沙紀の銃を持つ手は震えている。
──やっぱヤバいよねえ、この状況。
銃声と爆音が絶えず響き渡り、少し周囲を見渡せば銃を撃つヴィランや爆発物を投げるヴィラン、『個性』を使用するヴィランが視界に入ってくる。それだけならまだしも、ヒーローたちも『個性』で応戦しているため、視界がチカチカ明滅し、地形や建物の変化と破壊、ヒーローとヴィランが戦い吹き飛んだり倒れたりしている光景が飛び込んできた。
佐藤と出会う前は、こんな地獄のような場所に自分が立っているとは夢にも思わなかった。死が撒き散らされる日常。それが当たり前の人生になるなんて、過去の自分に言っても鼻で笑われるだけだろう。
──あたしの人生っていつもこうなんだよね。
自分が本当にしたいことを選べず、ズルズルと流されていく。自分の人生において、本当に意味のある選択肢など一つも無かった。何を選んでも、結局は悪い方向にいってしまった。
そんな中、一つだけ沙紀という人間の強みをあげるとすれば、彼女はとても負けず嫌いだった。自分の望んだ選択ができない人生はどう考えても負け組だが、沙紀はなんとかして自分が勝ち組になる方法を考えた。そこで沙紀は、そもそも勝ち組とはなんなのかという根本的な部分に目を向ける。
人生におけるゴールとはどこか。夢を勝ち取った時か。いや、そうではない。人生のゴールは死。全ての人間に当てはまる終着点。ならば勝ち組とは、死ぬまでの過程をどれだけ楽しめたかで決まるのではないか。
だから沙紀は決めた。どれだけ望まない人生になろうとも、その人生を楽しむ努力をしようと。それこそ自分が勝ち組だと胸を張って言える唯一の道だと。
──怖い怖い怖い楽しい怖い怖い楽しい怖い楽しい楽しい楽しい──
自分自身を暗示にかけるように、何度も沙紀は心の中で今楽しいんだと思い込もうとする。その結果、恐怖で震えている手を暗示による思い込みで抑え込むことに成功した。
──次。
震えが収まったことを自覚した沙紀は、次に強張っている表情を変化させようとする。楽しいことを頭の中にイメージ。そうだ。この後、美味しいスイーツをいっぱい買ってお腹いっぱい食べよう。
目の前で起きている惨事を無視して、沙紀はそのイメージに酔った。頬が緩み、笑みがこぼれる。
沙紀が現実世界に意識を戻すと、二十メートル前の位置に、ヒーローが一人。燃えている髪の女。バーニン。その表情は険しく、歯を食い縛ってこちらを睨んでいた。快感にも似た感情が沙紀の中を駆け巡る。
──やりたいことやってるくせに、アンタの人生辛そうじゃん。
沙紀は建物を遮蔽物にしつつ、沙紀のすぐ近くにいるヴィランたちに見えるようにバーニンを指さす。ターゲット指定。その指示が通じたヴィランたちは微かに頷く。
沙紀は遮蔽物から飛び出し、バーニンに向かって走る。できるだけ無防備を装いながら。
その時、猛スピードでバーニンの遥か後方から走ってくる黒色の車に沙紀が気付く。この辺りは
燃輪ら三人のヒーローが乗るレンタカーは佐藤たちのいる場所の間近まで近付いている。佐藤たちの情報はインカムとテレビ中継から得ていたため、余計な時間を取られず最短のルートを選べた。道路は警察によって交通規制がされていたが、燃輪たちのヒーロースーツを見ると事情を察して通してくれた。
そうして佐藤たちのいる現場まで到着した直後、炎髪の女ヒーローが女ヴィランらしき相手に向かっていくところが遥か遠くに見えた。女ヴィランの左右にある建物の陰からチカッと何かが日の光を反射する。運転席に座る青年のヒーローはその反射した原因を直感的に銃と判断。
「運転代われ!」
助手席に座る女ヒーローに青年のヒーローが怒鳴り、青年のヒーローと同様に遠くにいる炎髪のヒーローの危機を感じていた女ヒーローは無言で頷きつつ、シートベルトを外す。次に青年のヒーローが運転席側のドアを開けつつ、車体の上に乗った。その時には女ヒーローが運転席に座りハンドルを握りつつ、シートベルトをしている。そして、青年のヒーローは車体の上で、遠くにいる炎髪のヒーローに向かって右手を伸ばした。
