絶対に百合に挟まらない司令の懐刀系性癖山盛りTSヤニカス不死リコリス   作:千年 眠

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大変長らくお待たせしました。


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 キルハウスを見下ろす管制室に俺たちはいた。

 

「結局さ、一種の(よすが)なんだよ。生きて帰るための」

 

 オフィスチェアの背もたれに体を預けて、窓の上のモニター群に投影された定点カメラの映像をぼうっと眺める。

 千束はフキさんとサクラのタッグをたった一人で圧倒していた。だが俺は誰にも死亡判定を出していない。撃たれた者が一人もいないからだ。

 彼女はたきなを待っている。そういう奴だった。

 

「リコリスの任務は一方的な暗殺ばかりじゃない。でも、正面切って戦うには通常装備じゃ火力も抗堪性も足りない。死傷者は珍しくない」

 

 防刃および簡易防弾──せいぜい跳弾被害を防ぐ程度の戦闘制服だけを身に纏い、訓練用のシミュニション弾で撃ち合う彼女達。

 着弾点の壁が、ドアが、樹脂製の弾頭に封入されたインクで染め上げられる。誰が撃ったものかを可視化するために、一人一人、色が違う。

 それらが頭や重要臓器など、バイタル・パートに当たればその瞬間に死亡判定。腕や脚なら負傷判定。負傷が一定数累積すれば、それでも死亡判定。

 実戦は更にシビアだ。

 命の危機という強大なストレスを前に、兵士の心拍数は分間一七〇回を超え、視野も著しく狭まる。浅い呼吸に、手の震え。平時の自分は鳴りを潜め、本能が顔を出す。

 撃たれれば死んでしまう者にとっては致命的な症状だ。本来の実力を出しきれないまま死ぬなんてこともしょっちゅうある。

 

「戦闘損耗の約九割は近接戦闘(CQB)で起きる。そういう地獄じゃ、何か、自分をこの世につなぎとめるようなものの有無が生死を分けることがある」

「それが熱烈なファンの正体、か……ここまで比率が高いのは偶然じゃなさそうだな?」

 

 俺は画面に視線を向けたまま頷いた。

 

「女所帯だからね。男とつるむことなんてそうそうないから、自分が異性愛者(ヘテロ)同性愛者(ビアン)か、正確に理解してる子は少ないんじゃないかな」

 

 それがその手の申し出を頑なに断り続けている理由だ。

 

「それで、本当にそうか、そうでないか、たとえ分からなくても……(よすが)として、自分の感情を恋とか愛とかそういう枠組みにねじ込んじゃうんだよ」

 

 根拠となる感情がはっきりしないままでは、きっといつかひどい形で破綻する。

 だから俺は、問い質す。

 その気持ちは、本当に恋、あるいは愛なのか。

 心の底から、そうだと断言できるものなのか。

 ひとつひとつ、そう思うようになった経緯を一緒に紐解いていって──最後にはやはり、相手は自身のそれが、恋などではなかったことに気づく。

 俺が欲しいんじゃない。心の拠り所が、生きて帰るための道標が欲しいんだ。

 その重責は俺に務まるものじゃない。

 死なないことと、いなくならないことは違うから。

 

「親愛や憧憬も、鉄火場の吊り橋効果で一緒くたに?」

「うん。戦場では仲間と命を預け合う。生存本能が一番働く異常な環境だ。そこでは健全な家族より強い連帯と共感が生まれる。もっともそこに性愛がついてくるのかどうかまでは、わからないけど」

「一種のロマンシスなのかもな」

「うん。俺の認識では、その表現が妥当かな」

「興味深い心理だ。プラトン的(プラトニック)と言ったらいいのか……なんというか、ごみごみしたものとは無縁だな」

「悲壮とは言わないんだね」

「悲壮かどうかは当人以外が決められることじゃないさ。まして、エイロマンティックには」

「ひょっとして卑下してる?」

「まさか! 俺のは武器だ。こういう仕事じゃ、馴れ馴れしく近づいてくる人間は腹に一物あると相場が決まってる。特に俺の場合、女はな」

 

 タチバナさんは恋愛的にも、性的にも、誰かに惹かれることがない。エイロマンティック・エイセクシュアルというマイノリティの一種だ。

 

「良き伴侶を得られないなら、孤独を貫け。孤独に歩め。悪を為さず、求めるところは少なく。林の中の象のように」

 

 そんな一節を思い出した。

 彼は恋などせずとも満ち足りている。

 (しがらみ)の少ない、軽やかな世界に思える。

 どんな心地なんだろう。

 時々、羨ましくなる。

 

