『優しそうな人だね、風太郎のお母さんって』
『お前……』
去年、風太郎の家で写真立てに初めて手を合わせた時だった。顔を背けながら「嫌とは言ってないだろ」と友達がぶっきらぼうにつぶやいたのは。
あの時は兄の態度を注意するらいはちゃんに、ガハハと笑う父親の勇也さんとなかなかのカオス状態だった。
今日も、いつものように正座して祈ろうとしていたんだけど──
「はーい、橙矢さん。動かないでね」
「……ゆ、油断した」
目の前には静かにほほ笑む上杉兄妹の母親ではなく、満面の笑みで右手にハサミを持つらいはちゃんがいた。
何をされるかは分かっている。もう覚悟を決めるしかない。
「安心してよ、お兄ちゃんで慣れてるから。
そうだ! どうせなら同じようにする?」
「いや、大丈夫!
逃げないから、前だけでお願い!」
ええーっと不満そうだけど、絶対にゆずるもんか。
「残念。気が変わったらいつでも言ってね。
せっかく女の子の友達が5人もできたんだから」
「えっと……それってどういう意味?」
「ダメだよ、橙矢さん!
そこはお兄ちゃんみたいになっちゃダメ!」
げっ、ハサミが迫ってくる。
逃げるな、目を閉じるな──
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「あっ、いたいた! お兄ちゃんたちだ」
「あーあ……これ気に入ってたのに」
鬼のお面を取るとまわりの屋台や
らいはちゃんと先に花火大会の会場に来たけど、意外に早かったな。
「みんな、宿題お疲れさまー!
お兄ちゃん、こっちも全部うまくいったよ」
「これで少しはテストも満点に近づくかもな」
言ったなー! ようし、来月の中間テストでびっくりさせてやる。
「風太郎、ありが──」
「わーっ! 宝条さん、前髪切ったんですね!」
テンション高いな、四葉さん。
そういえば、5つ子裁判で前髪を払った時には用事でいなかったっけ。
「らいはちゃんが切ってくれたんです」
「へえ、良かったじゃん。
これは五月ちゃんの反応が楽しみですなー」
「は? 一花、何言ってんの?
妹ちゃんの腕が良いだけでしょ」
5つ子裁判の時も五月はドン引きしてたじゃない、と二乃さんがズバッと言ってきた。
「二乃、トーヤは料理をほめてくれたのに」
「なっ……!?」
三玖さんの言葉はすごい。嫌そうな顔があわてたような表情になっている。
というか、五月さんの前でこんな話をしても……あれ、そういえば姿が見えない。
「ふん! マイナスからゼロになったって所ね」
「二乃、きびしいよー」
「ああもう、四葉まで!
屋台に行くんじゃなかったの?」
「そうだった! らいはちゃん、いっしょに行きましょう!」
あっという間に4姉妹とらいはちゃんが人混みの中に消えてしまった。
風太郎は大きくため息をつきながら、
「風太郎、いろいろありがとう」
「俺は裁判の借りを返しただけだ。
礼なら、らいはに言ってくれ」
「もちろん、自転車でここに来る間に言ったよ」
返ってきた言葉が「お礼なんていいよ。これからもお兄ちゃんとずーっと友達でいてね」だったからなあ。
散髪代さえ受け取らなかったし。僕が小6の時にそう言えたか?
「それならいい。予定が狂って最悪だったが、少し気が晴れた」
「勉強をやれるだけ進めたかったんだね」
「ああ。なんで俺は花火大会なんかに……」
思い通りにいかない、と風太郎ががっくりとうなだれた。
何とか元気づけようと鬼のお面を被っておどけたポーズをとる。
「バカ、そんなので笑うのは四葉くらいだ」
「うーん、ひょっとこにすれば良かったかあ。
でも来年は受験で忙しいし、今日くらい──」
「2人とも、何をしているのですか?」
ん? 誰? どこから声がしたんだ?
「あ、あんまり見ないでください」
「誰だ? 橙矢はともかく、お前らが髪型を変えるとややこしいから困るんだが」
「なっ!?」
おそるおそるお面を外すと、食べかけのフランクフルトを手にした人がいた。
あの星形のヘアピンに、鮮やかな赤の浴衣……ということは。
「何ですか、その言い方は! 私は──」
「五月さん、浴衣の着付けが間に合って何より」
「えっ……」
あ、あれ。間違えた?
