雄英高校1―Aの教室は静かだった。より正確に言うならば、生徒の声が無かった。ただただニュースアナウンサーの声だけが、教室に響いている。報道ヘリで国会議事堂周辺をカメラで中継していた。ただし、十分に距離を取ったうえで。前に報道ヘリが佐藤に落とされたことを考え、戦場の上空を飛ばないようにしているのだ。だからといって、国会議事堂周辺の詳細な情報が分からないわけではない。カメラのズームを上手く使っている。
『国民の皆さん、この光景が見えておりますでしょうか!? 銃を持ったヴィランが大勢います! 銃を乱射し、ヒーロー警察民間人関係なく、無差別に殺しています! 外国の武力紛争の映像ではありません! 日本の! 日本の首都で政治の中心である、国会議事堂周辺で実際に起きていることなのです! このようなことが日本で起きることを、ほんの少しでも考えたことのある国民は、私を含めてほとんどいないでしょう! 日本が! 佐藤率いる
緑谷と轟は、報道ヘリからのカメラ映像に息を呑んでいる。映画の戦争シーンそのままの映像が、携帯画面に映っているのだ。ショックを受けない日本人など、ヴィランを除いていないだろう。
『ああ!? 今、エンデヴァーが狙撃されました! 脇腹から血を流して……あッ! 自分の炎で脇腹を焼き、止血しました! なんという判断! これが実質ナンバーワンヒーローエンデヴァー! 絶対に旅客機の墜落を阻止するという、熱い覚悟がこちらにも伝わってきます!』
緑谷がチラリと轟の顔を見ると、轟は複雑な表情をしていた。一つの感情だけではない。複数の感情が入り混じっている、と緑谷は感じた。
実際、緑谷の感じたことは当たっている。今の轟は父であるエンデヴァーがさっきまで微塵も期待していなかったアナウンサーを見返した嬉しさ、狙撃されたことによる心配、傷を負って炎で傷を焼いたことの痛ましさ、そういった感情がごちゃ混ぜになっていた。
『ん……? なんでしょうか、ドローン? が多数上空に飛んできて──ッ! 爆発しました! ドローンが爆発! えっ、まさかあのドローン全部……また爆発!? あれらのドローンは全て爆発するようです! 東京都上空、国会議事堂周辺で次々にドローンが爆発し、国会議事堂周辺の爆発では大勢のヒーローが巻き込まれ、凄惨な光景になっています! 本当に酷い光景です!』
緑谷は携帯画面から見える国会議事堂周辺の光景と空の爆発に視線が釘付けになっている。
今、ヒーローになるということは、この世界に入っていくということだ。銃弾、爆弾、『個性』が飛び交い、死が常に隣にある戦場の世界。
昔は、オールマイトがいた頃のヒーローの現場はこんな殺伐とはしていなかった。ヒーローとヴィランの『個性』のぶつかり合いが主であった。ヒーローが相手を殺さず捕縛しないといけないのは今と変わらないが、ヴィランもヒーローより自分の方が『個性』が上回っていると思い知らせることができれば、必ずしもヒーローの命を奪うことに執着していなかった。言い換えれば、以前のヒーローとヴィランの戦闘は、プロレスなどの格闘技と同じショービジネスに近いものだった。
しかし、佐藤の出現からヴィランのあり方そのものが変化してきている。いや、より正確に言えば死柄木の台頭からだろうか? ヴィランが徒党を組むようになり、組織化され、突発的な行動ではなく、戦略的な行動をするようになった。自分の優位性の証明に固執せず、脅威をどんな手段を使っても排除する思考回路になっている。
『……どうやらドローンの攻撃は終了したようです。エンデヴァーは生きています! ミルコ、エッジショット、ホークス、クラスト、リューキュウといったヒーロービルボードチャート上位のヒーローも健在です! ですが、代償は小さくありません。犠牲となってしまったヒーローはたくさんいます。建物も破壊されています。私は一国民として、はっきりと言います。こんなことは許せません! ヒーローと警察、佐藤の凶行を防ごうとしている全ての方に、私は言葉を送ることしかできません。それでも、私は命を懸けて私たちの命を守ろうと頑張っている彼らに、頑張ってと、どうか勝ってと、伝えたいです! 先ほどは彼らに触れず神さまに祈るという発言をしてしまい、申し訳ございませんでした。心から謝罪いたします』
どうやら女性アナウンサーは余裕が無くなってきているようだった。生中継であるが故に、事が起きる前の精神状態から実際に起きた後の精神状態への変化がそのまま報道されている。だからこそ、ニュースアナウンサーとしての言葉ではなく、一個人としての飾り気のない言葉になっていっている。
その時、カメラは遥か上空を飛ぶ旅客機を映した。カメラマンらしき男の『おい、あれ』という声と旅客機を指差す手が見える。女性アナウンサーは『えっ……』という声とともに指を差された方を見た。
『あ……佐藤が……佐藤が来たようです……』
