17が、そのような酷使に耐えられるとは到底思えない。バレルは過熱し、フレームは歪み、スライドには亀裂(クラック)が……規格外の負荷を受けて自壊していくグロックの姿が目に浮かぶようだ。

 だから最初は一笑に付した。そんな芸当、たとえ屈強な正規軍人でも不可能だと──

 

「らぁっ!」

 

 ──彼女が大柄な男を前蹴り一発で吹き飛ばしてみせた今この瞬間まで、そう思っていた。

 

「発砲、被発見、共になし……ま、白昼堂々の作戦にしちゃ及第点だろ」

 

 廃工場の中には、今回のターゲットである麻薬密売グループとは別組織と思われる護衛部隊がひしめいていた。当初の戦力予測を大幅に上回る数と練度の敵を前にサイトウが選んだのは、単独での先行潜入だった。

 結果はご覧の通り、地上にいた傭兵らしきならず者たちは一人残らず昏倒。拘束用のボーラ・ガンで手足を固く縛られ、陸揚げされた冷凍マグロのようにそこら中へ転がされている。

 

「撤退しても良かったのでは」

 

 地下へ通じる階段室の入り口を前に、たきなは初めて愛銃のM&Pを鞄から抜いた。

 

「ごめん、いつもの感覚で突っ込んじゃった」

 

 サイトウの言い分には正直ドン引きだった。ライフルで武装した二〇人以上の兵士崩れを単騎で制圧するのが()()()()とは、一体どんな懲罰であろうか。

 

『地上にいるのはあくまで歩哨、主戦力は地下だ。ここからが本番だぞ』

「わかってるよ。電力カットの準備は?」

『合図があればいつでも』

「ここからはタイムアタックだ。たきな、いい?」

 

 白銀のガバメント(1911)・クローン、ハードボーラー・ロングスライドを胸元に構えるサイトウの背中は、驚くほど千束に似ていた。同じC.A.R.システムの使い手だから、というばかりではない。

 これはもっと、どこか、根本的な部分が立ち姿に現れて──

 

「はい、千束のスピードには慣れています。遠慮なくどうぞ」

「じゃあ行こうか。クルミ」

『はいよ』

 

 ──たきなは雑念を捨てた。

 サイトウが階段室の扉を開け、クリアリングの後、突入。彼女の直後に続く。事前のブリーフィング通り、会敵するまでは両腕を伸ばしたウィーバー・スタンスで銃を構え、厳正な射線管理による誤射防止を第一とする。もう二度と、あのような過ちは繰り返さない。

 一メートル先も見えない闇の中、前方のサイトウが舌を鳴らす。数秒後、彼女の片手が後ろに回され、たきなに触れた。

 不規則なリズムで数度肩をつつかれた。音を立てられない状況下における符牒だ。

 意味は、まもなく会敵。数は五。スタン・グレネードを使用。

 たきなもまた、彼女の手に触れて了承の意を符牒で返す。

 人体に備わった闘争本能は脳内麻薬を分泌し、ストレスと恐怖を麻痺させる。血の巡りは早まり、適度な緊張が感覚を研ぎ澄ます。今なら針が床に落ちる音ですら聴き取れるかもしれない、とすら思えるほどに。

 サイトウの手によってグレネードのピンとレバーが外され、階下へ投げ込まれるのを衣擦れの音で察した。

 数秒後、どよめきの声。真暗い踊り場が強烈な閃光に照らされ、同時に耳をつんざく大音響。

 グレネードの青白い残り火が、プリーツスカートを翻して手すりを越えるサイトウの姿を一瞬だけ浮かび上がらせた。

 

「あ、ちょっと……」

 

 いくら奇襲とはいえ思い切りがよすぎはしないか。そんな心配をよそに戦端が開かれる。カバーのために慌てて階段を駆け下りると、四五口径(ハードボーラー)の重々しい銃声と発砲炎、そして敵の野太いうめき声がたきなを歓迎する。

 サイトウは空中を()()()()()。煤けた壁、コンクリート製の手すり、屈強な男達の胸、顎。それらすべてを蹴りつけ、足場とし、宙を舞う。暗闇にマズルフラッシュが弾け、凄惨な打撃音のラッシュの後には、白銀のマガジンが空中に残されるのみ。意識を刈り取られ、崩れ落ちる男達の頭上を()()()()、彼女は進撃する。

 その異常な三次元闘法はたきなにも見覚えがあった。

 