「仏陀の感興の言葉(ウダーナ・ヴァルガ)、第一四章『憎しみ』……いや、お前のことだ。イノセンスだろ?」

「当たり」

「伴侶とは違うが、良き相棒は目の前に」

「林の中の象とメスゴリラのように」

「動物園かよ」

 

 苦笑するタチバナさんにつられて、俺もくつくつと喉を鳴らした。

 不死の副産物として、自壊する筋肉と骨格の再生を前提としたリミッター無視の怪力がある。それでパワーを活かした戦い方をよくするから、俺を嫌ってる一部のリコリス達に陰で本当にメスゴリラ呼ばわりされてた時期があったんだよ。

 もちろん、二度と生意気が言えなくなるようお灸は据えた。仲直りした今となっちゃ、あいつらにとっても俺にとっても笑い話だ。

 それ以外にも、組織内での役どころなんかを考えるとなかなかうまいこと言った気がする。なんだろう、すごく自画自賛したい気分かも。

 

「あ、たきなが来た」

「廊下か?」

「うん。ほら、上じゃなくてデスクのモニター。監視カメラに映ってる」

「ぼちぼち終わりだな」

 

 俺もタチバナさんも、千束とたきなの勝利を微塵も疑っていなかった。フキさんとサクラはすこぶる優秀だ。だが、今回ばかりは相手が悪いとしか言いようがない。

 心の中で謝りながら、俺は席を立った。戦闘は録画されているから、見ていなかったからといってデブリーフィングの際に困ることはない。最後に終了の号令を出せば、ここでの仕事は終わりだ。

 

「この後は?」

「解散。俺、検診あるから」

「なら俺は特調に戻るよ。設備移管は、そうだな……明日の昼までには終わると思う。追加人員はその時に」

「情報部、補給部、作戦司令部……六人ずつで計一八名か。司令も思い切ったよね。部署をお飾りのままにしておく気はないってことでしょ?」

 

 管制室に盗聴器の類がないことは確認済みだ。カメラはあるが、顔をそちらに向けなければ唇の動きを解析される心配はない。

 ラジアータは全知全能の神なんかじゃない。出し抜く方法は必ずある。

 

「ああ、お前をトップにした事実上の独立部隊になる」

「たかだか一六のガキにそこまでの権限を与える意味がわからない。悪さしようと思えばできちゃうじゃん、そんなの」

「卒業後の就職先が内定したと思えば気楽ではあるが……悪さをさせることが狙いだったりしないか?」

「うん、鈴付きの首輪だと思ったほうが良さそうだよね。素性を洗ってみるよ」

「頼むぞ。ここじゃ肩身が狭くてな」

 

 そう言ってタチバナさんは大げさに肩をすくめて困り顔を作ってみせた。絶対困ってないだろその様子だと。

 ま、俺のほうがあちこち嗅ぎまわっても怪しまれないのはその通りだろう。俺は内、彼は外。そういう役割分担が一番合理的だ。実際ずっとそうしてきた。

 窓の向こうで歓声が上がった。モニターを見れば、ちょうどフキさんが遅れて来たたきなの奇襲を受けてインクまみれにされていた。

 サクラはいつの間に死亡判定食らってたんだ? いや、フキさんとほとんど同時にやられたのか。たきなが来た瞬間に仕留めるとは、千束もえげつない真似をする。

 立ったままデスク型のアンプを操作して、マイクをキルハウス内のスピーカーに繋げた。

 

「状況終了。チャンバークリアののち、待機スペースに集合してください。お疲れ様でした」

 

 端的に告げて、マイクオフ。目線を上げると、キルハウスの上の観覧スペースに固まっていたリコリスたちがこちらを見ていた。

 サクラお前、マジで覚えてろよ……。

 そんな内心はおくびにも出さず、試しにたまたま目の合った連中を中心に、控えめに手を振ってみた。口角も少し上げて。無視するのは良心が傷んだんだ。

 すると。

 なんかその場でぴょんぴょん跳ねるやつ。友達と顔を見合わせて話し込むやつ。ゲリラ豪雨の中を走る車のワイパーみたいなスピードで手を振り返してくるやつ。そんなのが十人くらい発生した。

 お前らマジかよ。逆によく今まで大人しくしてたな。

 

「モテる男はつらいな?」

「ファンでいてくれるうちはいいよ……」

 

 その程度の希薄な繋がりなら、いいか。

 誰かのものにはなれないけど、誰かの生きる理由の一つになるくらいなら、ね。

 

 

§

 

 

 握ろうとした手の内に突如として拳銃が生じた。

 

「え?」

 

