絶対に百合に挟まらない司令の懐刀系性癖山盛りTSヤニカス不死リコリス 作:千年 眠
「非行少女め」
したり顔で言われて、ようやくほんの少しだけ口の端が上がった。煙草をケースに戻そうとすると、小走りで近づいてきた千束が慌てて制止する。
「見せて」
「は?」
「吸ってるとこ」
「人様の肺にヤニ付ける趣味はねぇよ……」
「そこをなんとか!」
「……見るだけだよ」
片手で着火したマッチを口元にやり、何度か吸い込む。口の中の煙は背後に吹き出して、壁の換気扇に吸わせた。
やっぱりひどい味だ。
「コンスタンティンだ」
「ようこそ俺の世界へ」
床に散らばる薬莢を蹴散らしながら歩いて、いつもの換気扇の下の壁際に背中を預けた。あるだろ、煙草を吸うときの定位置ってさ。それだよ。
千束はそんな俺を見て一体何が楽しいんだか知らないが、少し離れたところに置いてある布張りのアウトドアチェアに腰掛けて、じっとこっちを見つめてくる。
お互い、一言も喋らないまましばらくそうしていた。
携帯灰皿に一度目の灰を落とすと、千束の方から口を開いた。
「出る前に言った話、なんだけど」
珍しく、こっちの出方を探るような、遠慮がちな口調だった。
「あんまり気にしないでね? 大したことじゃないから」
「千束」
「なぁに?」
名前を呼ぶと、緋色の目が柔和に細められた。
柔和すぎた。すぐに無理して貼り付けた作り笑いだと分かった。
そんな大根演技が俺に通用するわけないだろ。馬鹿野郎。
「遠ざけててごめん」
「私、遠ざけられてたことあったっけ?」
……本当に、馬鹿野郎だよ。お前は。
「怖かったんだ」
自分でも驚くほどすんなりと言葉が出てくる。千束と出会ってから三年間もウジウジとやっていたのが馬鹿みたいだった。
ああ、そうか。だからか。
最初から千束は。
いや。
「命令一つで同じリコリスだって殺すような奴が、千束の目にどう映るのか。自分の中の、醜い部分を見抜かれて拒絶されるのが……いい人だなって思えた人に嫌われるのが、怖かった」
誰も、敵じゃなかったんだ。
「助けてくれた相手に、俺は恩を仇で返してた。最低だったよ」
煙草の先の薄ぼんやりと明るい火種から、千束の瞳に目線を移した。いつの間にか、彼女は作り笑いをやめていた。
視線を交わす。こうして、緋色の目を見つめていると、心の奥底をも覗かれている気分になる。
そこにはもう、かつて感じた恐怖はなかった。
「千束は俺に時間をくれた。今度は俺が助けたい。だから、話して」
千束は椅子の上でおもむろに両膝を抱えると、そこに自分の顔をうずめて、深く深く息を吸った。少し遅れて、何かをこらえるような唸り声。プリーツスカートの簡易防弾生地にフィルタリングされてずいぶん小さくなったそれは、ワイングラスをそばに置いたらカチ割れそうなくらい甲高かった。
嬉しいんだか、照れてんだか、泣いてんだか。
どれでもいいか。
「……ありがとう」
顔を上げた千束の鼻頭は、ほんの少しだけ赤かった。
「そっちに行っていい?」
俺が頷くより早く、千束は俺と同じく壁に寄りかかり、腰を下ろした。
立て膝で座り込むと、二の腕のあたりに千束の肩が触れた。煙草を持った手は膝に乗せて、できるだけ離しておいた。
「私、生まれつき心臓が悪くて」
千束は全てを話してくれた。
本当なら八歳にもならないうちに死ぬはずだったこと。
しかしある日、救世主を自称する吉松に、人工心臓を贈られたこと。
そして。
「私の銃は救世主からもらったものだから……だから、人を助ける銃なんだって。そう思ったの」
人を殺さない訳を。
「って、そっちじゃないんだわ! 話っていうのは、新しい心臓の方」
