岸辺は部屋の角に置かれたテレビの電源をつけると、表面の革が所々剥げた1人掛けのソファに腰掛けた。
ボフ、と埃が舞う。
「二日後、マキマが自宅に戻る予定だ。それを狙って襲撃する」
「二日かあ……。長いような、短いような」
言いながら、固い壁に背を預けて天を仰ぐ。
といっても、その先にあるのは埃が積もったパイプが入り組んだ、光を少しも通すことない、薄汚れた天井だ。
ここじゃ、時間の感覚がなくなる。
今何時で、日があるのか落ちているのか、全く分からない。
マキマ暗殺計画。
岸辺が秘密裏に動いていた事が、いま実行されようとしている。
勝算は五分五分か、それ以下か…ってところだろうか。
「公安からは俺の直属の信用できる部下、元教え子。マキマに会ったことのない地方の部下。その他民間からも多数の人間を募っている」
「意外。そんなに人望があったなんて」
「伊達に長く公安にいないからな。あのとき充分に部下を可愛がっておいて良かった」
可愛がったって…脅して従わせてんのかこの人。
ていうのは冗談で、実際リスクを顧みず、こいつについてくる部下は沢山いるだろうなと本心では思う。
短い期間しか過ごしてていないわたしがそう思うのだから、きっと本当に、そうなんだと思う。
先日は、マキマに「仕事のほうは上手くやれてる?」などと聞かれたが。
無論。街中に現れる大抵の悪魔は、わたしより弱い。
能力で引きつけて、一発攻撃を入れれば、はい終わり。
誰かに指図され動かされるのは気に入らないが、仕事自体は簡単なものだった。
その上、少ないが金も貰えるし、まともな食事も提供される。
住居は、公安の保有する悪魔や魔人が隔離されている施設で、牢屋同然だが、野宿に比べればましだ。
皮肉にも、以前よりもよっぽどいい生活を送れていた。
「デンジと申しますれば!ヨロシャス!!」
今日も今日とて、強い言葉でアキくんにあしらわれた後、突然現れた、小汚い印象の少年。
わたしを見て赤面すると、頭を勢いよく下げてお辞儀をした。金髪頭の中心にあるつむじが若々しい。
基本、人間の雄は好かない。美しい容貌の個体が少ないから。
ただ目の前の男は、見た目は兎も角、犬のように素直そうな目をしていた。
従順な奴は好きだ。誘惑しやすい。
それと、デンジからは人間とは違う、変わったにおいがしたのが気になった。
わたしに向けられた、「不思議なにおいをしているね」というマキマの言葉を思い出す。
それは、アキくんとデンジとわたしの三人で巡回に出た後、現れた悪魔を迎え討つデンジの姿を見て確信した。
デンジがシャツのボタンの間に手を差し込むと、何かを強く引く。
直後、血を噴き出しながら、デンジの両腕から突き出てきた刃が、悪魔の攻撃を弾き返した。
そうしている間にも、首から上が、オレンジ色の機械のような形へと変貌し、口元は大きく、鋭い歯が剥き出しになっていて、額からも腕同様、大きな刃が現れた。
シャツのボタンの間から垂れ下がるのは、恐らくスターターロープ。
「チェンソー………?」
呆気にとられていると、響く轟音。回転する刃。
チェンソーの悪魔だ…!
「おいどうした先輩?!俺に遅れをとるなんて、ほんとにどっかおかしいんじゃねぇのかァ?!」
しかし、それが大きな口を開き、アキくんに向けて張り上げる声は、先程のデンジの声そのものだった。
「わたしたちと同じような人ってことなのかな?」
珍しく、アマネがアキくん以外の人間に、良い方の興味を示している。
無論、わたしも興味が湧いた。
「ねえ、アキくん」
「仕事中だ。無駄話はやめろ」
「デンジってさあ、何者?」
わたしが他人に興味を示したのが珍しいのか、アキくんが少し目を丸くしてこちらを見たが、「さあな」と一言返されただけだった。
「無駄話じゃないよお。わたしも特異4課の一員なんだから、仲間のことを知るのは、大事なことでしょ〜?」
わたしの言葉に、真面目なアキくんは暫し思案するように視線を動かしてから、口を開いた。
「……デンジは悪魔でも魔人でもない。人間だが、悪魔になる事ができる。お前と同じで、辞職や違反行動が許されない。もしそうなれば、悪魔として処分されるような扱いだ」
「ふ〜ん。………それだけ?」
「あとの事は俺も知らない。一緒に生活して、非常識で馬鹿っていうのだけは知ってるが」
一緒に生活している、というのに言及したい気もするが、今は会話の流れの邪魔になるので、呑み込む。
「公安の人たちが言ってたんけど、デンジが来てからマキマが東京に留まるようになったって本当?」
廊下で偶々聞いた噂話だが、マキマは元々全国をあちこち動き回っていて、ほとんど東京に滞在していることはなかったらしい。
あのマキマが、一人のなんてことない、しかもチンピラのような少年を気にかけているが、不思議だと。
「マキマにとって、デンジは特別ってこと〜?」
アキくんは答えないが、無言は肯定と受け取っていいものか。
マキマに"惚れていることになっている"アキくんにとって、デンジが特別かって聞くのは地雷だったか?
