雄英高校からの帰路。
車内の後部座席で花畑ら二人が座り、運転手は花畑の部下がしている。
この車の構造は前部と後部の間に仕切りがあり、後部の会話は前部にいる人間に聞こえない。運転手と話したい時は携帯電話といった通信機器を使用するが、目的地等の必要なやり取りは全て終わっているため、運転手と話す理由は一つも無い。
「花畑君、オールマイト以外にも候補がいるとは知らんかったよ。その候補が誰か、私にも教えてくれないか?」
「……別にいませんが?」
「なんだって!?」
五十代の男は花畑の言葉に驚き、花畑の顔を凝視する。
「しかし君ィ、二日以内にオールマイトの返事が無ければ違う人にすると自信満々に言っていたではないか!? あの言葉は嘘だったのか!?」
「嘘ではありませんよ。もしオールマイトの返事が無ければ他の人に対ヴィラン、対犯罪組織の対処をさせます。ですが、オールマイト以外は有象無象しかいませんから、誰を選んでも変わりません。適当な人物を選びますよ」
「それならわざわざタイムリミットなど付けず、オールマイトが決断するまで気長に待てばよかったのではないか?」
──このぼんくら議員はどうしようもないですね。
花畑は胸中でこの議員を嘲った。自分たち生き残った国会議員がどれだけ世間から逆風なのか、知っているにも関わらず、失敗を怖がり悠長な安定策をとろうとする。今彼らに必要なのはとにかく行動であり、国民からの信用を取り戻すことが最優先の筈なのに。まあそういう保身的な愚図だからこそ、生き残れたのだろう。
ヴィランである自分としては愚かな国会議員の彼らを放っておいても仕事はできそうではあるが、より確実に理想を実現するためには、オールマイトという希望を叩き潰した方がいい。
「むしろ逆です。タイムリミットを付けなければ、踏ん切りが付かず思考が堂々巡りするだけで時間がただ過ぎていくだけでしょう。タイムリミットはオールマイトに決断させる要素の一つになるのです。それに、私はオールマイトの姿を見て確信しました。彼は必ず引き受けますよ」
「それならいいのだが……。もし彼が万が一引き受けず、彼以外の人物を選ぶことになって失敗したら……」
隣でブツブツと不安を口にする五十代の男に花畑は呆れた。
その会話以降、二人から会話らしい会話は無くなった。
◆ ◆ ◆
空が赤く染まっている夕方、オールマイトは雄英高校の校舎の外をランニングしていた。マッスルフォームではなくトゥルーフォームという痩せ細った姿のため、時折吐血しながらも、歩くよりはちょっと速い程度で走り続けている。
オールマイトは体を鍛えるためでもストレス解消のためでもなく、ただただ無心になりたいがために走っていた。無心となることで、本当に自分のしたいことが見えてくる。そう思った。
「オールマイト!」
緑谷がオールマイトの後ろから走って追いかけてきた。緑谷はすぐにオールマイトに追いつき、オールマイトの隣をオールマイトと同じペースで走る。
「緑谷少年か」
「学校中で噂になってますよ! 国会議員の人たちがオールマイトに会いに来たって!」
「そうか。広まるのが早いなあ!」
オールマイトは明るい声を心掛け、笑い声を意識して出した。緑谷の不安そうな顔を見て、空気が暗い方向にいかないようにしたかったからだ。だが、緑谷の不安そうな表情はそれでも変わらなかった。
「……またヒーロー活動に戻るよう言われたんですか?」
「いいや、そうじゃない。彼らも私の今の状態はよく分かってるさ」
「なら、どうして──」
国会議員が、と続けようとして、緑谷はハッとした。ヒーロー活動のできないオールマイトに国会議員ほどの人物が直接会いに来る理由。今の日本の状況。ヴィランの情勢。国民の感情。そういったものが緑谷の中で次々に溢れ、溶け合って一つの結論を浮かび上がらせる。
「……何かヒーローじゃない仕事を?」
「ま、そんな感じかな」
「危険、なの?」
「危険じゃないさ。現場に出てるヒーローや警察に比べれば、多分ね」
