絶対に百合に挟まらない司令の懐刀系性癖山盛りTSヤニカス不死リコリス   作:千年 眠

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 たきなを連れ立ってバー・フォービドゥンへ入ってから数分としない内に、千束はサイトウから到着の報告を聞いた。なんでも仕事の都合上、既にいくつかの名義で会員登録を済ませていたために、クルミに偽装を任せる必要がなかったのだとか。

 

「もう店内にいると言っていましたが、見つかりませんね」

 

 二人が案内されたソファ席は入口に近く、しかし目立ちもしない、張り込みに都合のよい位置にあった。必然的に来客の一人一人を観察することは容易であったのだが。

 

「っかしいなぁ、イケメン女子も男装女子もいねーなぁ……」

 

 飛びぬけて背が高く、骨太で、かつ、黒髪のベリーショートなどという希少属性の塊のような彼女は、千束の目をもってすれば捕捉は容易であるはずだというのに、一体どこへいるやら定かでない。似通った印象を覚える人物は多少なり見つかるものの、やはり、普段のサイトウの姿と合致する者は一人もいなかった。

 そんな中。

 飲めもしないスパークリングワインのグラスを無駄にくるくると回して遊びながら、諦め悪く周囲を伺う千束の肩に、何者かの手が触れたかと思えば、

 

「どこ見てんだよ」

 

 大人びた抑揚の低い女声が、含み笑い混じりに問いかけた。

 

「あ、サイト──ヒュッ」

 

 声の方へ振り向いた。

 その瞬間、千束はビビった。心底ビビった。

 黒一色のシックなカクテルドレスに高いヒールを合わせた彼女は、ゆるく巻いた長髪のウィッグによって普段の中性的な佇まいを跡形もなく駆逐してのけていた。

 真黒い衣装、真黒い髪、真白い肌。あらゆる有彩色を排除した硬質なシルエットに一点、ヴァイオレットのリップが蠱惑的な彩を添える。

 それは正しく、危険な色気を惜しげもなく振りまく魔性の女、ファム・ファタール。千束の自由奔放な語彙に言い換えるならば、さしずめ、「べらぼうにえっちな大人のお姉さん」といったところであった。

 

「変装ってのはこうするんだよ、山葵(わさび)のりこさん」

 

 この後三人でめちゃくちゃ自撮りした。

 

 

#7:To be, or not To be

 

 

「DAが来てる」

 

 千束たちのセルフィーにざっと二〇枚近く付き合ってから、俺はようやく本題を切り出した。

 

「リコリス?」

「特命情報調査室。楠木司令直属の特殊検索班だよ」

 

 隣に座る千束から代わりに飲んでくれと押し付けられたフルートグラスの反射を使って辺りを索敵すると、誰かまでは識別できないが、さっきからこちらを見ていたそれらしい人影が一つ、動いた。

 わざわざ接触を試みてくるということは、向こうにとって俺たちの存在はイレギュラーなんだろう。特調の基幹メンバーが動くなんて、よほど重要な案件でなければありえないわけだし、これはちょっとまずいブッキングをしたか? 

 

「ついてきてもいいけど、どちらか一人は残って入口を張っていた方がいい」

「私が残ります。千束」

 

 向かいの席のたきなとアイコンタクトを交わした千束が何かを言おうとしたその時、ホールの奥から近づいてきたパンツスーツの女性が、すれ違いざまに俺のむき出しの肩に指を這わせていった。

 振り返って背中を目で追えば、誘うような流し目を返される。

 なるほどそういう脚本か、アラキ。悪いとは言わないが、ちょっと古典的すぎると思うのは映画の見過ぎかな。

 

「あの人がそう?」

「そう。ちょっと間、開けてから来て」

 

