『勉強を教えてください』
大人になった今でも僕の心に強く残っている言葉。一生忘れない自信がある。
理由の1つは、目の前で机に突っ伏して寝ている青年。白いタキシード姿の彼こそ僕にとって恩人であり一番の親友──
そんな人にかける第一声が「結婚おめでとう」じゃないとは思わなかったよ。
「風太郎、起きろ! お~い、起きてくれ!」
「……ん。お前か、
「ごめん、起こしてしまって。だけどもうすぐ式が始まるよ」
しかし、かつての同級生はあわてる様子も無くポツリとつぶやいた。
「夢を見ていた。彼女……いや、あいつらと出会った高校2年の夢のような日の夢を」
「……ああ、なるほどね。それは夢に出てきてもおかしくないな」
ホッと安心し、スーツのポケットから七色に輝く『お守り』を手に取る。
忘れるわけがない。僕たちの日常が変わったあの日のことは。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「くっそ~っ! あれだけ勉強したのに、また負けた!」
「フン、得意科目でやっと80点か。満点にはまだ遠いな、橙矢」
高2の9月、テストで僕は風太郎にまたしても叩きのめされた。
こっちは血の涙が出そうなのに、目の前にいる学年トップは「焼肉定食、焼肉抜きで」と退屈そうにいつもの安い学食を頼んでいる。
注文する品は全く同じでも頭脳が違う。
「くっ、自信あったのに。だけどウジウジしたって結果は変わらないか」
「そう、悩むより復習だ。じゃあ、先に行くぞ。見直しがしたいからな」
にぎやかな昼休みの食堂でも勉強するのが風太郎だ。よく集中できるよな。せめて、ここでは食事を楽しみたい。
(でも、風太郎には頼ってばかりだ。卒業までに恩は必ず返す!)
それに僕には勉強しかない。一人前の人間になって必ず……
「おっと、待たせちゃ悪いな……あれ?」
知らない女の子といっしょだ。転入生かな? 見たことない制服だし。
学校で風太郎が僕や先生以外の人と話しているのは初めて見た。
「──私のほうが先でした。隣の席が空いているので移ってください」
「いやだね。ここは毎日俺と親友が座っているんだ。あんたが移れ」
「関係ありません、早い者勝ちです。そもそも、あなた1人じゃないですか」
これは止めないとまずい。2人とも周りからジロジロ見られている。
「どうしたの、風太郎」
「待ってたぞ、橙矢。そういう訳でここは俺の席だ。残念だったな!」
「ちょっ!? まだ話は──」
うわあ、大人気ない。どう見てもイス取りゲームで勝って喜ぶ子どもだ。
「ほら、お前も早く座れ……って、おい! そこは橙矢の……」
「席は空いていました! 午前中に校内を見て回ったせいで足が限界なんです」
「いいですよ、僕は隣の席で。風太郎、その人の言う通りだ。早い者勝ちだよ」
ここは場を落ち着かせるんだ。周りの視線がキツいし、僕たちが女の子と一緒にいるとヒソヒソ声がするし。
さすがに気づいたのか、風太郎は舌打ちしているし、女の子は顔を真っ赤にしながら涙目で下を向いてしまった。
「……勝手にすれば?」
ふー、良かった。風太郎がこらえてくれた。ホッとしながら隣の席に座る。女の子のメニューがすごく豪華だ。
「いただきまーす」
「いただきます」
「……」
ああ、おいしい! おかずがあるだけでご飯の味が全く違う。
風太郎は答案用紙と単語帳を取り出して見直しを始めた。いつものことだ。
「食事中に勉強なんて、行儀が悪いですよ」
「あんたに注意されたくはない。復習のジャマをしないでくれ」
「よほど追い込まれているんですね。何点だったんですか?」
「おい、勝手に見るな!」
あっ、まずい! その答案を見るのは本当にだめだって!
