過去を偲ぶ   作:豚でかきたま

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意識が覚醒する。

目は開いた筈だが、目の前が真っ暗だ。
そこで、自分が目隠しをされているんだと気づく。
腕も脚も動かない。
身体を拘束されていた。


「気がついたか」

近づいてくる、革靴で硬いコンクリートを鳴らすときの足音と共に、男の声。
どちらもよく聞き慣れた音だ。
ついでに酒臭さも加われば、いよいよ暗闇の中にはっきりとした輪郭が映し出される。


「俺とお前の目的を思い出せ。」
「………マキマを殺すことだ」

わたしの口から発せられる、低く唸るような声。
こんなに嗄れた声じゃなかった筈だが、なんだかアマネの声が酷く懐かしく感じる。
やがて目隠しが外された。



薄暗く、埃っぽい部屋。
奥にソファが一つ。テレビの明かりだけが、暗い室内を照らしている。

そしてわたしの目の前に立つ、白髪混じりの頭に口元から頬まで切り傷のある、くたびれた風貌の男。

「………岸辺」
「正気に戻ったか、アマネ」

岸辺は、何を考えているか分からない真っ黒な瞳でわたしを見据える。

「お前は誘惑の悪魔か?それとも、茅森アマネか?」

岸辺の黒い瞳の中に、"アマネ"の顔がうつる。

ぼんやりとしか見えないその中でも分かるくらい、アマネの容姿は酷く疲れ切っていた。

それでも尚美しいんだなこの顔は、と。まるで他人事のように思いながら、乾燥しきってひび割れた唇を舐める。


「さあね……どっちなんだろ」

岸辺から目を逸らし、宙を見つめる。

テレビからのびる光を受けて、埃がキラキラと舞っていた。

それをぼんやりと見ながら、わたしが何者なのか、記憶を…過去を、反芻する必要があった。






後編
プロローグ


 

 

 

銃の悪魔の被害は甚大だった。

 

 

ほんの一瞬の出来事だ。

教科書で見た、大地震に遭った土地の白黒写真を思い出した。

銃の悪魔が通過した場所だけが、綺麗に一筋、人間が積み上げた営みを、すべてふりだしに戻してしまった。

 

 

その中、わたしは生き残った。

 

家に居たくなくて、雪の中、寒さに凍えそうになりながらもいつもの公園にいたら、すぐ近くでお祭り太鼓をずっと大きくしたような轟音が響いて、後ろを振り返れば元あった景色は既に消え失せてた。

 

 

わたしの家はなくなっていた。そして、両親は死んだ。

 

 

神様はいるんだと思った。

いや、銃の悪魔様様だ!

 

わたしは、親に飼い殺されるか、悪魔に殺されるか。最低の二択を強いられた人生だとばかり思っていた。

 

それが突如として、苦しい思いをして、走って遠くに逃げる必要もなく、わたしは呆気なく解放された。

 

 

はやくアキくんに言いたい。

はやくアキくんに、会いたい。

 

アキくんとはもう会わないつもりでいた。

 

わたしはどうしようもなく苦しくて、寂しくて、何の罪もない普通で優しい彼を巻き込もうとした。

 

けどわたし、こんな晴れやかな気持ちでいるの、生まれて初めてだ。

 

今からなら、きっとまともな人間になれる。

アキくんとも、もっと普通で、平凡で、優しい時間を共有できる。そんな気がする。

 

 

民家の瓦礫、薙ぎ倒された木々、倒れている人、泣き叫ぶひと、人間の身体の一部。血。

 

それらの間を縫うように走り抜けるわたしの姿は、そんな状況では異常としか言い様がないほど、軽やかな足取りだった。

 

 

しかし、息もたえだえに辿り着いたそこには、アキくんの家は、なかった。

 

 

 

その後、わたしは一度もアキくんに会うことは叶わなかった。

 

 

 

 

わたしは札幌にいる祖父母の家に住むことになった。

 

古い平家で無駄に物が多く、常に線香のようなにおいが漂う家だったが、掃除が行き届いており、あの家に比べたら幾分も綺麗だった。食事も朝夕ちゃんと出る。

 

虐待もされなかった。寧ろ可愛がられ、大切に育てられたと思う。

 

多分、これが普通の幸せなんだな、とわたしは夢も見ずに深い眠りから目が覚めた朝、そう思った。

 

 

中学に入れば、無愛想なわたしでも女の子から話しかけられる機会が増え、加えて何人もの男の子から告白された。

 

そのあたりから、自分の容姿に価値があることに気がついた。

 