「……この動きは」

 

 錦木千束だ。サイトウの動きは、明らかに彼女のスタイルを模倣したものだ。

 無論、サイトウに敵の発砲を見切る目はない。この狭い階段室内でそれは大きな枷となる。しかし彼女には千束が持ち得ないものが一つあった。

 圧倒的な──人間離れした、と表しても過言ではない──身体能力だ。

 未だに敵が一発も撃てていないのは、偏に彼女が、馬鹿げた膂力を秘めた長身を瞬きより早く疾駆させ、千束以上の踏み込みと打撃でもって対手の反応速度を上回り続けているからに他ならない。

 撃たせずして撃つ。斬らせずして斬る。非殺傷弾を込めたハードボーラーはあくまで間合いを詰める上での牽制に過ぎない。彼女の本領は蹴打と殴打のリーチの更に先、肘撃(エルボー)すら視野に入るゾーンにこそある。

 千束の交戦距離を超至近距離(ポイントブランク・レンジ)とするなら、さしずめサイトウはさらに過激な()()至近距離と定義できよう。

 嵐のような猛攻に次ぐ猛攻にすり潰されるようにして、最初の五人は三秒足らずで全員が地べたへ叩き伏せられた。しかし、たきながようやく追いついたかと思えば、彼女は背後に一瞥もくれないまま、さらに言うなら地に足をつける事すらなく、下へ下へ、怒涛の勢いで跳躍していく。

 サイトウはリコリスである前に司令の側近であり、明確に階級が定められているわけではない。しかしファーストとして活動することも少なくないらしい。ならば相応の実力を備えているはず。たきなはそう考えていた。

 だが彼女の身のこなしは完全に想定を超えていた。自身の相棒に比肩しうる者などいるはずがないと、無意識に思い込んでいた部分もおそらくはあったのだろう。

 セカンド以下がいくら集まったところで、ファースト・リコリスには決して敵わない。

 そして。ファーストがいくら集まったところで、錦木千束には決して敵わない。

 そんな彼女と遜色ない大立ち回りを演じるサイトウもまた、埒外の天才といえるだろう。

 もっとも、その身体に備わる特異性を才能と呼んでいいものか。

 階段の手すりを飛び降りるようにして彼女を追う最中。M&Pを握る手の内が冷や汗で湿った。

 前衛(ポイントマン)のサイトウをカバーするということは、必然的に、射界の中には彼女が入る。人質のエリカを助けるために放った銃弾が、窓から飛び込んできたサイトウを蹂躙したあの時と同じく。

 撃てるだろうか。

 いいや、撃つのだ。撃つしか、ないのだ。

 階段の終わり、開け放たれる扉。アサルトライフルを持った男が二人。サイトウのハードボーラーはスライドが後退しきったホールドオープン状態。リロードしなければ撃てない。今こそ後衛の出番だ。

 ウィーバー・スタンスで狙いをつける。

 蛍光色に光るナイトサイトが敵の一方を捉えたまま小さく震えている。照星のすぐ横にはサイトウの背。手元が数ミリでも狂えば彼女に当たる。

 トリガーにかかる指が、動かない。

 息が詰まった。血の池に倒れ伏し、白い制服を真っ赤に濡らすサイトウの姿が今の光景に重なって見えた。

 何をしている。撃て。撃て。敵を撃て。仲間を助けろ。ためらうな! たきなの冷静な部分がひっきりなしに喚く。

 それでも、撃てない。

 撃ちたくない。

 怖い。

 まごついている間に、男たちが構えるアサルトライフルの銃口が彼女に向いて。

 たきなは目を固く閉じた。

 閉じて、しまった。

 

「たきな」

 

 銃声の代わりにたきなの耳朶を打ったのは、優しすぎる声だった。

 恐る恐る、目を開ける。加速した主観時間の中、眼前に翻るもの。

 バク転の要領でライフルを蹴り上げ、宙を舞い、たきなのもとへ、彼女が来る。

 前を見た。男たちはのけ反り、隙をさらしている。サイトウは空中におり、射線を塞ぐものは何もない。

 一発。

 二発。

 その射撃は、直前の動揺が嘘のように冴え渡っていた。

 一拍置いて、二人の右前腕から鮮血が噴く。これで銃は封じた。

 

「ありがとう」

 