緑谷は俯き、言いたい言葉をグッと堪えているようにオールマイトは感じた。言いたくても、相手の立ち場を考えたら困らせるだけじゃないかと葛藤している。
「あの、その仕事の時、オールマイトの近くにいちゃ駄目かな?」
「ん?」
「無理なのは分かってます。でも、オールマイトが死んじゃったら、僕は……!」
「少年……」
オールマイトは胸が熱くなった。緑谷が言う通り、今の雄英高校は寮制であり、生徒は簡単に校外に出られないようになっている。オールマイトが校外に仕事に行くのなら、緑谷が付いてくるのは不可能。緑谷だってそのことは痛いほど理解している。それでも、緑谷はオールマイトの傍でオールマイトの身を守りたいと言ってくれているのだ。オールマイトをそれだけ大切に想ってくれている証拠であり、オールマイトが感極まらないわけがない。
同時に、オールマイトの覚悟が決まった。
緑谷の他人を思いやり、何か自分にできないかと思う心。それこそ今のヒーローや警察、ひいては国民全員が必要なもの。自分はまずヒーローと警察にそういう部分を伝え、国民からの批難や罵倒といった攻撃は先頭に立って全て受け止める。ヴィランや犯罪組織といった悪にも毅然と立ち向かう。そして、それができるのは、ヒーローを引退した自分しかできない。
「ありがとう。気持ちはとても嬉しいし、お陰で決心がついたよ」
歩くよりちょっと速いペースで走っていたオールマイトはマッスルフォームになっていきなりペースを上げ、緑谷を追い抜いた。
「オールマイト!」
後方からの緑谷の声に、オールマイトは振り向かず、ただ右腕を真っ直ぐと上に伸ばしひらひらと手を振った。さようならのジェスチャー。
緑谷は走っていた足を止めた。どんどんと遠ざかっていくオールマイトの後ろ姿を見つめ続ける。
だが、後ろ姿を見ていた緑谷の表情が一変した。オールマイトの後ろ姿が夕方の赤と闇の世界にどんどん呑み込まれていく。その光景が、まるでオールマイトのこれからの未来を暗示しているようで、緑谷の血の気は引いていった。
緑谷は立ち止まったまま、両拳を力強く握りしめる。
もしオールマイトがあの佐藤のターゲットに選ばれてしまったら? 佐藤だけじゃない。以前、
オールマイトが万が一ヴィランに殺されてしまったら、自分はそのヴィランを許せるだろうか? いや、絶対に許せない。必ず捕まえ、罰を受けさせる。
──いや、そうじゃない。
そこまで考え、緑谷は自分が思い違いをしていることに気付いた。
緑谷がオールマイトを大切に思っているのと同じように、佐藤ら
緑谷はそう思いつつ、大きくため息を吐いた。現実と理想のギャップ。仮免を取得し、緊急時には『個性』を使用してヒーロー活動ができるとはいえ、日常的にヒーロー活動することが許されたわけじゃない。雄英高校の状況からしても、まず校外に出る許可が出ないだろう。
オールマイトやヴィランに苦しむ人たちのために何かしたいと思っても、何も行動できないもどかしさ。
「僕には何ができるんだろう……」
緑谷の呟きは夕闇の中へ消えていった。
◆ ◆ ◆
エンデヴァーはイライラしていた。
今、エンデヴァーはヒーロー公安委員会のあるビルのオフィスにいる。時間は深夜であり、ここに来る前は愛国者集団や敵連合が起こした事件の後始末で負傷者の救助、破壊された建物や道路の修復、残骸の撤去、連中の起こした事件の混乱に便乗したヴィランの対処等、まともな休憩も取らずにずっと働いていた。表には出していないが、内心エンデヴァーはくたくたで早く休みたい気分なのだ。
そんな気分の時、ヒーロー公安委員長から呼び出しを受けた。その時のエンデヴァーもかなり苛ついていたため、用があるならお前たちが来いと電話越しに言ったのだが、情報が外に漏れるとマズいとても重要な話だからここじゃなければ駄目だと言い張り、結局エンデヴァーが折れてこのヒーロー公安委員会のあるビルまで足を運んだのだ。
なのに、である。そんな疲れた体を引きずって相手の都合でここまで来たにも関わらず、オフィスにいる連中のこの態度は一体なんなのか。