 自前のクラッチバッグを手に後を追うと、彼女はホールを外れて、閑静な廊下に入った。先にあるのは、化粧室と喫煙室。アラキは後者に入っていく。

 真鍮色の重厚なドアノブを押し開けるや否や、一本の紙巻き煙草を持ったアラキの手が目の前に突き出された。

 深い青の巻紙に金のフィルター。著名な高級シガレットを模したそれを受け取って唇に挟むと、中に硬い感触がある。この感じは、タイプCメモリか。

 細身の洒落たライターで点けてもらう。

 

「なぜここに? いや、俺のセリフじゃないか」

追跡行(トレイル)です。樺太でゴウダが情報を掴みました」

 

 二人揃って、言葉と一緒に薄い白煙を口からこぼす。ひどい味がする。似ているのは見た目だけか。それとも、俺の舌が馬鹿になっているのか。

 

「例の銃の件で?」

「はい。室長にも任務がアサインされています。ご確認を」

「分かった。アラキはどうする?」

「後退し、退路の確保を。筋電歩行補助外骨格(アシスト・スケルトン)は目立ちますから」

 

 それと。

 アラキは火を点けたばかりの煙草を早々に灰皿へ投げ込むと、去り際に俺の顔を見た。

 

「百合の件は、すまなかった」

 

 端的で、けれど、多くのものを秘めた言葉に、俺は何も言わずに頷いた。律儀な人だ。それと同じくらい、繊細な人でもあると思った。

 今際の際の百合先輩にされたことを誰にも話さずにおいたのは正解だった。当時こそ、先輩の死を看取るのが、彼女が愛した人ではなく、所詮は他人でしかなかった俺であったことは、たとえ俺には不可抗力だったとしても、許しがたい罪のように思えた。だが仮に、あの場にアラキがいたら、ともすれば後を追ってもおかしくないショックを受けていたんじゃないだろうか。

 二人の間に無粋に割って入った俺が、それを肩代わりすることで事が丸く収まった。真実はどうあれ、そう信じ込んでおくことで、俺は俺の心を守ることができる。

 先輩が最期に縋ったのが、胸を貫こうとする鉄柱を受け止める俺ではなく、記憶の中のアラキであったことに、嫉妬なんかしちゃいけない。

 そんな資格、俺には最初からなかったんだから。

 そう、なかったんだよ。

 

「千束、廊下を見張ってて」

 

 アラキと入れ違いに入ってきた千束を、副流煙が薄く漂う喫煙室から言外に追い出す。

 過ぎたことをあれこれ蒸し返すのはもうやめだ。

 

「はいよー」

 

 いや、暗に出ろって言ったのになんでしれっと入ってくるんだよ。扉をちょっと開けておけば十分見える? ああ、そう……自分がいいならいいけど。

 吸殻のフィルターを千切ると、フィルムにくるまれた小さなフラッシュメモリが顔を出す。無線マウスのレシーバーをもっと小さくしたようなやつだ。クラッチバッグから引っ張り出したスマートフォンに繋ぐと、ブリーフィング用のアプリケーションが自動的に立ち上がった。

 追跡対象の名は吉松シンジ。明るい色の髪をオールバックにした壮年の男だ。

 プロファイルによればアメリカ陸軍で二〇年ほど軍医を勤め、名誉除隊。その後はアラン機関で()()()()()()()()をやっていたらしいが、具体的な活動内容は不明。

 ただ二点だけ、ゴウダたちの捜査で明らかになったことがある。

 彼がアランを通じて、国際テロリスト真島へ大量の武器弾薬を供与したこと。

 そして。

 マリヤ・アレクサンドロヴナ・マギナ、旧称、栗原百合にBMP-2歩兵戦闘車を提供したこと。

 これが追跡任務で良かった。暗殺だったら、俺はすぐさまここを飛び出して、公衆の面前で奴を殴り殺していた。

 

「吉松、シンジ。吉松、吉松……()()()()?」

 