 耳を刺す発砲音。目の眩むような一瞬の炎。

 反動は実弾のそれだった。

 ブローバックしたスライドがゆっくりと前進する。

 薬莢はまだ宙に浮いている。

 目の前に差し出されていた小さな手が、震えて。

 青い制服の胸元に赤黒い染み。

 のけ反る彼女の体を、俺は抱き留めようとする。

 しかし背中に回した腕は、ついぞ何も掴まなかった。

 忽然と姿を消していた。

 顔を上げると、そこは無人の街だった。

 車道の真ん中に立っていた。摩天楼を見上げると、ビルというビルの窓ガラスが内側から破裂したように砕けていて、その破片は例外なく空中に静止している。それらは降り注ぐ陽光を弾いて、白昼の砂漠のごとく輝いていた。

 色褪せたアスファルトと、その上で渋滞を作る無人の車列に、網目のような集光模様が微動だにせず張り付いているのはそのせいだった。

 

「……先輩」

 

 俺はそんな光景に目もくれず、いなくなった彼女を探しに駆け出す。

 車の間を縫い、辺りを何度も見回し、横道に逸れる。焦燥に駆られて必死に探し回る自分の体を、心はどこか冷めた目で俯瞰している。

 見つかりっこない。もう、どこにもいないのだから。

 理解していた。それでも、認めるわけにはいかなかった。

 やがて俺は、古いアパートの解体現場に辿り着いた。

 鍵のかかっていない、目隠しの板が張られた重いゲートを片手で開ける。建物自体の解体はほとんど済んでいて、鉄筋コンクリート製の柱や梁は、一階から三階の一部までしか残っていない。

 左手にはプレハブの現場事務所、二階建て。反対側には空荷の大型ダンプや、アームの先端にコンクリートブレーカーを取り付けられた油圧ショベルといった種々の機材が放置されている。

 現場一帯に敷かれた鉄板をかつかつと踏む音は、俺が発するひとつだけ。

 広いばかりで誰もいない箱庭の四方は背の高い目隠しに覆われて、外の様子は窺えない。

 

「いるんですか? ここに」

 

 彼女の実在を祈る思いで天を仰いでも、空しか見えない。世界から隔離されたかのように何もなかった。

 全てがミニマムに完結している。

 思い出したように息を荒らげて、膝に手をつく。

 ずっと、全速力で駆けていた。倒れなかったのが奇跡的ですらあった。

 激しく咳き込むと、どこから来たかもわからない血が喉に絡んだ。吐き捨てようとした瞬間、気配を感じて前を向くと──彼女がそこにいた。

 否。

 彼女一人だけではなかった。

 白服(サード)が、青服(セカンド)が、赤服(ファースト)が──二一人のリコリスが、俺に背を向けて立っていた。

 後ろ姿だけで、分かった。

 分かるに決まっていた。

 一人一人の名前はもちろん、人となりも、信条も、美点も、欠点も。

 大切な仲間だ。

 全員、俺が殺した。

 廃墟の方ヘ去りゆくみんなに、一歩踏み出した。

 

「待って──」

 

 言いかけて、嫌に柔らかいものを踏んだ。

 死んだ男の腕だった。

 足をどけても、死体。後ずさっても、死体。

 死体。死体。死体。死体。死体。死体。見渡す限り屍の山。俺が殺した人々が幾重にも積み重なって、今まで立っていたはずの敷鉄板を覆い隠していた。

 彼らの手足の隙間から赤黒い死血がじくじくと湧いてくる。このむせ返るような腐臭は一体いつから漂っていたのだろう。

 死者を踏みにじってみんなを追う。不安定な足場に苦慮している間に、液位は足首に達した。生ぬるく、べたついた、不快な感触が靴の中に侵入してくる。

 距離は縮まらない。もはや辺りは屍肉の海、空すらない暗闇の中。街など跡形もない。

 

「待って!」

 

 誰も振り返らない。彼女たちは赤黒い水面の上を滑るように歩いている。血飛沫を蹴散らしてみっともなく走る俺とは速さがまるで違う。

 

「待ってください! 私も──うぁっ!」

 

 急に深くなって、一気に胸元まで沈んだ。死体はもう見えない。どこまでも血の海だ。

 波がある。みんなの方から、俺の方へ、鉄臭い風に吹かれた血が粘り気のある塊になって、打ち寄せてくる。まるで拒絶されているみたいに。

 知るもんか。半分泳ぐような格好でなお進む。

 

「私も連れて行ってください!」

 

 名前を呼べば振り返ってくれるんじゃないかと思って息を吸い込んだ。けれどもいざ発声しようとした途端、喉に何かが詰まったような感覚が生じて、何一つ、音にできなかった。

 波は徐々に勢いを増していく。濁流と言っても差し支えないほどに。

 押し戻されそうだ。

 

