陽の入らないこの場所で、いま何時かを知り得ることができるのは、一個のブラウン管テレビからだけだ。
いまは夜。二十二時。
施設だったら、もうとっくに消灯している時間だ。
施設は、起きる時間も寝る時間も、食事の時間も決められていて、自室は通路側が鉄格子になっていて風が通って寒いし、冬になると床が氷のように冷たかった。まるで刑務所みたいだと思っていた。
でも、中には話が通じる悪魔もいれば話が通じない馬鹿もいて、騒がしくてまあまあ楽しかった。
「デンジは……、パワーは無事なの………?」
「……ああ、銃の魔人との戦闘では、デンジがとどめをさして、パワーは避難していた。デンジは重傷ではあったが、知っての通りお前と同じで不死身だからな」
「はは………、そっか。二人はわたしと同じだった。じゃあ、大丈夫だね………」
わたしが胸を撫で下ろすと、岸辺の視線がこちらに向いたのに気づく。
「………何?」
「お前は、どう変化しても最終的には、アキ以外はどうでもいいんだと思っていた」
岸辺のいつも声音。わたしを見据える視線。
褒められてはいないということは、すぐに分かった。
「わたし、お酒飲まないから。頭のネジが締まっちゃったのかもね」
特異課の人員不足による合併が決まってすぐ、その男とは出会った。
でかい図体に、覇気のない真っ黒な瞳。白髪頭は老けた印象を持たせるが、一枚板を入れたように真っ直ぐ伸びた背筋と服の上からでも分かる鍛えぬかれた身体が、なんだかちぐはぐだった。
なによりも、唇から頬にかけて裂けた傷跡が目立っていた。
「特異4課の隊長として、新しく就任した岸辺だ」
執務室に一つしかない椅子、いつもの定位置に腰掛けたマキマの傍らに立つ、岸辺という男は、無表情のまま自己紹介をした。
室内にはわたしとマキマ、岸辺の三人という、異様な顔ぶれだ。
「……え、隊長サマが直々に、わたしに何の用?」
「隊長は本来バディは必要ないんだけど、岸辺さんにアマネちゃんの事を話したら、是非バディにしたいって言ってくれて」
「はぁ〜?」
こんな薄汚い老け込んだ男が、わたしのバディだって?ありえない。
「岸辺さんは前々から、"壊れないおもちゃ"を上層部に所望してましたからね。デンジくんとパワーちゃんの二人はもうバディを組んじゃっているし…。不死身のアマネちゃんが適任だと思って」
"壊れないおもちゃ"だと?
狂ってる。確かに目の前の大男は、何をしてくるか分からない奇妙な目つきをしている。
マキマはわたしがデンジを狙った腹いせに、こんな意味のわからない男にわたしを差し出そうとしているのか。
「なにが適任だ、クソ女!というか、わたしが不死身だってことは他の奴らには伏せるって話じゃなかったの?!」
わたしのような、魔人…、いや。今となっては魔人かどうかも怪しい。
魔人は人間の死体を乗っ取った悪魔だ。人格は悪魔で、人体はただの容れ物。そして、半不死身。致命傷を負えば死ぬ。
対して、わたしは身体を真っ二つにされるような、明らかに死ぬ傷を負わされても回復する。
人間の時の記憶を持つ魔人は何人かいるらしいが、わたしの場合はアマネの"自我"も残っている。
わたしのような存在は、レアケースらしい。
ただ、そういった存在は他国から狙われる可能性がある。
わたしの場合、容姿や攻撃にイレギュラーな特徴は顕著に現れてない為、以降も"魔人"として扱われることとなった。
「岸辺さんには、アマネちゃんのバディになってもらうだけじゃなく、鍛え上げてもらう目的も兼ねているから。正体をちゃんと話しておいた方が、本気で指導してもらえるでしょう?」
「指導、人間がわたしに?……ハッ、そんな物必要ないでしょお、わたしは強いんだから!!」
鼻で笑う。馬鹿げている。人間に指導してもらったところで、なんの役に立つというのだ。
指導どころか、こちらがちょっと小突いただけで殺してしまうのではないか。
「いいから黙ってついて来い。マキマ、もういいな?」
「はぁ?ちょっ……」
岸辺が、食い下がろうとするわたしの首根っこを掴むと、執務室を後にしようとする。
「はい。アマネちゃんをよろしくお願いします」
「離せジジイ!わたしは絶対嫌だからぁ!!」
折角アキくんのバディが死んだんだ。
わたしがアキくんのバディになるべきだったのに。
しかしこの男、ありえない馬鹿力だ。いくら暴れようともびくともしない。
「少し黙れ」
その言葉の直後、ゴキ、と不快な音が鳴り、首筋に衝撃が走る。
