7
「法に則るって」とヒフミは返した。アズサが口にしたことは、ロジックに基づいてはいる、が、現実的ではない。確かに百鬼夜行の生徒をトレードで打ち負かせば、彼女の財産を巻き上げられるし、芋づる式に彼女が持っている情報や計画を引きずり出すことも可能だ。しかし、実際に武力を持っている人間が、ゲームに負けたからといってはいそうですかと従うだろうか? 前に先生から聞いた話だと、SRT小隊は解散させられたのに、勝手に公園を占拠してしまった。
とはいえ、自分たちが武力に対して無力だとは思っていない。アズサは可憐な身なりだが、ゲリラ戦のエキスパートだし、ヒフミも戦闘用ペロロ術をマスターしている身でもある。なにより、こちらには先生がいる。ヒフミたち現場の人間ではわからないことを、即座に見抜いて指示を出してくれる司令塔だ。ヒフミたちは先生の助力を得て始めてチームとして動くことができる。
それに、ペロロショップのオーナーを甘く見ているわけではない。彼女はナリこそダウナー系だが、胸から提げた〈&ペロロ〉のエプロンが示すように、かなりの実力者だ。百鬼夜行の動向を彼女に知らせておけば、かなりの警戒を持って事態に当たってくれるだろう。店内にたむろするライバルもまた無視できない要素だ。彼女たちは当初、ヒフミのペロロ様グッズを狙っていた。つまり欲しいのはグッズなのだ。百鬼夜行が攻めてきた時も、グッズを守ることを前提にすれば、彼女たちは積極的には敵対してこないだろう。
そうだ、先生。先生はいまどうしているだろう?
自分の考えがそのまま顔に出ていたのか、「先生はそろそろ店に入ってくると思う」とアズサがいった。
「外を一人でうろつくのは危険だからな。私たちと一緒にいたほうがいい」
「うん。……ところで、先生ってあのオーナーさんとも知り合いかな?」
「オーナー?」
アズサがキョトンとした。
「さっき、ゲームの仲介をしていた人か? 私は知らないが」
「うん。先生、外に知り合いが多いから」
「かもしれない。……ふふっ」
なぜかアズサが薄く笑った。
「先生なら、あのチセとも、オーナーとも知り合いかもしれないし……あのサムライみたいな、百鬼夜行の生徒とも知り合いかもしれないな。下手したら、店内の人間全員とも知り合いかもしれない」
ヒフミは想像する――店の階段を降りてきた先生が、チセと話し込んでいる百鬼夜行の生徒と遭遇するところを。そして、すぐにお互いを見出して、会話に花を咲かせるところを。そこにオーナーが声をかけて、別な人間も巻き込んで会話劇が始まる様子を。そこまでいくとなんでもアリになり、コハルとハナコが店に入ってきたり、ナギサ様とセイア様、ミカ様などのティーパーティーのホストが押しかけてきてシッチャカメッチャカになってしまった。
まるで舞台公演のようだ。ヒフミは声をあげて笑ってしまった。さっきまでは人生を賭けたゲームをしていただけに、脱力の感覚はひとしおだ。笑いは簡単にアズサに伝染て、二人はトイレの個室で思い切り笑った。
しばらく笑ってからヒフミは息をついた。笑いすぎてお腹が痛かったが、ここでずっと遊んでいるわけにはいかない。
「そろそろ出る?」
「うん」
二人はトイレの個室を開ける。手を洗ってからトイレを出ようとした時、向こうのドアからチセが入ってきた。
8
「あっ、ごめ~ん」と
チセの言葉が何を意味しているのか、ヒフミにはすぐ分かった。アズサが口にした武装集団を指しているのだ。トモコはあの百鬼夜行の女性で、トモコは外で待機している集団と繋がっている。ヒフミ自身は目撃したわけではないが、アズサのいうことに疑いはなかった。そしてチセの言葉によって、すべてがはっきりした。
