過去を偲ぶ   作:豚でかきたま

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ああ、お腹が空いた。


わたしは悪魔にしては、腹が減らない方だった。
腹が減っても、美しい物だけを食べたい為、醜い物を食べるくらいなら空腹に耐える方がましだ。


けれど、今は美しい物とか、人間の肉とかそういうものではなく、


彼が作ったご飯が食べたい。

優しい味を味蕾で感じとって、様々な歯応えを楽しむように噛み締めて、熱い味噌汁が喉を通って胃を温かくする感覚を、また体感したい。


ああ、お腹が空いた。

腹が減るとは、こんなに虚しいことだとは思わなかった。





空腹

 

 

 

「お邪魔しま〜す」

「……よろしく頼む」

 

チャイムを押すとすぐ扉が開き、アキくんが顔を覗かせた。

 

いつものような悪態は吐かれない。

何故なら今日のわたしは、任務で早川家に訪れているからだ。

 

 

チェンソーの悪魔の姿をしたデンジがテレビで放映されたことにより、世界中に彼の存在が露呈してしまった。

それにより、デンジは世界中の刺客から心臓を狙われる身となってしまったのだ。

 

しかし、護衛の人員が揃うのは明日から。今晩だけはわたしがアキくんやパワーと共にデンジの護衛をする、という名目の"お泊まり会"を許された。

 

一泊だけなので大した荷物もないのだが、ドアの中に入ると同時にアキくんが代わってボストンバックを持ってくれて、少し気恥ずかしい気分になった。

 

 

「飯は?」

「まだ食べてない!」

「そうか、俺らも今ちょうど食ってるから」

 

実は家に入った瞬間、においで察していた。

今日こそちゃんとアキくんのご飯が食べれる。

 

 

今日は制服じゃない。

岸辺とバディになってから一気に給料が増え、使い所もないので何着か洋服などを買ってみた。

以前は白のカットソーとデニムパンツのワンセットしか持っていなかったから、色々と幅が広がった。洋服も色々と種類があり、特に女性物はアイテム数も幅広くて、実際買い物に出かけると、案外面白かった。

 

 

今日はボーダーのスウェットにショート丈のチノパンツにした。

普段スカートとハイソックスで隠された脚が曝け出されてて少し落ち着かない。

 

玄関の鏡に映った白い脚は、依然として真っ白で細長い。

 

アマネだったらなんでも似合うかと思い買ってみたが、肌が出すぎて少し不健康にみえるかもしれない。

 

折角おしゃれしてきたのに、と少しばかり肩を落とした。

 

 

 

「おう、来よったか」

 

リビングに入ると、パワーが食べ物で頬を膨らませながらわたしに話しかけてきた。

 

「ウヌが来ると聞いて、ウヌが好きそうなものを取っておいてやったぞ」

 

そういって、煮物や味噌汁に入っていた野菜をサラダの上に雑に乗せられているという、残り物の盛り合わせを差し出された。

 

「あ〜…ありがと。わたしもみんなにお土産。アイス」

「アイス?!ヤッターーー!」

 

パワーは食い気味にわたしの手からビニール袋を奪い、アイスの封を開けだした。

 

怯えられていたときを考えると、まあ懐いてくれているほうなのかな。

 

 

「おい、他人に野菜を押し付けんな。……ていうかお前、俺の皿の唐揚げ食っただろ」

「デンジが食っておったわ」

「また見え透いた嘘を……。悪いアマネ、料理の中のありとあらゆる肉がこいつに食い尽くされた」

「大丈夫だよ〜、わたし煮物好き」

 

正直、母の悪魔の一件で肉を敬遠するようになってしまったので丁度良かった。

 

悪魔の癖にヴィーガンとは如何なものなのだろうか。

その内時間が解決してくれるだろう、くらいには楽観視しているが。

 

アキくんが作った唐揚げなら食べてみたかったと思えるなら、まだ救いようがあるだろう。

 

 

しかし、味噌汁に白飯、おかずに唐揚げと煮物とサラダとは。なんて豪華!栄養バランスも良いし、揚げ物っていう二人が喜びそうなメニューも入れてある。

 

味噌汁からいただく。温め直してくれていたようで、適度に熱い。

わかめと豆腐と大根が入った素朴な味噌汁は、今まで食べたものよりも何より美味しかった。

 

「大袈裟だろ……」

「ん、声に出てた?」

「間抜け面になってんだよ」

 