低い点数を期待しているとしたら、この勉強男の思うつぼだ。
「ええと、上杉風太郎くん。得点は……100点!? わざと見せましたね!」
「あー恥ずかしい! めっちゃ恥ずかしい!」
「風太郎、それが学年トップのやること?」
「はて、何のことだか。橙矢こそ復習しないと80点のままだぞ」
いや、食事中なんだけど。何よりまじめな顔でいるのが苦しい。
風太郎のリアクションだけじゃない。女の子が口元をぷく~っとふくらませたのが気の毒やらおもしろいやらで必死に笑いをこらえていたんだ。
「く、悔しいですが勉強は得意ではないのでうらやましいです。あっ、良いこと思いつきました。せっかく相席になったんです。勉強教えてくださいよ」
「ごちそうさまでした」
「ええっ!?」
断るのも食べるのも素早いな。『
あの顔は、自分で勉強しろとか関わりたくねーとか考えてそうだ。とはいえ、相手も恥をしのんでお願いしているのに。
「風太郎、勉強で悩んでいるようだし話を聞いてあげても……」
「そ、そうです。お昼ご飯それっぽっちでいいのですか? 私の分を少し分けましょうか?」
「満腹だね。むしろあんたが頼みすぎなんだよ。太るぞ」
ちょ、風太郎さん。それはレッドカード級の言葉なんですが!
僕が1年前に同じお願いをした時の反応よりもひどいとは。
「ふ、ふとっ……あなたみたいな無神経な人は初めてです! もう何もあげません」
「どうでもいい。橙矢、悪いがらいはからメールだ。じゃあな」
「待った、それより今は謝るほうが……って、行っちゃった」
とんでもない爆弾を落としていったな。でも、たいした抗議や引き止めをしなかった僕も同罪か。
「ごめんなさい。親友がとんだ失礼を……この通り謝ります」
「えっ!? いえ、あなたは悪くありません。顔を上げてください」
「あ、ありがとう」
しかし、豪華なメニューを見つめる女の子の表情は複雑そうだ。
せっかくの食事なのに気分が台無しというのは気の毒すぎる。
「僕は別に量は気にしないから。たくさん食べたって良いと思う」
「……! ありがとうございます。でも、あなたはそれで足りるのですか?」
「うん、大丈夫。全然問題ない」
ウソです、正直もっと食べたい。お腹は正直だ。だけどお金以上の問題がある。満腹だと眠くなってしまう。
「あの、よかったら1つあげましょうか?」
「て、天ぷらを……いや、気持ちだけで十分です。何もお返しできないし」
「いえ、そんなことはありません。お願いがあります!」
あれ、いったいなんだろ? 風太郎に仕返しをしたいので手伝ってくれとか言われたら、さすがに断ろう。
「あなたが勉強を教えてください」
何を言われたか分かるのに時間がかかった。
周りのさわぎ声が聞こえなくなった。
なんだろう、このうれしさは。
以前に僕が風太郎に言ったセリフがそのまま返ってきたからか。
彼女の熱意と度胸に今になって感動したからか。
いや、一番の理由はきっと────初めて人に頼られたからだ。
「僕で良ければ。そう言えばまだ名乗っていなかったですね。
「ありがとうございます、宝条君。
風太郎みたいにうまくできるかは分からない。
でも、何事も経験だ。僕なりにやってみよう!
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「何!? お前があの女子に勉強を教えた?」
「うん、図書室でね。課題で分からないって所を少しだけ」
教室に戻り、自分の席で風太郎に何があったか説明した。
正直、思った以上に大変だった。『教わる』と『教える』って全然違う。
中野さんが「単語や文法、公式の知識が無い私が悪い」と恥ずかしそうに言った時は、必死にはげますしかできない有り様。僕の力不足なのに、気を遣わせてしまった。
これを機会に教え方について考えよう。そうと決まればまず気分転換だ。
「それなら橙矢、お前に相談が……ってトランプは後にしろ!」
むー、しょぼんとした気分をまぎらわそうとしたのに。
風太郎だって好きだろ、と思いながらしぶしぶカードケースを制服のポケットに戻す。
「ごめん。それで、いったいどうしたの?」
「実は、明日からのアルバイトで問題が──」
「みんな席に戻れ。授業の前に転入生を紹介するから、急いだ急いだ」
タイミングが悪いことに先生のお出ましだ。後で話す、と風太郎は離れていった。続きが気になるが、転入生という言葉に「まさか」と出入口に視線を向ける。
予想的中。左右の前髪に付けた星のヘアピンや目立つはねっ毛はまちがいない。「女子だ」「普通にかわいい」と周囲がざわつくなか、先生の隣にその子は立つ。
「中野五月です。どうぞよろしくお願いします」
クラスメートの反応をまとめると、中野さんはお金持ちのお嬢様が集う名門校に通っていたようだ。ふと目が合ったので、ペコリと軽く頭を下げる。
(まさか同じクラスになるなんて。あれ、でもこうなると困るのは──)
ちらっと目線を動かすと、食堂でやらかした親友は頭を抱えていた。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「風太郎……中野さんの機嫌を取るって言ってたけど大丈夫かな」
翌日の昼休み、僕は1人で食事中。いつもの席に親友はいない。
まさか、家庭教師のアルバイトで教える相手が彼女だったとは。いっしょに謝りに行こうとしたが、完璧な作戦があるからと断られた。
風太郎は家族の借金を無くそうと必死だ。父親を支え、妹を守るために。
(相場の5倍の給料は逃せないだろうけど……さびしくなるな)
今までのようにいっしょに勉強する時間は無くなるだろう。
教え方のコツを知りたかったけど、つかの間の挑戦だったか。
あ、やっと戻ってきた。作戦はうまく……あれ?
