校舎を飛び出して、風太郎と三玖さんを見つけた時はパニックになりかけた。何しろ、
(ま、まさか──)
目の前がぐらっとしたが、何とかこらえた。
落ち着け、今はこの汗だくの2人を何とかしないと。9月の夕方とはいえ、まだまだ暑い。
「と、橙矢……抹茶ソーダと麦茶……頼む」
「分かった。少し待って」
抹茶ソーダって何だ、と聞きたいが自販機に急ぐのが先だ。中身がさびしくなった財布と飲み物を持って、ダッシュで2人の所に向かう。
「風太郎、これでいい?」
「すまん。三玖には俺が渡すから両方くれないか」
「いいけど、何かあったら今度は僕が止めるよ」
もっとも、追われた当人が逃げずにベンチに座っているから少し安心。怖がっている感じじゃないし……あれ? いつの間にタイツを脱いだんだ?
何か急に暑くなったような……いやいや、何考えているんだ。注目するところはそこじゃない。
三玖さんに近づく風太郎を見守っていたが、キンキンに冷えた抹茶ソーダの缶をほっぺたに当てて驚かせている。なんだ、僕の早とちりだったのか。
「すまん、三玖。だが安心してくれ。
俺や橙矢の鼻水なんて入ってないぞ」
ちょ、いきなり何を言い出すんだ。抹茶ソーダに鼻水なんてきたな……ん?
抹茶──鼻水──そして、にやりと笑う風太郎。
なるほど、日本史の本で探していたのはそれか。
「全く、苦労したぜ。石田三成が大谷吉継の鼻水の入った茶を飲んだエピソードから取ったんだろ?」
「フ、フータロー!」
得意そうに話す風太郎に、三玖さんがあわてた様子で声をかけた。なぜか、僕のほうに視線を向けてきている。聞かれたくないかのように。
「心配するな、橙矢は大丈夫だ。お前を笑ったり否定したりなんか絶対にしない」
「だけど……」
「根拠はある。橙矢、この逸話を知っていたな?」
えっ、何で分かったんだ!? 日本史が得意ということしか言った覚えはないのに。
「やっぱりな。鼻水と言った時の顔でバレバレだ。最初は驚いていたが、隠す気ゼロの笑顔だったぞ」
「トーヤ、そうなの?」
目を見開いた三玖さんの食いつきぶりに戸惑いながらも、こくりと頷いた。やっぱり日本史が得意だったのか。
「だけど、答えを見つけたのは風太郎です。図書室に行けば分かるから」
「ふーん……ちゃんと調べたんだ」
「まあ、最後は四葉に携帯で確認してもらったが。いやー、いんたーねっとってやつはすごいな」
あれ、そんな方法で調べるなんて意外だな。でも大丈夫か? 頼ったことがマイナスに見られないといいけど。
「四葉に私が武将好きなことを話したの?」
「いいや。だが姉妹にも隠すことないだろ。誇るべき特技だと思うが」
同感だ。もし四葉に言ったなら絶対に許さないというような表情になるなんて、よっぽど知られたくないのか。
「姉妹だからこそ言えないよ。5人の中で私が最も落ちこぼれだから」
「そんな自信が無いようなこと言うなよ。卒業試験だって三玖が最高得点だったじゃないか」
お前も何か言ってやれ、という目で風太郎が見てきた。えっ、えっと……じゃあえんりょなく。
「学年トップが知らない逸話を三玖さんは知っていた。そしてリベンジに燃えさせた。自信を持っていいことだらけです」
思わず言ってしまったのが運の尽き。ハッと気づいた時には風太郎が
「橙矢、お前だって『
「なっ……そ、そうだよ。ひらがなでごまかしましたけど何か?」
「笑われてたんだが。5つ子の誰かに」
自分でも顔がカーッと熱くなったのが分かった。やんのか補佐役、上等だ家庭教師という感じの雰囲気だったけど三玖さんが静かに口を開いた。
「優しいね、フータローもトーヤも。でも何となく分かるんだよ。私なんかにできる事なら、他の4人もできるに決まってる……5つ子だもん」
初めて三玖さんの笑顔を見た。だけど、違う。うまく言えないが無理していることは分かる。
五月さんを説得した時に使った奥の手の出番か。でも余計な口出しはできないと
「橙矢、一時休戦だ。
お前の卒業試験の答案があったら貸してくれ」
「待ってたよ、その言葉」
渡した答案を、風太郎は素早く手に取ってじっと見ている。数秒後、なるほどなと笑みを浮かべた。
「ほめてくれたのは嬉しい。
だけど、2人とも私に教えるのは諦めて」
「三玖、それはできない」
「僕も同じく」
ギブアップなんてしない。ここであっさり引き下がるなら、風太郎は必死に調べたり追いかけたりしていないはず。
卒業試験の点数を知った時の弱気な顔じゃない。
「俺たちはお前ら5人の家庭教師だ。何と言われようが勉強させる。全員笑顔で卒業してもらうぞ」
「勝手だね。でも、この前のテストの点数を見たでしょ。5人合わせて100点だよ。合格点どころかトーヤの半分にも届いてなかった」
これには風太郎も「確かに」と頭をかきながら認めた。
僕は1年前の自分を思い出して落ち着いていられたけど、いつも満点をキープしている優等生にはかなり衝撃だったはずだ。
今だって5人とも問題児だの、教えるのは無理と思っただのと本音をぶちまけている。
