過去を偲ぶ   作:豚でかきたま

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夏休みのことだった。

まだ朝の早い時間。俺の家のインターホンが鳴った。

俺はまだベッドで寝ており、母親が「はいはい、どちら様ですか?」と、声をかけながら玄関にむかっていく音が、夢現の中でうっすらと聞こえてきた。

暫くすると、俺の自室のドアが開かれる。

「お兄ちゃん、なんか茅森さんって子が来てるけど……」
「えっ?!」

眠気が吹き飛び、慌てて玄関へ向かう。


玄関の前に立っていたアマネは、髪もボサボサで、衣服も乱れている。
表情も虚だった。


「早川くん、一緒に川遊びしに行かない…?」

そう言って、力なく微笑んだ。




近くの河原に辿り着くと、アマネは洋服を着たまま川に入り、そのまま膝から崩れ落ちるように座り込んだ。

「茅森!!大丈夫か?!」

俺も慌てて川に入り、アマネの身体を支える。

「身体、綺麗にしなきゃ……」
「……え?」
「父親に、身体触られたの……」

声を震わせながら、そう呟いた。
アマネの水色のスカートの裾が、魚の尾鰭のように、水中でゆらゆらと揺れている。

 
「本当に気持ち悪い………あの駄菓子屋のジジイも、……担任のアイツも、この前すれ違った男も、みんないやらしい目つきで見てくる。気持ち悪いんだよ!!死ね!死ね!!みんな死ね!!!」

アマネは、怒りに声を荒げて、水面に拳を打ちつけた。

バシャン、と水飛沫が上がる。

何度も、何度も、打ち付けて。

その度に、大きく水飛沫が上がり、俺の服を、アマネの顔を、髪を濡らした。

「いたっ」

アマネの身体が強張る。

水面から手を上げる。
指からじわり、と血が滲み出て、やがて、ポタポタと落ちていった。


俺の身体から、徐々に血の気が引いていく感覚がした。


「ちょっと、こっちこい!」

アマネを半ば無理やり立たせ、近くにあった大きな岩に座らせた。

「川ん中にあったガラスで切ったんだな…結構深そうだ。すぐ病院で見てもらおう。とりあえず止血、…ハンカチ持ってきたかな……」
「舐めて」
「………は?」

濡れたズボンのポケットを探っていると、頭上から降ってきた、予想もつかないような一言。

「指。アイツに舐められたの、汚いの」

顔を上げる。
俺を見下ろすアマネの、榛色の目が、暗く濁っている。

「早川くんの舌で、上書きして」

支配するような、瞳だった。

俺は、何も言い返せず。抵抗することもできない。

傷口に目をやる、ポタポタと、血が垂れていく。

俺はおそるおそる、そこに口付けた。

手で握ったときとはまた違う。
唇から柔らかい手の感触が、体温が伝わる。

「舐めて!!」

アマネが声を張り上げた。

言われるがまま、舌を出す。
鉄の味が広がった。

受け入れ難くて、でも何処か甘くて、少ししょっぱい汗の味がする。

川の流れる音が耳の中でごうごうと鳴り響く。

日陰にいるはずなのに、頭上を太陽で照らされているときのように、頭がぼうっとする。


すると、指が俺の口の中に侵入してきた。
指が舌の付け根に当たる。


「うっ……!げほっ…げぇっ……」
「あっ、大丈夫?……ごめんね」

咽せる俺の背中を、アマネがさする。
吐瀉物が、川にバシャバシャと音を立てて落ち、水面が歪む。

ぼんやりと映る、情けない俺の顔。
その背後に見える、アマネの姿。

ぼんやりとだ、確信は持てなかった。でも、


うっとりと頬を染めて、満足そうに微笑んでいた。そんな気がした。







歪んでいく

 

 

銃の悪魔の場所が分かった。

 

 

近いうちに討伐遠征がある。

 

参加する為には更に悪魔を倒した実績が必要だ。

しかし、そんな俺のやる気とは逆に、天使の悪魔は全く働こうとしない。

 

 

正直、とても疲れる。

 

 

今日もくたくたに疲れた状態で帰路につく。

 

玄関のドアを開けると、デンジの話し声が聞こえてきた。

パワーは今、血抜きの為不在の筈だが……。

 

 

「デンジ、最近すごい機嫌いいね〜」

「ん〜…そうかぁ??」

「うん、青春を謳歌してますって顔をしてる」

「青春……。確かにそうかもなァ…青春、しちまったかもしれねぇな………!」

「いやあ、わたしは嬉しいよぉ。マキマなんかじゃなくて普通の女の子に恋してくれるようになって……」

「え、なんでそこまで知ってんの」

「あ、アキくんおかえり」

 

 

リビングのドアを開ける。

そこには、トランプやらジェンガやら菓子やらを広げたテーブルに対峙して座ったデンジと、アマネがいた。

 

「おい、なんでお前が家にいる」

「え〜、だってデンジが毎日アキくんの手料理食べてるっていうからさぁ。わたしも食べたいからついてきちゃった」

 

アマネはけろりと言う。

デンジを睨むと、

 

「まあまあ、いいじゃん!パワーいねえし、いつもと作る量は変わんねぇだろ?」

 

よく分からないが、いつも以上にへらへらとしている。

 

 