「置いていかないで」

 

 ひとりにしないで。

 

「私も、そっちに……」

 

 ついていかせて。

 

「独りは、嫌です……」

 

 制服が死血を吸う。五体が際限なく重くなっていく。

 みんな、俺を置いて去っていく。

 俺の歩みが遅いせいで、行ってしまう。

 一際大きい波が俺を飲み込んだ。

 足がつかなくなった。

 顔の穴という穴に腐った血液が入り込む。体がひどく重い。毛穴のひとつひとつにさえ纏わりついて、水底に引きずり込もうとしているかのようだった。

 それでも視界は広く、像は鮮明で、水面を歩く姿がまだ見えた。

 だからまだ届きそうな気がして、もがく。

 絶対に浮かび上がれない。

 みんなはもう、はるか上。何もできない俺はせめて、水面を歩いて去っていく背中を、決して忘れまいと目に焼き付ける。

 ああ、それでも。

 待って。

 置いていかないで。

 ひとりにしないで。

 一緒に連れて行って。

 そして。

 どうか、俺を。わたしを。

 罰してください。

 

「──終わりました。起き上がれますか?」

 

 心の軋む音が聞こえそうなくらい、悲しみと悔恨に苛まれているはずだった。

 

 それなのに、目が覚めたときには、全て忘れていた。

 何もかも、何もかも。

 

「……はい」

 

 手術台の上で身体を起こす。やけに頭が重い。何よりも、

 

「気分はいかがですか?」

「……吐き気が」

 

 胃袋を握り締められているような不快感があった。

 両手で顔を包もうとして、左手に刺さった点滴に気づく。そういえば麻酔をかけられる前につけられたんだっけ。忘れてた。

 

「まだ薬が残っているのかもしれませんね」

「今まではこんなことなかったんですけど」

「体質は変わりますからね。車椅子を持ってきましょうか?」

「あぁいえ、立てます」

 

 出ていこうとする女性看護師をそう言って制止した。他の医療スタッフの姿はない。いつも、俺が目覚める前に姿を消す。

 裸足がほこりひとつない床に触れる。指を動かしてみたけど、違和感はない。運動機能はもう平気みたいだ。

 

「気持ち悪……」

 

 思わずぼやきながら、立ち上がる前に横目で傍らの医療用ワゴンを見た。

 全身麻酔、プロポフォールの空き瓶──濃度二%、一〇〇mlのものが最上段に見えただけで一〇本はあった。

 ()()()()の所要時間はせいぜい三時間に満たない。体重は六五キロだから、常人の場合、めいいっぱい多く見積もっても一瓶あれば十分保つ。

 俺じゃなかったら完全にオーバードースだ。この身体の薬物耐性を乗り越えて麻酔を効かせるためには、ここまでやらなきゃいけないらしい。

 部屋に残された備品をそれとなく見てみたが、やはり大したものは残っていない。検査のたびに何をしているのか、俺は知らされないし、知ることもできない。

 手術衣の前を閉めるついでに自分の裸体を見下ろす。唯一の手がかりは、全身に幾条も走る薄っすらとした傷痕。

 胸、腹、袖を捲れば上腕に、裾を翻せば大腿にも。ジグソーパズルもかくやというほどあちこちかっさばかれているのは間違いない。縫合の形跡がないのは、復元を再生力に任せたからだろう。だからいつもこんなに早く済むんだ。

 それにしても、開腹するのに飲食を禁止されないなんて、一体どういうことなんだろう。手術中にうっかり消化器系を破って中身をぶちまけようものなら大惨事だろうに。

 ともあれ、今回も収穫なし。何も分からず。

 次は再来月か。面倒くさいな。

 

「制吐剤ありますけど」

「お願いします」

「取ってきます。待合に……行けそう、ですかね?」

「……大丈夫です」

 

 介助されているところを誰かに見られたくないがためのやせ我慢だった。五体満足なんだからいいよ、足があるなら歩ける。

 静脈カテーテルの刺さった左腕で点滴スタンドを引いて手術室を出る。輸液バッグは二つともなくなりかけで、それぞれ製剤の名前がラベルに書かれていたが、どちらも全く聞き馴染みのないものだ。

 ずいぶん前にどんな薬なのかこっそりネットで調べたけど、表層でも深層でも何ひとつ情報が出てこなかった。だからそれ以来、詮索するのはやめにしている。

 知りたいけど、きっと危険だろう。

 

「あ、やば……」

 

 むやみやたらに長い廊下を無理して歩くのはやっぱりまずかったんだろう。顔から血の気が引いて脂汗が滲んできた。ここらが臨界点か? 