「エンデヴァー、え〜と……クッキー食べる?」
「いらんわ!」
ヒーロー公安委員長の言葉に、エンデヴァーは怒鳴った。怒鳴った後、エンデヴァーはオフィスにいる面々を見渡す。ホークス、クラスト、ミルコ、ギャングオルカ、リューキュウ、イレイザーヘッド、ヨロイムシャ。ヒーロー公安委員長以外は名の知れた上位プロヒーローしかいない。言い換えれば信用できる人間しか、この場にいない。ただ、ヒーロー公安委員長と彼らの唯一違う点は、こうして見ている感じ彼らヒーローたちも自分と同じ側らしい点。彼らもヒーロー公安委員長の態度に困惑している。
「それならお茶でも……あ! 最近美味しい緑茶を見つけ──」
「飲まん! 一体なんださっきから! アンタの方から呼びだしておいて、ちっとも本題に入ろうとせんではないか! 用があるならさっさと言え! 無いならもう帰るぞ!」
エンデヴァーは身を翻し、オフィスのドアノブに手を掛けようとする。エンデヴァーは本気だった。このドアを開けて出ていくまでに何も言わなければ、そのまま帰るつもりでこの行動をした。
「エンデヴァー、分かったわ。私が悪かった。あなたを呼び出した理由を今から伝えます」
「最初からそうしろ」
エンデヴァーは委員長に背を向けた体勢から正面に向き直る。
ヒーロー公安委員長は「んんッ」と小さく咳払いをした後、デスクに視線を落としたり、デスクの上の資料らしき紙を両手で弄んだりして、覚悟を決めても一から二分ほど言うのを躊躇っていた。
エンデヴァーはそろそろ我慢の限界であり、もう怒鳴って帰ろうかと思った時、ヒーロー公安委員長と目が合う。目には決意の光があった。
「先日、佐藤のハイジャックが発端となった国会議事堂襲撃事件。襲撃後の逃走時、愛国者集団は敵連合の一人、荼毘を狙撃し、致命傷を与えた。ここまでは知ってるわね?」
「ああ。それがどうした?」
「……荼毘と呼ばれるヴィランは私たちのデータベースには存在しないヴィランであり、正体は不明だった。当然私たちは荼毘の身元情報を集めるため、最優先で死体解剖と検査をした。そしてついさっき、驚くべき事実が判明したの」
「驚くべき事実……?」
話を聞いていたリューキュウが思案顔でそう呟いた。その声でヒーロー公安委員長はエンデヴァー以外の人間もこの話を聞いていると意識したらしい。
「ここからは他言無用よ」
ヒーロー公安委員長は改めて周囲の人間に釘を刺した。周囲のヒーローたちは無言で頷く。
「ところでエンデヴァー、あなたには亡くなった息子さんがいたわよね?」
「……長男の燈矢をな。十年も前の話だ」
エンデヴァーが苦い表情で言葉を絞り出す。あの時の悲しみや罪悪感、無念さを再び思い出したからだ。
「亡くなってなかったのよ」
「……何?」
「昨日まで生きてたの。正確には日付が変わってるから一昨日だけど」
「嘘を言うな!」
エンデヴァーは怒鳴った。そんな言葉は信じたくなかった。死んだと思っていた息子が生きていただけでも信じられないのに、敵連合としてヴィラン活動をしていたことはそれ以上に信じ難い話だった。
だが、どれだけ頭で否定したくても、荼毘が死んだと思っていた燈矢と同一人物だとすれば、思い当たる節は幾つかある。蒼炎。火傷だらけの体。死に際の言葉。体の最奥、魂とも呼べる部分が、ヒーロー公安委員長の言葉は真実だと叫んでいる。
「嘘じゃない」
ヒーロー公安委員長は手に持つ数枚の資料をデスクに置き、エンデヴァーの方に向ける。エンデヴァーは引き寄せられるようにヒーロー公安委員長のデスクに近付き、デスクに置かれた資料を手に取って目を通していく。その資料には死体解剖や検査の詳細な情報が書かれていた。その情報一つ一つが、荼毘と燈矢が同一人物であることを裏付けている。
その場にいるエンデヴァー以外のプロヒーローたちも、どう言葉をかけていいか分からず、口を閉じてエンデヴァーの様子を窺っていた。
「はッ……はッ……」