 直接会ったことはないが、千束がたまに、吉松という、ミカさんの知り合いだという客の話をしていたのを思い出した。

 最後に千束がヨシさんの話をしたのは確か、五ヶ月ほど前。俺がウォールナットを殺そうとしていた時。

 ロシアで仕事をしていた、と。

 それが経済特区ユジノ・サハリンスクのことを指していたのだとしたら。

 

「千束」

「ん?」

「店にたまに来るヨシさんって、こんな顔?」

 

 ガラスの嵌め込まれたドアをわずかに開けて廊下の様子をうかがっていた千束に、祈る思いで画面を見せた。

 どうか、別の吉松であれと。

 

「うん。その人だけど……なんで?」

 

 心臓を鷲摑みにされた気分だった。

 いっそ握り潰してくれればいいとさえ思った。

 

「言っていいのか、わからない」

「教えて。それでサイトウが楽になるなら」

「楽に?」

「すごく、辛そう」

 

 優しすぎる声だった。

 頷いてみせるのが精いっぱいだった。

 

「ヨシさんが。吉松シンジが銃取引事件の黒幕だった。あの人が樺太の武器商人を動かしたんだ。そのせいで……」

 

 みっともなく声を震わせる俺の背中に、千束がそっと手を触れた。

 歯を食いしばる。余計なことを口走らないように。

 掌のあたたかさに、涙が滲まないように。

 

「命令があった。俺は追わなきゃ」

「私は……ううん。帰ったほうが、いいね」

「二階席から回り道すれば入口からの視線は切れる。そのままたきなを拾って裏口から出て。今ミカさんとかち合うのはまずい」

「わかった」

 

 千束が小走りで喫煙室を出ていく。一度、二度と深呼吸。感情の波を抑え込む。いつの間にかドレスの襟元を握り締めていた手を放す。

 大丈夫、大丈夫。落ち着いた。もう取り乱したりなんかしない。

 俺は冷静だ。

 スマートフォンを操作して、ブリーフィングにあった通信チャンネルを追加する。これでリコリコとDA、両方の会話を耳に仕込んだイヤホンから聞ける。

 

『STF-19、小隊間データ・リンク構築完了。UAV順次発進中』

『STF-18、攻勢防壁(ブラックICE)全種展開(フルオープン)。当該セクター隔離までカウント三〇』

『STF-20、店内イントラネットへの不正アクセスを検知。変異型二種、結合型六種、デコイ一三種の不活性化処理を完了。ラジアータへ支援防壁展開を申請』

『アルファ現着。監視対象を確認』

『ブラボー現着、されど民間人多し。司令部、対処求む』

『チャーリー現着』

『デルタ現着』

『エコー現着』

 

 特設任務部隊(タスク・フォース)三個に、リコリス分隊が五個だと? それもフキさん率いる精鋭のアルファ分隊まで駆り出すなんて。

 司令はここで勝負を決めるつもりか。

 発信周波数をリコリコ組の帯域に切り替える。

 

「クルミ、DAだ」

『わかってる、こっちで適当にやっておく。ぼくたちは撤退でいいんだな?』

「ああ。固定翼型の長距離偵察(LRRP)ドローンが飛び始めた。急がないとこっちまで捕捉されかねない」

『うっわ、本気じゃない。車変えといてよかったー……』

「俺は仕事をアサインされたから残る。千束とたきなを拾ったらすぐに出て」

 

 クラッチバッグから銃を出した。昼間は太股のホルスターに差していた小ぶりな二インチリボルバー、キンバーK6S。シリンダーをスイングアウトすると、六つあるチャンバーのうちの二つに、発信機(トラッカー)を内蔵する消音弾薬が装填してある。

 実弾をセットしたスピードローダーも一応は常備しているが、こっちは使わないことを願うばかりだ。

 

「STF-21-1より司令部、ターゲット情報を受領。指示を」

『吉松シンジ。こいつの車に発信機(トラッカー)を仕込め。後の指示は追って出す』

「了解」

『私は休めと言ったはずだが』

「はっ。申し訳ありません」

『今のお前は消耗している。戦闘はするな』

「避けろではなく、するなですか」

『そのための小隊だ。いいな』

「はい」

 