 さすがにこんなところで吐くわけには。

 前後を確認。前方に待合室がある関係で人の気配はあるけど、ここから姿は見えない。大丈夫なはず。

 ゆっくりと膝をつく。正座にも似た姿勢で、額を壁に預けて深呼吸。薄っぺらい手術衣以外何も身に着けていないせいで少し寒いが、悪寒とは違うから平気だろう。

 休んでいると次第に落ち着いてきた。目を閉じていると少し楽かも──遠くで何かが落ちる音がした。鞄か何かのように聞こえる。

 何かと思って音のした右を向いた。

 

「……あ」

 

 待合から出てきたのだろうか。フキさんだ。殺人現場の第一発見者みたいな、驚きと恐怖がない交ぜになった表情のまま、固まってしまって動かない。

 彼女の足元には音源らしきサッチェルバッグが落ちている。手に提げていたのを取り落としたのか。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 問題はこの盛大な勘違いをどう解くか──さっきまで仲良くお喋りしていたはずの同僚が、明らかに重病人の格好で医療棟の廊下にへたり込んでいるというショッキングな絵面を、どう説明するかだ。

 

「サイトウッ!」

 

 本当にどうしよう。猛ダッシュで近づいてきちゃった。めちゃくちゃ足速い。

 いらん心配をかけてしまって本当に申し訳ない。

 

「いやあ、麻酔が残っちゃったみたいで気持ち悪──」

「お前、その身体……!」

「え?」

 

 手術衣のゆったりしたシルエットのせいだ。袖や襟元の隙間から色々と見られてしまった。うかつだったな。手術室を出る前に消しておけばよかった。

 

「ああ、これ。定期検診のせいですよ。終わるまで全身麻酔で寝てるんで、あたしも詳しいことは知らないんですけど」

「それが検診なわけ……」

 

 悪心がピークを過ぎたから立ち上がってみると、わずかに立ちくらみが起きた。

 一歩一歩、確かめるように歩き出す。

 

「上がそう言うなら、そういうことにするしかないですよ。知ってるでしょう、あたしの体質のこと」

 

 隣を行く彼女は何も喋らなかった。沈黙が気まずくて、俺は更に言葉を繋ぐ。

 

「こんなのはすぐ消えるからいいんですけど、今回は麻酔が抜けきらなくて。気持ち悪くて休んでたんですよ」

「本当にそれだけか? 尋常じゃなく顔色悪いぞ……」

「ゲロ吐く二歩手前くらいですけど、それ以外は何も。フキさんはどうしたんですか?」

「ん」

 

 彼女は自分の頬を指差した。模擬戦で殴られてできた、ちょっとした痣だ。腫れはもう引いているし、大したことはなさそうだけど。

 

「たきなですか」

「ああ。ほっときゃいいって言ったんだけど、千束がうるせぇから。やることやって暇だったし……」

 

 言い訳するような口調だったからつい笑みがこぼれてしまった。

 

「律儀ですねぇ」

「うるせー」

「皮肉じゃないですよ? なんだかんだ言って面倒見いいじゃないですか、フキさんって」

「手間かかる奴ばっか回ってくるからだ」

「最初のパートナーが千束だったのが運の尽きというか、それでマネジメント能力の高さがバレましたからね……」

「本当だよ! あいつといいお前といい」

 

 彼女は歩きながら鞄を拾った。

 

「特にたきな、何だあいつ。見た目で油断したわ。骨の髄まで狂犬じゃねーか!」

「フフッ」

「笑ってんじゃねーぞ」

「すいません」

 

 大学病院さながらのだだっ広い待合室に人気はない。任務から帰還したらしきリコリスが数名、隅っこの席に固まってひそひそと雑談しているくらいだ。

 部屋の一面はガラス張りで、中庭が見えた。

 平滑な石畳が敷き詰められた外はもう暗く、床に埋め込まれた照明が黄色く光っていた。青々と茂っているはずの植え込みは、夕陽色と混色して立ち枯れたような焦げ茶色。

 受付カウンターの上に掛けられた時計によれば、時刻はもう一八時。

 街は今頃帰宅ラッシュだろう。リコリスが最も忙しくなる時間帯のひとつだ。だから人が少ないのか。いや、ここは最近刷新された訓練カリキュラムの恩恵だと思いたい。

 俺たちは手近なベンチシートに並んで座った。点滴スタンドがあるから、俺が左端だ。

 暇つぶしに治癒を始めると、フキさんは中庭の方に顔を向けつつ、しかし横目で俺の首元から胸の正中線にかけてを縦断する、最も太く目立つ傷痕をちらちらと見てくる。

 次第に薄くなっていく様子に好奇心はあるけど、気を遣ってまじまじとは観察しない。そんなところか。

 フリーな右腕を持ち上げて、肘を彼女の小さな肩に乗せた。なんだよ、と鬱陶しげに言われたが払い除けられはしなかった。

 そのまま体重を預けるようにして耳元に口を寄せ、

 