「なんかね、トモコちゃんが教えてくれたんだけど……セキガハラ? とか、ナガシノ? のような大きなイクサが始まるから、おトイレ行ったらすぐに外に出たほうがいいって。外の子たちが来るからって」
チセがいった。ヒフミは頷いたが、別の疑問が首をもたげる。
「外の子たちってどんな子たちなんですか?」
「うーん、ヤブサメ流? っていってたかなぁ」
ヤブサメ流――先生から聞いた覚えがある。百鬼夜行連合学院には、魑魅一座という問題児集団がいる。この間、百鬼夜行連合学院で『和楽姫』という公演があったが、その公演を台無しにしようとした武力集団たちだ。その中でもヤブサメ流は、刀と弓をこよなく愛し、すぐに日本刀で試し切りしようとする、輪をかけた問題児たちだ。まさかペロロショップに手を出すとは。
「ちなみに……グッズの名称は?」とアズサが訊いた。本筋には関係ないが、ヒフミも気になる。
「うーんとねえ、トモコちゃんが、〈ペロロ・コンバット〉っていうのが良いっていってたよ。でも私は、隣のぬいぐるみの方が気になるかな~」
〈ペロロ・コンバット〉は、魔界と人間界の争いに乱入したモモフレンズのキャラクターたちが、敵対する人間や魔族をなぎ倒しながら、トーナメントを勝ち進む過酷な映画だ。透明になれる二本足のトカゲから、腕が四本あるプリンス、マスクを装着して業火を操るファイターなど、多彩なキャラクターが登場するのが特徴だ。しかし内容が過激で絵柄もかなり残酷なので、はっきりいってチセには刺激が強すぎる。
「〈ペロロ・コンバット〉はチセちゃんには難しいかもしれないし、王道のペロロ様のぬいぐるみがいいかもね」
ヒフミがいうとアズサが横でうんうんとうなずいた。
「でも魑魅一座の子たちって……そんなにお金が欲しいんですか?」
「うーん。なんか、おやつ代とか、弾薬を買うお金が足りないとかで……こことか手頃だからいっかなー、って感じみたい?」
「そうですか……」
おやつ代や弾薬は生活必需品だ。いきなり明日から着る服がなくなったら、キヴォドスの住人は大いにうろたえるだろう。
「でも、ショップの警備はヤワじゃありません。そうとう激しい戦いになると思います。他のお客さんも黙っていませんし、魑魅一座の子たちが負傷したら、百鬼夜行の評判も落ちちゃうかもしれませんね……」
「うん。みんな無事におうちに帰れるといいんだけど……」
「Vanitas Vanitatum. Et omnia vanitas」とアズサが呟いた。チセが首をかしげる。
「ばにばに?」
「すべては虚しい、という意味だ」
ちょっと言葉を切ってから、続ける。
「でも、虚しいからこそ、それにはやる価値があると思っている。というより、この世のすべてが虚しいとしても、それは単に虚しいということしか意味しないんだ。虚しいから勉強をやめようとか、虚しいからテロリズムに走ろうとか、そういう理由付けには使えない。
虚しくても……目的がなくても、友達と遊ぶことは楽しいし、銃の手入れだって気分がスッキリする。虚しくても、モモフレンズのグッズを集めることはウキウキする。別にモモフレンズのグッズを集めなくてもいい。嫌いなことはしなくてもいいし、好きなことだってそんなに熱中しなくてもいい。生活はモノサシで測定可能なものじゃないんだ。だから、虚しさというのは単なる前提で、そこから何をするかは私達自身が考えることだ。ただ虚しいことは前提として、ただそこに在るだけなんだ」
「それって、何もいってないのとおんなじじゃない?」とチセが訊いた。鋭い質問だ。が、鋭すぎる。ヒフミは焦ってアズサを見るが、彼女は微笑んだ。
