最強おっさん騎士、目覚めたら美少女騎士になっていました 作:koshikoshikoshi
それは唐突に起こった。ウーィルがルーカスの手を握った瞬間、まったく唐突にふたりの目の前の風景が変わってしまったのだ。
オレと殿下は平和な公都にいたはずだ。ガキ共の集うのどかな学園の寄宿舎にいたはずだ。それが……、なんだ、これは?
ウーィルは魔導騎士だ。銃火器が通用しない常軌を逸したモンスターと対峙したことは何度もある。物理法則を逸脱した魔力を操る化け物と死闘を演じたことも数知れず。しかし、さすがにこんなことは初めてだ。まばたきした瞬間に、周囲の光景すべてが変わるなんて。
いま、ウーィルの目の前にあるのは、……一面の灰色の荒野。無限に広がる暗黒の空。暗黒の闇にばらまかれた眩しいほどの星々。完全なる無音。
な、なんだ?
まったく生き物の気配のない荒涼とした世界。本能的にわかる。ここは死の世界だ。オレと殿下は、そんな無人の世界にたった二人きりで佇んでいるのだ。つい数秒前と同じ格好のままで。
夢か?
……ちがう。なぜなら、握る手の温かさを感じる。繊細で小さくて頼りないが、それでも確かに生きている人間の温かみ。それを確かめるため、ウーィルが握る力をこめる。殿下が握りかえす。
「こ、ここは?」
反響すらしない自分の声が、直接あたまの中に聞こえる。
「ここがどこなのか、実は私も正確なことはわかりません。でも想像はできます。……月面だと思います」
月面? 月? えっ? どうして? いつのまに? いやそれより、月って空気も水もない世界だと雑誌に書いてあったぞ。
「ふふふ。……ウーィルでもそんな不安そうな表情をすることがあるんですね。ちょっと安心しました」
隣の殿下が笑っている。頼りなさはいつも通りだが、その笑顔がなぜか安心させてくれる。
「あの眩しいのが太陽。そして逆光で見えづらいですが、あの小さな青い星が地球でしょう。……もともとこの世界で生まれた人間でこの光景をみたのは、ウーィル、あなたが唯一かもしれませんよ」
くすくす笑いながら話す殿下。
はぁぁぁぁ? 地球? あんなに遠くて小さいのか?
「もちろん、私達は実際に、地球から38万キロも離れたこの月面にいるわけじゃありません。人間がこんなところで生身で生きていられるわけがありませんから。これもまた想像ですが、おそらく私達の精神だけが仮想的にここに飛ばされたのでしょう」
殿下は妙に落ち着いている。
「で、で、で、殿下はここに来た事があるのですか?」
「私がはじめてここに呼ばれたのは、15歳になった直後の月食のときでした。転生を自覚した直後から『知っていた』とはいえ、やはり実際にこんなところに呼ばれてしまった時はおどろきましたし、恐かった。でも、これからはウーィルがいっしょだから……」
は?
グオーーーーーーーー!!
大地が震えるほどの咆哮。もちろん、音が聞こえたわけではない。雄叫びが脳みその中に直接反響し、身体が直接ふるえたのだ。ウーィルは振り向く。反射的に剣を握る。
こんどはなんだ?
無人だったはずだ。確かにオレと殿下以外はいない無人の世界だったはずだ。なのに、いつのまにか、いる。ほんの数メートル先に巨大な何かがいる。白と黒と灰色しかない世界に、場違いなほど青く輝く美しいウロコ。体長はゆうに五十メートルを超える巨大ないきもの。
青ドラゴン! 先日公都で対峙した『青の守護者』か!!
ドラゴンと目が合う。こちらに頭を向ける。縦長の瞳に敵意が満ちている。青色の胸が膨らむ。息を吸う。
ブレス! この至近距離から奴のブレスを喰らえばただではすまない!
咄嗟に殿下の身体を抱き上げる。お姫様抱っこだ。そして空中へ……。
「まって、ウーィル!」
殿下がとめる。なぜだ?
「私たちも彼らも今ここにいるのは仮想的な存在にすぎません。物理的な実体はあくまでも地球です。……あの子のブレスも、ウーィルの剣も、ここではおたがいに攻撃はできないの」
改めてドラゴンをみれば、いつの間にか隣に男が立っていた。何事か諫められたドラゴンが行儀良く座りなおす。長い首を男の前にのばし甘えるように頭をなすりつける。男がその頭をなでる。
青い髪。細身で長身の男。凍りつくような視線で、オレ達を見つめている青年。
「あ、あいつも、ここへ?」
「そう。ウーィルも一度会ったことがあるはずです。青の転生者と、水の法則を司る守護者です」
抱き上げられたまま吐き捨てるように言う殿下。すぐ近くの顔。ウーィルはその口調に変化におどろいた。口調だけではない。まるであのドラゴンと青年を呪い殺しそうな視線で睨む。
見た目まるで女の子のような少年が、こんな表情もできるんだなぁ。
この異常な状況で呑気すぎる感想だと、我ながら思わなくもない。それでもウーィルは殿下がみせたいつもと違う人間らしい表情に、ちょっとだけ安心したのだ。
うひゃい!