バーニンは冷静さを失っていた。同じサイドキック仲間であるキドウの死。乗客を人質にしたハイジャックと、乗客もろとも国会議事堂を旅客機で潰すという佐藤の非道なやり方。それらが怒りという感情となり、その感情に佐藤ら
そんな感情に支配されているバーニンを、まるで嘲笑うように出てきた女ヴィラン。しかもその顔は、バーニンの顔を見てにんまりと楽しそうに笑った。
その顔を見た瞬間、バーニンの頭の中で何かが切れた。バーニンの視界の端には建物の陰から突き出るいくつかの銃口が入っているが、視点は沙紀に集中しているため、それらの光景は見えているようで全く見えていない。
バーニンは炎髪を操り、黄緑色の炎を沙紀に向かって飛ばす。沙紀はその瞬間右手を真横に突き出した。右手の指先から爪が伸びて建物に突き刺さる。次に、沙紀の体は爪を戻すのを利用して建物の方に高速で移動。炎を回避。
「あっ……!」
炎を沙紀に避けられた時、バーニンはようやく沙紀に誘い出されたことに気付いた。生存本能が集中力を極限まで高め、怒りと憎しみによって狭まっていた視界がクリアになる。そして、左右の遮蔽物から突き出される銃口の数々。それらの銃口は既にバーニンを照準に合わせようと動いている。
──……やばッ……死──
死の確信がバーニンの頭によぎった瞬間、バーニンは車の上に立っていた。
「はッ!? ッとと」
視界が一瞬で変化したことに驚き、唖然としていたバーニンだが、足元の揺れでバランスを崩したことで反射的にバランスを取り戻しつつ、自分が今どこにいるか確認。
──……車?
何らかの『個性』で移動させられた。
そう理解した時、バーニンがしたことは自分が移動前にいた場所に視線を向けることだった。そして、視線の先に見えた光景に困惑。視線の先には、さっきバーニンを挑発していた女が倒れ、青年の男が銃口に囲まれて射殺される光景があった。
時はバーニンと車の上にいる青年が入れ替わる約十秒前に遡る。
カロリーメイカーと行動を共にしている青年の個性は『
その『個性』により、青年はまずバーニンと自身の位置を入れ代える。そして入れ代わった瞬間、突き刺さる伸びた爪を戻して建物の方へ移動していく沙紀に左手を合わせて再び入れ代え。沙紀と青年の位置が入れ代わる。つまり、バーニンを誘い出した位置に沙紀が来て、移動途中の沙紀の位置に青年が来ることになる。
急に人が何度も入れ代わったことに困惑し、最後に沙紀の姿を見て銃の引き金を引くことを止めたヴィランはそれなりにいた。しかし、銃を構えている内の三人のヴィランは本来のタイミングより早く引き金を引いてしまっていたため、沙紀が現れた瞬間に銃撃。沙紀は爪で移動していた体勢で入れ代わった影響で片膝をつくように現れたが、それでも三発銃弾が胴体に当たった。
「あぐッ……!」
沙紀は痛みに呻きながらその場に倒れ伏した。
一方、沙紀と位置が入れ代わった青年も爪で移動している最中の沙紀と入れ代わったせいで、移動の勢いが残ってしまっていた。結果、青年の体は建物に叩き付けられ、そもそも沙紀が逃げようとしていたところなのだから当然沙紀の仲間が近くにいる。故に、青年が起き上がろうとしたところでヴィランたちに囲まれて射殺されてしまった。ヴィランの中の誰かと入れ代わる余裕も無かった。
青年を射殺した後、ヴィランたちは沙紀を救おうと遮蔽物から飛び出したが、その判断は各々バラバラで足並みが揃っていない。車で近付いてくるヒーローたちに恐怖し、逃げ出したヴィランが一定数いたり、沙紀を助けるべきか、見捨てて逃げるべきか迷っているヴィランも一定数いたからだ。