声のトーンがかすかに落ち込んでいることを、千束は自覚しているだろうか。
密かに身構える。
「二〇歳までもつかどうか、なんだって。それで、お店、どうしようかなって」
覚悟はしていた。それでも、頭の芯がじんと痺れるような重苦しい衝撃に、俺は言葉を失った。
余命が数年しかないから、というばかりじゃない。
普段はうるさいくらいに快活な千束が、急に、ひどく儚いものに見えてしまったから。
「まず私とフキが卒業して、そのあとたきなとサイトーでしょ? だから、その」
千束がこうして、避けようのない死を受け入れるに至るまで、一体、どれだけの葛藤があったんだろうか。そんな不躾なことを考えた。
けれど俺には、何も分からなかった。
マシンガンの掃射に内臓をズタズタにされても、瓦礫に片腕を押し潰されても、頭に手のひら大の破片が突き刺さっても、胸を鉄柱に貫かれながら炎に巻かれても。
痛かろうと、苦しかろうと、視界が霞もうと、自分が消えてなくなる、その実感だけがない。
真に迫った死は、そこにはなかった。
自分自身の死というものが理解できない俺が、千束の心情に真に寄り添える日は、きっと来ないんだろう。
あるいは。
ヒマリが遺した身体の性能に助けられて、ただ漫然と死に損なってきた俺ではなく、喉元に迫る死に対して、真摯に向き合い、立ち向かってきた人間なら──井ノ上たきななら、違ったのかもしれない。
「その」
はにかんだような尻すぼみの声に、俺は黙って頷いて、続きを促す。
「サイトウがよかったら、なんだけど。ここ、残すのもアリかな……なんて」
息を呑んだ。
「もともとは、閉めるつもりだったんだ。だって、なんかお墓みたいでヤじゃない? それに、あんまり私のことで、みんなの時間を使わせちゃうのもよくないし」
千束はほとんど、独白のような調子で続けた。
「でも」
俺は瞬きさえ忘れて次の言葉を待つ。
「ここなら、サイトウがサイトウでいられる。悪党をぶっ飛ばして、困ってる人を助けて、誰の命も取らないで、お客さんにお菓子とコーヒー……」
一瞬、何を言われているのか、わからなかった。
俺が店の跡を継ぐなんて、そんな大それた話、思いつきさえしなかった。
だってそうだろ。俺はただの常連客。たきなのように、千束と特別仲良しってわけでもない。
命令一つで友達すら殺す俺が、そんな。
「どう、かな。いや、急に言われても無理だよね。とにかく、えっと……そういうのもあるよって、お話でした」
話の最後に、また、目が合った。
白金の髪と、輪郭とが、一緒くたに揺れて、滲みだす。
痛い。
胸の奥が。
一番柔らかいところが。
そうか。
俺は。
ずっと逃げたかったのか。
「ありがとう」
絞り出した涙声を、千束は笑わなかった。
「おかしいよな。相手がどんな畜生でも、人間って同類を殺すと傷つくようにできてるんだ」
「うん」
「俺は正しいことをしてる気になんかなれないよ」
「そうだよね」
「いっそあいつらの洗脳が効いてたら、どんなに良かったか」
「うん」
「もう誰も撃ちたくない……」
コンクリートの床に落ちて、小さな染みを作る雫。しゃくりあげる呼吸音。背中をさする千束の手。それをどこか他人事のように眺めている自分がいた。
俺はずいぶん、弱くなったな。なんて。
強かったことなんか、一度もありはしないのに。
「俺からも、いいかな。濁すほうが、不誠実だと思うから」
誰にも言わないでよ。そう念を押すと、千束は真摯に頷いた。
「小さい頃、両親が死んだのをきっかけにDAに攫われてさ。船に詰め込まれて、どこか遠いところに送られた。周りには同じような子供がたくさんいたよ。男の子も女の子もね」