「えっち」

「は!?」

 

 言ってやった。

 

「ちが、違う! 違う違う違う!」

「人の乳ジロジロ見てたでしょ。あたしのは見応えないですよ」

「見……てねぇとは言い切れねぇけどそっちじゃねぇ!」

 

 付け込むようで悪いが、フキさんは体調不良の人間を振り払えるほど非情じゃない。俺の独壇場だ。とはいえ、延々イジり倒すのは後が怖いからやめておこう。

 

「ちゃんと()()()()()()よ、からかっただけです」

「テメー……」

「他の子にはやりませんって。それで……傷の治りが気になるんでしょ?」

 

 フキさんの方に体を向けた。乗せていた肘をどかして、指で胸の傷をなぞる。

 

「人に説明できるような感覚ではないんですけどね、ある程度コントロールできるんですよ。一番近いのを挙げると……瞬きみたいな感じですかね?」

「普段は無意識にやってるけど、意識すれば瞑ったり開いたり出来る……」

「ええ、そうです。触ってみると分かりやすいですよ」

「む……」

「罠じゃないですって! 真面目な話!」

 

 そこまで言うと、ようやく細っこい指がおそるおそる伸ばされた。

 ちっちゃい手だなぁ。そりゃ、タッパのでかい俺と他を比べたらみんなそうだけど、一四〇cmと少ししかないフキさんは特別だ。これでよくフルサイズの拳銃を扱えるもんだ。

 俺は一七四cmだから、身長差はざっと三〇cmくらいになるのか。だいたい頭一個半くらい違うんだ。それなのにファースト・リコリスって相当すごいよな。

 

「うぉ……なんか、中で動いてる……」

「再生の終期です。普通の傷痕と違って、あたしのは皮膚でできたかさぶたみたいなものなんですよ。止血のために表面がまず塞がって、それから中身を再生してるみたいで」

「てことは、塞がってても痛みはあるのか?」

「はい」

 

 答えた途端、手が弾かれるように引っ込んだ。

 

「早く言え! ちょっと押しちゃっただろ!」

「いちいち言うまでもないくらい大したことないってことですよ。その気になれば、ほら。もう消えた」

「……今は?」

「完治してますんで、何も」

 

 もう一度指が近づいてきた。じれったかったから、手首を掴んで掌を強引に胸骨のあたりに押し付けると、フキさんは上ずった悲鳴を漏らした。

 

「わかりますか、切開した骨が完全に繋がってるの」

「……お、おぉ? ほんとだ。押されてるのに動かない」

 

 体が本当になんともないことがわかると安心したんだろうか。急に手付きから遠慮がなくなった。なんなら胸だけじゃなく、勝手に俺の袖をまくって、すっかり手術痕が消えた上腕をぺたぺたと触り始めている。

 そんなに心配だったのかな。なんかちょっと照れるな。

 

「全くわからないな、こうなると……手触りも普通だし」

「フキさんは怖がらないんですね?」

 

 何の気なしにそう言うと彼女は手を止めて、不思議なものを見るような顔でこちらを見てきた。そんなに変なことを言ったつもりはないんだけど。

 

「何を」

「あたしを」

「なんで」

「大抵ビビるんですよ。目の前で体を治すと」

「余計なんでだよ。普通喜ぶだろ、死んだと思ったやつが生きてたら」

「それが普通じゃないから怖いんじゃないですか?」

 

 今度はむっとした顔で、二の腕から手を離した。

 俺も触りやすいように差し出していた腕を下ろした。

 フキさんの眉がほんの少しだけひそめられる。

 

「お前は普通だ。普通の……」

 

 言葉の途中で顔を背けた。俺はそんな彼女の横顔を、黙って見つめ続けた。

 

「生意気な後輩だよ」

 

 ほとんど独白に近い調子で、声は小さかったけれども、俺は決して聞き逃さなかった。

 度量が大きいというか、剛毅というか。

 

「……かっこいいなぁ」

「茶化すな」

「本気!」

 

 信用ないなぁ、なんて言いながら口を開けて派手に笑うと、フキさんはますます呆れた様子で特大サイズのため息をついた。

 げんなりしないでよ、本当に尊敬してるんだから。

 

「ありがとうございます。でも、卑下してるつもりはないですよ。そんなものに押し潰されて自分を使い捨てる気はありません」

 