「──五月ちゃん狙いの決め手は何だったんですか~? やっぱりまじめそうだったから?」
「狙っている訳じゃないって言ってるだろ」
知らない女の子といっしょだ。昨日も同じことを思ったような。
えっと、これはどういうことだ。謝りに行ったはずなのに。
「風太郎、ちゃんと中野さんに──」
「おい、橙矢! それ以上しゃべるな!」
あわてて口を閉じたが遅かった。名も知らぬショートカットの女の子がキラリと目を輝かせる。
「中野……やっぱり五月ちゃんに用があるんだ! よし、私が呼んできてあげるよ」
「待て、余計なお世話だ。自分のことは自分で何とかする」
「ふ~ん、ガリ勉くんのくせに男らしいこと言うじゃん」
うわ、背中をバシッとやられている。風太郎の骨は無事かな。
それよりも、この様子だと完璧な作戦とやらは失敗したみたいだ。
「あ、でも──困ったらこの
「お姉さんって……たぶん俺たちと同じ学年だろ。なあ、橙矢」
学年はともかく、風太郎相手に余裕たっぷりとはただ者じゃない。中野さんの知り合いみたいだけど、何かひっかかるな。
「ふむ、それじゃあもう1人の五月ちゃん関係の子に話を聞こうか」
「えっ、ちょっ!?」
一花お姉さんと名乗った女の子にいきなり腕をつかまれた。
食事が終わっているからいいけど、どこに連れて行くつもりなのか。
「おい! 橙矢に何を──」
「ごめんね~。ちょっとこの子借りていくから」
さっぱり事情が分からないまま、ぐいぐいと引っ張られていく。
この人、周囲の視線をまったく気にしてないようなんだけど。
「みんな、お待たせ。五月ちゃんの気になるお友達だよー」
「えっ、宝条君!?」
「ちょっと、一花! 何してんのよ!」
「……五月の友達?」
「わぁ、こんにちは! どうぞ座ってください!」
あ、どうして風太郎が謝れなかったのか分かったかも。
中野さんが1人の時を狙っていたのに、4人も女友達がいっしょだった。それで退散しようとしたら、この一花さんにからまれたのか。
「あれ、どうしたのかな? お姉さんに見とれてないで座るといいよ」
「良いんですか? そちらの方の席が無くなるんじゃ……」
「私なら大丈夫です! 落とし物を届けに行きますから」
ニコニコしながら席を空けてくれていたのは、ウサギの耳のようなリボンを頭につけた子。「おじゃまします」とイスに座ると、目の前の光景に僕は目を疑った。
どうして宝条君が、とあわてている中野さん。
怪しい笑みを浮かべながら席に座る一花さん。
ヘッドホンを首にかけ、無表情でじーっと見てくる子。
そして……僕のそばに立っている落とし物届け役の元気そうな子。
(この5人、なんか似ているような──)
これが風太郎と僕の学校生活を変える出会い。そしてとんでもない日々の始まりだったんだ。
初めまして、ケンドラです。
数ある作品の中から、この二次小説をお読みいただきありがとうございます。
今後とも、どうぞよろしくお願い致します。