そんな幸せそうな顔してたのか。

アキくんはぶっきらぼうにそう言ったが、照れ臭そうだ。

 

 

でも本当に美味しい。

施設で出る味気ない食べ物とも、外で食べる味が濃くて胃がもたつく食べ物とも違う。

 

 

「そういえばデンジは?」

「飯食ってからずっと部屋にこもってる。マキマさんとの旅行が延期になったのがよっぽど堪えたんだろ」

 

マキマと旅行?聞いてないんだけど。

 

「アキくんも行く予定なの?」

「まあ………」

 

曖昧に答えるアキくんは、わたしの顔は見ずに食事に集中している。

 

 

やめときなよ、とか行かないで、とか言うとアキくんは行くのをやめるのだろうか。

 

 

「ワシは行きたくない」

「ほんと〜?じゃあわたしと留守番してようか」

 

アイスを全部食べんとする勢いのパワーからさりげなく四本抜き取りつつ、再度アキくんを見やる。

 

依然としてアキくんはわたしの視線に気づくことなく、黙々と食事を口に運んでいる。

 

 

「………わたし、シャワー浴びてくる。ごちそうさま」

「なんじゃ、魔人の癖に食の細い奴じゃのう」

「風呂場、突き当たり右な。タオルはー……」

 

アキくんの声を無視してリビングを出る。

 

 

脱衣所で乱暴に服を脱ぎ捨て、風呂場の冷たいタイルに足の裏をつけた瞬間、頭も冷静になる。

 

 

何を意固地になっているんだ、わたしは。

 

 

アキくんがマキマのことを好きなのは、あの女の能力だ。

アマネの不安定に引き摺られている訳でもなしに、何を感情的になっている。

 

 

コックを回し、シャワーを出す。

冷たい水が吐き出され、湯が出てくるのを待つ。

 

少し曇った鏡を手で拭う。

 

美しい顔と、裸体が現れる。

相変わらず白くて肉がない、あまり女性らしいとは言えない身体だ。

 

「ご飯、美味しかったね。……なのに今日も何も言わないの、君は」

 

風呂場の鏡に映る顔に語りかける。勿論返事がない。

 

 

そういえば、一人の空間ってこんなにも静かだったんだな。

 

 

 

風呂から出てリビングに出ると、二人とも自室に戻ったようで部屋が暗くなっていた。

 

テーブルの上は既に片付けられていて、先程まで食卓に並べられていた食器たちは、水切りラックに綺麗に立てかけられていた。

 

 

ベランダに出る。

夜は余計に静かで、うっすらと隣人のテレビの音が聞こえる。

 

前は気づかなかったが、端の方にガーデンチェアと木製の小さなテーブルが置いてあった。

 

座って、民家からぽつぽつと漏れる光をぼんやりと眺める。

 

静寂の中、たまに遠くでクラクションの音や、どこからかくしゃみの音がした。

 

 

日頃の悪魔による喧騒が嘘みたいだ。

 

 

 

遠くの景色に目を凝らしたりしていて、どのくらい時間を消費していたのだろう。

カラカラ、とベランダの窓開く音が聞こえ振り返ると、スウェット姿に髪を下ろしたアキくんがいた。

髪を下ろしていた方が格好良いんだな、と当たり前のような事をぼんやり思った。

 

「交代で寝るぞ。リビングに布団敷いとくからお前は先に寝ろ」

 

すっかり忘れていたが今日はデンジの護衛で来ているんだった。

ただぼーっとしていただけなどと言ったら怒られそうだ。

 

「……いいよ、わたし眠らなくても身体に支障ないから。アキくんこそ明日からデンジの護衛でしょ。何があるか分からないし、寝ておいた方がいいんじゃない」

 

先程のことが尾を引いて、つい素っ気なく返してしまう。

 

するとアキくんは何も言わずに部屋に入っていってしまった。

 

 

なんだ、冷たいなあ。と天邪鬼になって拗ねていると、ほどなくしてマグカップと上着を手に、アキくんがまた戻ってきた。

 

「そんな格好だと冷えるだろ、これ着てろ。あとこれも飲んどけ」

 

そう言ってマグカップを手渡され、肩に上着をかけられた。

 

「………魔人は風邪ひかないよ、多分」

「多分なら着とけ。お前が体調崩したら戦力が減るだろ」

 

また"アマネの身体"を心配している。

 