「そうだな。口癖なんだ。お互い良い結果になることを祈ってるよ」とアズサがいって、ドアに手をかけた。
「そういえば、先生とはもう会った?」
「先生? うん。先生は~、あのふわっとしたぬいぐるみがいいかなって。なんだか先生、ポニーテールのオーナーの人とか、トモコちゃんとも知り合いだったみたい」
アズサが吹き出しかけたが、それを空咳でごまかすと、「なんでもない」といって外に足を踏み出す。ヒフミは頭を下げながらアズサの後に続いた。たぶん、トモコも含めて三人でお話していたのだろう。これでナギサ様やセイア様が来たら完璧だ。
9
トイレを出てからテーブル席に戻った途端に、百鬼夜行の女生徒――トモコが「遅かったな」と強圧的にヒフミたちを出迎えた。
「二人で逃げたかと思っていたぞ」
「そんなことはしない」となぜかアズサが強めに応え、ヒフミに着席を促す。トモコとチセの打ち合わせはさっき終わったようだ。チセがトイレに入ってきたのはそのためだろう。いまの構図は、オーナーとアズサがテーブルの脇に立ち、テーブルにトモコとヒフミが対峙している。ヒフミが周囲を見回すと、近くに先生が立っていた。
ヒフミは疑問を抱いた。先生の分のカードを発行してもらっただろうか? しかし疑問は、先生が首からカードをぶらさげているのを見て氷解した。そういえばオーナーと先生は知り合いだった。
先生が軽く手を振る。ヒフミは思わず手を振り返したくなる衝動に駆られたが、頭だけ下げて椅子に座った。次のゲームでトレードは完結する。トモコはもう外の集団に連絡しているだろう。彼女らが突入するならば、トレードが終わったまさにその時だ。オーナーにゲーム前に話しておくことで、味方を一人でも増やしておきたい。ヒフミが口を開こうとした時、タイミングを図っていたようにオーナーが口を開いた。送風機の風に煽られて、ポニーテールで束ねた髪の毛の下にあるうなじがうっすらと見えて、艶っぽい。
「ウチの店では」
オーナーが再びロリポップを口に咥えた。ソーダ色だ。
「私が王なンすよねえ。いや、雇われオーナーのしがない店長だってことは理解してンすよ? でも、いまこの瞬間、店におけるあらゆる権利は私が保有してるンすよ」
「……?」
ヒフミは聞き続ける。まだコヤツとかいわれたのを根に持っているのだろうか。オーナーはロリポップを舌で転がしながら器用に喋る。その目は油断なく、トモコ、ヒフミ、アズサを行き来する。
「いうまでもなく、暴力・窃盗・強制略取などの行為は厳しく禁じられており……もしあーしにバレた暁には、対象者に重いペナルティが課せられるッス。このペナルティとは……今後一切のペロログッズへの近接が禁止ってことッス。水場に近づけなくなった動物はどうなるか? 死ぬしかないっスね」
オーナーがトモコを睥睨した。トモコは毛羽立っている――とヒフミは見ていてわかる。殺気を向けられた人間はおおよそわかる。
「これは、あーしの裁量で決められる……そしてそれは、【先に抜いた方が負け】というルールでもある。今日はお客さんが繁盛してるっスねえ。お店の外にまで詰めかけている。正直、ここはラーメン屋みたいな、誰でもウェルカムな場所じゃないンすよ……それが、あっちにも、こっちにも」
「何がいいたい」とトモコが返す。だが彼女は内心で気づいているだろう。これはオーナーなりの警告なのだ。トモコのたくらみをほぼ気づいてはいるが、いまのところを手を出す気はない。しかし、タブーを破った場合はその限りではない。
オーナーは無言。トモコは歯噛みしている――ヒフミはこの件に関して何もいわないことにした。