試しに付き合ってみたり、キスしたりセックスしてみたりした。

 

しかし、気持ち良くもなければ気持ち悪くもない。数人とそれをやった後、わたしはこの行為に何も感じ取る事ができないんだな、と気づいた。

 

それが分かってからは、自分の身体を使ってお金を稼いだ。 

 

 

祖父母はわたしの治療にお金をかけてくれた。

裕福な訳ではなかったと思う。

それでも、きっと年金を使ったり貯金を切り崩して、わたしの治療費に充てていた。

 

生活環境も前より良くなって、更には合う治療法も見つかって、中学を卒業する頃には健常者と変わらないぐらいの身体へとなっていた。

 

ただなんとなく、無償で手に入れたそれらが怖くて。

 

はやくお金を貯めて祖父母にしっかりと全額返そう。そう思って、身体を売り続けた。

 

 

暴力も振るわれない、息も苦しくない。

学校の人も、祖父母も、みんな優しくしてくれる。

 

それなのに、ずっと頭から離れない。満たされない。

 

あの時のわたしは今よりずっと不幸で、思い出したくもないのに、それは頭の片隅にあって。

 

その中にいる、胸の奥がじわりと熱を帯びる記憶。

 

忘れかけても、こびりついて離れない。

 

 

ちょっとぶっきらぼうで、でもすぐに顔に出ちゃう。

普通で、優しくて、ちょっぴり寂しがり屋な男の子。

 

わたしの綺麗で、キラキラした、美しい思い出の中の男の子。

 

 

アキくん。わたし、やっぱりアキくんに会いたい。

 

わたし、アキくんに、生きていてもいいかもしれないって思えたこと、伝えたい。

 

 

そう思った矢先だった。

 

 

 

 

放課後、札幌駅。

 

帰ろうと、駅の改札に向かっていた。

人の多い時間だった。

 

人混みに紛れて、近づいてきた影。

身体全体に、ドスン、という衝撃。

 

初めて味わう感覚だから、すぐには分からなかった。

 

ただ、腹部に違和感を感じて、そこを見ると、

刺さっている包丁。

 

それを視認すれば、じわじわと広がっていく

痛み。制服の白いブラウスに滲み出す血。

 

 

人を掻き分け走り去っていく男。

 

わたしが地に倒れ込むと、周りから悲鳴が聞こえてくる。

 

わたしに声をかけてくれる人の声も聞こえた。

 

しかし、それもどんどん遠くなって。

 

 

視界が、暗闇に覆われた。

 

 

 

 

「君、綺麗な顔してるねぇ」

 

 

やがて、何も聞こえなくなったと思ったら、耳のすぐ側で、はっきりと声がした。

 

 

目を開く。

 

少しくすんだ白い天井。身体が動かない。

動揺しているわたしをよそに、続ける。

 

「あ〜君、刺されたんだよぉ。なんか恨み買って男に刺されたみたいじゃん?やるねぇ」

 

恨み……?

買った覚えはないが、振った男の誰かか、それともわたしを金で買った男の内の一人か。

 

今はそんなことはどうでもいい。

わたしに話しかけているのは誰なのか。

 

唯一動く目だけ忙しなく動かすと、それはいた。

 

部屋の角。カーテンの隙間から僅かに差す月明かりすら吸収してしまうほどの、黒。おぞましい空気に包まれた、異形の何か。

 

「悪魔………?」

「そ、正解〜」

 

悪魔が、暗く深い、穴のようなものの奥底から、その姿に似合わない明るい声を発する。

 

不思議と、恐怖心は湧かなかった。

 

 

「ここ、どこ……?わたし、死んでる……?」

「うん、そうね〜。ま、正しくは脳死状態だから、身体は生きてるみたいだけどぉ。因みにここは病院〜」

「………そう」

 

 

わたし、死んだんだ。

 

生きようとした気力が湧いてきた途端に、死んじゃったんだ。

 

「やっぱ神様って、いなかったんだな……」

「いないだろうねぇ、わたしもそう思うよ!ま、"神の悪魔"ならいそうな気もするけど。考えただけでも恐ろしい〜」

 

悪魔の影が、くねくねと蜻蛉の様に揺れながら、部屋の角からわたしの眼前まで迫る。

 

「と、無駄話はそこそこに……。わたし、誘惑の悪魔っていうんだけど〜。君のこと、一目見た時からすっごく気に入っちゃって。肌も白くて〜髪の毛も、瞳も綺麗な色」

 

