いつものように、教室に入る。
そして、一番最初に目に入るのは、窓際の、あの席。
今日も休みか……
「みんなおはよう、朝の会はじめるぞ〜」
担任が教室に入ってきた。
その直後、ガラリと教室のドアが開く。
教室が、しんと静まり返る。
「お、おぉ、茅森。具合は大丈夫か」
「はい……すみませんでした」
アマネは、静かな教室でもギリギリ聞き取れるかどうかの、小さい声で応えた。
俺の横を素通りして、席は着く。
また前のような日常に戻るのかと心のどこかで察し、少し寂しさを覚えた。
放課後。
今日はアマネが登校しているので、プリント等を届けにいくような用事もない。
それに最近、弟の病状が悪化して、母親が家の手伝いをしろと煩い。
気は進まないが、はやく帰らなければ。
「あの、早川君………」
下駄箱で靴を履き替えていると、声をかけられる。
1個上の女子だ。
小さい学校の為、顔は分かるが、一言も会話したことがないので名前は知らない。
その人は頬を染め、何やらもじもじとしている。
「あの、これ……早川君に読んでもらいたくて」
そう言って、差し出させる封筒。
「そ、それじゃあ、返事…待ってるから」
俺が口を開く前に、その人は足早に去ってしまった。
呆気に取られたが、あの人の様子、渡されたこの手紙が、どんな意味を持つかはなんとなく分かる。
俺はその場にいるのが落ち着かず、急いで下駄箱を後にした。
帰り道。
家に着いてから読もうかとも思った。
だが、どうしても気になってしまう。
緊張で震える手で、ファンシーなシールで留められた封筒を開けようと、手をかけた。
「早川くん」
後ろから声をかけられる。
驚きで、肩が跳ねる。
アマネだ。
声をかけられて嬉しいような、でも今は会いたくなかったような。
複雑な感情が入り混じる。
「そんなに驚かなくてもいいのに」
「わ、悪い。全然気づかなくって」
「ほら、わたしの家もこっち方面だから」
俺の様子が面白かったのか、くすくすと笑いながら、俺に並ぶ。
「それ、何?」
アマネは俺が手に持つ封筒を見て、尋ねる。
「これは…なんかさっき、上級生の人から、渡された…」
なんとなく、語気が弱くなる。
「ふーん……」
アマネの声に、普段はない冷たさを感じた。
気まずくて、その手紙をポケットに仕舞おうとすると、その手首を掴まれた。
「それ、貸して」
「え……でも」
貰った手紙を、しかも恐らくラブレターを、人に…アマネに見せるのは憚られた。でも、
「いいから、貸して」
アマネが、手を差し出す。
いつの間にか、いつものような柔らかな表情は形を潜めていた。
俺は、言われるがままそれを、渡してしまった。
アマネが、封筒を開き、便箋に目を通す。
榛色の瞳が、冷たい視線が、文字を追っている。
「も、もういいだろ」
耐えられなくなり、俺はアマネから便箋を奪おうとする。
その直後、
ビリ。
紙が破ける音が、静かな畦道に響いた。
一回だけじゃない、何度も、何度も。ビリ、ビリと、
アマネは破いたそれを、地面に落とす。
花弁のように舞い落ちていったそれを、今度は強く、踏み潰す。
薄ピンク色の紙きれが、どんどん茶色く汚れていった。
その一連の動作を、俺は呆然と見ていた。
何が起きているのか、よく分からなかった。
「ふぅ……これでよし、と」
アマネの声ではっとし、視線を上げる。
緩く弧を描く目で、微笑んでいる。いつものアマネだ。
「さ、帰ろう。早川くん」
そして、俺の手を引き、歩き出す。
気温は暑いのに、冷んやりとした手だった。
けど俺は、先程の衝撃よりも、アマネと手を繋いで歩いている。
今の状況に、心が支配されて、どうしようもなくなってしまって。
何故そんなことをしたのか。
その行動の訳を、聞けなかった。
「どういう風の吹き回しですか?」
俺は、むくれ顔のアマネの横に立つ大男…
俺の師匠であり、新体制となった特異4課の隊長となった、先生……岸辺さんに問いかけた。
「何故こいつが岸辺隊長のバディに……?」
「なんかわたしの美貌にやれたとかなんとか、………ったぁ!!」
ガチン、と鈍い音がし、アマネの脳天を先生が殴る。
「誰が魔人相手に欲情するか。そもそもガキに興味はねえ」