「今日は疲れてる……。悪いが適当にすませてくれ」

「おいおい!そりゃないぜお前〜!!」

「そうだよぉ、わたしめちゃくちゃ楽しみにしてたのに〜!あ、デンジまたババ引いた」

「うあああ!!マジかよ!!」

「弱すぎ〜!これでここにあるお菓子は全部わたしのもんだね」

「くっそぉおおお〜!!!」

 

 

煩い………。

 

頭を抱えながら自室に行く。

 

ドアを閉めても向こうからギャイギャイ騒ぎ声が聞こえてくる。

 

 

「疲れた……」

 

 

ネクタイを緩めながら、ベッドに倒れ込む。

着替える元気もない。

 

 

そのまま瞼が重くなってきて、俺は眠りついた。

 

 

 

 

目が覚める。

 

あのまま寝てしまったようで、時計に目をやると、時間は深夜になっていた。

制服を着たまま寝た所為で身体が痛い。

 

 

水を飲もうとリビングに行くと、机の横でデンジがいびきをかきながら寝ている。

 

その奥のキッチンでは、アマネが後片付けをしていた。

 

「意外だ」

「失礼なあ、自分で出した物くらい片付けるよ。お腹は空いた?」

「あぁ、まあ。少しな」

 

何か簡単に作ろうかと、冷蔵庫を開ける。

背中に視線を感じた。

 

「………お前も食べるか?」

「やったぁ」

 

アマネは嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

 

冷蔵庫には余り物の野菜が何種類か残ってる。

そこまで食欲もないし、明日の朝飯分もまとめて味噌汁でも作ろう。

 

「白飯は?食う?」

「食う〜」

 

これも明日分まとめて炊こう。そしたら先に米を研いで……

 

 

「手伝おうか」

「……ほんとに意外だな」

「ふふ」

 

アマネは髪を一つに括りながら、得意気な顔をする。

 

「料理もね、教えてもらった記憶があるんだ〜。だからちょっとならできるよ」

 

そう言った通り、アマネはこちらの心配を他所に、手際よく野菜を切っていく。

 

 

 

 

アマネの母親は、彼女に無関心だった筈だ。

それこそ、父親に虐待されている娘を放っておけるくらいには。

 

そんなアマネが料理を教えてもらった記憶がある。と言った事に、悪いが少し違和感を覚えたが、その横顔が少し寂しそうに見えて、何も聞くことができなかった。

 

 

「いたっ」

 

アマネが小さく声を上げて、包丁をおく。

 

「どうした」

「やっちゃった。なんだかんだ久しぶりだったからねえ」

 

見ると、アマネの指から血が出ていた。

 

艶やかで、真っ赤な血。

普段俺らみたいなのは、見慣れている筈のそれ。

 

なのに、白い肌を滑り落ちていく、その光景から目を離せない。

 

 

「アキくん?」

 

 

アマネが呼びかけてくる。心配そうにしている声に聞こえた。

 

大丈夫だ、と言おうとして顔を上げる。息が止まった。

 

 

 

俺を見据えるアマネは、妖しい微笑みを浮かべていた。

 

待ち望んだ獲物が目前に迫ってきた、捕食者のように。

 

榛色の瞳が、俺を捕らえる。

動けない。

 

血が溢れ出るその指で、頬を撫でて、俺の唇をなぞる。

 

血のぬるりとした感触が唇を伝う。

 

その指が、俺の歯をなぞり、舌に触れ、鉄の味がした。

 

 

 

ーーーリリリリン……

 

 

突如、家の電話が鳴る。

アマネの動きが止まった。

瞳から、ギラギラとした光が引いていき、焦りの色に変わっていく。

 

 

「やばい……やばいやばいやばい!」

 

さらには顔が青くなっていく。

 

俺は突然焦り出したアマネを不審に思いながらも、受話器を取る。

 

「…はい、もしもし」

『おう、アキ。岸辺だ。今そっちに"美少女"はいるか?』

「はあ。……おい、アマネ。岸辺隊長からだ」

「やっぱり……!外出許可申請の時間過ぎてる!!」

『あと5分以内に施設に帰ってこなければお前を3回ほど殺す、そう伝えておいてくれ』

「だそうだ」

「5分?!いや無理だってえ!!走るの嫌いなのにぃ!」

 

走っても間に合うような距離ではないと思うが……。

 

アマネは泣きそうな声を上げながら、バタバタと帰り支度をする。

 

 

「はぁ〜ご飯食べれなかったじゃん、もう〜。…そいじゃ!お邪魔しましたぁ〜!」

「ちょっ、おい!ちょっと待て!」

 

急いで帰ろうとするアマネの腕を掴む。

 

「指……!怪我、絆創膏ぐらいして行けよ」

「もう治ってるよ」

 

そう言って、左手を見せてくる。

残っていたのは血の痕だけで、その傷口は消えていた。

 

 

「言ったでしょお。わたし、魔人なんだって」

 

 

そう言い残し、走り去っていくアマネが背を向ける前に見せた顔は、やはり少し寂しそうに見えた。

 

 

 

バタン、と玄関のドアが閉まると、途端に静まり返る室内。

 

先程の出来事が嘘のように思える中、口の中に広がる血の味が、まざまざとそれに現実味を帯びさせた。

 

 

 

 

 

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