全校集会のあった日の放課後。
緑谷はオールマイトの部屋に行っていた。オールマイトの部屋には当然のようにスターアンドストライプがいる。
「オールマイト!
緑谷の声は最初は元気が良かったが、どんどん声が小さくなっていく。
それもその筈で、緑谷の母親は雄英高校が寮制になって緑谷が寮に入ることを反対した。緑谷が雄英高校に入学してからどんどん体に傷を作るようになっていたのが主な理由で、息子の身を案じての反対だった。最終的にはオールマイトと緑谷の二人で説得し、寮入りを許してもらった。
「うん、知ってるよ。ちゃんと説明は聞いたし。お母さんについても大丈夫だ。いいお母さんだからね」
「はい!」
緑谷の顔が明るくなった。
正直な話、オールマイトとは国務大臣である間、もう会えないと思っていた。
自分の机周りを片付けても雄英高校にいるのを見て不思議に思っていると、オールマイトから説明があった。職場は内閣府となったが後任との引き継ぎもあるため、しばらくは雄英高校と内閣府を行き来する生活になると。
それを知って、緑谷は喜びを隠せなかった。まだオールマイトと会って直接話せる。携帯でメールや電話のやり取りはできるが、やっぱり直接話せた方が良い。
「それで、その……もし校外研修が許可されたら、オールマイトの護衛をしているヒーローの事務所に口添えをしてもらいたくて……」
「緑谷少年……」
「分かってます! 自分がズルいことをしようとしていることは! でも、そうでもしないとオールマイトの傍で守れないから……」
「ボーイ! オールマイトには私が付いてるんだ。かすり傷一つ許すつもりはないよ! オーブネに乗った気でいるんだね!」
スターアンドストライプが胸を張って、ドンと胸を右手で叩いた。
「スター……はい」
緑谷はスターアンドストライプの割り込みに一瞬戸惑ったが、すぐに笑みを浮かべた。
そうだ。アメリカナンバーワンヒーローも護衛なんだ。オールマイトの身の心配をするなんてむしろ失礼なこと。万が一が起こるわけない。
緑谷はそう自分に言い聞かせつつも、一抹の不安を拭い取ることはできずにいた。佐藤というヴィランはその万が一をやってきたヴィランだからだ。誰がテレビ局を占拠し、国を脅迫することが起こると予測できただろう。誰が国会議事堂に飛行機を落とすなんてことを予測できただろう。誰がこの日本の現政府が機能停止に陥ることを予測できただろう。
確かにオールマイトの身は誰よりも安全だ。だが、佐藤というヴィランの行動を考えると、そういう難易度の高いところをあえて狙ってくるんじゃないか、という不安がある。盤石だからこそ、それを崩す楽しみが生まれる。佐藤はそう考える可能性が高いんじゃないか。そして、佐藤は今まで目的を達成してきた。
「本当に不本意なんだけど、ボーイの不安を晴らせなかったみたいだね」
「そんなことは……!」
緑谷が慌てて否定するも、言葉に反して表情は曇っていった。
そんな緑谷をオールマイトはジッと見つめ、やがて意を決したように口を開く。
「……緑谷少年、佐藤を見てみるかい?」
「えっ!?」
緑谷が驚きの表情でオールマイトを凝視する。
「
スターアンドストライプはオールマイトから教えられた佐藤の情報から、良くも悪くも佐藤は強烈な思想の持ち主であると分かっている。若者は簡単にその思想に染まってしまう危険性があり、下手したらヒーローとしての芽を潰されてしまうかもしれない。そういう懸念からきたスターアンドストライプの念押しだった。
だが、オールマイトの心はもう定まっている。