あれは空調さえない密室だった。薄暗い船倉に俺たちはいた。寝転がるスペースどころか、水や食料もなく、何人かは部屋の隅で動かなくなったきり、二度と目を覚まさなかった。
「俺たちは連れて行かれた先で、体中をいじくりまわされた。その過程で……俺の脳は、ある女の子の体に
この体の持ち主、カミシロ・ヒマリは、とても小さな女の子だった。見るからに病弱で、過酷な実験に耐えられるようには見えなくて、それで俺は、いつもあの子の代わりを。
「……前は男だったらしいんだ。だから、まあ、
最後に生き残った俺と、ヒマリ。俺の体はぐちゃぐちゃの肉塊に変わり果てて、あの子の心も非道な仕打ちに殺された。
「俺の体の所有権は、この体を作ったか、どこかに作らせたかしたアメリカにある。だから卒業後は、多分、実験検体かな」
ああまでふざけた実験は、いくら人権のない人間を使ったとしても、多少なりの倫理観を備えた先進国ではありえない。一方で、新興国ではそもそも、次世代歩兵を作る技術がない。高強度戦闘適応調整は、今のところアメリカとその同盟国の専売特許だ。
つまり、アメリカを始めとする先進国が多数の法人を置く経済特区ユジノ・サハリンスクなら可能だ。
あそこは特に法規制が緩い。ブタの体内でヒトの移植用臓器を育てる世界唯一の生体製品工場を共同統治機構の認可を受けて操業しているのは、確かアメリカのエメス・バイオ・リサーチ──余談だが、社名の由来はユダヤ教の伝承に登場する不死の召使であるゴーレムの額に書かれた、真理を意味するヘブライ語「
ASEAN2.0が定めた法の下で、それだ。
法律。倫理。常識。あらゆる制約の一切を無視できるだけの土壌が、あの犯罪都市にはある。ブタでやったことを、今度はヒトで試したくなった奴がいても何らおかしくはない。
企業はもとより、サハリンという名のパイを分け合う国家ですら。
「……楠木さんは、何も言わないの?」
「司令にはどうすることもできないよ。リコリスの処刑と同じく、上が……審議部が決めることだから」
DA東京支部に併設された本部。そこは、楠木司令ですらエントランスより奥には立ち入れない象牙の塔だ。唯一の例外はリリベルを統括する虎杖だが、あの男だって、分厚いコンクリート製のバンカーに引き籠もったきり出てこない審議部の連中からしたら木っ端に等しい。
DA、ダイレクト・アタックはその名が示す通り、実力行使による国益の追求を目的とした一部門に過ぎない。
仮称、八咫烏。俺の敵は、そういう組織だ。
個人が相手取るには、あまりに強大すぎる敵。俺なんて、身じろぎ一つですり潰されてしまうだろう。
勝ち目なんて端からない。ないからこそ、俺は。
「そういうわけで、ごめん。俺はここにはいられない」
誰も、この戦いには巻き込まないことに決めていた。
「それでも、気持ちは嬉しい。すっごく、すっごく嬉しいよ。ありがとうね、千束」
だから、この感謝は本物だ。
千束と腹を割って話せるのは、これが最後かもしれないから。せめて、悔いのないように。
「世の中、上手く行かないな」
なんて冗談めかして笑うと、千束も一緒に吹き出した。
「ほんとそーだよね」
「それでも、生きていくしかないのかな」
「毎日、ちゃんと生きたいよ。私は」
「
「でも、こうしてこの歳まで生きてサイトウに会えたのは、恵まれてるなぁって思うよ?」
俺もそう思う。なんて小っ恥ずかしいことはとても口にできなかったが、それでも、肯定の意を込めて微笑んでおくことは忘れなかった。
「それはたきなに言ってやりなよ。相棒なんだろ」
「うふふ、そうでした」
千束はたきなが絡むと、本当にいい笑い方をする。事の始まりはひどいものだったが、今となっては、あいつのいないリコリコは考えられないくらいだ。