徐々に暗転していく視界。やがて、わたしは意識を手放した。
「こんなんで気絶するなんて、拍子抜けだな」
声がして、意識が覚醒する。
辺りを見渡せば、人の気配のない廃墟へ場所が変わっていた。
「あ……あんた、今っ、わたしの首の骨、へし折ったでしょお?!」
「お前はどうせ死なないからな。だから折った」
意味が分からない。理由になってないだろ。
わなわなと震えるわたしを気にせず、スキットルから酒をあおりだす。
「酔っ払ってんのか……?酔って殺しちゃいました〜ができちゃう犯罪者を雇ってんのお?天下の公安サマはぁ……」
「ああ、俺が酒で脳がイカれちまってるのは否定しねえ。ただ一つ、間違っている」
岸辺はスキットルを持つ手で、人差し指をこちらに向ける。
「お前に人権はない。殺しても俺は罪に問われない。……あぁ、そもそも死なないならその理屈も必要ないな」
「……結論、わたしをどうしたいの?いい歳こいて、"壊れないおもちゃ"でおままごとでもしたいわけぇ?」
まだふらつく足で、立ち上がる。
足の裏に力を込め、戦闘体制をとった瞬間、目の前から岸辺が消える。
直後、腹に衝撃が走る。
ナイフが突き刺さっていた。それだけじゃない。背中から脇腹にかけていくつも刺し傷が残されており、そこから血が噴き出す。
膝から崩れ落ち、口からも血を吐き出した。
「俺の目的は、お前を次の作戦までにある程度"使える武器"に仕立て上げることだ」
岸辺はわたしの髪を掴み上を向かせると、懐から出した輸血パックの中身をわたしの口にぶち込んできた。
ぼやけた視界が再び鮮明になり、腹に突き刺さったナイフを引き抜き、岸辺に斬りかかる。が、手首を蹴り上げられ、呆気なくナイフは手から落ちた。
そのまま踵を脳天に落とされ、わたしは地面に倒れ込んだ。
「マキマが言った通りだな。悪魔の力に頼るばかりで、直情径行な攻撃。防御も何もあったもんじゃない」
背の中心を強く踏まれる。
それだけで、わたしはいくら手脚を動かそうとも、起き上がることができない。
肺が圧迫されて、呼吸が苦しい。
「サムライソードとヘビ女を捕らえる作戦…。失敗すれば、特異課は解体されるだろう。そうなれば、お前は公安によって殺される」
岸辺は、わたしを片脚だけで押さえつけたまま、また酒を煽りだす。
「それが嫌なら、最強のデビルハンターである俺を倒せるくらい、最強の悪魔になれ」
岸辺がスキットルのキャップを閉めるとき、脚の力が僅かに緩んだのを逃さなかった。
上体を捻り、岸辺の体勢を崩す。
そして奴の眼球目掛けて、指を突いた。
はずだったのに。
「は…………?なんで」
突き立てた二本の指は、第2関節から先がなくなっていた。加えて、顎から脳天にかけてナイフが貫通している。
わたしは痙攣して仰向けに倒れた。
「あと、俺は先生と呼ばれると気持ちよくなれるから、先生と呼んでくれ」
霞む視界の中、見下ろしてくる岸辺が、そんなことを言っていた気がした。
「誰が………呼ぶか、クソジジイ………」
血で塞がった気道を無理やり開くように、最後の力を振り絞って吐き捨てると、わたしはまたも、意識を手放した。
「最悪だよぉ、もうほんっとうにさいあく……」
「なんかアマネ、ちょっと見ない間にキラキラオーラ?みたいなんが、なくなったな……」
「デンジは随分、男前になったんじゃあないのお……?」
二人、げっそりした面持ちで、屋上のベンチに肩を並べてだらしなく座る。
デンジとはあの一件で気まずい関係になるかと思いきや、次に顔を合わせたときにはまるで何もなかったかのように、からりとした声で挨拶をされた。
「え、なんも気にしてないのお…?」
「いや、ひでえなとは思ったけど。よく考えたらアイツにべったりのアマネが急に俺に好きだとか、意味わかんねえし。それに、俺にゃマキマさんがいるしな!」
そう言って鼻を鳴らしたデンジには、呆れを通り越して、妙な愛着が湧いてきた。
そうして今、岸辺という共通の敵を持ち、意気投合している。
よく考えれば、不死身同士という稀有な存在だ。デンジはわたしのことを、ただのちょっと強い魔人ぐらいにしか思ってないが。
わたしたちが仲良くなるのは時間の問題だったのかもしれない。
「うわ、なんでいるの君たち」
背後から、少年のようなすこし高めの声がする。
「なんでって。ここ、元々わたしのお気に入りスポットだったんだけど〜」
「いや、僕の方が君より先に知ってたから。……まあ、この建物ん中で迫害される人外らが考えることは大体同じか。ここ、あんまり人が寄り付かないからね」