 大丈夫だといいけど、なんて思ってしまうのは傲慢だろう。仲間の力を信じるべきだとは思うが、拳銃弾を一発食らうだけで死にかねない体というのは、俺にはとても脆く、弱いものに見えてしまう。なかなか抜けない悪癖だ。

 

『ロータリーに向かえ。秘書の女が車を回してくるはずだ』

 

 裾をまくり上げ、K6Sをレッグホルスターに差した俺は、メモリを抜き取った吸殻と保護フィルムをまとめて小さなパウチに入れてバッグへ隠し、素知らぬ顔で廊下に出た。

 ここ、フォービドゥンはラグジュアリーホテルの中層階に居を構える会員制バーだ。消防法の兼ね合いで出入り口は複数あるが、結局のところ出入りにはホテル正面のロータリーを必ず通らなきゃいけないから、そこを張っていればどうとでもなる。DAが考えているのはそういう作戦だろう。

 ホールには戻らない。通路を反対に進み、非常口へ。

 

「警報は?」

『こちらSTF-19、停止済みです』

「ありがとう」

 

 サムターン鍵の安全カバーを割って開ける。ドアを開けた先は屋内の非常階段だ。歩きにくくてしょうがないヒールを脱いで手に持ち、リノリウムのそっけないそれを数段飛ばしに駆け下りていく。

 

『急に呼び出してすまなかったな』

 

 そんな最中、イヤホンから唐突に男の声がした。千束のチャンネルからだ。

 衣装のチョーカーに仕込んでおいた集音マイクが拾ったんだろう。あいつが一番ターゲットに近づくと見越して細工したものだったが、まさか作戦がご破算になってから効いてくるとはな。

 いるんだ。千束のそばに、吉松とミカさんが。

 

『いいさ』

『君に尋ねたいことがあってな』

 

 硬い声色だ。けど緊張とは違う。

 

『手術後、私は君にあの子を託した。その意味を忘れたのか、ミカ』

 

 ミカさんに託されたあの子というのは千束のことで間違いない。

 だが、手術だと? 口ぶりからして千束の幼少期に何かあったのか? 

 射線を見切るような奴だ。リコリスをやってて怪我をするようなことなんてそうそうない。第一、DAでの千束の最後の任務は旧電波塔の奪還だが、あれだって無傷で帰ってきたらしいじゃないか。

 ということは、先天的な疾患か何かが──

 

『何のために千束を救ったと思ってる。あの心臓だって、アランの才能の結晶なんだぞ』

 

 ──心臓? 

 この男は、今、心臓と、言ったのか? 

 アランの才能。

 才能。

 天才。

 そうだ。

 千束は天才だ。

 あの目。あの洞察力。あの反射神経。どれをとっても。

 フクロウのチャームはアラン・チルドレンの証。才能を見出され、それを発揮するための支援を受けたもの。

 吉松がわざわざアランの才能の結晶というからには、天才に作らせた人工心臓か。

 なんだよ。なんなんだよ。こんな形で知らされるなんて。これが、今まで千束に向き合うことから逃げてきた罰とでもいうのか。

 いや、違う。俺のことなんかどうだっていい。今一番辛いのは千束だ。

 俺が口を滑らせたばっかりに。

 

『……どうして』

 

 衣擦れが聞こえる。立ち上がったのか。

 まずい。やめてくれ千束。そいつの話なんて聞いちゃいけない。

 

『どうしてなの、ヨシさん』

 