「だがな、三玖のおかげで自信がついたぜ。5つ子だからお前にできることが他の4人にできる──なら逆も言える」
いいぞ、感情だけではなく理論で説得するつもりなんだな。
「つまり、他の4人にできることは三玖にもできるということだ」
「そ、それは……でもそう考えたことなんて……」
「これを見てくれ。卒業試験の結果だ。何か気づかないか?」
三玖さんに目線を合わせるためにしゃがんだ風太郎の後ろから、テスト結果が書かれたメモ用紙をのぞきこんだ。
バツ印ではなく、正解の丸印を見てみると……
「あっ、正解した問題が1問も被ってない」
なるほど、風太郎の口からではなく本人に気付かせるとは。僕だったら、正解した問題が被っていなかったと自分で言ってしまう。
これが勉強を教える自信と覚悟を持った人の姿ってやつなのか。
「そう、確かに今はまだ平均20点の問題児だ」
「……うん」
「だが俺はここに可能性を見た。1人ができることは全員できる。一花も二乃も四葉も五月も──そして、三玖も。全員が100点の潜在能力を持っていると信じているんだ」
すごいな、本当に不思議だよ。うまく言えないけど、つい引き込まれてしまう。
「それに三玖、橙矢の半分にも届かない点数だと言ったな。だが完全に負けているわけじゃない」
ここで僕の答案の出番か、と風太郎を見るとニヤッと笑顔を返された。
くやしい気持ちはあるけど、三玖さんを元気づけられるならいいか。
「どういうこと、フータロー?」
「橙矢が間違っていた問題は5問。それをお前ら5人が1問ずつ正解していたぞ」
風太郎は5つ子のテスト結果が書かれた紙に『橙矢』と新しい項目を書き込んだ。さっき受け取った答案を参考に、僕が不正解だった5問にバツ印をつけていく。
「ほ、本当……」
「たった1問だけと思うかもしれないが、大きな1問だぞ。お前は橙矢に勝っている所がある。そして点数だって伸ばせるんだ」
分かってもらえたか、と風太郎が期待するような様子で三玖さんを見ていたが──
「こじつけだね。夢物語すぎるよ」
ばっさり言われた。そっぽを向いているのでどんな顔をしているのか分からない。無言で抹茶ソーダを口にしている。
「本当に……5つ子を過信しすぎ」
小さな声だったけど、確かにそう聞こえた。
別にいいだろ、と少し顔を赤くしながら風太郎は麦茶を飲み始める。鬼ごっこだけではなく話し続けたせいか、のどの渇きも限界だったらしい。
僕は何とか説得が成功するよう祈るしかなかった。三玖さんが飲み終わって立ち上がるまで、どれだけドキドキしていたことか。
「フータロー、少し考えさせて」
「そうか、待ってるからな」
「うん……トーヤ、飲み物ありがとう」
「どういたしまして」
ゆっくりと歩く三玖さんの姿が小さくなると、ふーっと息を吐きながら風太郎がベンチに腰を下ろした。お疲れ、と声をかけると「ああ」と一言。
「後は三玖がどう考えるかだな」
「5つ子理論はグッときたよ。必死に逸話を調べて、全力で追いかけたんだ。いけるって」
もっとも2人が走っているのを見て、良からぬ想像で早とちりしたヤツがここにいるけどね。
誤解してしまったと伝えて頭を下げると、おいおいと突っ込まれた。
「武将しりとりで勝負していたんだ。逃げた三玖を追っていたら……って、お前見てたのか?」
ベランダで一花さんと見ていたと正直に話すと、風太郎が頭を抱えた。
からかわれると思っているのだろう。気の毒に、と思った瞬間──
「いたいた! トーヤ君、お姉さんを置いていくなんてひどいなー」
「上杉さん、三玖はどこです? 説得はうまくいきましたか?」
バタバタと足音がして、一花さんと四葉さんが駆け寄ってきた。
風太郎は麦茶を飲んで四葉さんの質問攻めをごまかし、僕は意地でも一花さんを見ないようにしていた。だって「暑いー」と胸元を開いた制服姿で手をパタパタさせていたから。
(三玖さんの悩みは黙っておこうよ)
視線だけで伝わるか心配だったけど、風太郎はうなずいてくれた。
もっとも、話そうとしない僕たちに2人は納得がいかなかったらしい。この場を離れようと思ったのか走り出した風太郎を四葉さんが超スピードで追いかけていった。
「四葉さん、はっや……じゃあ僕も失礼します」
「逃がさないよ、トーヤ君」
こそこそと逃げようとしたが、むんずと腕をつかまれた。あれ、前にもこんなことがあったような気がする。
「いろいろ聞きたいんだよねー。
ちょっと付き合ってくれるかな」
「いいですよ。でも三玖さんに聞いたほうがいいことは答えられません」
「えーっ、ケチ!」
僕の口から言うのは荷が重いんだよ。
まさか、三玖さんの姉妹にも言えない悩みを聞くことになるとは思っていなかったから。一花さんが妹を心配しているのは分かるけど。
「教えてくれないなら、復習ノートとこの『カード』を捨てちゃうぞー」
「なっ、そこまでやるんですか!?」
何というしたたかさなんだ。この小悪魔的な笑み……まさに『ジョーカー』だな!
