過去を偲ぶ   作:豚でかきたま

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「酒、足りるかな」

岸辺は足元に転がった酒瓶や缶を眺め、そうぼやいた。
こんなところにも酒を備蓄しているのだから呆れる。

テレビを見れば、午前五時。
空が白み始めている頃だろうか。…いや、今の季節だったらまだ暗いか。



「ねえ、マキマの作戦の話全然しないけど、わたしは何すればいいの」
「お前はここで待機だ」
「………は?」

唖然として、岸辺の方へ向く。
徐に立ち上がり、ソファに座っている岸辺に詰め寄る。

「この期に及んでお留守番だって?ふざけてんの?!」
「ここに来たとき、お前を助けた"目的"は言ったはずだ。"作戦遂行の為にはお前の能力が必要だ。死なれては困る"。これがどういう意味かなんて分かり切ってるだろ」
「分かってる……けど!」

岸辺の黒い瞳は、揺れない。一点にわたしの目を見据え、揺るがない。

「お前は弱い。いまのお前にある価値は、その悪魔の能力だけだ」

岸辺ははっきりと、そう告げた。


わたしは後退り、壁にもたれ、そのままずるずると床に座り込んだ。


わたしは少しだけ期待していた。わたしもきっとそうなれる。
慈愛を注がれる日が、いずれ来ると。


けどわたしは違う。わたしは悪魔だ。
人間とは、違う。





憧れ

 

 

 

退院して職場に復帰したアキくんの背中を見つけ、すぐさま駆け寄ると、鼻を掠めたにおいに足が止まった。

 

においが、前と違う。

悪魔のにおいが。

 

以前より、もっと強い悪魔のにおいが染み付いている。

 

 

呼び止めようと、喉元まで出かかった声を呑み込んだ。

 

わたしのなかに、今までにない焦りと不安が押し寄せてきた。

 

 

 

 

「早川アキの新しい契約悪魔?」

「そう、バディの天使なら知ってるでしょ〜?」

 

おなじみの屋上でまたも鉢合わせた天使に訊ねる。

すると、天使は思考を巡らせるようにぼんやり宙を見上げた。

 

「ああ、なんて言ってたかな、……未来の悪魔?」

「未来の悪魔」

 

未来か…、未来を怖がる人間は多い、か?

いや、多いだろう。歳を取ること、先の見えない不安。それに、昨今悪魔の蔓延るこの世の中では、未来に恐怖を抱く人間は少なくないかもしれない。

 

なにより、においが証明だ。

不穏なにおいがした。きっと強い悪魔だ。

 

 

「……代償は?」

「右目に住まわすこと。それでちょっと先の未来を見ることができるんだって。便利そうだよね」

 

それだけ?

強い悪魔なのに代償が軽すぎないか。

 

 

「ほんっとうにそれだけ?!もっとなんかあるんじゃないの?」

「えぇ〜〜、うるさ。知らないよ……。ていうか本人に聞けばいいじゃん。……面倒事に巻き込まれるのは御免だよ」

 

詰め寄るわたしに後退りすると、天使はそのまま去っていた。

 

近づきすぎたか。

触れると寿命を吸い取ってしまう天使は、一定の距離以上近づきたがらない。

 

 

「本人に聞けるんなら……、そりゃ苦労しないよ………」

 

 

わたしの独り言は誰に聞かれることもなく、日が暮れた紺色の空に吸い込まれていった。

 

 

 

 

息が整わない。

汗がとめどなく噴き出してきて、前髪を濡らすだけにとどまらず、床へ無数の染みをつくる。

 

「今日の動きはよかった、いまのを忘れるな」

 

今日は訓練場を使っている為、"汚してはならない"からナイフはなしだ。

 

それだけでも有難い、が今日も何回首の骨を折られたことだろうか。

 

 

ふと岸辺が腕時計に目をやる。

 

チャンスだ!

腕を支柱にして、岸辺の顎に向かって下から蹴りを入れようとする。

 

岸辺はこちらには目もくれず、右手でわたしの片脚を掴んだ。

 

天地が逆になった、と思ったら、スカートがひっくり返ってわたしの視界を覆う。

 

「時間だ。仕事にいくぞ」

「おい離せ!パンツ見えるでしょ変態ジジイ!!」

 

もう片方の足で背中に蹴りを入れるが、岸辺はわたしの足首を持って担いだままびくともしない。

 

 

 

連れてこられたのは繁華街と住宅地の境目。

路地裏は人の声が遠くなり、ビルの影に覆われて昼間でもうす暗い。

 