「うん。これから校外研修の子たちと共に仕事する機会が増えていくなら、その中の一人をメンバーに加えるのは不自然なことじゃない。同じ方向を向いて戦っていくためにはね」
「あの、さっきから何の話をして……。それに佐藤を見てみるってどういう……?」
「佐藤ら
「ヴィランと交渉って……」
緑谷は言いようのない不快感のようなものを覚えた。ヴィランを説得ではなく、交渉するというやり方は、ヴィランとしての在り方をヒーロー側が認めているように感じるからだ。
そういう緑谷の内心を察したオールマイトは、すぐに笑って首を振った。
「いや、そういう建前じゃないと向こうはコンタクトを取ろうとしないからね。
これは極秘の情報になるけど、実は愛国者集団との交渉はこれが初めてじゃないんだ。二回目になるんだよ。今回の交渉は前回の交渉内容を全て白紙に戻すことが目的だからね」
「それなら良かったです」
緑谷はホッとしたように息を吐いた。
「それで、愛国者集団との交渉に来るかい? 嫌ならそれでもいいよ」
「いえ、行きます。すぐに外出許可を相澤先生にもらってくる」
緑谷はそう言うと、オールマイトの部屋を出ていった。
◆ ◆ ◆
ヒーロー公安委員会のあるビルの一室。廊下から見ると、第四会議室のプレートが扉の上に設置されている。U字型に置かれた机、中央に置かれたプロジェクターとノートパソコン。佐藤側には、このノートパソコンに内蔵されているカメラに映っている部分が見えるようになっている。一応カメラは全員映るように調整されている。そして、あえて空いている空間の先にはプロジェクターを映すスクリーンが天井から吊るされていた。
──僕、なんか場違いな気がするなぁ。
緑谷はそんな中、居心地の悪さを感じていた。その理由はこの部屋にいる
こんな中、ただの学生の自分が座っているのはどうしても違和感が拭えない。もちろんこの部屋に集まる前は何故いるのか問いただされ、オールマイトが説明して納得してもらうという一悶着があった。それが終わった後だから変な目で見られることはなくなっているが、そわそわする気分はずっと消えない。
そんな中、愛国者集団との交渉の時間となった。
スクリーンに佐藤と他の愛国者集団の面々三人が座っている映像が映される。その三人は黒髪を縛っている男、金髪の男、赤髪に白のメッシュが入っている女の三人。金髪の男にいたっては緑谷と同い年くらいに見える。
『随分と顔ぶれが変わったようだね』
スクリーンに映る佐藤が正面から少し顔の向きを変えて言った。おそらくその方向にこの会議室を映しているモニターが設置されているのだろう。
「佐藤。前回の交渉で政府が何かしらの提案あるいは取り引きをしたと思われるが、それらを全て取り消したい。できるかな?」
オールマイトが固い表情でスクリーンに映る佐藤を見つめる。
それは当たり前の話で、どれだけ前回の交渉が気に入らないからといって、『なかったことにしたいで〜す』などという都合の良いことを言うのは恥知らずと罵られてもおかしくない。それが全然自分と関係ない交渉の話だったとしてもだ。同じ陣営で話している以上、どれだけ嫌でも、これは二回目の政府の交渉なのだ。
『いいよ』
佐藤はあっさりと即答した。
オールマイトやヒーロー側の葛藤、ヴィランと交渉しようとする政府の人間と同じ陣営にいる羞恥心、佐藤がその交渉を利用して何か仕掛けてくるんじゃないかという警戒心。それらを
「……何?」
オールマイトは険しい表情になる。あまりにも自分たちにとって理想の返答。だからこそ、逆に何かあるのでは? と疑り深くなる。
スクリーンに映る佐藤がニヤリと笑う。