いや、そんなはずはない。確実な根拠が2つもあるのだから。
「あ、合ってます。五月です。
宝条君、その前髪は……」
「切ってくれたんです、らいはちゃんが。五月さんも夏っぽくまとめて気合入ってるじゃないですか」
「……! ありがとうございます」
なぜか五月さんは後ろ髪をいじりながら下を向いてしまった。
でも、よかった。髪型を変えた人が他にもいるのはホッとする。
「なあ、橙矢。何で五月だと分かったんだ?」
「うん、それは──」
「お姉さんたちは見てたよー」
花火大会の日程を見ている三玖さんに、一花さんが後ろから抱きついている。
どうやら屋台でお目当てのものはまだ見つからなかったらしい。
「トーヤ君、五月ちゃんだと気づいたでしょ。
やっぱりフランクフルトを食べてたから?」
「いえ、ヘアピンと浴衣で分かりました」
はねっ毛や食べ物以上に、ヘアピンは決定的だったな。
もちろん浴衣も決め手になった。他の4人は赤が目立つ色や柄じゃなかったし。
「やるじゃん!
でも、ちょっとほめ方が
「むむ……」
もっと力を抜きなよ、と肩をポンポンとたたいて一花さんは風太郎の方に向かっていった。
髪型をほめないといけない、女子に興味を持とうとアドバイスしている。
(前髪以外にも、臆病なところがあったんだな)
5年前に『家族』を失言で傷つけ、そして去年には学校で騒ぎを起こしたことが今も重くのしかかっている。
後者は上杉一家のおかげで救われたけど……
「──ドキドキなんてしてないぞ」
「えー、本当に? 少し無言だったよ」
ハッと顔を上げると、一花さんが何やらからかっている。
食堂で初めて会った日のことを思い出すな。
「あいにくだが俺は知ってる。
お前がどっちだろうと、どうでもいい」
「もう、ノリ悪いなあ。
じゃあ、トーヤ君にも聞いちゃおっと」
いやな予感。だけど、やられっぱなしの僕ではないぞ。
さあ、どんと来い。風太郎みたいに動じず対応してみせる。
「ねえ、トーヤ君は興味ない?
浴衣って本当に下着を着ないのか」
小声とはいえ、何てこと聞いてくるんだ。
近くに三玖さんと五月さんがいるんだけど。
「僕は浴衣を着たことが無くて……別に気にはなりません」
よし、我ながらうまくかわせた! 僕だってやればできるんだ。
ノリが悪いとか、つまらないとか言われようが問題ない。からかわれてあたふたしなければ、それで良し。
これで僕の勝ち──
「えっ、興味無いの? 本当にー?」
「ぶっ!? な、何を!?」
テスト返しの時に一花さんの部屋で経験した『からかい
何を思ったのか、チラッと浴衣の胸元のあたりをめくってきたんだけど。
「あはは! すごい、耳まで真っ赤だよ。
そっぽ向いてないでさ、確認してみない?」
「そ、その手には乗りません。
確認は勉強や宿題で十分です」
この余裕さはどこからくるのか。やっぱりお金持ちだし4人も妹がいるからかな。
「宿題と言えば……給料の問題は分かった?」
「
雇い主の中野さんに伝えたのはきっと──」
待って、と一花さんがストップをかけてきた。
二乃さん、四葉さん、らいはちゃんが戻ってきて全員そろったからだろう。
「その続きは『心当たりがある人』に言いなよ。
正解しているといいね、トーヤ君」
5人分の金額を渡した理由も考えて、とウインクしながら一花さんは離れていった。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「一花、何してんの? はぐれちゃうわよ」
「ごめーん。ちょっと電話」
だいぶ人が多くなってきた。
二乃さんを先頭にゾロゾロと歩いているけど、はぐれたり転んだりしないようにしないと。
宿題について考えている場合じゃないな。
「二乃、さっきからどこに向かってるんだ?」
「別にどこだっていいじゃない。
というか、何でアンタたちまでついてくるのよ」
むすっと不満そうな二乃さんに、四葉さんが駆け寄っていく。
「みんなで見るほうがもっと楽しいよっ!