ココアの入ったマグカップに温められていく掌と反して、心が冷えていくのを感じる。

 

 

もうアマネはわたしの中にはいないよ、ってはっきり言ったほうがいいのだろうか。

 

 

いや、何を考えているんだ。

 

わたしがアマネの存在を否定したら、彼女は本当にいない事になってしまう。

 

忘れられたくない。と懇願していたアマネの事をもう忘れたのか。

 

 

「……お前も、銃の悪魔討伐作戦に参加するんだな。マキマさんから聞いた」

 

アキくんの声に顔をあげる。

アキくんは柵に凭れながら遠くを見ていたようで、わたしの表情を見ていなかったようだ。

 

少しほっとする。

 

「うん。わたしは別に行きたくないんだけど、強制的にね。……アキくんは?」

「俺も参加することになった」

 

答えを聞くまでもない、アキくんは即答した。

 

アキくんがこちらを見る。

何か言いたげな目で、わたしの顔を見ている。

 

きっと、行かないで欲しいんだろうな。

またアマネの身体が見るも無惨な姿になるのを、見たくないのだろう。

 

 

わたしの身体の中には銃の悪魔の肉片があるらしい。

 

わたしはこの事に関して何も分からないままでいるけど、アキくんに言った方がいいのかな。

そしたらいまの優しいアキくんは豹変して、わたしを殺したいと思うのかな。

 

 

そんな事よりもわたしがいま、アキくんがアマネにそう思うように、

 

「行かないで」

 

と言ったらアキくんは行くのをやめてくれるのだろうか。

 

わたしが幼い頃のアマネがアキくんにしたような、支配するような眼差しをすれば、彼はわたしの言うことを聞いてくれるのだろうか。

 

行ってほしくない。この夜の静けさや平和がずっと続けばいいのに。

 

 

そんなことばかり考えていた。

 

 

 

 

 

翌日、京都公安を除いた護衛の面子が到着し、その人間らを引き連れて、デンジはいつものように巡回に出て行った。

 

そして早速、道中殺された京都公安の者になりすました、皮の悪魔と契約しているアメリカからの刺客と遭遇。

パワーがコベニの車で遊んでいたら、運よく轢き殺し正体が発覚したようだが……。

 

本当に運良く、だ。

 

今日も護衛の面々を引き連れ、デンジは怠そうに仕事に出ていったが。

 

 

 

「あんな護衛に囲まれて出かけるなんて、見つけてくださいと言わんばかりだね」

「そんな事は全員が分かりきってる事だ。デンジを餌にして敵を誘き寄せて早急に手を打つ。被害を最小限に抑える為にな」

 

横を歩く岸辺が言う。

 

「それは理解できるけど…、昨日来た人間たち、護衛のプロだとかなんだとかマキマは言ってたけど、においの感じだと契約してる悪魔は弱そうだよ」

 

本人たちの身体能力は高いのかもしれないが、刺客だって悪魔を使ってくるのだろう。しかも来るのは、国から選ばれたエキスパートたちだ。

対抗する悪魔も強くなければ、迎え討つのは困難になるのではないか。

 

「些か脇が甘い人選なんじゃないかと思うんだけどなぁ」

 

マキマはデンジを奪われることは阻止したい筈。ボムを野放しにしていたのといい、一体何がしたいんだ……。

 

 

数歩前を歩く岸辺からは返事がない。

余計な事は喋るな、とでも言いたげな背中だ。

 

確かにここじゃマキマに話を聞かれているかもしれないしな。

 

 

わたしたちはこれから"マキマに殺す事"に焦点を当てて行動していかなければならない。

 

 

 

「岸辺隊長!」

 

前から急いだ様子の男が駆け寄ってくる。

 

「対魔2課の中村から、応援要請が入りました!場所はーー区にあるーーーデパートです!」

「デンジの巡回ルートにあるデパートか。ルート内にあるビルに何人かデビルハンターを配置していると言っていたが、功を奏したようだな。現時点の状況は」

「それが……、人形の悪魔を使った襲撃です。ドイツのサンタクロースです……!」

 

 

ドイツのサンタクロース。

 

国外からやってくるおそれのある刺客の中で、最も危険視されていたデビルハンター。

岸辺の話では、寿命で死んだ噂もあると言っていたが。

 

「………生きていたか」

「デパート入り口前で迎え討つ予定でしたが、予想以上の人形の数なようで……、かなり圧されているようです」

「分かった。車は用意しているな」

「勿論です!」 

 