 笑うのをやめて真剣な口調で言うと、フキさんは横目にこちらを見た。普段じゃれついてばっかりの俺がこんなことを口走るのは、ちょっと意外だったのかもしれない。

 俺とみんなは違う。ギャップは確かに感じる。でも、そんなものじゃない? だって他人同士なんだから。程度の問題はあれど、違いがあるのは当たり前だ。

 違いが大きいか、少ないか。

 受け入れやすいか、受け入れ難いか。

 人によってそのボーダーラインは違う。

 たまたま、俺には難儀な性質があって。

 たまたま、それを受け入れてくれる人が近くにいて。

 

「幸い、あたしは恵まれてますから」

 

 色んなものを貰ってばっかりで、一つもみんなに返せていない。だからせめて、俺はみんなのために戦いたい。

 戦うというのは何も、DAが指定した殺害対象とではない。

 すべてだ。孤児に人殺しをさせる組織も、犯罪者を殺して平和を演出する国も、罪のない人々を傷つけるテロリストも。

 全部、全部、ぶっ壊す。

 だってこんなの、おかしいじゃないか。

 俺たちは、幸せになっていいはずなんだ。

 俺たちはきっと、そのために生まれてきたんだ。

 俺が普通のリコリスだったら、とっくに諦めていただろう。あるいはそんな考えが浮かぶような歳になる前に殺されていただろう。

 でも。

 

「これは武器です。うまく使えば自分だけじゃなく、仲間だって守れる」

 

 俺には力があった。ともすれば、自分が思い描く理想に届くのではないかと。そう思えるだけの。

 タダで張れる命だ。やらなくてどうする。

 

「……そういうもん、なのか」

「ええ。友達を失うのは、怪我なんかよりずっと苦しい」

 

 同時にそれは呪いでもあった。

 

「あたしはいつも置いていかれる側です」

 

 みんな俺より先に死ぬ。

 俺の腕の中で冷たくなっていく。

 命を分け与えることができればいいのにと、もう何度思っただろうか。

 

「死なないでくださいよ、フキさん」

 

 望めば、いつだって鮮明に思い出せる。

 消した命の数々を。今際に遺された強烈な情動を。

 誰もが抱くその感情に貴賎はない。

 本当はわかっていた。

 敵にも、味方にも、死んでいい奴なんて一人もいないんだ。

 心を守るために、知らないふりをしていただけで。

 敵なら殺せるという考えは、歪だ。

 フェアじゃない。

 フェアじゃないのは、嫌いだ。

 

「ちゃんと卒業してくださいよ。隊みんなで」

 

 もうこの世にいない仲間を思い出してしまったからだろうか。存外に弱々しい、縋るような声になってしまった。

 

「……約束はできない。でも、努力する」

 

 フキさんはどこまでも穏やかにそう言った。

 同じ人間とは思えないほど、小さくて、繊細で、触れれば壊れてしまいそうなその体躯が、今は不思議と逞しく見えた。

 彼女の言葉を噛み締める。数秒の沈黙が生まれた。

 自然と、ある音が聞こえた。

 かすかな衣擦れに加えて、ローファーの足音。

 

「サクラ」

 

 優しい声音を意識して、後ろにある待合室の入り口近くにいるであろう彼女に呼びかけると、フキさんはぎょっとした顔で俺を見た。自分の耳を指差して片頬で笑ってみせると、納得した様子で頷きかけて、やっぱり首を傾げた。

 別に驚くことじゃない。ただの反響定位(エコーロケーション)だ。訓練次第で誰でも習得できる技術に過ぎない。

 日常的に周囲を()()()()()()視覚障がい者に比べれば精度は甘く、地形や人の位置が大まかにわかる程度。とはいえ、視界外の状況を知れるのは便利だ。特に単独行動、単独戦闘が極端に多い俺にとっては。

 

「どうしたの? おいでよ」

 

 振り返ると、サクラは観念した様子でとぼとぼと近づいてきた。太眉が完全にハの字だ。また病院の柴犬モードかよ、なんか見慣れてきたわ。

 

「本当に……本っ当に、すいませんでした……!」

 

 彼女は俺の横に来るや否や、暑さで干からびた朝顔みたいにしおっしおな表情を取り繕うこともせず、前屈かと思うくらい深々と頭を下げた。

 

「あー、あれか……」

 

 つい苦笑が漏れた。

 

「すいません……マジですいません……」

「ううん、気にしないで」

 

 そうとしか言いようがなかった。次会ったらデコピンの一発でもくれてやろうかと思ってたんだけど、ここまで平謝りされたらそんな気も失せるというもの。

 それに一応、過失は俺にもあるし。

 

「あと、その、たきなにも謝っといたんで。一応伝えときます……」

 