それにしても、ここまでつれない態度をとられると、アマネちゃん泣いちゃうなあ。
しかし、これは吉兆だ。
弱点がないと思われたマキマだが、もしかしたらこの男…デンジがそうなのかもしれない。
そうと分かれば即行動!
わたしの力で、デンジを誘惑し、わたしの物にする。
場合によっては殺してしまおう。
もし違ったとしても、運良くマキマの弱みを握る事ができれば万々歳だ。
「デンジ、ちょっといい?」
「ハァワ?!!!!」
公安内の自動販売機の前にいたデンジに声をかけると、以前と同じように、肩を跳ね上がらせて赤面した。
横にはロングヘアの女の子もいた。頭に二本の赤い角が生えている。
以前話だけは聞いたな。この子も4課に配属されている魔人だ。たしか…
「パワーだっけ?はじめまして〜」
「な、なんじゃウヌは!気安く呼び捨てるな、無礼者!!」
敵意剥き出しの、威勢のいい声で返してくるが、身体はデンジを盾にして隠れている。
この子は勘が鋭いのか、直感で悪魔としての力の序列を感じ取れるようだ。
「ごめんねぇ、ちょっとデンジのこと、借りてもいいかな?」
「ハァ?今デンジはワシと押し相撲をしようとしてたところじゃ。後にせい」
「そっか〜。今ね、マキマに呼ばれてるんだけど…、君も一緒に来る?」
マキマの名前を出すと、パワーは顔を青くして、しずしずとデンジを差し出した。
「急になんスかね?マキマさん」
「ごめん、さっきの嘘」
「え?」
人気のない廊下まで来たところで、振り返る。
呆けた顔のデンジ。執務室と全くの逆方向を歩いていたのに、何の疑いも持たなかったようだ。
「デンジは、マキマの事が好きなの?」
「え、……ああ。まあ、スキ………?」
突然の質問に、照れたように頬を掻くデンジ。
「へえ〜、なんで?」
「なんでって。面が良くて、キレーで、優しいから」
「それってさあ、本当かな?」
「ヘ?」
「本当に、マキマが優しい女だって、思ってる?」
デンジが何も分かっていない、間の抜けた表情で首を傾げる。
わたしは内心痺れを切らし、一気に距離を詰めた。
純粋そうな瞳とわたしの濁った瞳が、かち合う。
「だって、デンジが何か失敗したら、あの女はデンジを殺すつもりだよ」
「エ??!ま、あ……確かに、言われたかも」
「わたしもそう、魔人だからデンジと同じ。一生ここで飼われて、自由のない生活を強いられるの」
ここで、切なげに目を伏せてみる。
「わたしじゃ、ダメかな……?」
「ハ?……へェ!???」
「わたしなら、デンジの気持ち、誰よりも分かってあげれるよ。悪魔としての力も強い、この間見たでしょ?わたしとデンジで力を合わせれば、きっと公安から逃げ通すことができる」
デンジの身体に抱きつく。細い身体が、緊張で強張るのが分かった。
「わたし、……デンジのこと、好きになっちゃったみたいなの」
シャツ越しに、デンジの身体に指を這わせる。脂肪のない、ゴツゴツとした感触がする。
デンジが悪魔なら、わたしの誘惑の力が効くはずだ。
再び目を見つめる。態とらしく潤ませた瞳を近づければ、デンジの顔が、みるみる赤く染まっていく。
「だから、わたしと……」
視界の隅で、何かが動いた。
反射的に、そちらに目を向ける。
鼠………?