 たきなの前に降り立ったサイトウが囁く。同時に、空を切りながらリロードを済ませた白銀のハードボーラーが、瞬く間に四度火を噴いた。

 暗闇に砕け散った非殺傷弾の粉塵がもうもうと舞う中、銃声と同じ数の薬莢と、空になったマガジンが一つ、硬質な音を立てて落ちた。

 

「……すみません」

 

 そんなつもりはなかったのに、消え入りそうな声が出た。サイトウは自らのバッグから止血ガーゼの入ったパウチを取り出しながら、たきなの方を見て柔らかく微笑んだ。

 

「どうして?」

「撃てませんでした。パートナー失格です」

 

 気絶した男の腕に大判のガーゼが押し当てられる。薬液が染みたのか、彼は食いしばった歯の間から苦悶の息を漏らした。唸り声の間に小さく聞こえてくるのは女の名前だろうか。どことなく中南米の響きを感じた。

 心配はいらない、楽にして。まるで母親が愛する息子に言うような調子で、サイトウは彼をなだめる。彼女が話すスペイン語の授業はリコリスの養成課程にない。きっと独学だろう。

 

「そんなことないって、普段なら言うところだけど」

 

 たきなが欲しいのはそんなんじゃなさそうだ。男の腕に固定用のテープを巻き付けながら、彼女は続ける。

 

「あたしに……叱ってほしいのかな」

 

 問いかけのようでいて、その実どこまでも断定的だった。

 

「あたしは、たきなを恨んだことはないよ。これからも絶対にない」

「……」

「それとも、あたしに許されても、自分を許せない?」

 

 こくり、と頷くほかなかった。二人目の応急処置を始めた彼女に、たきなは無言で手を貸した。

 

「あたしと同じだね」

 

 優しい声音の中に、何か、聞く者の胸を深々と刺すような、痛ましいものが隠されているように思えた。

 

「あたしは今まで、たくさんの人を……傷つけてきた。謝りたくても二度と謝れなくなっちゃった人も、大勢いてさ」

「サイトウさんは、いい人ですよ」

「ありがとう。でもね、あたしは自分をそう思ったことは一回もないんだ。あたしが誰かに優しくするのは、あたしがいい人だからじゃないの。ただこれ以上、誰も傷つけたくなくて、誰にでもいい顔をしてるだけ。そうやって、自分が嫌いな自分を隠して……ごめん、話がそれた」

「いえ」

「えっと、そう。あたしは、人を傷つける自分が好きになれない。だから、こんな人間は許されるべきじゃないと思ってしまう。たきなはどうかな」

「私も、そうだと思います。サイトウさんを撃ったことは、忘れられません」

「どうしたらいいんだろうね。どうしたら、自分を許せるんだろう。こうやって偉そうに喋ってるくせに、あたしには何も分からないんだ。でも、そういう辛さがあるってことだけは、分かるよ」

 

 だから、さ。

 

「あんまり抱え込まないで。あたしも話を聞くくらいならできるから……ね?」

 

 サイトウはそう言ってまた、哀しい微笑を見せた。

 彼女がここまで自分のことを話してくれるのは初めてだった。彼女の心の深い部分に立ち入るだけの信頼を勝ち取ることができた喜びと、得体のしれない物悲しさがない交ぜになった、複雑な感情の波がたきなを襲った。

 

「……ありがとうございます」

 

 可哀想、ではない。申し訳ない、とも違う。

 上手く処理できない。

 知らず知らずのうちに、サイトウは立ち上がっていた。差し伸べられた大きな手を取って、たきなも階段室の外へ出る。

 細長い廊下だった。非常灯の赤い薄明かりだけが等間隔に灯っている。通路は少し行ったところで右に折れており、その先にあるだろう倉庫に人の気配はなく、不気味に静まり返っているばかり。ターゲットはそこにいるはずだが。

 不審に思いながらも進もうとしたたきなを、サイトウが腕で制する。

 

「アンブッシュだ。しゃらくせぇな」

「分かるんですか?」

「奴らから見た今の状況はこうだ。外が静かすぎることに気づいて偵察に向かわせた仲間が誰も戻ってこない。その上、貨物用エレベーターは停電で動かず、地上へのルートはこの階段だけ。なんなら銃声もバンバカ聞こえてくる」

「……下手に打って出るより、有利な地形で敵を待ち構えたほうが良い」

「倉庫内からの反響音で、今その仮定が確信に変わったところ」

 

 壁に無線の中継機を貼り付けるサイトウを横目に、じっと耳を澄ませてみる。

 