 頭を上げた彼女がそう付け足した瞬間、失礼にも変な声が出そうになった。

 そっか。そういうタイプだったか。どうしてもたきなに突っかかってたイメージが強くて心配してたけど、

 

「めちゃくちゃいい子……」

「そ、そっスかね?」

 

 うんうんと何度も頷くくらいには、俺の中で彼女の株が急上昇していた。こういうところがしっかりしている人は希少だ。世間じゃ当たり前みたいに思われてるけど、まったくそんなことはない。

 人の振り見てわが振り直せだ。俺もしっかりしよう。

 

「あたしもごめん。きつい言い方しちゃった」

「いえいえ! 全然大丈夫です!」

「サイトウも大概律儀だよな」

「ふざけるところは選んでますから……ちょっと、なんで渋い顔するんですかそこで」

「合ってんのがなんかムカつく」

「理不尽!」

「見た目に騙されんなよ、サクラ。こいつお前が思ってる一〇倍はうるせぇから」

「そうなんスか?」

「だってフキさん面白いんだもん。ねぇサクラ?」

「あーしに振りますそれ!?」

「パートナーじゃん?」

「その前に後輩っスから!」

「タメだったら言うのかオイ」

「あー違っ! 先輩、違くて!」

 

 ごめん、全然しっかりできなかった。結局いつもの夫婦漫才(じゃれ合い)だ。でもこれフキさんも乗っかって来てるよな。

 

「サイトウせんぱぁい! 助けてくださぁい!」

「助けてって、そいつが発端だろ……」

「ヨーシヨシヨシいい子いい子。怖かったねー」

「えへへへへへ……」

「犬みてぇに撫でられてプライドとかねぇのお前……?」

 

 まあ、サクラが元気になったんならいいか──待て。足音がまた来る。騒いでて気づかなかった。近いぞ。

 

「あっ」

 

 振り返ったら司令だった。

 フキさんはとっくに立ち上がっていた。

 遅れて気づいたサクラはというと、俺の両手でツーブロックの頭を包まれた格好のまま、ぴくりとも動かない。

 すごく気まずい! 

 

「お、お疲れ様です……」

「……仲がいいようで結構」

 

 え、それだけ? なんかもっとこう、何やってるんだお前らくらい言われるかと思ったんだけど。

 姿勢を正して立ち上がろうとしたら手で制止されたし。

 なんか今日優しくない? 気のせいかな? 

 三人で喋ってたらいつの間にか気持ち悪くなくなってたから、顔色だってもう悪くないはず。

 じゃあなんでだ?

 

「予測が出た。例の案件に関連している可能性が高い」

「私の専任事案ですか……いつです? 場所は?」

「三週間後、北押上駅構内。対テロ任務だ」

「遠いですね」

「それだけデータがあるってことだ。お前たちが集めた、な」

 

 ほら、やっぱり優しい。理由はわからないけど。

 

「大規模な戦闘になるだろう。作戦の骨子は司令部が作るが、春川、サイトウ。お前たちにも専門家として口を挟んでもらう。詳細は明日追って伝える」

 

 思わず俺はフキさんと顔を見合わせた。

 作戦立案にリコリスが起用されるのは初めてだ。現場の声を直接伝えられるとは、DAも風通しが良くなったな。司令様々だ。

 

「思ったより早かったですね、新装備の初陣」

「間に合わせたというのが正確だな。政府は我々に火力を持たせたがらん……あの阿呆ども」

 

 その点、お前たちの相手は楽でいい。

 司令は恐ろしく疲れ果てた声でぼそりと零した。なるほど、俺たちに甘いのはそういうわけか。

 リコリスが駄弁ってるだけの光景に癒やされるくらい参ってるのかよ、司令。重症じゃん。

 

「お疲れ様です、本当に……」

 

 よくよく見たら顔が若干やつれてるような気がする。確かに最近は霞ヶ関とここを行ったり来たりして随分忙しそうだった。

 俺が頑張るべきところだな、これは。

 

「終わったら手伝いに伺います」

「……頼む」

 

 そう言って待合室を去っていく彼女の背中は、なんだか煤けて見えた。

 やっぱ世知辛いよ、この職場。

 

「卒業したら、私らもああなんのかな……」

「なりますよ。あたしはもうなってます」

「DAって、結構ブラックなんスね……」

 

 その後の俺たちの話題はもっぱら、第一線を退いた後のキャリアについてだった。無敵の楠木司令が参っているところを見てしまったから、リアルな危機感があったんだ。

 そこに、もし生きていられたら、なんて弱気な仮定はどこにもない。

 あるのは、絶対に生き延びる覚悟だ。




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