男と共に足を速める岸辺に着いていく。

 

アキくんやデンジだけじゃなくバディであるパワーと天使も一緒らしいが、皆は大丈夫だろうか。

 

「こんだけの騒ぎになれば、サンタクロース以外の刺客も集まってくるだろうな」

 

岸辺は独りごちるように言った後、歩く速度は変えずに、顔だけわたしに向けた。

 

「こんな所で死んでる場合じゃねえぞ。お前も気ィ引き締めて行け」

「……いちいち煩いな、分かってるってば」

 

そうだ、こんな所で死んでいる場合じゃない。わたしには目的がある。

 

それに、この身体はわたしだけのじゃないのだから。

 

 

 

 

現地に着くと、特異課に所属している小柄な女と暴力の魔人に合流した。

 

「君、名前なんだっけ」

「ひっ……東山コベニ、です」

 

コベニはわたしに怯えるように後退りしながら、小さい声でそう言った。

 

同じ課ではあるが、ちゃんと会話を交わしたのは初めてかもしれない。

 

常におどおどしているような子だが、実際はかなり動ける。ヘビ女を捕らえたのも彼女だった。契約している悪魔のにおいも、どこか掴みどころがない。

 

人畜無害そうな雰囲気なのに、少し奇妙な子だ。

 

 

その横にいる暴力の魔人は、施設に入ってきたのも最近な新入りだ。

危険な悪魔らしいが、人間のときの記憶がかなり残っているようで、穏やかで明るいし、話も通じる奴だ。

 

しかし、どこかで嗅いだ覚えのあるにおいがする。それだけが引っかかる。

 

 

 

デパートの入り口前。

そこは予想と違って静かなものだった。

 

「な……なんですかこれ………」

 

コベニが怯えた声を出す。

 

地面には足の踏みどころに困るぐらいの、人形の死体。

近くの路地裏には、応援にきたと思しき対魔課の人間の死体もあった。

 

「全部の死体に、刃物で綺麗に切ったような断面がある。同じ奴がやったみたいだね、俄には信じ難いけど…」

 

屈んで死体を確認した後、岸辺を見上げる。

 

「これ、あんたが言ってた元バディの仕業?」

 

 

クァンシ。

 

中国から来ると予測されていた刺客。

元公安のデビルハンター。岸辺の元バディ。

以前街で会ったミナミという女が口にしていた名前だ。

 

対人格闘技に秀でていると聞いていたが…

 

「あいつだったらやりかねないかもな」

 

秀でているどころか、どう見ても人間業じゃない。

 

そんな物騒な奴とバディを組んでたのかと改めて岸辺を見やると、スキットルの蓋を開けながら、ふらりとどこかに歩き出した。

 

どこに行くのかとわたしも立ち上がると、岸辺の視線の先には、奇妙な格好の四人組がいた。

 

 

「やっとクァンシから離れてくれたか」

 

岸辺が四人に声をかける。

よく見れば皆頭部に人外の特徴がある。魔人だ。

 

そういえば、クァンシは魔人を仲間に連れているデビルハンターだと聞かされていたな。

 

 

「お前たちはデパートの人形を片付けてろ」

「うし!」「はい!」

 

コベニと暴力は返事をしながら、デパートの中に駆けて行った。

 

「アマネ、お前もだ。さっさと行け」

「……岸辺。基本あんたにとっちゃ雑魚だけど、一人だけヤバい奴が混ざってる。気をつけてよ」

 

あの脳みそが飛び出た、大分グロテスクな風貌の女の子。

他の子も魔人の中では強い方なんだろうけど、段違いに不穏なにおいがする。

 

「人の心配するより、手前の心配をしろ。…まあクァンシは女に対しては甘いが」

「へえ〜、そんならこの美貌の持ち主アマネちゃんなら楽勝だね」

 

軽口を叩いてから、二人の背中を追いかけた。

 

岸辺ならまあ……、大丈夫だろう。

言われた通り自分の身の心配だけをしよう。

 

 

デパート周辺と同じで、中にも首を切り落とされた人形の死体がごろごろと転がっている。

 

ここらは主にクァンシによって一掃されているようだ。もうデンジたちに追いついている可能性が高い。はやく合流しなくては。

 

 

 

 

果たしてデンジたちのにおいを辿って着いたフロアには、

 

「は?なんで岸辺がもういるの」

 