 世界のすべてから裏切られたかのような声が、俺の足をその場に縫い留めた。

 戻りたい。戻って、吉松を思い切りぶん殴って、千束の耳を塞いでやりたい。

 テロの黒幕を抑えるだけなら、それでいい。

 それでいいが、あの楠木司令が殺しも拘束も命じず、ただ追跡しろというからには、やはり、それなり以上の理由があってのこと。

 作戦の全体像を把握しないまま、独断で吉松を捕えれば、最悪、頭を失った真島がより大量の死体を積み上げる未来もありうる。

 

『私に心臓を……時間をたくさんくれたのは、本当に感謝してる。けど……どうして、テロの支援なんかするの?』

『千束、一体何を言って──』

『ふむ。君たちを少々侮っていたようだ』

『シンジ!?』

 

 クラッチバッグの中の実弾に思い当たった。

 建物の中で銃声が上がれば、このくだらない会話も中断させられるはずだ。

 

「ミズキさん、一度出て。千束とたきなは俺が何とかする」

『え!?』

「クルミを安全な所へ、早く!」

『わ、わかったわ!』

 

 バッグから取り出したクイックローダーから、弾を一発抜いてK6Sの空いたチャンバーに込める。

 あとはトリガーを引くだけでいい。

 だが、本当にそれでいいのか。

 千束の心か。

 大勢の命か。

 どちらを救うか。

 どちらを切り捨てるか。

 

『答えはシンプルだ。天才を支援し、その才能を世に羽ばたかせることが、私の使命だからだよ』

 

 俺は過去に一度、同じ選択をしたことがある。

 初めてリコリスを殺した日。

 俺は仲間の助命と引き換えに、あの人たちを殺した。

 

『……え、嘘、だって、アランは困ってる人を、』

『そうだとも』

 

 だって今まで、たくさん、たくさん、殺してきたから。

 これ以上誰にも、俺のせいで死んでほしくなくて。

 

『意味分かんないよ。どうしてよ!』

『難しいことはないよ。君と同じ才能を持つものを、同じように支援したのさ』

『同じ才能を、持ってる……?』

『よせシンジ!』

 

 そうやって俺は、また、

 

『類稀なる、殺しの才能をだよ』

 

 銃を取り落とした。

 地面が揺れている。

 耳鳴りがする。

 踊り場の壁が近づいてくる。

 違う。

 倒れているのは、俺だ。

 

『千束。君はこんなところで燻っていていい人間ではない。使命を果たすんだ』

『待てシンジ! クソッ、すまない、話をつけてくる!』

 

 なんで俺が傷ついてる。千束を見捨てておいて、そんな資格、ないだろう。

 

「畜生」

 

 やめろよ。今さら善人ぶるなよ。

 

「ち、くしょう……」

 

 なんで泣いてんだよ、俺。

 

『車が来た。急げ』

「……はい」

『どうした。体調が優れないか』

「……いいえ。問題ありません」

 

 呆然として、身を起こす。拾い上げたリボルバーのシリンダーを回して、次弾を発信機に変える。

 ヒールも持った。バッグも持った。

 一段一段、下りていく。

 下りて、下りて、下りて──銃声がした。

 俺じゃない。イヤホンの向こうで司令部がどよめいている。エレベーター、という単語と、ミカ、という名前をかろうじて拾った。

 俺が選べなかった選択肢を、こうもあっさり選び取るか。

 なぜ俺は、ミカさんのようにできない。なぜ少数を切り捨てて多数を取ることしか能がない。どこまで臆病なんだ、お前は。

 なあ。(サイトウ)。お前はきっと、地獄に落ちるよ。

 

『標的は無傷、作戦は続行だ。ミカは当てなかった』

「了解」

 

 一階のドアの前にいる。ヒールを履いて。太腿に銃を隠して。マスカラの溶けた黒い涙の筋を拭って。

 

『騒ぎが起きている。一階に民間人が集まりつつあるが、できるか?』

「はい」

『最悪、車の撮影だけでも構わん』

 