『おや、それが望みなんだろ? 良かったじゃないか、政府の恥が外に出なくて。もっと喜んだらどうだい?』
「……問題無ければ、その交渉内容を教えてくれないか?」
『なに、簡単な話だよ。ヴィラン連合を壊滅させたら私を国土防衛軍の総帥にするっていう話だった』
「なんだと!?」
エンデヴァーが怒りを爆発させて口を挟んだ。口には出さなかったが、ここにいる全員も同じ気持ちだった。毒をもって毒を制すと言えば聞こえはいいかもしれないが、その後のことを考えれば余計に事態は面倒かつ悪化するのは目に見えている。得するのは佐藤のターゲットから外れる国会議員たちだけだ。
『もちろん我々としては政府にいいように利用される可能性は否定できなかったから、日本国民にちゃんとそのことを伝えてからじゃないと我々は動かないとは言ったけどね。その後、彼らは今日まで何の動きも無かった』
それはそうだろう、とヒーロー公安委員長は思った。
保身第一の彼らが、日本国民に対して表立って悪印象を与えるようなことができるわけがない。彼らは上手く愛国者集団からのヘイトを逸らそうとしたが、佐藤にその保身を見抜かれ、逆に痛いところを突かれてしまった。
──なんというか、滑稽な話ね。
ヒーロー公安委員長はスッとする気分よりも、むしろ恥ずかしくなった。
『我々としても困ってたんだよ。向こうがアクションを起こしてくれないと、こちらも動くに動けなくてさ。だから、こうしてコンタクトを取ってくれて、しかも交渉を決裂させてくれた。君たちには感謝してるよ。これで心置きなくまた国会議員を殺す大義名分が生まれたんだからね』
「お前はまだ殺すつもりか!?」
怒りのエンデヴァーの声が会議室を震わせた。
──国会議員を殺す大義名分が生まれた……?
そんな中、緑谷は佐藤の言い方に引っかかりを覚えた。まるで殺すことこそが目的であるような……。そんなことがあるのか? 愛国者集団なんていう組織をここまで大きくした人間が、目的なんてどうでもいいような言い方を?
『言った筈だ。我々はこの日本をヴィランに負けない強い国にする。そのためならば、同胞の血であろうと流す覚悟がある。心苦しいけどね』
「同胞……か。貴様がその言葉を言うとは」
『……どういう意味かな?』
「貴様の正体はもう調べがついている。この世界ではない別の世界の日本から来た人間……分かりやすく言えば異世界人であることはね。同胞なんて言葉は当てはまらないんだよ、こちらの世界の人間には」
『佐藤さんが……異世界人……?』
スクリーンに映る金髪の少年はショックを受けたように目を見開いている。他の二人も驚きの表情だ。佐藤だけはオールマイトのその言葉を聞いて愉しげに笑う。
『永井君に会ったのかい!? 彼はちゃんと協力してくれたかな!? もしかしてこっちに来たり……! いや、それはないか。彼だったらむしろ前回の交渉を進めようとする筈だからね』
──なんなのだろう、この人は?
緑谷は佐藤という人間がまだ掴めずにいた。もちろん緑谷は佐藤が異世界人だと知らなかった。そのことについてはとても驚いたが、それよりも佐藤の反応の方が不可解に感じたせいで、逆に冷静に佐藤を観察できた。
佐藤の周囲にいる人の反応から、佐藤が自分を異世界人であるということを隠してヴィランとして成り上がったことは間違いないだろう。だとすれば、異世界人だと指摘されてもとぼけるか否定するのが普通の反応の筈だ。バラされたら困る情報の筈だから。にも関わらず、その指摘を肯定するような反応をし、しかも当たり前のように異世界にいる友人のような相手の話をする。
──不利な話……じゃないのか?