「……私には何も聞こえません」

「聞こえるっていうか、音の響き方が無人の時と違うんだ。反響定位(エコーロケーション)って知ってる?」

「そういうものがある、という程度には」

「練習すればたきなもできるようになるよ。クルミ」

『どうした?』

「待ち伏せだ。一度電気を復旧させてみよう。エレベーターにのこのこ乗るようだったら途中でまた止めてやればいい」

『階段を上ろうとしてきたら?』

「その時はこっちから不意を打つ。二手に別れて、上下から挟撃を仕掛けてくる可能性もあるが……だとしてもやることは同じだ。ポイントマンはあたしが、たきなは引き続き援護を。それと、千束」

『はいはーい!』

「クルミと一緒に廃工場外周の警戒を頼む。そろそろ出てくるはずだ」

『オッケー、モグラ叩きね』

『五秒後に通電する。備えろ』

「ま、戦いにはならないと思うけどね」

「どういう意味です?」

 

 答えを聞く前に、明転。サイトウの手にはいつの間にかピンの抜かれたスモーク・グレネードが握られている。

 反攻に備えた態勢のまま、短くない時間が過ぎた。曲がり角の先にキルゾーンが形成されているとあっては、その緊張はひとしおだ。

 

『もすもすー?』

 

 たきながいい加減に焦れてきたその時、いっそ感心するほど気の抜けた声がインカムに届いた。

 

「千束?」

「やっぱりボスは一人で逃げたか」

『うん、ダクトから出てきたからしばいといた』

「ご苦労。麻取(マトリ)への引き渡しは後方の第一九特設任務部隊(ナインライヴズ)に任せて」

『はいよ。やー、あっけなかったねホント』

「すみません、今一つ話が見えないんですが」

「えっとね」『えっとね』

「あっ」『あっ』

「どうぞどうぞ」『どうぞどうぞ』

「……漫才やってんですか?」

『ちゃうわ!』

 

 ツッコミを入れたことでなし崩し的に会話の主導権を手にした千束の説明をかいつまむと、こうだ。

 麻薬密売組織を率いる男はそれなりに場数を踏んだ筋金入りの犯罪者で知られる。そんな男が、防衛には適しても逃走手段に乏しい地下を生活拠点にしている時点で、今回のような最悪のケースに備えた何らかの対策が施されていることは予期していた。そこで、サイトウとたきなが正面から護衛を圧倒し、焦った男がたまらずその秘策とやらを使って逃げ出したところを捕らえた。

 

「インテリほど引っかかるんだよ。俺には作戦があるんだ! なーんて言いながら安全地帯からのこのこ出てくるんだから」

 

 千束の言を引き継いだサイトウは、一度は抜いたグレネードのピンをレバー部に押し込んで強引に安全化すると、あろうことかハードボーラーまでバッグに戻してしまった。

 

「帰ろっか」

「えっ、奥の部屋はいいんですか? まだ麻薬と兵士が……」

「あいつらも仕事でやってんだから、クライアントがいなくなったら帰るだけだよ。国内でブツを捌くツテなんか傭兵にはないし、どうせ一帯は政府が監視してるんだ。怪しい動きはすぐわかる」

「……暴れませんよね」

「そこはほら、エチオピアかパキスタンあたりのやっすいコピーAKに、やっすい鉄薬莢(スチールケース)の弾込めてるような奴らだから。ノーギャラじゃ、ボコボコにされた仲間を医者に見せるので精一杯でしょ」

「なるほど。なら薬はほとぼりが冷めたころに麻取が回収すれば」

「うん、全部丸く収まる。だからあたしたちの仕事はこれで終わり」

 

 あ、そうだ。たきなが階段室へ足を向けると、背後の彼女が珍しく声を弾ませた。

 

「帰ったらコーヒー淹れてくれない?」

「千束のほうが上手いですよ」

「たきなのコーヒーが飲みたいの。お願い!」

「まあ、そういうことなら……」

 

 曖昧に返事をしてから、発言の真意がわかった。

 多分、頼られているのだ。とても不器用な形で。

 大げさに言えば、たきなが存在を信じるサイトウへの罪、その贖罪を助けるために。

 そうだ。

 そうだった。

 ずっと、許されている実感が欲しかった。

 胸の奥に突き刺さっていた棘が、ようやく抜けたような思いがした。

 

「とびっきりおいしいの、淹れますね」

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