 ロビーは騒然としていた。が、銃声を銃声と認識できている人間は一人もいないようだった。生まれて初めて聞く音だったんだろう。

 事故か、爆発か。あるいは、小火(ボヤ)騒ぎか。そんなことを話している客たちの間をすり抜けて外に出る。

 いくつもの間接照明にライティングされた豪奢なロータリーに、ダークグリーンのジャガーが停まっていた。運転席にはスーツの女性が見える。彼女の周囲への気の遣り方が普通じゃないことは一目で分かった。それなりに訓練は積んでいるらしい。

 銃声を警戒しているんだろうが、それを俺にあっさり看破されているあたりが、実にそれなり止まりだ。多分、たきなでもやれる。

 ロータリーの車道を渡る最中、吉松の車の後ろで都合よく転んでへたり込む。ちょうど高いピンヒールだ。ダサいが不自然じゃない。

 ドレスの裾を払い、リボルバーをクイックドロウ。車の下回りに二発。粘着質のジャケットにくるまれた発信機が貼り付く。すぐさま銃をホルスターへ戻す。

 DAが独自に内製する消音弾薬は、薬莢内に内蔵したピストンを装薬の燃焼ガスで押し出すことで弾頭を発射する構造だから、銃声や発砲炎は出ない。

 

『車に乗れ』

 

 ルームミラー越しに女の視線を感じながら、対岸の歩道に渡る。すると俺の背後、ジャガーから少し離れた乗降レーンに黒塗りの高級セダンが滑り込んできた。ドアを開けると、女があっさりと警戒を解いたのが気配で分かる。

 運転手はアラキだった。

 

「ターゲットの乗車を確認次第、作戦領域を離脱します」

 

 ほどなくして、吉松シンジは一人で出てきた。弾は当たらなかったとはいえ、撃たれたっていうのに余裕たっぷりだ。クソ度胸の持ち主か、本物か。あるいは、ミカさんに傷つけられない確信があったか。

 おそらく、最後者だろう。盗聴した声だけでも、ミカさんと吉松の関係が、単なる友人の距離感にないことは察することができる。

 俺が散々裏切ってきた信頼と同質のそれだ。

 二一人。二一回。裏切った親愛。友愛。情愛。

 ミカさんは、俺と同じ苦しみを味わわずに済んだんだろう。

 それでいい。それで、いいんだ。

 俺のようには、ならないでほしいから。

 

「出ます」

「少し待って。千束とたきなが、まだ」

「中原さんはいらっしゃらないので?」

「銃声がしたから下がらせた」

「一台に三人は目立ちます。後ほど迎えの者を向かわせましょう」

「……お願い。見るだけでいいの」

 

 俺のわがままだ。作戦の遂行のためには、無視していいはずだった。

 

「三〇秒待機します」

 

 フルスモークのリアウィンドウは、中から外を見ることはできても、外からの視線は通さない。ホテルの入口を食い入るように見やる。

 その時、赤いドレスがひらめいた。息を切らせる千束に構わず、吉松の車は無慈悲に動き出し、去っていく。

 そんな仕打ちを受けてなお、緋色の視線は、車内の男を追っていた。

 

「……あ、ちさ」

『千束!』

 

 スリーピーススーツのたきなが、打ちひしがれる千束の背中に飛び込むのが見えて、俺は無線を切った。

 千束にはたきながついている。何も心配いらない。そう、自分に言い聞かせる。

 なぜ俺は、あいつの隣に立てないんだろう──なんて、幼稚で身勝手な感情を握り潰すために。

 

「……ごめん。行こう」

 

 車は音もなく発進した。吉松とは真逆の方向に交差点を曲がり、ホテルの敷地を出て通りに出る。

 

『店で下ろす。お前の仕事はここまでだ』

 

 作戦終了、か。

 何が終わったっていうんだ、一体。解決したことなんて一つもないだろ。

 

『リコリス小隊と特設任務部隊(タスク・フォース)は目標の監視と追跡にとどめ、拘束は警視庁特殊急襲部隊が行う。懸念は無用だ』

 