エンデヴァーは目を見開き、過呼吸になっていた。息子が生きていたこと。息子がヴィラン活動をしていたこと。息子だと気付いてやれなかったこと。気付いていなかったとはいえ、息子にトドメをさしてしまったこと。それらの事実が刃のようにエンデヴァーを突き刺し、エンデヴァーの心を深く傷つけている。
エンデヴァーのそんな様子を、間近からヒーロー公安委員長は見ていた。ヒーロー公安委員長は痛ましそうな表情になる。
「……知らなくてもいい真実が、この世の中にはある。あなたに伝えるべきかどうか、最後の最後まで迷ったわ。でも、あなたは知っておくべきだと思った」
「……」
エンデヴァーはもはや言葉を発することさえしなくなっていた。ただ手に持つ資料がくしゃくしゃになる程、両手に力を入れている。
そんなエンデヴァーの姿を気の毒に感じたのか、ヒーロー公安委員長は再び口を開く。
「でも不幸中の幸いは、この事実が世間に出なかったことね」
ヒーロー公安委員長の言葉に、エンデヴァー以外のプロヒーローたちはギクリとする。明らかにエンデヴァーの逆鱗に触れたことを文字通り肌で感じた。エンデヴァーの纏う炎の勢いが一気に増していく。
「……どういう意味だ?」
「なら逆に訊くけど、敵連合が荼毘の真実を知らなかったと思う? まあ知らなかったとしても、荼毘本人は当然あなたの息子であることを自覚していたでしょう。それでも今までこの情報を隠していたということは、あなたがヒーローとして絶頂期を迎えた時の切り札として使うつもりだったに違いないわ。この事実を公表し、更にこうなった経緯などを悲劇的に語れば、世間の同情を得られてあなたの名声を地に落とすことができたかもしれない。確かに息子さんが生きていてヴィラン活動をしていたことはショックでしょう。でも、あなたにとって最大のスキャンダルを未然に防げたという意味では幸運だった。私はそういう意味で言ったのよ」
「……」
エンデヴァーはヒーロー公安委員長に背を向けた。
ヒーロー公安委員長はチラリと周囲のプロヒーローたちに視線をやる。
「他言無用の意味、分かったかしら? 敵連合はあらゆる手を使ってくる相手であるということを再認識してほしくてこの場にあなたたちも呼んだけど、この情報はあまりにも危険過ぎる」
「荼毘が俺の死んだと思っていた長男であったことを公表する」
エンデヴァーは背を向けたまま、静かにそう言った。
「えッ!?」
その場にいるエンデヴァー以外の全員の驚きの声が重なった。
「あなたにとって損しかないのよ! それだけじゃない。国民からのヒーローの信用が崩れている今、その情報の公表はあなたのヒーロー生命を終わらすかもしれない。ヒーロー全体の信用だって──」
「損とか俺のヒーロー生命とか、そんなものは知らん。俺はもう逃げんと誓った。自分自身に。過去の過ちで国民から叩かれようと、それは自分の責任だ。俺が背負うべき罪であり、受け止めなくてはならないものだ。この事実を公表して世間が俺の引退を望むなら、俺はそのことを受け入れる」
エンデヴァーはそう言い切ると、唖然としている周囲の人たちを無視してドアノブに手をかける。その時、拍手の音が響いた。ホークスだ。ホークスがただ一人拍手している。
「それでこそナンバーワンヒーローです」
「……ふん」
エンデヴァーは鼻を鳴らし、ヒーロー公安委員長のオフィスから出ていった。
ビル内の通路を歩きながら、エンデヴァーは荼毘との最期の戦闘を思い出す。
あの時、荼毘が生み出していた炎は自分の最大出力を超えていた。一点集中しなければ勝てないと思わされたほどに。
『ハハハ……ざまあ……みろ……』
死の間際の荼毘の言葉を思い出す。
エンデヴァーは微かに笑った。
──燈矢、ずっと頑張っていたんだな。あの時お前のところに行けなくて本当にすまなかった。
エンデヴァーは背筋を伸ばし、胸を張って歩く。
──あの時の俺はお前から逃げてしまった。だが、今度は逃げない。
決意を胸に、エンデヴァーは自宅に帰った。家族にも燈矢のことを伝えるために。
次の日の午後一時、エンデヴァーは記者会見を開き、敵連合の一人であった荼毘の真実を自分の過ちも含めて公表した。