そんな状況のヴィランたちは銃を持ってしてもヒーローの敵ではなかった。車で接近後、車体の上に乗っていたバーニンが飛び下り、炎髪から炎を飛ばす。その炎にヴィランたちが驚いた隙を突いて、車を運転していた女ヒーローと近くにいたヒーローたちが一斉にヴィランたちに飛びかかり、押さえつけた。それが決め手となった。判断を迷っていたヴィランたちも逃げ出したヴィランたちを追いかけ、逃げていく。
──置いていかないで……。
沙紀は霞んでいく視界の中、ほんの少し前まで仲間だった彼らの走り去っていく後ろ姿に震える右手を伸ばした。
沙紀の目からは涙が溢れている。熱い、痛い、苦しい、気持ち悪い。なんで今自分はこんな思いをしているのだろう。
その熱さと痛みの原因、貫通した銃弾の各部分に何か温かいものが流れ込んでくる。その影響か、激痛が徐々に和らいでいく。
「ちょっと! 何やってんの!」
そんな中、激怒しているバーニンの声が聞こえた。
バーニンは目の前で起きていることが理解できなかった。ヒーローの燃輪が、銃に撃たれ倒れている女ヴィランにヒールボトルの回復薬を与えているという事実が。周りには傷付き倒れているヒーロー……仲間が大勢いるにも関わらず、燃輪はヴィランを優先した。貴重な回復薬を味方を差し置いて敵に使ったのだ。納得できる筈もない。だから思わず燃輪を怒鳴った。
怒鳴られた燃輪は無言で振り返り、バーニンの顔を見つめる。バーニンは無言でありながらもどこか威圧感のある燃輪の姿を意外に感じたため、怒りに支配されていた頭が少し冷静さを取り戻した。
「治療しています」
「仲間が倒れてんのに、なんでそいつを治療して──!」
「この女ヴィランは佐藤に物資を渡していました」
「……え?」
バーニンは思わぬ情報に面食らい、怒りの言葉をまくし立てようとしていた口を閉じた。
燃輪は表情を変えず、言葉を続ける。
「テレビ中継でその瞬間を見ました。佐藤に物資を手渡せるヴィランであれば、それなりに佐藤に近いヴィランなのでしょう。佐藤と
その後、燃輪は唇を噛んだ。その唇から溢れる血が、どれだけの思いを殺してヴィランを助けるという決断をしたか、その重さがバーニンに伝わった。
「ここで佐藤たちを捕まえたらいいのよ。そんな情報必要無くなる」
「……お気遣いありがとうございます。それでも万が一がありますし、佐藤を失っても
バーニンは燃輪の気持ちを軽くするため、楽観的な希望論を意識して言い、燃輪はその気持ちを受け取って微かに笑みを浮かべる。
燃輪は沙紀を治療しつつ、拘束用ヒーローアイテムで沙紀の体を拘束した。
治療の理由を知った沙紀は、拘束状態で治療された体を暴れさせている。情報を吐き出させるために拷問されると考えているのだろう。
『こちらリューキュウ!
暴れている沙紀の体を車の中に入れているところで、リューキュウから切羽詰まったインカムが入った。
バーニンと燃輪は顔を見合わせる。
「私はここの負傷者の回復に専念します。バーニンさんは応援に行ってあげてください」
そう燃輪が言った後、燃輪の目線がバーニンの斜め後ろに移動する。バーニンは振り向いてその目線の先を追った。そこには、建物の前で倒れている青年のヒーローがいた。
──そっか。この人も戦友を失ったのね……。
所属しているヒーロー事務所の仲間を失った痛み。ずっと一緒にやってきたサイドキックとの別れ。そのショックは計り知れない。
バーニンは微かに頷き、その場を離れた。
燃輪は血塗れで倒れている青年を見つめている。脳裏にある日の青年の笑顔と言葉が甦った。
『燃輪さん、ありがとう。誰かがいないと何もできない《個性》でも誰かを救えると、俺に教えてくれて。あんたのサイドキックになれて良かったよ』
燃輪は目元を右袖のところで拭う。燃輪の傍では、もう一人のサイドキックの女ヒーローが声をあげて泣いていた。