この建物は、比較的新しいという訳ではないが、作りはしっかりしているし掃除も行き届いている。鼠が出るほどではなさそうだが。
黒々とした目が、一点にこちらを見つめ続けている。
なんだか、気味が悪い。
「え、エット………あの、アマネ………」
狼狽えるデンジの声で我に返り、歪んだ表情を整える。
「まあ、考えといて。良い返事、待ってるからねえ」
軽く微笑んで、鼠の視界から逃げるように、その場を去った。
嫌な予感がした。
そして、そういうのは大体当たるものだ。
「アマネちゃんは試用期間が終わったら、4課ではなく、特異科全体で動いて貰うことにします」
また報告書を持っていかされた時、マキマにそう言われたわたしは、納得ができる筈もなく、マキマに詰め寄った。
「どういうこと?わたし、アキくんと同じ部隊じゃないと嫌だって、最初に話したよねぇ?」
「状況が変わったんだ。君は悪魔を"惹き寄せる"力があるでしょ?デンジ君も、アマネちゃんみたいな悪魔の力ではないけれど、何故か色んな悪魔から狙われていて、結果"引き寄せて"しまっている。
二人が行動を共にする機会が増えると、悪魔が一箇所に固まるおそれがある。
それに、アマネちゃんは十分強いし、バディを固定しなくても……」
「そんな御託はどぉ〜でもいいんだけど?だったらデンジを他の部隊に移せばいいでしょ」
「デンジ君のことは、早川君に手綱を握ってもらうのが一番良い。彼は優秀だからね」
納得できない。
アキくんと離れる時間が多ければ、こいつにどんな事を仕掛けられるか分かった物じゃない。
それに、わたしと彼には一緒にいる時間が必要なんだ。
アマネの事を思い出して貰わないと、困る。
……何がそんなに困るかは、よく分からないけど、わたしはあの鉛が腹の奥に溜まるような、黒いものが渦巻くような、あの感覚が非常に気持ち悪いんだ。
「……本当にそれだけが理由?」
どうにか食い下がろうとそう言い放せば、マキマの眉が僅かにだが動いた気がした。
「わたしがデンジの近くにいる事が、あんたにとって、何か不都合な事でもあるんじゃないの……?」
そう。現時点で、マキマの弱点として一番有用なのは、デンジ。
ここまでわたしたちを引き剥がそうとするには、なにか理由がある筈だ。
「……そうだね。確かに、アマネちゃんの言う通りだ」
マキマが、そう言うと静かに立ち上がる。
咄嗟に身構えようとした時だった。
「ぱん」
マキマが、不可解な言葉を発した。
見ると、手の形を銃の形にして、こちらに向けている。
何をふざけているんだ?と訝しむと、自分の意思とは関係なく、ぐらつく上半身。
そのまま、なんの抵抗もできず床に倒れた。
転がったわたしの視界にうつるのは、断面から血を噴き出す、わたしの下半身。それも、数秒遅れて倒れる。
意味がわからなかった。
理解するより先に、強烈な痛みが襲う。
なんだ、これ。
攻撃されたことに全然気づかなかった。悪魔は?出現させていない。
こんな一瞬で?おかしい。わたしは強い悪魔だ。マキマに少しでも抵抗できる術はある筈だ。なのに、おかしい。
死ぬ?こんなところで?いや、マキマは元々信用ならない。いつ殺されてもおかしくなかった。
こんな所で終わるなんて、アキくん。アキくん。
痛みで、脳みその中でアマネの言葉と少しずつ入り混じりながら、それでも混乱する思考を必死に巡らしても、答えは見つからない。
しかし、意識が遠のくことはなかった。
わたしの断面から肉片が伸びる。すると、側に倒れる下半身に結合し、こちらにずるずると近づいてきた。
また訳の分からない自体が目の前で起きていることに、ついていけずにいると、マキマが珍しく声を上げた。
「やっぱり……!君は半不死身じゃなく、不死身だったんだね」
「は………?」
「初めて会った時、不思議なにおいだと思ったの。君は魔人じゃなくて、デンジ君と同じ、悪魔を身に宿した人間…、いやちょっと違うかな?」
血溜まりの中、完全に元通りになったわたしを前に、マキマがかがみ込む。
身体は戻っても、血が不足しているのか動けない。
「だって君の意識は"誘惑の悪魔"が優位だ。限りなく魔人に近いけど、またそれとは違う。
君は悪魔の新しい可能性を宿した、稀有な存在なんだね…!」
常に表情の変化しない顔が、今は高揚している。
普段光の捕らえない不気味な瞳が、あどけない子供のようにに煌めいているのが、いやに奇妙で背筋が震えた。
「何故、アマネちゃんを早川君の部隊から引き剥がしたのか。それはね」
その煌めきが一瞬にして形を顰め、マキマの双眸が、揺らいだ。
いや、わたしの視界がぐにゃり、と曲がった。
歯を食いしばって耐える。
マキマが満足そうに微笑んだ。
「君を、脅威に感じているからだよ」
「………何、あんたは別にアキくんのことは実際どうでもいいんでしょ?わたしらの事は放っておいて、デンノコ野郎のケツだけ追っててもらえないものかなあ?」
「デンジ君に、変な入れ知恵しようとしたでしょう」
マキマの声が、冷たく響く。
何故、知っている?その場にマキマは…いや、他の人間すらいなかった。
ふと、黒々とした動物の目を思い出す。
鼠。
もしかして、あれはマキマの………
「デンジ君は、私の犬なの。私たちの邪魔をするなら、アマネちゃんを本気で殺しにかからなきゃならない」
普段通りの声のトーン、抑揚、表情だ。
なのに、威圧感で押し潰されそうになる。額に脂汗が滲む。
「そんな事にならないように気をつけなきゃね、お互い。前も言ったけど私、君を殺したくなんかないんだよ。嘘偽りない、私の本心だ」
手を差し出される。
既視感がある。差し出される手も、その目で見下ろされるのも。
「兎も角、今まで以上にアマネちゃんには期待しているよ。これからもよろしくね」
前と同じように、手を払おうとするが、今回はその手をがっちりと掴まれたまま、なけなしの力を入れるが当然振り解けない。
マキマは、至極満足そうに笑みを浮かべ、わたしを見下ろしていた。