「お、俺は………!」
寸前の所で、口が動く。
思ったより、大きな声が出た。
アマネが驚いたように、身じろぎする。
その隙に、俺は太腿から手を退けた。
「俺は……こういうこと、保健の授業とか、…エロ本でしかみた知識しかねぇし、よく分かんなくて。それでも、お前がすごく傷ついてて、悲しくて、どうしようもなく辛いっていうのは、見てて分かる。ただ……。
俺は、こういうことじゃなくて、他に……公園で遊んだりとか、キャッチボールしたりとか。ここで…保健室で一緒に宿題やったりとか……そういう、もっと楽しいことした方が、いいと思うんだ。多分」
声が尻すぼみになっていく。
暫く沈黙が流れる。
アマネの求めてる言葉は違かったかもしれない。
またキレられるかもしれない。
今回は、もう、嫌われるかもしれない。
「ぷ」
噴き出す音が、聞こえた。
「あははは!何それ、ガキくさ!てか宿題とか全然楽しいことじゃないじゃん」
アマネは、思いっきり笑った。
また発作が起きるんじゃないかとはらはらしたが、アマネは咳き込むことなく、笑い続けている。
「そうだね。………早川くんの言う通りだ」
そう言って、微笑んだ。
俺の中の、蠢く何かは、形を潜めた。
その笑顔を見て、それでよかったんだと、強く思えた。
けれど、アマネはどうだったんだろう。
俺は、どうするのが正しかったんだろう。
何を言えば、何をすれば、彼女の考え方を変えることができたんだろう。
俺は普通で、無力で無知な少年だった。
そんな俺に、アマネの事を救える器など、鼻から持ち合わせていなかったのかもしれない。
「今日はぁ、デンジの失恋を慰める会アンド、パワー復活祝いパーティを開催しまぁ〜す!!」
「いぇ〜い………」
アマネの溌剌とした声。
覇気のないデンジの声。
部屋の隅からアマネを睨むパワー。
「……なんでまたお前が俺ん家にいるんだ?」
「なんでウヌがいるんじゃ」
「大丈夫!今回はちゃんと許可を貰ってきたから割と長くいれるよお」
「お、アマネも監視なしでそこまで出来るようになったんだな…」
デンジが死んだ魚のような目をしながらも、アマネとハイタッチをする。
「そういう問題じゃねえ……」
「そうじゃ!!ワシも納得いかん!ワシがいない間にこの家に来てたのも気に入らぬ!」
隠れながらもアマネに抗議するパワー。
アマネがそんなパワーをじっと見つめる。
びくっと身体を震わせるパワー。
「パワーは血の魔人だから、血が大好きなんだっけぇ?」
すると、アマネが袖を捲り、腕を出す。
「よし、快気祝いだ!好きなだけ吸いなさい」
途端に顔を輝かせるパワー。
すぐに懐柔されやがった………。
最近、天使と巡回に勤しんでいたり、デンジが気落ちしている原因であるボムの事件もあった為、アマネと顔を合わせるのは数週間ぶりだった。
先日のことがあり、妙に顔を合わせるのが気まずかったが、向こうは見たところ、いつもと変わらない。
「ウマい!!コイツの血、デンジの次ぐらいにウマいぞ!」
「ほどほどにお願いねえ」
「てかパーティなのに飯がなくね?」
「まあそれは………」
一斉に三人が俺に顔を向ける。
「クソッ…結局俺が作るのか」
まあいい、どうせ毎日やる事だ。
ただ、癪に触るので手抜きにしてやろう。
冷蔵庫に適した余りものがないか探る。
「結局前は食べれなかったもんねえ」
パワーから解放されたアマネが髪を一つに括りながら、キッチンに来る。
「手伝おうか」
「いや……いい」
以前の事を思い出し、目を伏せる。
左手の指にちらと盗み見る。
当たり前だが、傷は跡形もなく消えていた。
「そ、じゃあお任せしま〜す。
デンジ、パワー!ゲームでもやろうか?折角なので勝った人は、ここにいる人に何でもお願いできる権利を与えることにしまーす」
「ここにある食い物全部ワシのもの!!」
「俺の心……ときめきを思い出させてくれえ…………」
「それじゃあわたしはアキくんとデートする権利ね!」
「あ?俺はゲームしてないから関係ないだろ」
「二人ともいいよね〜?」
馬鹿二人が頷く。
パワーに至っては意味分かってんのか?