だよね、三玖?」
「……それにフータローたちがいれば、余計な声掛けが無いから助かる」
よく分からないけど、風太郎が役に立っているなら何より。
「私は最悪なんですけど。イケメンから声がかからないから」
「二乃、まさかとは思いますが……」
「分かってるわよ、五月。
今日は5人そろって花火を見るんだから」
邪魔だけはしないで、と二乃さんが強い口調で風太郎と僕に向かって言ってきた。
「約束します。宿題を終わらせたんだから。
そうだよね、風太郎?」
「ああ、俺も妹と来ているだけだしな。
らいは、あまり離れるな。服でもつかんでろ」
あっ、さすが兄貴。らいはちゃんもうれしそう。
「はーい。ねえ、お兄ちゃん!」
「どうした?」
「これ見てよ。四葉さんが取ってくれたの」
金魚すくいの達人が身近にいた。どう見ても10匹以上は袋に入ってるよ。
みんなと合流する前に僕も挑戦したけど、結果はゼロだった。
「どう飼うんだ。四葉、もう少し加減をだな」
「あはは、つい……不思議とプレゼントしたくなっちゃうんです」
「それに、花火まで買ってくれたんだよ!」
一番いらねえだろ、と風太郎があきれた声でツッコミを入れた。
「まあまあ、風太郎。花火大会が終わっても楽しめるじゃん」
「全く……四葉お姉さんに礼を言ったか?」
「えへへ、四葉さんありがと! 大好きっ!」
効果はバツグンだ。らいはちゃんにギュッと抱きしめられた四葉さんは──
「~~っ! あーん、可愛すぎます! 私の妹にしたいです」
「四葉さん、顔くすぐったいよー!」
「もっとこうさせてくださ……あっ、そうです! 私が上杉さんと結婚すれば合法的に
言ってることは間違ってないけど、爆弾発言が飛び出した。
二乃さんと五月さんは目を見開き、三玖さんはスッと目線を下げてる。
「自分で何を言ってるか分かってる?
上杉も四葉に変な気起こさないでよ!」
「ねえよ!……っと、すまん。三玖」
「い、いい。大丈夫」
いろいろ話してたけど、少し動いただけでも人にぶつかるくらいに混んでいる。
うん、一花さんもいるし全員そろっているな。
「屋台が近いけど、ここで花火を?」
「トーヤ、ここじゃない。
二乃が店の屋上を借り切っているから」
「と、特等席……」
「お前らが金持ちなのはよく分かった。
そういうことなら、さっさと行こうぜ」
同感。屋台が気になるけど、さすがにこの人混みはきつい。
バッグを持ってきていなかったら絶対に宝物を落としてた。
「待ちなさい。せっかくのお祭りなのよ。
みんな、アレも買わずに行くわけ?」
アレってなんだ。お面と金魚と花火じゃないことだけは分かる。
「あ、何が言いたいか分かるよー」
「そういえば買ってない」
「早く食べたいなー」
「やってる屋台ありましたか?」
何のことやらと風太郎とらいはちゃん、僕は「?」状態。
せーので同時に言うようだけど、5人全員お気に入りの物が何なのかは興味が──
「焼きチョコかき人形リンゴ焼きバナナ
今、何て言った? 聖徳太子なら聞き取れるかもしれないが。
何よりびっくりなのは5つ子が「分かった」という顔をしていることだ。
「全部買いに行こーっ!」
「橙矢、本当にあいつら5つ子か?」
ま、まあ選択科目だって見事にバラバラだったらしいし。
留守を風太郎たちに任せて、僕も屋台に行ってみることにした。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「ハフハフ……たい焼きうめえー!」
何を買おうかと悩んだけど、これだとビビッときた。風太郎やらいはちゃんの分も買ったし、すぐに戻ろう。
あれ、そういえば風太郎は生魚が嫌いだった気が……まあいいか。見た目はともかく味が違うし。
(ん? あの目立つうさ耳リボンは……)
なぜか立ったまま動かない後ろ姿が見えた。
みんなと別れた場所はすぐそこなのに。何かあったのかな?
「四葉さん?」
「わあっ!? あっ、宝条さん」
びっくりさせてしまったか。人混みでうるさいから、聞こえるように声を張り上げたのが逆によくなかったのかも。
それよりも問題なのは──
「ご、ごめんなさい。
チョコバナナが……」
驚いた弾みで落ちてしまった。見るも無残な姿になっている。
すぐに買ってくると走ろうとしたが、四葉さんが止めてきた。
「いえ、いいんです! 大丈夫ですよっ。
つい多く買っちゃって食べきれなかったんです」
そういう訳には、と落ちた食べ物をティッシュで包む。
台無しにした以上、何かしないと気が済まない。
「本当に大丈夫です。
別に気にしていませんから」
ちらっと四葉さんが視線をずらした。その先を見ると風太郎とらいはちゃん、それに三玖さんがいる。
小さくてよく見えないけど、三玖さんが2人に何かを渡しているみたい。
「先に戻っていたみたいですね。
他の3人はまだだから、やっぱり
「それよりも宝条さん……聞いてもいいですか?」
「え? ええ、どうぞ」
何だろう。気のせいか、さっきと雰囲気がかなり違う。
「宝条さんから見て、三玖は──」
果たして四葉の『聞きたいこと』とは!?
次回は風太郎が、そして橙矢が花火大会の会場を走り回ります。
誰が誰を見つけるのか。まさかのトラブルに家庭教師コンビは……