岸辺が窓際の椅子に座っていた。

 

さっきまでこの男、下で魔人たちと戦ってたんだよな。

 

現に傍に立つデンジとパワーが先程の魔人の中にいた二人を拘束している。

 

「遅い。どこで道草食ってんだお前は」

「あんたが馬鹿みたいに速いだけでしょ……」

 

コベニと暴力は…いない。二人こそどこに行ったんだ。

デパート内は広いし、迷うのは分かるけど。

 

わたしもにおいを辿れるとは言え、人形の死体の数が多すぎるのもあって時間がかかったのは事実だ。

それにしたって岸辺の速さは異常だ。

 

 

岸辺とテーブルを挟んで座っている眼帯の女、あれがクァンシか。

 

想像していたより随分と若い。

そして、"変わった"においがする。……デンジと似たにおい?

 

アキくんと天使、他の護衛たちは倒れている。

見たところ気絶しているしているだけのようだが……。

 

 

異様な空間だ。

 

 

岸辺とクァンシは、寛いだ姿勢で座り、眺めのいい席から景色を楽しんでいるような、一見何気ない光景に見える。

 

だが、確かに張り詰めた空気が漂っていた。

 

わたしも、デンジとパワーすら、下手に動けずにいる。

 

 

岸辺の視線が僅かに動いた。

 

その視線の先を振り返ると、顔に傷のある男が銃を構えてこちらに近づいてきている。

 

銃口はデンジに向いている。

 

「デンジ避けて!!」

 

発砲音と、わたしが叫びながらそいつの手元を蹴り上げるのと、岸辺が銃弾から逸らそうとデンジに蹴りを入れたのはほぼ同時だった。

 

 

張り詰めていた糸が切れた。

 

 

デンジが体勢を崩すと拘束されていた魔人が目を開き、デンジを床に組み敷く。

 

「クァンシ!!」

 

彼女が叫ぶのを合図に、岸辺とクァンシが動き出す。

 

 

クァンシの拳が岸辺の顔面に当たる鈍い音がしたが、悪いがそれどころじゃない。

 

蹴り上げたときに宙に投げ出された拳銃を、男と僅差で奪い取る。

 

拳銃に触るのなんて、公安に入った時にした訓練以来だ。

デンジに一発当たったところで急所さえ外れればいい。

 

狙うは魔人の頭。

あいつがただの魔人であれば、それだけで死んでくれる筈。

 

思い切って引き金を引く。

 

いい弾道を描いたが、魔人に腕で防がれた。

 

その間、視界の奥で岸辺が投げ飛ばされ、ガラスを突き破り落下していくのが見えた。

 

「岸辺?!うっ、あ……っつ!!」

 

今度は魔人がこちらに火を吹いてきた。

火を吹く魔人ってなんだ。ドラゴンの悪魔?そんなファンタジーな恐怖も存在するのか。

 

間一髪直撃は免れる…が、その先には先程の男がおり、顔面を思い切り蹴られた。

 

その衝撃で手から銃が外れる。

 

まずい、銃を奪い返された。

 

 

男はこちらには目もくれず、デンジを抑えつける魔人を攻撃する。狙いは飽くまでデンジという訳か。

 

「うぐっ…?!」

 

いつの間に移動したのか、クァンシがその男の首根っこを掴んだ。

そのまま岸辺同様、ガラス窓に向かって投げ飛ばした。

 

 

先程岸辺を片手で投げ飛ばしたのもそうだが、この細い腕で成人男性を片手で持ち上げられるとは、普通考えられない。

 

やっぱりこいつ、人間じゃない。

 

 

「お嬢さん、大丈夫か?血が出ている…」

 

何故かクァンシがわたしに手を差し伸べてきたので、思わず後退りした。

クァンシは首を傾げると、今度はパワーの方へ向く。

 

「ワシに近づいたらコイツを殺すぞ!!あとデンジを放せ!」

 

ポニーテールのような髪型の魔人を捕らえたままのパワーが声を張る。

 

「お嬢さん、その子を放してくれないか。でなければ戦う事になってしまう」

「卑怯者がア……!」

 

 

感情的になっているパワーに、堪えてと視線を送る。

 

口の中が血の味だ。

歯が何本か抜けたみたいだ、血の混じった唾液とともに吐き出すと、床に転がっていった。

 

 

勝算は微塵もないが、戦うしかない。

 

 

