「これ、茅森の家に届けてもらってもいいか?お前ら、仲良いだろう」
保健室登校が数日続いたのち、アマネは学校を休んだ。
落ち着かないまま一日を終えようとしたとき、担任からそう頼まれたときは、思わず顔がにやけていたんじゃないかと思う。
住所の書いたメモとプリントを渡されると、すぐに駆け出した。
蝉の鳴く畦道を、汗だくになりながら抜け、指定された場所に着く。
少し驚いた。
古びたトタン屋根に、ささくれて黒ずんだ外壁。
周りに家はなく、生い茂る雑草に囲われている、一階建ての家がそこにはあった。
正直、アマネの持つイメージからは到底かけ離れた家だった。
おそるおそるインターホンを押す。
スピーカーはなく、家の奥から小さく「はい…」と声が聞こえ、足音が近づいてくる。
軋んだ音を立てて引き戸が開き、アマネが顔を出した。
「……早川くん」
「あの…大丈夫か?具合………」
アマネは小さく頷くが、顔色が悪い。
アマネはキャミソールにショートパンツと、普段見ることのないような薄着でいた。
冷房をつけていないのか。
露出した肌がうっすらと汗ばんでいる。
二の腕に目がいく。白い肌に、痛々しい青痣が見えたのだ。
俺の視線に気がついたのか、アマネが手でそれを隠す。
「…着替えてくる。ちょっと待ってて」
そういって踵を返し、部屋の奥に駆けていってしまった。
「態々ごめんね、来てもらって。学校から結構距離あったでしょ」
数歩前を歩くアマネが、振り返らずにそう言う。
もう夕方だが、気温はまだ下がることはない。
それなのに、彼女は長袖のパーカーを上から羽織っていた。
「いや、大丈夫。俺の家からはそこまで遠くないから…」
「そっか」
沈黙が流れる。
ひぐらしや、蛙の鳴き声が辺りに響き渡る。
「痣のこと、何も聞かないんだね」
「えっ……」
「気になるでしょ」
アマネが振り返る。
「親にやられたの。わたしが具合悪そうにすると、機嫌が悪くなるんだよね。酷いときは殴ったりしてくる。…だから学校に来た方がましだったのに、発作が酷すぎてついに行けなくなっちゃった」
あてもなく歩いていると、小さい橋に辿り着き、アマネは足を止めそこに凭れる。
「前に、早川くん家にも、わたしと似たような病気の弟さんがいるって話してたよね」
「あ、あぁ、うん。……でも」
「お父さんもお母さんも、優しいんだ」
「まあ。………弟にはな。
俺には…見向きもしてくれないけど」
「……そうなんだ」
足下に視線を落とす。
蝉の死骸に、蟻が群がっていた。
「なんか、可哀想だね」
「え……?」
「わたしたち」
そう言うアマネは、何故か少し嬉しそうな表情をしているように見えた。
「随分派手にやられたみたいだねぇ、アキくん」
黒瀬さんたちが訪れてきた翌日、見舞いの花束を片手に、コイツは病室に顔を出した。
「……生きてたか」
「生きてますとも、当然ですとも〜。まあ大変だったけどねぇ?特異課の人間はほとんど殺されちゃったし、わたしも銃で撃たれるしさぁ」
「大丈夫なのか?!………ッ」
急に身体を起こした所為で、傷が痛む。
アマネは、「あらら、無理しないでぇ」と、俺の身体を支えながら寝かす。
「いやそりゃあね、痛かったけどねぇ?でも全然大丈夫〜!撃たれたところ…ここなんだけど、ほら!」
そう言いながら、シャツをたくし上げる。
白くて柔らかそうな、真っ新な肌が露出する。
見てはいけないものを見てしまった気分になり、視線を逸らした。
「アマネの綺麗な身体には傷ひとつ残ってないよ」
「分かったから、腹しまえ……」
昨日ベッドの上で吸おうとした煙草が、床に転がっているのが目に入る。
姫野先輩が、死んでしまった。
幽霊の悪魔にすべてを捧げ、跡形もなく、消えてしまった。
記憶を反芻すれば、また目頭が熱くなる。
コイツの前だ。泣く訳にはいかない。
「目が腫れてる……泣いたでしょ」
アマネが俺の顔を覗きこむ。
顔を逸らそうとすると、頬を両手で捕らえられた。
アマネが手に持っていた花束が床に落ちる。
「あの"姫野センパイ"がいなくなったのが、そんなに悲しかったんだ……」
アマネが、そのままベッドに乗り、俺の上に跨る。
顔が近づき、大きな瞳が、俺を捕らえる。
薄い榛色の瞳には光がない。
渇いた冷たさだけが、そこにある。
心臓の音が煩い。
アマネの口角がゆっくりと上がった。
「きゃは!あ〜、せいせいした!
あの女、人間の癖に純粋なアキくんに色々刷り込んでくれたみたいで、ほんとにうざかったんだよねぇ〜!」
アマネは、顔を紅潮させ、心底楽しそうに笑い声を上げた。
開いた口からは鋭い犬歯が、揺れる髪の隙間からは、尖った耳が覗く。
そうだ、こいつは…
「アキくんはアマネにぞっこんなのにねぇ?!あ〜ほんと……」
悪魔だ。
「死んでくれてよかった〜〜!!」
「黙れ!」
気づけば、アマネの胸ぐらを掴んでいた。
アマネは、不思議そうに、小首を傾げている。
悪意のない、幼い子供のような表情だ。
俺の中で、何かがぷつりと切れる音がした。
「それ以上、姫野先輩を侮辱するような事を言ってみろ……お前を殺すからな」
「ふ〜ん、殺せるの。アマネのこと」
「お前はアマネじゃねぇ、誘惑の悪魔だ!!
アマネは…そんな事は言わない……!その顔で…アマネの声で、汚い言葉を喋るんじゃねぇ!吐き気がするんだよ!!」
「な〜にを言ってんだか」
アマネは嘲るように笑った。
「わたしの悪魔的発言に対する言及は置いといて…アキくんさぁ、アマネの事、記憶の中で美化しすぎじゃなぁい?」
「は……?」
つい手の力が抜ける。
アマネは俺の手首を掴む。
「これはアマネの本意だよ。わたしにとったら、姫野なんて生きようが死のうがどうでもいい、ただの人間一人にしか過ぎないんだからぁ」
「本意って………」
「言ったでしょお。わたしはアマネと仲良しなの!アキくんに対する、わたしの行動や言動の殆どが、茅森アマネの意思だよ。ま、それを行動するか話すかどうかは、わたしの判断というか、気まぐれみたいな節はあるけども〜?」
手首を掴むアマネの手が、上に移動してくる。
そのまま、指を絡められた。
「それを踏まえて、よ〜く、思い出してごらん?茅森アマネがどんな人間だったか……
思い出したくなくても、駄目だよ」
アマネが、耳元で囁く。
栗色の柔らかい髪が、俺の頬に触れる。
「君の大大大好きなアマネちゃん、怒っちゃうんだから……」