悪魔の身体のようなところからぎょろりした目が出現し、わたしの顔を角度を変えながら、舐め回すように見てくる。

 

「なにより……その顔、とっても魅力的〜!超カワイイ!!わたし、かなり人間の容姿にシビアだけど、君ほど綺麗な子なんて見たことないよお」

「そりゃどうも……」

「それで、提案なんだけど………

君はもう脳死状態。今はわたしの力で意識があるだけ。君は、もうすぐ本当の意味で死ぬ事になる。

それって、すっごく勿体ないことじゃあない?こんなに美しい肉体が死んで腐っていくだけなんてぇ」

「結論から話してもらってもいいかな、案外この状態キツいんだ」

 

わたしは鼻と目の先まで迫ってきた、誘惑の悪魔の瞳を見据える。

 

「ふ〜ん、いいねえ。強気な人間の女って、可愛くてぇ、可哀想でぇ、わたし大好きなの。いいね、中身も気に入った!……と、また話が長くなっちゃ怒られちゃうねぇ」

 

悪魔の瞳が、不敵に歪む。

 

「わたし、君の身体が欲しいんだけどお。あ〜、勿論拒否権はないよ。だって、君はもう死ぬだけなんだからぁ!」

「そっか………でも、脳死って死んだうちに入るのかな。身体は生きてる訳だよね。というか、身体を乗っ取るつもりなら、態々こんなやり取りしなくてもいいはず」

 

わたしの言葉に、目前にいた悪魔が、するりと離れた。

そこで漸く、自分の身体が緊張で強張っていたことに気づいた。

 

「わたしに拒否権、あるみたいね?」

「……可愛くないところもあるんだね〜。まあいいや、そういう生意気なところも含めて気に入ったよ〜。

そう。君に拒否権はあるし、わたしが君の身体を貰うのにも、条件がある。それは"契約"だ」

「契約……?」

「うん。君が契約を提示する。その契約と引き換えに、君は身体を差し出す。そしてその契約は、絶対に守らないといけない」

「ふぅん。いいね、それ」

 

 

そんな上手い話があるものなのか。

やっぱり神様は、いたのかもしれない。

 

 

「その話、乗った」

「そうこなくっちゃあ!んで、契約はどうする?あんまハードじゃない奴だと嬉しいんだけどお」

「早川くんに会いたい」

「………え?」

 

目を爛々に光らせて、誘惑の悪魔に告げる。

 

「早川アキくんに会いたいの!わたしが小さいときから好きな男の子なんだけど」

「え〜誰……。てか、そんなことでいいのぉ?ま、楽な要求に越したことはないからいいけど〜」

 

少し呆れた様子の悪魔だったが、さして悩んだ様子もなく、頷いた。

 

「分かった!わたし、君の事結構気に入ったから、その早川アキ?くんとやらに会うまで自我を残しといてあげる。

勿論、君の身体はわたしの物になるから、わたしが主体で動く。悪魔だから、血や人の肉体だって食らうよ。それでもいいのぉ?」

 

悪魔が怪しく笑うが、希望に満ちたわたしにはそんな脅しは通用しない。

カーテンの隙間から漏れる月明かりが、気づかない内に朝陽へと変わっていたようで、異空間のようだった病室に現実味を帯びさせる。

それに伴って、悪魔の輪郭も心なしがぼやけて見えた。

 

「うん、いいよ。わたしがわたしでいれるなら、それでいい」

「言っとくけどわたしは悪魔。君が正気を保てる保証はないからねぇ?」

「大丈夫。負ける気しないから」

 

わたしは目の前の異形の化物を、強く見据える。

すると、たじろいだように悪魔の影が揺れた。

 

「うわぁ、なにこの人間、超気ぃ強い……。ここまでくるとちょっと怖いんですけどぉ……」

「勿論!だって、わたしまだ生きられるし、アキくんにも会える……それって、すっごく幸せ。それだけで、気力が湧いてくる」

 

 

そうだ、わたしはまだ生きることを許されたんだ。

アキくんと会うことができるんだ。

 

高校生になった彼はどんな男の子になっているんだろう。

 

きっと、わたしに会ったら目を丸くして驚いて、そして少しはにかんで、それでも再会に喜びの感情を溢してくれんだろう。

 

 

わたしはそう信じて疑わなかった。

一度生死を彷徨ったからだろうか、わたしが元々独りよがりの思考の持ち主だからだろうか。

 

まるで言葉を覚えたての幼子のような、無責任で純粋な妄想だけが、わたしの脳内を胃もたれしそうな甘さで満たしていた。

 

 

 

 

 

 

 

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