クァンシの脚をはらうように蹴りを入れる。こちらに視線を向けられる事なく、軽く跳んでかわされた。

 

しかし、宙に浮いている間は身体のバランスが効かないものだ。そのまま腹に一発殴りかかる。が、腕で防御される。

 

やり返してくる様子はない。

 

 

「さっき頭を強く蹴られたろう。あまり動くと良くない」

 

そして、ひとつも息を切らさず、そんな事を言ってきた。

 

「岸辺のいう通りだね。女に甘いって」

「……あの男、昔から女にだらしないのは知っていたが、とうとう未成年に手を出すとはな」

「色々言いたいところだけど、わたしはただのバディだから!鳥肌立つような事言わないで」

 

俄に信じ難いといった表情で首を傾げるクァンシに、懐に忍ばせたナイフを手に取り、飛びかかる。

 

そのナイフを指二本だけで止められる。

 

「このナイフは……」

「納得した?」

 

わたしが使っているのは、前の任務ですっかり手に馴染んだ岸辺のナイフだ。

 

しかし、平静を装うにも、相手は指二本でしか押さえていないのにも関わらず力が強く、わたしが押しても引いてもナイフはびくともしない。

次第に自分の顔が強張っていくのを感じる。

 

「お嬢さんは、本当に岸辺のバディなんだな」

 

やがてナイフを奪われ、クァンシの手元で回転し刃先がわたしに向く。

 

後ろに回避しようとした脚を軽く蹴られ、バランスを崩す。

窓際のテーブルに背中を打ちつけたと思ったら、ナイフが空を切る音が耳のすぐ近く聞こえた。

 

 

わたしはテーブルの上で組み敷かれた状態になった。

 

目の前には切れ長の暗い目をした、美しい女。

岸辺と大分昔からバディを組んでいたらしいが、到底五十歳前後には見えない。

しみも皺もひとつもない、綺麗な顔だ。

 

「近くで見ると尚更綺麗な子だ。マキマの元に置いておくなんて勿体ない」

「……そりゃどうも。わたしもそう思うよ」

 

目線だけ左横に動かすと、ネクタイごとテーブルにナイフが突き刺さっていた。動くと首が締まる、この状態で逃れるのは不可能だ。

 

「……お嬢さんはマキマに"飼われて"いないのか?」

「飼われた覚えは微塵もないね」

 

クァンシは小さく首を捻りながらわたしの顔を凝視した後、耳に顔を寄せてきた。

 

「お嬢さん、良い提案がある」

「は?」

「私の女にならないか?君の事を気に入った。今よりもよっぽどいい暮らしを保証する。決して危険な目には遭わせない」

 

耳に息がかかるほどの距離で、わたしにしか聞こえないほどの小さな声で問いかけてくる。

 

あの魔人の女たちの一人に加われということか。

 

馬鹿げた提案に、わたしはつい呆れた笑いが漏れた。

 

「やだね。この美少女をあの不細工どもの中に加えるとか、ありえない。何が良い提案だ、馬鹿にしないでくれる?」

顔を上げたクァンシの眉間には皺が寄っていた。

 

「何故。君はマキマに囚われていないのだろう。……私は分かる。あのチェンソーと同じで、君は特別なのだろう」

 

わたしをただの魔人ではないと見抜いているのか。

見抜ける契約をしている悪魔がいるのか…、いや、恐らく最初に思った"デンジと同類"が正解だ。

 

「マキマは勿論、あんたに囚われるのだってお断りだよ。わたしはここにいる理由があるの。……ここには大切な人がいるから。わたしは自分の意思でここで戦っているの!!」

 

言いながら、腰を捻るようにして脚を上げ、クァンシの脇腹を狙う。

が、予想はしていたが案の定防がれた。だけでは終わらず、足首を掴まれる。

 

「そうか、それは残念だ」

「うぉあ?!」

 

そのまま片手で持ち上げられ、宙吊りの状態で先程割れた窓の外に出される。

 

高所に吹く強い風が、片方の足首だけが支点になった身体ごと揺らす。流石にこの高さは背筋がぞっとする。

 

「……こらデンジ、パンツ見ないよ」

「ちぇ〜」

 

頭を押さえつけられながらも、わたしの捲れたスカートの中を凝視するデンジを嗜める。

 

「私は……、マキマを殺そうだなんて事は考えない。チェンソーの心臓を祖国に持ち帰り、蔑まれてきた私の女たちに人権を与える。どうせ短い命だ、目先の幸と快楽。それで充分だと思わないか?」