 口を開こうとした瞬間、司令に先回りされた。言葉を募る気はすっかり失せてしまったが、それはそれとして、発言に一つ気になることがあった。

 

「……警視庁が、ですか。それはつまり」

『そうだ。日本政府はアラン機関を安全保障上の脅威とみなし、吉松シンジの身柄を欲している』

「米国の国務長官を爆殺された影響でしょうか」

『無理のないことだ。今日までテロリズムに殺されてきたのは、リコリスか、あるいはリリベルか、いずれにせよ日本にとって計数外の人間だけなのだからな。初の犠牲者が同盟国の使者ともなれば、重い腰を上げざるを得まい』

「政府からすれば我々は肉の盾ですか」

 

 投げやりに言うと、司令は沈黙した。さすがに失言だったか、なんて勘繰っていると、

 

『存外、そうとも言えんやもしれん』

 

 司令自身、未だに信じ切れていない声音だった。

 

『日本と米国は安保条約改定に係る協議を、国務長官の暗殺を受けてなお強行する腹づもりでいる。八重樫総理がその護衛を我々に依頼してきた』

「考えが読めませんね。わざわざDAを使う意味があるとは思えない」

『総理がお前と話したがっているそうだ』

「……何ですって」

 

 うろたえるより先に、俺はタチバナが──兄さんが内閣を嗅ぎまわっていることが露見した可能性に思い当たった。が、内心ですぐに否定する。俺たちがやろうとしていることに政府が気づいているなら、まず情報共有を受けたDAの監査部が動くに決まっている。真っ当に身柄を拘束すれば、常人の兄さんはまず確実に殺せるし、俺だっていつもの定期健診を装ってバラバラに解体されてしまったら、いくら不死身の身体があったってどうしようもない。

 護衛は建前、それは間違いないが、なぜだ。俺は何か見落としているのか? 

 

「それはまた、どういう風の吹き回しで」

『由縁は知らん。が、近日中だ。それまでに少しでも体を休めておけ。全く……上はつくづく勝手なものだ』

 

 怪我の療養も満足にできんとは。わずかな苛立ちを滲ませて、司令は通信を切った。

 しばらくして気づいた。

 司令が言っていた怪我人とは、俺のことか、と。

 

 

§

 

 

 薄っぺらい紙にプリントされた頭と心臓をそれぞれ撃ち抜く。ハードボーラー・ロングスライドを胸元に引き付け、首を左右に振るスキャン&アセスで視野狭窄(トンネルビジョン)を解除する。

 撃つ。銃を戻す。首を振る。

 撃つ。銃を戻す。首を振る。

 硝煙の臭いで鼻が馬鹿になってきた。眩いマズルフラッシュが目に染みる。射撃レーンのテーブルはおろか、床にまでまき散らされた空薬莢が、トリガーを引く度に燃焼ガスが生む衝撃波にあてられ、微動している。

 人質を示すオレンジの人型を避けた一発が黒いターゲットの眉間を貫くと、ハードボーラーはちょうど白銀のスライドをホールドオープンする。

 持ち込んだのは七発入りのマガジンが六本。合計四十二発の.45ACPホローポイント弾は、乱戦を想定して複数のレーンにまたがる形でセッティングした二一人分の的紙すべてに、きっかり二つずつ穴を開けた。

 かれこれそれを、すでに二セットほどこなしていた。

 こんな的当てゲームで気が晴れるわけがなかった。感情に任せて引き金を引く、なんて行為そのものに不慣れというのもあったが。

 おびただしい数の薬莢をかき分けるようにしてテーブルに銃を置き、イヤーマフを壁のフックに掛ける。制服のポケットからシガレットケースを出して、煙草をくわえたその時、射撃場の外、左の倉庫の方から拍手が聞こえた。

 

「お見事!」

 

 横目で見ると、帰ったはずの千束がいた。

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