隣を歩く親友がいるなら心配することは何もない。俺は心おきなくここを巣立てる。
「ね。どんな味するの?」
いつの間にか立ち消えて、床に放られていた煙草を、千束はまじまじと見つめていた。まだずいぶん長かったが、構わずつまみ上げて携帯灰皿に放り込んだ。
「見るだけって言ったろ」
「うぇー、いいじゃんかよぉ、一回くらいワルい子になったってぇ」
「成人してからの楽しみにすればいい」
今度は目をまん丸くして俺を見上げてくる。ったく、真面目な話が終わった途端に面白い顔しやがって。
「いいね。それ」
灰皿をポケットに突っ込んで、顔を上げる。
千束は、まるで花開くように微笑んだ。
今まで一度だって見たことのない表情だった。
「すごくいい」
くすくす、と笑みの余韻を残しながら、千束は頭を俺の肩に預けた。
抱えていた片膝を投げ出して、ただ、受け入れる。
千束は俺が死んだら悲しむだろうか。
フキさんは、サクラは、エリカは、ヒバナは。
ミカさんは、クルミは、たきなは──ミズキさんは。
兄さんは、楠木司令は、
みんなが悲しむのは、嫌だ。
黙って生きるべきか。
声を上げて死ぬべきか。
僕の人生を取るか。
消費され続ける、リコリス、リリベルの人生を取るか。
それが問題だ。
§
吉松シンジが最初に感じたのは、肌を焼かんばかりの猛烈な熱気だった。
「──い?」
何かが激しく燃えているのだろうか。轟音が幾重にも空間に反響している。意識が覚醒するにつれ、物々しい靴音も複数、聞こえてきた。
「──おーい。生きてっかー?」
無遠慮に脇腹をつつく革靴に、いつの間にか腹に作っていた痣を押されて、思わず呻く。
「よおし、生きてんな。とっととずらかんぞ」
聞き覚えのある声だった。ずいぶん昔に支援した男だ。錦木千束の当て馬に仕立てるため、吉松自ら機関のタブーを破り、二度目の支援を行った男でもある。
目を開ければ、そこにいた。
「……私の、秘書は」
真島は背後を顎でしゃくった。熱いアスファルトに手をついてなんとか身体を起こすと、気絶した彼女は作業着を着た大柄な男に抱えられていた。意識を失う前に見た、彼女の額に滲む血は既に拭い取られ、真新しいガーゼが当てられている。
「かすり傷だ」
「……そうか。良かった」
「安心するにはまだ早い。派手にやったからな、軍隊が制圧に来てもおかしくねぇ」
「戦うのか?」
「お前ら二人のためにか? まさか。来い」
煤と戦塵に汚れ、袖の片方が肩口から半ば千切れかけていた背広を脱ぎ捨てて立ち上がると、ようやく状況が飲み込めてくる。
吉松の背後、トンネルの出口で燃えているのは、警視庁の警護車だ。おそらく車列の最前を走っていたところを、対戦車ロケットか何かで吹き飛ばされたのだろう。通常の事故ではありえないほど歪んだシャーシが、内壁に叩きつけられた格好で静止している。乗員の末路は考えるまでもない。
正面に向き直って、気づく。
警官の死体だらけだ。五体満足で立っているものは、真島の仲間以外に誰もいなかった。
前を行く真島に問いかける。
「私にここまで投資することに、何か意義はあるのかい?」
「知るかよ。そいつは俺じゃなく、山ほど金を積んだクライアント様に……ああ、ちょうど来たぜ」
真島は半ば嘲るように笑うと、舞台俳優の如く芝居がかった仕草で、対向車線から近づいてきた黒いセダンを示した。
行け、ということなのだろう。
近づくと、運転席のドアが静かに開いた。
出てきたのは長身の、いたって平凡な顔をした若者だった。どこにいても不自然ではない、印象の極めて薄い立ち姿だったが──
「お久しぶりです。吉松さん」
「……大きくなったね」
──吉松は一目で、彼が何者かを理解した。
「タチバナ君」