「この地区は近日、十人以上の死傷者を出している悪魔が潜んでいる。被害者の目撃情報によると、影や暗がりから現れたことから、影の悪魔とみられ……」

「おいでぇ〜〜!」

 

岸辺の説明を遮り声を上げると、後ろにのびる影がわたしの動きに反して揺らめいたのが見えた。

 

直後に顕現する悪魔。

すかさず回し蹴り。

 

悪魔が後ろにふっとび、建物にぶつかった。

体勢を崩した悪魔に向かってとどめの一撃。

 

辺りは大量の血で溢れかえり、悪魔の動きはぴたりとやんだ。

 

 

「どうだぁ、岸辺!これがわたしの実力だ!!」

「声がでかすぎだ」

「え?」

 

わたしに向かって、ナイフが飛んでくる。

 

 

こんなところでも特訓の続きか?

 

 

間一髪でよけると、背後から奇声があがった。

 

悪魔だ。たが、今倒した影の悪魔とは違う。

こいつ以外にも、雑魚悪魔が3…4匹、こちらに向かってくる。

 

「面倒ごと増やしやがって………」

 

岸辺の低く呟いた一言で、背筋が震え上がった。

 

 

不味いことをしてしまった、ような気がする。

 

 

 

 

「避難誘導なし、建物の損壊。極め付けは無駄に悪魔を呼び寄せて被害は拡大。お前はデビルハンターになっていままで何を学んできたんだ?」

「あだっっ!!?」

 

全ての悪魔を倒し終えた後、岸辺に脳天を思い切り叩かれる。

 

「なんでよ!悪魔を殺すのがデビルハンターの仕事でしょ〜?!何も間違ったことしてないじゃん!!」

「悪魔を殺す以前に、俺たちの仕事は人間様を死なせないようにすることだ。

悪魔を殺したいだけなら、お前は契約悪魔として、使役されるだけのほうが性に合ってるかもな」

 

 

契約悪魔。

それは公安の地下奥深くにある、地下牢のような場所にいる、生捕りにされた悪魔たち。

 

実際どんな場所か訪れたことはない。ただ、どれだけ劣悪な環境かは想像に難くない。

 

それこそ家畜と変わらない。絶対に嫌だ…!

 

 

「それが嫌なら勝手な行動はやめるんだな」

 

 

こいつ、自分は頭のネジが飛んでるみたいなことを言いながら、存外まともなことを言うじゃないか……。

 

 

 

 

「アマネさん、岸辺隊長どこにいるか知りませんか?!」

 

わたしが公安近くの食堂で昼飯を食べていると、一人の隊員が声をかけてきた。

 

「……知るわけないでしょ」

「今日の午後までに岸辺さんの押印貰わないと、僕が先輩にどやされるんですよぉ!!ここだったらいるとおもったのに!!」

「しるか。静かにしてよぉ、こっちは食事中なんだけど」

 

睨みつけてから食べかけのラーメンを再び啜る。

 

「アマネさんだったら、ここ以外にも岸辺さんの行き先に思い当たりありますよね……?だってバディなんですもんね……?!」

 

そういうと、隊員は手に持つ書類を震えながら机に置く。

 

「ごめんなさい僕これから巡回行かないとまた怒られてしまうんでぇ!あとはよろしくおねがいしまぁあす!!」

「おい待てクソにんげぇん!!アマネ様に仕事押し付けるなんて、いい度胸してるじゃあないの!!!」

 

脱兎の如く逃げる隊員。雑魚の癖に無駄に逃げ足が速いな………。

 

 

最近人間共にナメられている。

気の所為じゃない、理由は分かる。岸辺がバディについたからだ。

 

「凶暴な魔人もあの最強といわれるデビルハンターが手綱を握ってると分かれば安心」だと。

 

 

「あのやろう……近いうちに殺してやるぅ……!」

 

その前にこの書類を道端に捨ててやろうか。

いや、最終的にわたしにお咎めがいくのが目に見える。

 

 

うう、なんでわたしがこんなことを。

 

 

「いいじゃん、多分岸辺さんあそこの店にいるんじゃない?わたしも一回見てみたかったんだよね、ああいうお店。最近は一人行動もある程度許されるようになってきたし、どうせなら街散策も兼ねて行ってみようよ」

 

アマネがご機嫌にそう言う。

東京に来てまともに外を出歩けた試しがないからな。都会を少しでも堪能したいのだろう。

 

 

仕方ない……。

 

 

ただ癪なので、いつもの二倍は時間をかけてラーメンを食ってやろう。いや、餃子とチャーハンも追加してやる。

 

 

 

 

公安に飼われている人外は、単独での外出は時間に制限がある。

 