そういってわたしたちの横を通り過ぎ、怠そうに鉄柵に凭れるのは、セミロングヘアに中性的な顔立ちをしており、白いおおきな翼、頭には天使の輪が浮いている、見た目通りの名前だが、"天使の悪魔"という奴だ。
初めて彼を見たときは、その美しさに驚いた。
彼を食べたい、体内に取り込みたいという、誘惑の悪魔としての本能が訴えかけてきたが、最近はケーキやらアイスやら、美味いものを食べ過ぎた所為か味覚が鈍ってしまったようだ。
いま、悪魔や人間を食べたいかと聞かれると…、できれば食べたくない。焼いた鶏肉とかが良い。
それに、こいつに触れると寿命を吸い取られるらしい。口にしたらどうなることやら、と考えることでその本能を払拭した。
ただ、そんな邪な事を考えたのはほんの最初だけだった。今では同じ屋根の下で暮らす、数少ないまともに話せる人外同士として、少なからず親交はあるほうだ。向こうは毎度のこと鬱陶しそうにしてくるが。
「そんなことより天使ぃ!あんた、アキくんの新しいバディになったみたいじゃん。わたしがイカれジジイとバディを組まされ毎日何回も殺されかけてって生活を送ってるのに、羨ましいぃ〜〜〜」
「いや……僕も組みたくて組んでる訳じゃないし。寧ろあの人、サボると煩いからだるいんだよね」
「あー、アイツいちいちうるせえよなぁ!」
「二人はいいよね。片やバディ、片や同棲……」
口を尖らせるわたしを見て、デンジが何故か首を傾げる。
「お前、なんでアイツん事そんな好きなの?」
「え?それは〜、わたしのこの身体の持ち主が好きだったから……」
「でもそれって、その人間の記憶の中でそうだったってだけだろ。今のアマネには関係ないじゃん」
言われてみれば、何でだろう。
アマネはうるさいし、公安からは逃れられないし。
アキくんを揶揄ってやろうと思って、でも別に態々関わる必要もなくて。
てかそもそもわたし自体は、アキくんのことなんてどうでもいいんだって。
それでも、アキくんに思い出してほしくて。
アキくんが憎くて、アキくんが欲しい。
あれ、わたし、結局何がしたいんだ。
「お〜い、アマネ?」
返事のないわたしを不審に思ったデンジの声で、はっとする。
何でもいいからとにかく返さなければ。えっと、
「ん〜〜………。顔が、いいから」
わたしがあまりにも思い悩んだ風だから、どんな答えが返ってくるだろうと期待でもしていたのか。
デンジはその一言を聞くと、顔を顰めた。
「ほぉ〜〜〜ん……」
「なに、その腑に落ちてなさそうな顔。あんたも前、似たようなこと言ってなかった〜?」
「言いたいことはよぉ〜〜く分かる。が、面が良い男はモテてようござんすなあと思ってよぉ!!」
デンジは吐き捨てるように言うと、背もたれに完全に力を預けきって「今日の特訓もだりぃな…」と愚痴を溢した。
「実際アマネはどうなの?」
自室の打ちっぱなしのコンクリート壁に貼り付けられただけの、簡素な鏡に映る鏡の前で、わたしは問う。
常にどこからか水の滴る音がするが、出所が分からない。
「ん?」
「さっきのこと。アキくんのどこが好きなのぉ?」
「……君は、わたしが態々言葉に出さなくても、何でも分かるんじゃなかったの?」
そうだ。わたしはアマネの記憶を丸々そのまま自分の脳みそのように覚えているし、感じとったこと、思ったこと、考えていることが手に取るように分かる。
けれど、この事に関しては、分からない。
もしかしたら、分かっているのかもしれないが、わたしにはない感覚のあまり"理解できていない"だけなのかもしれない。
それほど人間の考えることとは、複雑怪奇なものなのかと恐ろしい気もするが。
わたしがかぶりを振ると、アマネは珍しく明るい声で笑った。
「ふふ、じゃあ教えない」
「なにそれぇ」
「君が知らないなら、これはわたしだけの特別な感情だ」
悔しい気もするが、アマネの朗らかな声に何故かわたしも嬉しくなって、まあいいかという気持ちになってくる。
「前にアマネ、わたしは負けないからって言ってたよねえ」
「うん」
「君はもう勝ってるよ、わたしに。認める」
わたしは、わたしが一番だった。
周りの奴らは、みんなわたしに従う。わたしはただ敬われて楽するだけ。
でも、今のわたしは。アマネに対するわたしの気持ちは。
どうにか彼女を幸せにしてやりたい。助けてあげたい。
そんな気持ちで動いている。
そう思わせるアマネは、わたしに勝っている。