こうなったら、話してもいい内容を慎重に考えよう。三玖さんの悩みは何としてもしゃべるものか。
もし話した時には、切腹だ。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「はあ……結局、今日は来なかったか」
翌日、他にだれもいない放課後の教室で風太郎がため息をついていた。
やっぱり三玖さんがいつ来るか気にしていたようだ。しかし、来るどころか教室や食堂で会うことすらできなかったらしい。
「大丈夫、まだ断られたと決まった訳じゃないさ」
「別に諦めたわけじゃない。
ダメだったら次の手を考えるだけだ」
勉強道具をかばんに入れて、風太郎は教室から出て行こうとしている。昨日、追いかけてきた四葉さんに「宿題を見てやる」と言ったらしい。
「橙矢」
「どうしたの?」
「……いや、五月の説得はよくやった。任せたぞ」
うん、と答えたけど風太郎の姿が消えたとたん不安になってきた。
三玖さんが来なかったことで、指導が荒っぽくなりはしないか。
(暗く考えるな。風太郎と三玖さんを信じろ)
とにかく、五月さんとの勉強に集中しよう。転入してきたばかりなのに、授業で分からない所は先生にすぐ聞きに行くくらい熱心なのだ。負けてはいられない。
「宝条君、お待たせしました。遅くなって申し訳ありません」
「いえ、大丈夫です。じゃあ始めましょうか」
ほっぺたを叩いて気合を入れる。前回は卒業試験で僕が間違えた1問と、2人とも間違えた4問を中心に復習した。
今日はいよいよ残りの問題の見直しだ。
「採点をお願いしてもよろしいですか? 私なりに復習して解き直したので」
「うん、任せてください。どれどれ──」
陶晴賢……文選……排他的経済水域……うん、正解だ。五月さんの心配そうな視線を隣の席から感じながらも赤ペンで丸をつける。
この調子なら風太郎に「ちゃんと復習した」と堂々と言えるぞ。
「前半は言うことありません」
「あ、ありがとうございます! でも途中から時間が足りなくなって……全て答えを書くのにかなりかかってしまいました」
そうだったんだ。あるある、1問でも答えに詰まるとじっと考えこんでしまう。
「五月さんのことだから、何か対策を考えているんじゃないですか?」
「ええ、次は時間を決めて解ける問題から答えていこうかと」
「良い答えです。じゃあ見直しだけど、惜しかった問題から──」
突然、ピロリンと音がしたので2人そろってビクッとした。何の音だと一瞬思ったけど、よく考えると携帯のメール着信音じゃん。
「宝条君、携帯に出なくても良いのですか?」
「気になるけど今は五月さんが作ってくれた勉強時間です。1分1秒たりとも無駄にはできません」
少しの間ぽかんとしていた五月さんだったが、口元に手を当てて笑い出した。
「でも重要な連絡かもしれません。確認したほうが安心ですよ」
「そうですか……じゃあお言葉に甘えて」
席を立って歩きながらメールを確認する。送ってきたのは、やはり風太郎か。
急に心臓が高鳴ってきた。もしかして──
『橙矢、喜べ! 三玖が図書室に来てくれたぞ! お前に伝言だ。武将の知識では負けない、よろしく……だとさ』
読み返すたびに、じわじわと嬉しさがこみあげてきた。やったな、風太郎。そして……ありがとう、三玖さん。
「やったーっ!」
「ほ、宝条君!?」
風太郎が説得に成功したことがここまで嬉しいなんて。正直、バンザイやガッツポーズだけじゃ足りないよ。
「急にどうしたのですか?
驚かさないでください」
「あっ……ごめんなさい。つい」
いけない、今は五月さんと勉強中だったんだ。喜びを爆発させるのは後で風太郎と会った時に思う存分やればいい。
「失礼。では惜しかった問題からいきましょうか」
「はい、お願いします」
「例えば、世界の四大文明についてだけど他に考えた答えは──」
風太郎が三玖さん自身に考えさせたように、何でもかんでもすぐに答えを言うのはやめよう。教える自信と覚悟を少しでも早く身に付けるんだ。
真剣そうな顔で勉強に取り組む五月さんを見ながら、強く心に決めたのだった。
前々回に続いて、今回は一花の復習ノートのカード柄が判明しました。次に明らかになるのは果たして誰なのか……
・一花 ジョーカー
・二乃 スペード
・三玖 ???
・四葉 ???
・五月 ???
次回は、究極の5つの選択肢が姉妹の誰かを襲います。風太郎と橙矢は悩み相談にどのように乗るのか、お楽しみに。