まあ岸辺が勝手にふらふらしているのだから、多少時間過ぎてもお咎めなしだろう。

 

 

わたしは岸辺とバディを組んだものの、岸辺と一緒に仕事する機会は他のバディに比べると少ない。

 

隊長様クラスになれば、巡回などはなく強力な悪魔の討伐に駆り出されるか、作戦の現場指揮を執るか。

 

わたしは以前と同じように、他の課の応援などの仕事が主だった。

 

 

 

繁華街を通り抜け、人が少ない通りに入り、目的の看板を見つける。

ポップでカラフルな字体が雨風と排気ガスにさらされて黒ずんでいる。看板の案内に従って地下階段をくだると、中の様子が全く窺えない扉。

臆することなく重い扉を引く。

 

 

まず目に入ったのは、昼間なのに全く光の入らない地下の空間には眩し過ぎるぐらいの、ギラギラとしたシャンデリア。

その次に、一斉にこちらに目を向ける、華やかなドレスに厚化粧をした女たち。

客を出迎えようと瞬時に作った笑顔が、わたしを見た瞬間訝しむように歪んだ。

 

 

「悪いけど、この店未成年は立ち入り禁止なのよね」

「どいて」

 

凄んできた女の肩を押して、中に踏み入る。

 

中は空気が篭っていて、煙草とカビのようなにおいがする。

赤いベロアの絨毯はところどころ汚れていて、壁はヤニで黄ばんでいた。

 

 

果たして奥の席に岸辺はいて、女に囲まれながら飲んだくれていた。

 

 

「やっぱりいた!!」

「あ?……お前か」

 

岸辺はウイスキーグラスを掲げてこちらを見やる。

机の上には大量の空きボトルがあるが、岸辺の様子は普段とそう変わらない。

 

「え〜ウソ!岸辺さん、娘さんいたの?似てなぁ〜い」

「んな訳ないでしょ、こんな小汚いジジイの子供な訳あるかぁ!!」

 

岸辺の右横でグラスを傾けるケバい女の失言に反論すると、「やだ〜、反抗期かわいい」「これでもね、お父さん昔はすっごくハンサムだったのよ」と、他の女たちも甲高い声で口々に話し出した。

 

 

話が通じないのか、この女どもは。

 

 

「お前、なんでここが分かった?」

 

岸辺の質問に鼻を鳴らすと、ジャケットの胸ポケットから手に収まるほどのちいさな紙を取り出して見せる。

 

 

「あら、あたしの名刺」

 

岸辺の左側に座る女が言う。

 

 

そう、これはこの店の女の名刺。

 

以前、岸辺と組手をした際に紛れて盗ったものだ。

本当なら財布か公安手帳でも盗って、ゆすりたかったところだが。

 

 

「あんたがここに入り浸ってるっていうのは前から分かってたんだよ。あんたの部下たちに隠れ家をバラされたくなきゃ、さっさと仕事に戻れ!!」

 

言い放ち、岸辺の前の机に、先程押しつけられた書類を叩きつけるように置く。

 

岸辺が自分の胸ポケットを探り、

「確かに俺のだな」

と独り言のように呟くと、急に立ち上がった。

 

図体のでかい岸辺が立ち上がると、一気にこの狭い店の体積が減ったような感覚になる。

 

 

「あれ、岸辺さん帰るのぉ〜?また来てねぇ」

 

女の甘ったるい声に返事もせず、岸辺が出入り口のドアを開ける。

 

 

勝った……!

 

 

岸辺は今までわたしが名刺を盗った事に気づいてないようだった。

わたしは岸辺を初めて負かすことができた気がした。

 

勝ち誇った視線を岸辺の背中に送ると、わたしも店を出た。

 

 

 

 

「きっ、岸辺さん……!」

 

岸辺の大股歩きに合わせるのが怠くて、数歩後ろをついて歩いていると、人混みの中から岸辺を呼び止める声が聞こえた。

 

岸辺と共に声のした方へ視線をやると、黒髪に、小柄な女性が息を切らしながらこちらに駆け寄ってくる。

 

「………ミナミ?」

「はいっ。……今度は覚えていてくれたんですね」

 

子犬のような丸い目がキラキラと光っている。

顔が若く年齢が分からないが、落ち着いた服装からして成人はしてるように見えた。

 

「お前こそよく気づいたな。あの頃に比べて大分老けたと思うが……、まあ、こんな傷がある奴はそういないか」

 

岸辺が口元の傷をさすると、ミナミという女は曖昧に笑った。

 

 

「お隣は…部下の方ですか?」

 

誰が部下だ、わたしはこいつの下についた覚えは一度もない。

 