「そうだね〜、そういう考え方もいいと思うけど……、わたしは反対。だって"わたしたち"、決して短命ではないでしょ」

 

わたしは煽るように笑みを浮かべる。

 

「それにさっき聞こえてきた、あんたの『無知で馬鹿のまま生きる事』ってのには全く共感できない。折角人間の脳みそを手に入れたんだ」

 

はためくスカートから見え隠れするクァンシの表情は変わらない。

 

 

「何も知らず間抜けと言われて生かされるなんて、そんな詰まらない人生、堪えられない。わたしは御免だね!」

 

 

そう吐き捨て、腰に隠していた拳銃を取り出す。先程の男がクァンシに掴まれた時に落とした物だ。

 

「クァンシ!!……うっ?!」

 

黒髪の魔人が叫ぶ声が聞こえた直後、そいつの身体が突き飛ばされた。

 

床から現れたビームによるものだった。応援に来てくれたのか。

 

 

発砲音と、クァンシの手が緩むのはほぼ同時だった。

 

銃弾は反れクァンシの肩に当たり、わたしは宙へ投げ出された。

 

「チッ……外れた」

 

一瞬見えたクァンシの目が丸くなっていた。

わたしを本気で落とす気はなかったらしい。

 

 

ここ何階だ?落下が長くて身体の中の内臓が浮遊しているような感覚が気持ち悪い。

 

地面に叩きつけられたときのダメージはいかほどだろう。全身粉砕骨折?死んでも血さえあれば生き返るが……。

 

「………くっそぉ〜、痛いのはやだなあ」

 

来たる衝撃に思わず目を瞑る。

 

 

ドス、と音はした。

しかし、痛みはなかった。何かに包まれているような感触。

 

目を開ける。

 

「岸辺?!」

 

岸辺がわたしのことを抱えていた。

 

「いてぇ……」

「え?あんたさっき、落ちて、け、怪我とかないの?」

 

岸辺が態とらしく両手を揺すっている。

普通に歩いていて、血も出ていない。先程落ちた時に受けた怪我などはなさそうだ。

 

と、言いたいことは山ほどあるが。

 

「なんで……、わたし、血飲めば回復するじゃん。わざわざ岸辺が腕傷めてまですることじゃないでしょお………」

「あれを見ろ」

 

岸辺がデパートの入り口のある大通りの方を指差す。

 

「げ、増えてる?!」

 

入る前まではそこまでではなかった人形たちが、倍以上は数を増やしてデパートの入り口に向かっている。

 

「お前が気絶している時間も惜しい。だから助けた。さっさと行くぞ」

「…………はぁ〜い」

 

残念なような、しかしどこかほっとした。

 

アマネと同じような考えを持つと、きっと苦しくなる。

 

 

「蛸!」

 

上から声が降ってきた。

 

直後、地面すれすれで蛸に脚を掴まれ、九死に一生を得た男が目の前に現れた。

 

「また脱落者が増えたな」

 

逆さになったままの男、吉田ヒロフミは一度安堵の溜息を吐いた後、岸辺を見て苦笑いした。

 

 

 

ドクン 

 

 

突如、わたしの心臓が大きく跳ねた。

この感覚は、アマネがアキくんを目にしたときと同じだった。

しかし、残念ながら今回はアマネの意思じゃない。

 

 

わたしによるものだ。

 

 

手先が冷たくなる。脚が震える。

 

 

「よくクァンシとのタイマンで、その程度で済んだな」

「秒殺でしたけどね」

「岸辺…………、ちょっと」

 

横で談話している岸辺に声をかける。

声も震えている。

 

「あ?今度はなんだ」

「おかしい、だってここは……、絶対そんな事はない………!」

「……どうした、はっきり話せ」

 

岸辺に肩を掴まれる。

 

 

本当におかしいのだ。あり得ないんだこんな事は。

 

地獄のにおいがするなんて。

 

 

 

「んだコレ………」

 

岸辺の呟いた声で顔を上げる。

岸辺も吉田も、デパートの真上を唖然として見ていた。

 

天から降りてきた、六本指の巨大な手。

 

 

「地獄の悪魔………」

 

 

わたしがその名前を口に出した瞬間、脳の奥の方からずるりと何かが這い出てきた。

 

それもアマネのじゃない、わたしの記憶だった。

 

 

 

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