「トレードを続けましょうか」とヒフミは代わりにいった。
「……こちらも準備は整っている。それと、次のゲームは貴様が決めていい」
「私ですか?」とヒフミはいった。確かにトレードのゲームルールはどちらが決めてもいいが、自分に振られるとは考えもしなかった。トモコの眼が、チラリと後ろのほうでグッズを物色しているチセに向く。彼女のためにも、華々しいゲームをしたいのだろうか、とヒフミは思った。確かに初心者の目に、ペロロスタンダードは若干シンプルすぎるかもしれない。
「そうだ。拙者ばかり何かするのも不公平だろう」
トモコが今度はオーナーを見た。が、オーナーは無反応。「何がいい」
「そうですねえ」とヒフミは天井を見上げた。頭の中で自分が知っているゲームをシャッフルする。ペロロ――ペロロジラ――水着を着たアズサ――カード――
一つ思いついた。
「じゃあ、カードめくりにしましょう」とヒフミは切り出した。さっきまでのトレード用のカードをカバンにしまい込み、自分が持っているトレーディングカードと混ぜ合わせていく。そして四枚を抜き出すと、更にシャッフルした。
「ルールはさっきより難しいかもしれないですね。カードは四枚です。二枚引いてください。この中に一枚、SSレアが入っています。キラシールが貼られた親ペロロ様ですね。もう一枚、ウルトラレアが入っています。こっちは先生」
ヒフミはシュッと音を立てて、親ペロロと先生のイラストが入ったカードを取り出した。先日、百鬼夜行連合学園に赴いた先生が、やけに一生懸命にカードめくりをしていたという話を聞いて、思いついたのだ。今回ヒフミが用意したのは親ペロロと先生である。許可とかは取っていないが、個人で使うものなので、たぶん大丈夫だろう。トモコは「わかった」と頷いた。
「この二枚のカードを引いたら勝ちです。残りの二枚は、それぞれコモンカード」
ヒフミが次にシュッと音を立てて取り出したのは、ミレニアムの生徒とゲヘナの生徒が入ったイラストである。こっちはショップで売られていたカードを流用した。
ヒフミはそれぞれ四枚をシャッフルし、重ね合わせ、また引き離しては混ぜていく。勝負はフェアに。
「ルールをおさらいしましょう。この中からウルトラレア、SSレアを二枚引けばそちらの勝ち。逆に、コモンを二枚引いたらそちらの負け。コモン一枚、SSレア一枚でも負けです。要するにコモンを引いた時点であなたの負けになります」
「さっきのカード引きよりも、だいぶ複雑じゃないのか」
トモコが口を尖らせる。チセを考えていても損得勘定はハッキリしているようだ。
「拙者は二回も賭けに勝たなきゃいけない。アンフェアだな」
「では、私の財産も出す」とアズサがいった。ヒフミは思わずぽかんとしてしまった。声が出せないでいると、「そうすればそちらの取り分は二倍になる。それから、いま使っているカードも差し上げる。それなら問題ないだろう」
「アズサちゃん、そんな……」とヒフミがいうと、アズサが軽くガッツポーズした。
「大丈夫だ、私のサバイバル技術を甘く見るな。二人なら乗り切れる」
(それは私の負けを想定しているのでは……)とヒフミは思ったが、特に発言はしなかった。ゲームに入ろうとするとトモコがいう。
「待ってくれ。ゲームの前にこちらでもカードを改めさせてくれ」とトモコが手を上げた。
「そちらにイカサマをされた場合、対応ができないと困る」
「いいでしょう」
ヒフミはシャッフルしていたカードを重ねると、トモコに差し出した。しげしげとそれを見やる。その瞳の中には警戒心だけではなく、カードに対する欲望が現れているのをヒフミは発見した。コモンのカードには関心がないが、先生のカードと親ペロロのカードを見る手付きには、それなりの欲望がある。