突然、ウーィルの背中が反り返る。殿下を抱えたまま飛び上がる。誰かによって、不意に後ろからシャツがまくり上げられたのだ。
だ、だ、だ、誰だ?
ウーィルの太ももと下着が丸出しになる。目の前、たった今まで殿下と睨み合っていた青髪野郎が、顔を真っ赤にして目をそらしている。それを無視してウーィルは振り返る。
またしても何かがいる。ドラゴンとは違う。小さい。人間?
「おまえ新入りか! ちっちゃいな。『黒』の新しい手下、『時空の法則を司る守護者』なのか?」
ガキだ。燃えるような赤毛のガキ。身長はウーィルと同じくらい。人懐こそうな笑顔。
「俺、バヤック。火炎の法則を司る守護者だ」
火炎の守護者だと? このガキが、オレの後ろをとったのか? シャツをめくりあげやがったのか?
「おまえ名前は?」
無邪気に名を尋ねるガキ。ガキの相手は得意ではない。どうしてよいのかわからない。
「ウ、ウーィルだ」
「へぇ、ウーィルか。おまえ強いのか? 先代の時空の守護者は、あの青トカゲにやられるくらい弱っちかったけどな」
えっ? 先代?
「おまえ普段どこにいるんだ。先代と同じ公国か? 遊びに行ってやるから、一度勝負しろ」
陽気なガキが一方的なおしゃべりをつづける。無邪気なのは間違いないが、その身体からは膨大な魔力を感じる。もしかしたら青ドラゴンよりも強力な。こいつは間違いなくただの人間じゃぁない。
「バヤックや、お姉さんに迷惑をかけてはいけませんよ」
穏やかな声。視線をむければ、声同様に穏やかな表情の老婆がいた。ガキと同じく赤い髪。新大陸の先住民っぽいゆるやかな民族衣装を身につけている。
あの老婆が転生者で、この赤毛のガキが守護者ってことなのか?
「そう。ジャディおばあさんとその守護者バヤック少年さ。いまこの世界が存続しているのは、このふたりのおかげと言っても過言じゃぁない」
ウーィルは心臓がとまるかと思った。またしても後ろからいきなり声をかけられたのだ。
……オレ、この姿になってから簡単に後ろを取られてばかりだなぁ。
振り向くと、真の暗黒色の空をバックにコントラストが眩しいほどの白髪の少女。メルの同級生にして寄宿舎で同室のボクっ娘だ。
「やぁ、ウーィル。数時間ぶりだね」
「レンさん……」
にゃあ。
肩に乗った白い子ネコが鳴く。まるで挨拶であるかのように。
「殿下、隣の部屋に越してきたウーィルとさっそく仲良くやっているようだね?」
いまだにウーィルに抱きかかえられたままのルーカスに向け、レンがウィンク。
「でもね、殿下。学園内で堂々といちゃつくのは慎んでくれたまえよ。君たちは『男の子同士』ということになっているんだからね」
レ、レ、レ、レン、なにを、わ、私たちはいちゃついてなんか……。
顔を真っ赤にして反論するルーカス。だが、地面に降りようとはしない。ウーィルの首にしがみついたままだ。
「ふふふ、まぁいいか。ここは転生者と守護者以外に誰もいない。すきなだけいちゃいちゃしてくれたまえ。……話を戻そうか、ウーィル。15年前、ボクの先代とルーカス殿下の先代を皮切りに、つぎつぎと転生者達が殺された。あの青いドラゴンにね。そして最後に残った転生者が、ジャディおばあさんなんだ」
「なんだこの水トカゲ野郎! 性懲りも無く、また俺とヤロウってのか!!」
「ぐおおおおおーーーーー」
レンさんが視線を移す先、赤い髪の少年と青ドラゴンが睨み合い威嚇し合っている。
「転生したボクらふたりが15歳になり、月面での審判に参加できるようになったのが一年前。それ以前の数年間、バヤック少年と青ドラゴンは何度も一対一で死闘を繰り返したそうだ。もしバヤック君が敗れ、ジャディおばあさんが殺されていたら、世界の存続を望む者はいなくなり、それはすなわち、……この世界は終わっていただろうね」
そうなのか。……世界の存続って、想像した以上に脆いものだったんだな。
「……で、その『審判』ってのは、殿下とレンさんとおばあさん、そしてあのスカした青野郎の四人で行うのか?」
確かこの世界に転生者は常に7人存在すると言っていたと思うが。
「他の三人も既に転生しているはずだけど、ここに呼ばれるのは15歳になってからさ。それまでは、今ここにいる四人ということになるね。……おっと、そろそろはじまるよ、ウーィル」
なにが?
問い掛けにレンさんは答えない。白ネコとともに虚空を見あげるだけ。おばあさんと少年、青野郎とドラゴンも同じだ。
そして、オレ。殿下は抱き上げたオレの腕の中から降りる気はないらしい。そのまま空を見上げている。首に回した腕に力が入る。
やれやれとため息をつきながらも、正直いって別にイヤじゃない。オレもそのまま虚空を見上げる。
さて、……いったい何が始まるというんだ?