わたしが睨みつけようとしたのを察したのか、岸辺がじろりとこちらに視線だけ動かし、慌ててそっぽを向く。

 

「こんなガキだが、一応俺のバディだ」

「え?それじゃあ、クァンシさんは……」

 

ミナミの顔が曇る。

クァンシ?岸辺の前のバディか。

 

「ああ、……死んだ訳じゃない、安心しろ。こう何年も経てば…色々あるもんだ」

「そう、ですか。生きてるのならよかった」

 

ミナミはあまり追求せず、しかし安心したように表情を緩めた。

 

「何より岸辺さんが今もご健在で、デビルハンターを続けていらっしゃるのが、嬉しいです。……いや、嬉しいっておかしいですね。危険な仕事なのに。逃げた私が言うなんて尚更………」

「お前がいま元気でやれてるなら、それでいい。あの時の判断は懸命だ」

 

岸辺の言葉に、ミナミは左手の薬指に嵌った指輪を撫でながら、噛み締めるように何度も頷く。

 

「お仕事中でしたよね、呼び止めてごめんなさい。……今日はお会いできて、本当によかったです」

 

ミナミは岸辺に深くお辞儀をして、晴れやかな笑顔を向けた。

目尻には笑い皺ができていて、見た目よりも歳が上なのかもしれないとその時に思った。

 

 

 

「………誰、元カノ?」

「アホか。ただの元部下だ」

「ふ〜〜ん……、全然デビルハンターっぽくない。公安で働いてたとは思えない人だねぇ」

 

4課にも"ぽくない"奴がいる。

一つ縛りに顔にほくろのある、小柄な女の子。彼女の場合、見た目に反して意外と動けるようだが。

 

 

「あいつは続けていたらすぐに死んでいた。辞めて正解だ」

 

 

岸辺がそう溢したときの横顔を見てしまった。

何を考えているか分からない目が、遠く昔を懐かしむように、柔らかく細めていた。

 

ただそれは一瞬で、まばたきをすればいつも通りの岸辺に戻っていて、見間違いかとも思った。

 

 

 

わたしはここ暫く、この男と行動していて気づいてしまったことが色々ある。

 

 

岸辺はどうしようもないアル中だが、根本的な部分で狂えていない。状況判断も正確だ。

すぐサボるしふらっといなくなるが、隊長としての任は全うしている。

意外なほど部下から信頼され、尊敬もされている。

 

そして何より、人間の命を重く捉えている。

 

 

 

 

自室のフレームにせんべい布団が敷かれただけの、固いベッドに身体を預けながら、口を開く。

 

「アマネ、岸辺と会うとき嬉しそうだよねぇ」

「えっ。………ばれた?」

 

気づいていた。

わたしが憂鬱な気分で岸辺に会いに行くのに対して、アマネの心は少し湧き立っているのを。

 

ただ、それが恋愛的な好意じゃないのは分かった。その気持ちは、ずっとひたむきにアキくんに向いて、一度たりともぶれることはない。

 

「何がいいんだか、あんなおっさんの……」

「わたしも、本当は大人の男の人って嫌いなんだ。どいつもこいつも、気持ち悪い目で見てくるし、気持ち悪い手つきで触ってくる。

でも、あの人からはそういうのを感じないの。わたしのことなーんも思ってなさそうなのが、心地いい」

 

アマネはさして恥ずかしがる様子もなく、そう言った。

 

確かに岸辺は女好きとは言っていたが、わたしに対して下心のようなものは見せないし、特訓以外では一定の距離を保つし変に触れてくることもない。

 

アマネは父親から性的被害を受けていた。

それによって壊れた倫理観で、いろんな男と無感情に性行為をしていたようだったが、いまはわたしもアマネだから分かる。ずっと根深く残る、男性に対する嫌悪感は消えていない。

 

「なーんも思ってなさそうなのがいいんだけど……」

 

アマネがそこまで言って、少しの間口籠る。

 

 

「わたしが人間だったら、あの視線を向けられたのかなって思うと、ちょっとさみしい」 

 

 

アマネの言葉と共に、岸辺の柔らかな眼差しが瞼の裏に蘇る。

 

 

「ふ〜ん、そういうものなんだね」

 

 

わたしはあやふやに返す。

これもわたしは"理解する"ことができなかった。

 

最近、アマネが分からないことが多い。

反して、アマネはどんどん穏やかになっていく。

 

寂しいような、でもぬるま湯に足を浸しているような心地良さは、全てを「まあいいか」で流せてしまうほど、感覚を鈍らせる。

 

 

わたしは今日も「まあいいか」と思い、目を瞑った。

 

 

 

 

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