女性アナウンサーのその声は、絶望と恐怖が混じっていた。
かつてのナンバーワンヒーロー、オールマイトは現場に到着した時、必ず笑顔でこう言った。『私が来た!』と。その言葉はそこにいる人々に希望を与え、そこにいる
だが現在、同じような意味で真逆の効果を与える言葉が生まれている。
「佐藤が来た……」
緑谷は思わず呟いた。
緑谷だけではない。教室にいる生徒たちが口々に同じ言葉を呟いていた。その現象はこの教室だけで起こっていることではない。職員室のミッドナイトが。校長の根津が。日本中のテレビを観ている人が。国会議事堂周辺にいるヒーローや警察が。ヴィランたちまでもが。そう呟いていた。
希望の象徴であった『私が来た!』という言葉はもう消えた。その代わり、『佐藤が来た』という絶望の象徴となる言葉が生まれつつあった。
◆ ◆ ◆
猿石がいる部屋。
強面のヴィランが顔を青くしてモニターに見入っている。
「おいおい、あんだけ準備したのに、あいつら二人とも生きてんじゃねえか!」
この場合の二人というのは、エンデヴァーとホークスのことをいっている。
全てのドローン爆撃が終わり、今は偵察用のドローンでその後の状況を確認していた。
「まあ、そんな簡単に勝てるとは思ってなかったですし。でも、確実にヒーローのリソースは削ってます。このままリソース勝負に持ち込めば、僕たちの方が有利なのは変わりません」
「馬鹿言ってんじゃねえ! こっちだって大量のリソースを消費してんじゃねえか! ……おい、ここらで止めとかねえか?」
「……え?」
猿石は思わず強面のヴィランの顔を見た。そのヴィランの顔は恐怖と不安に支配されている。よっぽどヒーローにトラウマがあるらしい。少しでも有利じゃないと分かると逃避しようとするくらいには。
「ヒーロー連中はきっと、佐藤を捕まえることに躍起になる。どっちみち、ハイジャックなんかやらかした佐藤は重罪で裁かれるだろうし、佐藤に力を貸していたと判明した奴も重罪になる筈だ。だったら! 今の内に逃げて、捕まっても佐藤とは無関係なように見せかけようぜ! 大丈夫だ! 佐藤が消えても、お前のそのハッキングとここの連中の『個性』があれば、上手くやれ──え……」
猿石は護身用の拳銃を抜き、強面のヴィランの顎下に突きつけた。
まさか無個性の猿石が自分に対してそんな直接的な攻撃をしてくるとは考えもしていなかったため、強面のヴィランの思考は一瞬硬直した。その硬直が生死を分けることとなる。
猿石は拳銃を顎下に突きつけたまま、引き金を引いた。パンッと乾いた音。弾けて仰け反る強面ヴィランの頭。飛び散る血。その血は猿石の顔面に付着し、猿石のメガネと顔を赤く染めた。
どよめく他のヴィランたち。猿石から二、三歩距離を取る。
そんな中、猿石は椅子に座ったまま、血で染まった顔で彼らの方を見た。
「いいですか、皆さん。僕たちは今、何も聞いていません。僕はこの中で一番佐藤さんとの付き合いが長い。だから分かる。佐藤さんは裏切り者にはとても厳しいんです。ヒーローに捕まっても死にませんが、佐藤さんが僕たちを敵として見るようになったら、あらゆる攻撃手段で僕たちの命を奪おうとしてくるでしょう。こうするしか、この場の人の潔白を証明できる方法は無かったんです……」
「それは仕方ない」「そいつの自業自得だよ」「よくやった」
猿石の言葉に、その場にいたヴィランたちはそう口々に言った。
「けっこう心が強かったんだね」
猿石に髪ゴムをくれた女ヴィランが言った。
「僕の心が強い? まさか。僕はとても怖がりなんです。佐藤さんに殺されたくなくて必死だった」
佐藤は簡単に仲間を殺す。それは丸井を殺したことからも確実だ。佐藤のゲームに使われそうな口実は潰しておくに越したことは無い。たとえこの場の会話を知る可能性が限りなく低かったとしてもだ。
──それに、佐藤さんの期待を裏切りたくない。
佐藤ほど、猿石を対等に扱い、猿石を認めてくれる人はいない。そんな佐藤に失望されることを考えただけで、自分の存在理由が消えていくような気がするのだ。
猿石は強面のヴィランの死体に視線を戻す。
途端に不快感とショックで吐き気が込み上げてきた。死体を見るのは初めてではない。むしろ、佐藤と行動していたらしょっちゅう見る。だが、その死体に自分がやったという情報が加わっただけで、その死体に対する不快感とショックは何倍にも膨れ上がっていた。
猿石は口を右手で抑える。右手の指の隙間から見える口は微かに笑っていた。
不快感とショック。その死体がもたらした感情はそれだけではなかった。その死体より自分の方が生物として上だったという優越感と高揚感。そんな感情も猿石の中に確かに生まれていた。
「佐藤さんの支援を続けます」
猿石の言葉に、その場のヴィランたちは頷く。
猿石の精神は佐藤によって確実に歪んでいた。