「ちょっと見たぁ?!アキくん!こんな美少女の頭、普通殴れる??やっぱイカれたジジイだよあんた!今からでもバディを解消してやる!!」
ギャーギャーと騒ぐアマネを他所に、先生は続ける。
「先の銃撃で俺のバディも殺られた。そんで残った数少ないメンバーの中で、こいつが一番マシだった。
誘惑の能力も便利だが、一撃の攻撃力が高い。それに感けて体力もねぇし、とろいが。……そこは今鍛えている最中だ」
「ひっ……!」
先生の黒い瞳がじろりと横に向くと、アマネは青ざめた。
そういえばデンジとパワーも先生に稽古をつけてもらっているらしいが、毎日死にかけの状態で帰宅してくるな。
お陰で静かで助かっているが。
「次に予定している、サムライソードとヘビ女を捕まえる作戦…新4課お披露目の頃にはあの二人同様にある程度使えるようにしないとだからな。お前も死にたくなければ本気でやれ」
「………分かってるよ」
アマネはそっけなく返すが、神妙な面持ちだ。
今回の作戦が失敗したら、おそらく特異4課は解体される。
デンジやパワーと同様、魔人のアマネは公安によって処分されるだろう。
改めて、こいつは魔人で本来敵対する相手だということを思い知らされるようだった。
「はーあ、最悪。なんでアイツがバディなの?ジジ臭いし、酒臭い…おまけに毎日毎日半殺しにしてきて超しんどいしぃ〜〜!
折角空きができたんだから、アキくんとバディがよかったんだけどお」
アマネが、盛大な溜息と共にぼやく。
先生と別れた後なのに、何故かこいつは俺の後をついてくる。
姫野先輩が殺された日……特異課を狙った襲撃により、ほぼ壊滅状態となった特異課は4課合同となり今日に至る。
それによって課を跨いで活動していた為、試用期間以来そこまで頻繁に顔を合わせる機会のなかったアマネとも、必然的に毎日のように顔を突き合わせるようになった。
シンプルに、最悪な気分だ。
姫野先輩に対する発言も不快極まりなかったが、それだけではなく、あの時言われた言葉……
アマネの本意、とは。
あの後、俺はぼんやりと思い出した。
手紙をビリビリと破る音。
紙切れが地面に舞い落ちる情景。
グシャ、グシャ、と音を立てて、踏み潰されていく。
その後の、美しく笑った、彼女の顔。
「ごめんねぇ、この前のことまだ怒ってる〜?」
アマネの声にはっと我に返る。
いつの間か追いつかれたようで、目の前に立ち塞ぐようにしている。
「…魔人の言ったことに熱くなった俺が間違っていた。それだけのことだ」
言いながらいつもの癖で胸ポケットの煙草を探る。
しかし、アマネの顔を見て、ついその手を下ろした。
「ただ……お前に言われた通り、確かに俺は、アマネに関することの記憶が薄れてるところはあるのかもしれない。……お前の言うことに従うのは癪だが、アマネを弔う為にも、思い出す努力はする」
「まるで、あの子が死んでるみたいな言い方をするな〜、わたしの中で生きてるとは思わないわけ?」
「お前には最初に騙されているからな。根本的な部分で信用していない。だが……」
デンジや……サムライソード。
デンジだけなら信憑性は薄かったが、最近は"そういう事があってもおかしくないのではないか"という可能性は、ちらついてきている。
「お前がアマネの記憶や意思を引き継いでるって言うのは、本当なんだろう。………お前が真似るアマネの姿は、本当にそっくりだ」
よくない考えだ。
そういう思考は、俺の目的や行動力を鈍せる足枷になる。
そんな気がしてならない。
それでも、俺の目の前のアマネは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「そっか……そっかあ。まあ、今はそれでいいよ!心が広いアマネさんは許してあげよう!」
そう言うと、スキップして前を行く。
プリーツスカートが、ひらひらと踊るように翻る。
眩しいな。
アマネは、陰があるけど歯を見せず、綺麗に笑う女だった。
美しかった。でも、
今目の前で、こちらを振り返り、顔をくしゃりとして笑う彼女は、眩しい。キラキラしている。
そんな事、思わなかった。たしかあの時は。
考えてはいけないことだ。
今の方が、昔より………なんてことは、考えてはいけないことなんだ。