「すべすべした手触り。なめらかさ。良いな」
トモコがひとりごちる。理屈ではなく、感情としてもトモコは先生に近い――先生はヒフミと同じぐらいトモコとも近いのだ。このキヴォドス中のすべての女性と知り合いなのではないか、というやくたいもない考えが訪れたので、その心根を振り切るためにヒフミは問いかけた。
「ペロロ歴は長いんですか?」
考えてみれば最初に聞いて当然の質問だった。相手の沼ぶりや状況を聞くにはこれが手っ取り早い。
「だいたい五年かな」とトモコ。
「そうなんですね。私の同じぐらいです。……トレードしてなかったら、どこかで知り合いになっていたかもしれませんね」とヒフミはいった。
【トレード】は聖なる戦いであり、すべてを奪い尽くす儀式である。相手が滅ぶか自分が滅ぶかしなければ勢いは止まらない。儀式に臨んだ時点で平和的な解決策は消滅している。すべてはペロロのためであり、ペロロのためならばペロロが許可を下す。
「応」
「では、始めましょうか」とヒフミはいった。トモコからカードを返してもらうと、細工された形跡がないか確認し、再びシャッフル。場に緊張がみなぎる。オーナー、アズサ、先生が見つめている。おそらく店の外では魑魅一座・ヤブサメ流が待機している。ゲームの趨勢を見守りながら。
「ベット」とヒフミはいって、カードを机に出した。
ここからは二人きりの決闘になる。
10
ヒフミはカードを机に広げながら、トモコの動向を魑魅一座・ヤブサメ流はどうやって確認するのだろうと考えた。
店内での携帯端末による写真・動画の撮影は禁止されているが、X線などの高度なチェック体制は敷かれていない。そもそも〈スカイペロロ〉が個人同士の信頼で成り立っている。そうでなければ、ブラックマーケットでこうして個人店を開くことは難しい。
あるとすれば、トモコに盗聴器やカメラを仕込む方法。パッと見では判別できないが、服の隙間やヘアピンなどに巧妙に隠されているとすれば、すぐに見分けることは難しいだろう。もちろんそんな機器はオーナーに発見された時点でペナルティの対象になる。ヒフミが知りたいのは、トモコがリアルタイムで魑魅一座を取り合っているかどうかだ。もし魑魅一座からトモコに連絡がすぐ行くようであれば、トモコがまっとうな精神を持っていようとも、彼女はイカサマをしていると見なされる。少なくともオーナーはそう判断するだろう。
向こうにはちょうどよくチセがいる。陰陽部のアイドル・チセだ。ヒフミは身を乗り出すと、トモコに向かってささやくように口にした。
「やーいやーい、チセちゃんの……いじわる!」
「……!」
それを耳にしたトモコが瞬時に顔まで真っ赤になる。おそらくヤブサメ流がこれを耳にしているならば、盗聴用のヘッドホンをかなぐり捨てて激高しているに違いない。が、いまのところ向こうからの返事はない。
「チセちゃんかわいい、チセちゃんの香りを吸い込みたい、チセちゃんのお腹はすべすべで、お腹をぺろっと舐めてアイスのように味わいたい……チセちゃんのうなじをくんくんしたい……どうですか?」
ヒフミはヤブサメ流を挑発する言葉を繰り出す。ハナコがたまに口にする文言をリミックスしたものだ。あと、コハルがたまに読んでいる本の内容も取り入れた。
「ふ、ふしだらめ」とトモコは別な意味で顔を真っ赤にし、腕組みをする。アズサとオーナーも心なしか頬を染めている。なぜか近くにいる先生も顔を赤くしている気配があり、ヒフミはだんだん恥ずかしくなってきた。
(あれ……私……すごいこと、いっちゃった?)