「いいってさ、アキくん」
アマネがにやりと笑ってこちらを見る。
決まった訳でもないのに、既に気が重い。
溜息だけ吐き、返事はしなかった。
「デンジぃ、いつまで落ち込んでる訳?またすぐ好きな女見つかるよ!君、ちょろいんだからあ!キャハハ!!」
「そうじゃデンジ。ワシの野菜やるから元気だせ」
食卓を囲み、すっかり打ち解けた様子のアマネとパワーが、デンジの肩を両側から叩く。
そんな様子を缶ビールを飲みながら眺めていた。
最近は慣れてきたこの騒がしさも、以前だったら考えられなかった光景だ。
ボムとの戦闘で、また多くの同僚が亡くなった。
こんな平和な時間が違和感に思えるような、そんな日々の繰り返しだ。
「もう俺はときめいたりできないんだ……もう一生、誰かを好きになることはできないかもしれないんだァ………」
「何言ってんのぉあんた?!…ってか、その顔……ぷぷ、ヤバ!!よく見たらおもしろ!!!キャハハハハハ!!!」
「……?なんかコイツのテンションおかしくないか?」
いつも煩い奴だが、今日はそれに拍車がかかってる。
「確かにウヌと同じ飲み物を飲んでからおかしいのう」
パワーは、俺が手に持つ缶ビールを指差す。
「あ?!いつの間に!お前未成年だろ!!」
「大丈夫で〜す、実質20年以上生きてるんでぇ〜〜」
そう言って、なぜか変顔でダブルピースをする。
綺麗な顔が台無しだ。
「いや〜お酒、初めて飲んだけど、ふわふわぁ、くらくらぁ……面白いねぇ………ぷふ、デンジ。なんかもっと変な顔になってくよお……… あひゃ…………」
そして、そのまま目を回して倒れ込んだ。
「おい!大丈夫か?!」
「寝ておるな」
パワーと並んで顔を覗き込む。
「あっこいつ、酔っ払ってるくせに地味に一抜けしやがった!」
「なんじゃと…?!つまりは………コイツが死んだから、ワシの勝ちってことじゃな」
「ハァ?!どう見ても俺の方が手札少ねえだろ!やっぱルールわかってねーじゃんお前!」
「煩い!ここにある肉と菓子はワシの物なんじゃ!!」
またいつものような喧嘩がはじまる。
そんな騒がしさを物ともせず、アルコールが回って顔を赤くしたアマネは、ぐーすか寝ている。
こんな緩んだ、幸せそうな表情も初めて見るかもしれないな、とふと思った。
夜は更けていき。
夕飯の片付けも終わり、デンジもパワーも自室に行ってしまったが、アマネは酔って寝たまま一向に起きる気配がない。
「おい、起きろ」
「んぁ………?アキくん」
アマネを叩き起こす。
涎を垂らして随分熟睡していたようだ。返事はあるが中々目が開かない。
「お前、外泊許可とか貰ってないだろ?」
「ん………?あぁ……そっかここ、施設じゃないんだっけ………」
ゆっくりと起き上がるが、そこで動きが停止する。
「なに呑気にしてんだ、立て!」
「ん〜〜〜〜無理………」
もう一度倒れようとするアマネの腕を掴む。
完全に脱力してやがる………。
すると、アマネが両手をこちらに広げ、
「おんぶ〜〜」
と甘えた声を出した。
「誰がするか。岸辺隊長の方には連絡入れといてやるから、あとは自分でなんとかしろ」
「え〜、なんでよぅ。アキくん………」
アマネがゆっくり目を開く。
薄く開いた瞼から、榛色の瞳が覗く。
「ね〜、お願い〜〜〜」
まるで駄々を捏ねる子供だ。
俺は溜息を吐き、船を漕ぐアマネを抱き上げる。
軽い。身長は女性の中では低くない方だと思うが、それにしては軽すぎる。
折れそうな脚を慎重に持ちながら、靴を履かせる。
茶色いローファーが、小さい足にすぽりと嵌る。
完全に俺に体を預けているアマネを再度背負い直し、他の二人が起きないよう、玄関のドアを静かに閉めた。
夜は深く、周りの家の電気も殆ど消えている。
人通りも全くない静かな道に、俺のゆっくりとした足音だけが響いた。
「……アキくん、煙草やめたんだね」
先程から規則的な寝息が聞こえてこないとは思っていた。
アマネがぽそりと耳元で言う。
「起きてるなら下すぞ」
手を離そうとすると、拒否するように俺の首に腕を回し、しがみついてきた。
「これが、いい。昔と同じにおいだ」
「おい、嗅ぐな。てか知らないだろ…昔の、においなんて」
俺はまるで、自分に言い聞かせるように言った。
「あのねぇ、アキくん……なんか最近ね、楽しいんだぁ。アキくんと一緒にいれるし。あと、デンジは面白いし、パワーもあんまり懐かない猫みたいでなんかかわいいし、ニャーコはふわふわだし。岸辺はうざいけどなんだかんだいい奴だと思うしさ………嫌いな奴もいるけど、それでも毎日辛いようなことはない」
小さく、夢現のままアマネは続ける。
「なーんか幸せ……。やっぱ、生きててよかったぁ」
そう言うと、また小さく寝息が聞こえてきた。
「生きてて、よかった、か………」
彼女の口から、そんな言葉が聞く日が来ると思っていなかった。
思い出の中のアマネは、あんなに人生を呪って、自分を憎んで、苦しそうに息をしていた。
こんなのは、ただの俺のエゴだ。
その一言で救われたような気になるのは、間違ってる。
けれど、心の奥底に溜まっていた鉛のようなものが、ふっと軽くなったような気がしてしまった。