自分のいた世界の人間に接触されたということは、自分の情報を知られたと普通は考える。情報が漏れれば漏れるほど、都合が悪くなる筈なのに、佐藤はそれを意に介していないようだ。
「佐藤、貴様に訊きたい。何故、別の世界の人間を殺す?」
『何故って、楽しいからじゃ駄目かな? 他に理由が必要?』
「ふざけるな! その言葉を遺族の前で言えるのか!?」
『言えるけど。殺しちゃったのは悪かったけど楽しかったからいいよねって。そもそも、この世界にも狩りという趣味があるじゃないか。なんで動物は狩ってよくて人間は駄目なんだい? ゲームでもさ、人間を撃つゲームが娯楽として成り立っているでしょ?』
「……は?」
緑谷の口から、思わず声が漏れた。緑谷だけではない。この場にいる全員が似たような音を漏らしていた。
なんだろう、この会話をしているようで会話をしていない、この噛み合っていない感覚。人間と話しているつもりが、別の種族と話しているようなズレ。
『私からも訊いていい? なんで他人を助けるのかな? どうせいつかは死ぬ命だというのに』
「……なんだって?」
ホークスが怒りを抑えつつ呟いた。
佐藤はそんな反応を愉しむように笑みを深くする。
『今日助けても、明日は事故で死ぬかもしれない。一年後は病気で死ぬかもしれない。私が殺さなくても、人間が死ぬ理由なんていくらでもある。君たちがやっているのは、私からすれば無意味な行為にしか見えないよ。だったら、他人の命なんて気にせず、自分の好きなことをやってた方が有意義だと思わない?』
佐藤という人間の嫌な部分。普段考えないようにしている真実を突きつけてくるところが、佐藤をより腹立たしい存在にしている。佐藤が言っている言葉がそれなりに本質を突いているところが余計に質が悪い。
数秒、あるいは数十秒、間が空いた。誰もが答えを持っているのに、それを言語化して伝えることに時間が掛かっているような、そんな時間だった。
「佐藤、確かにお前の言う通りだ。助けた命が、次の日事故で失われるかもしれない」
そんな中、オールマイトが静かに口を開いた。
「形あるものはいつか崩れ、命あるものはいつか死ぬ。そんなことは誰もが分かっている。だが、それが命だ。いつか死ぬからこそ、その一瞬一瞬を一生懸命生きようとするんだ、人間は。いつか必ず別れが来ると分かっているからこそ、一緒にいられる間は精いっぱい優しくしたり、思い出を作ろうとするんだ。だからこそ、一日命を引き延ばしただけの結果になろうとも、その一日が無駄だとは思わない。そうやって生きる人たちが、理不尽に死んでいってほしくない。助ける理由なんてそれでいいと私は思う。他人に興味の無いお前には一生分からないだろうけど」
──流石オールマイト……。
緑谷はオールマイトの言葉を聞き、気分が明るくなった。自分の心にあるものを代弁してくれたような、スッキリした気分になっている。他の人たちも同じようで、オールマイトの言葉に頷く人や明るい表情になった人がちらほらいる。
佐藤はオールマイトの言葉を聞いても、表情は笑みを浮かべたまま変わらない。
『成る程、私と同じってわけだね』
「………………は?」
今の話をどう聞いたら、佐藤と同じという結論になるのか。会議室にいる全員が理解に苦しみ、唖然とした。
『だってそうじゃないか』
佐藤はむしろ何故そう思わないのかという口振りで話を続ける。
『私は人を殺す。君たちは人を助ける。どちらも他人の命を、運命を握っている。君たちは意識したことがあるかな? 他人の命を掌の上で転がしているという感覚。他人の生殺与奪を好きにできる優越感を』
「そんなこと、考えるわけが──」
『意識しなくても、そうなんだよ。君たちはそれを生きがいにしているんじゃないのかい? 悪人がいなければ、人の命が危険に晒されなければ、君たちには何も無い。違うかい? 愉しいでしょ、今? たくさんの人の命が危険に晒されててさ。やりがいがあって毎日充実してるんじゃない? お互い愉しく生きていこうよ、この混沌に満ちた残酷な世界を』
「…………」
もはや誰も言葉は出てこなくなっていた。佐藤という人間は狂っているとか、そんな陳腐な言葉に当てはまる人間じゃない。コイツはそんなかわいい存在じゃない。例えるならば、悪意というものを人の形にした存在。そう緑谷が思ってしまうほど、佐藤の言葉は悪意に満ち溢れている。
『それじゃあね。今日は君たちと話せて愉しかった』
佐藤は満足したのか、一方的に通信を切った。
そして、会議室は静寂だけが支配した。