「なにしてるの?」と耳にしていたらしい、当人のチセが割り込んできて、ヒフミはわっと驚いてしまった。
「アイスとかいってたけど、食べる?」ニュッとチセが差し出したのはアイスバーだ。ヒフミはお礼をいって受け取ると、チセはにこっと笑顔になり、「おいしく食べてね」といってから、またグッズを見に行ってしまった。ぬいぐるみのコーナーを見ているようだ。
ともかく、ヤブサメ流の動きはない。トモコもヒフミの発言を受けて顔を赤くするだけで、不正に走るとか、指示を仰ぐような動きはなかった。ひとまず、ヤブサメ流が情報を耳にしていたとしても、即で動くようなことは少ないということだ。それに、もしトモコに妙な動きがあればオーナーが感づいている。
一息ついて顔の赤みを取り去ってから、トモコは再び机に集中する。盤面をにらみつけるように集中する様は将棋のようだ。将棋についてルールしか知らないヒフミだが、凄腕のプレイヤーは盤面を見ながら、千手先まで読むのだと聞く。それはつまり、盤面を一手一手リアルタイムで想像しながら、立体的に駒を動かしていくことである。ヒフミはペロロフィギュアで遊んだことがある。そこで、色違いのペロロ様を十二体揃えて、それぞれに全く異なった動きをさせながら、二時間近く続けることを想像してみる。しかも、それを最新式のカメラで、視線をグリグリ動かしながら、である。いくらヒフミがモモフレンズのマニアとはいえ、途中でギブアップするだろう。できる人の方が少ない――例えば先生のような。
先生。先生はどうしているだろうか。切実に先生の顔を見たい。しかし、相手から目をそらすわけにはいかない。これはカードを挟んだ命がけの攻防でもある。相手が抜き身の刀を持っている時、目を離すことは死を意味する。
一分が経過。トモコは手を動かさずにカードを睨む。時折あちらこちらへ視線を彷徨わせながら、何を引くか考えているようだ。
カードは四枚ある。左から数えて、一枚目がコモン。二枚目がウルトラレア。三枚目はまたしてもコモン。右端はSSレアだ。先生は右端で、左から二枚目が親ペロロ。ある意味でこれは神経衰弱でもある。ダブルで正解を出してこそ始めて意味を持つゲームだ。アズサが常にない不安げな顔を浮かべる。
スゥーッとトモコが息を吸って、吐く。まさにサムライの呼吸そのものだ。
「武士の底力を見よ!」とトモコが叫び、左端のカードに手を添える。まだめくってはいない。が、いましもめくるように思われた。
「それをめくるんですか?」
ヒフミはトモコを見る。誰も口出しはしない。ライバルたちは息をひそめている。ヒフミが無言を貫いていれば、トモコは左端をめくっていただろう。手助けをした積りはない。相手の意思を把握したかったのだ。
「それでいいんですね?」
「……っ!」
トモコは手を震わせたかと思うと、急に手を懐にしまいこんだ。何かを確認しているようでもあり、火傷した傷を押さえているようでもある。カメラが仕込まれているならそこだな、とヒフミは思った。数秒ほど自身の胸を押さえていたトモコは、急にさっきとは違うカードをめくった。
左から数えて二枚目。ウルトラレアである。親ペロロ。
「…………!」
カードを見た瞬間、見てわかるほどトモコが微笑んだのをヒフミは見て取った。場違いなほどの笑顔である。アズサが息を止めた。
これで一敗。次にSSレアを取られたら勝負は決する。アズサがアサルトライフルに手を伸ばすのを、ヒフミは「だめだよ」と制止する。
「ルールは守ろう。アズサちゃん」
いいながらヒフミは、オーナーが低い温度で三人を睥睨しているのを見る。彼女はモモフレンズショップの王だ。いかなる理由があろうともルールを破った人間には容赦をしない。
アズサが手を膝下に下ろす。彼女も何も行動できずに見ているだけというのは辛いだろうな、とヒフミは思う。これは神経戦であり、銃撃戦とは異なる。ただ待つことしかできない。
ふと、ヒフミはハナコとコハルを思い出した。二人はこの場には来ていないが、もし補習授業部の二人がいれば、ヒフミになんと声をかけるだろう?
【はああああ!? なーにーよーちょっと負けてるじゃない! どうしてあんな声をかけたのよ! もう背中ギリギリよ!? 緊張感持ちなさいよ!】とコハル。
【あらあら……ふふ、コハルちゃん興奮していますね。実は私もなんですよ? いまでさえこんなにドキドキしてるのに、もっと時間が経ったら、どうなっちゃうんでしょうね……?】
【ちょっと、エッチなのは禁止! 外! 外に行きなさい!】
【あら、野外で? コハルちゃん、大胆ですね! イキたいんですか? 二人で出ませんか……♪】
しばらくやりとりは続く。コハルは顔を真赤にして否定するだろうし、ハナコはその様子を面白がる。ヒフミは二人のやりとりを微笑ましく見つめるだろう。アズサは……コハルが持ってきた本を読んでいるかもしれない。
不思議と先生の表情は想像しなかった。先生はいま、ヒフミがゲームをしている後方で待機している。そしておそらく、いつものように見守っていてくれる。シャーレの先生がアビドスに来て、銀行強盗をしてヒフミと出会い……なんだかんだですっかり馴染んでしまった。ヒフミは先生に対して微塵も疑いを持たない。ヒフミは息を一つついてから口にする。
「では、二枚目です」
ヒフミはいう。
「一回目が当たりましたね、おめでとうございます。次も当てればいいだけです。頑張ってくださいね」
11
トモコがヒフミの言を聞いて眉をひそめる。そしてカードに改めて目を落とすと、何かしら思うところがあるのだろう、眉間にシワを寄せて睨みつける。プレッシャーを与えた積りはなかったが、どうやらそうなったようだ。
ヒフミは以前に動画の【少女忍法帖ミチルっち】チャンネルで見た、将棋特集を思い出す。将棋にはいくつかタイトル戦があるのだが、動画投稿者のミチルによれば、心理的にきついのは、挑戦者よりも王者のほうらしい。なぜなら、挑戦者は一度勝つだけで良いが、王者は勝ち続けなければならないプレッシャーが追加でのしかかるからだ。
そして現在の場合、トモコが抱えるプレッシャーはヒフミ以上である。
なぜならここでカードのチョイスを間違えた場合、一度目の当たりが無に帰すからだ。これまでの勝利がひっくり返るからだ。トモコはさっき大きく喜んだが、その分の反動は大きい。迷えば迷う分だけ悩み、疲れる。おそらくトモコは間を置かずにカードをめくり続けるべきだったのだ。
トモコがカードを数えて、眉を寄せる。そして動かなくなる。本人の中であらゆる葛藤が渦巻いている。と、近くにいるアズサのモモトークが着信音を立てて、アズサがビクリとした。マナーモードにしていなかったらしい。オーナーが目で合図すると、アズサは席を立って携帯端末を確認しにいった。
「急な用事だったんですかね」とヒフミは小さな声でいった。トモコはこちらを無視してカードを見下ろす。さきほどヒフミは、将棋の凄腕プレイヤーをイメージしたが、今度はその将棋の千日手を思い出した。千日手とは、将棋で何時間も粘って戦った挙げ句、勝ち負けがつかずに引き分けになる状態のことだ。基本的にプレイヤーは勝利のために戦う。引き分けは名誉なことではない。トモコの表情は千日手に追い込まれたプレイヤーのそれだ。
「どうしたんですか。たった三分の一ですよ」とヒフミは再びいう。トモコが目を閉じた。顔に苛立ちが張り付いている。
「カードを引くだけでいいんですよ」
「お客サン……申し訳ありませんが、過度な介入は禁じられています」
オーナーが横入りした。ヒフミは口を閉じた。不思議なのは、どうしてこれほどの土壇場で、自分が落ち着いていられるのかということだ。自分の社会的存在をそっくりベットしているというのに、自分でも意外に思うほど悲壮感を感じない。誰のおかげか――アズサ? 先生? それともイメージしたコハルとハナコのおかげだろうか?
ヒフミは、さっきトイレでアズサの手を握ったことを思い出した。あれがポジティブな影響を与えたのは間違いない。
いずれにせよ、いまのヒフミは相手を待つ立場だ。トモコを見つめながら、じっと対手の手を待つばかり。ヒフミはその時はじめてトモコの外見をじっくり観察できた。
百鬼夜行連合学院特有の制服を着込んでいる。瞳はトパーズのように青く、黒い髪は切り詰めたボブスタイルにしてある。腕はしっかり鍛えてあるが、手先が綺麗なのでスタイルが良い。背中には日本刀とスイッチングライフルが交差してかけられている。少し背を丸めてカードに集中する姿は、ハムスターを思わせるものがある。唇を精一杯引き結んで集中する姿が愛らしい。おデコがよく見える点はエンジェル24の店員とやや似ているが、トモコのほうが上背がありそうだ。全体的に見て、かなりかわいい顔立ちをしている。
それに比べて自分は? 平凡な女の子であり、ただのモモフレンズ好きである。
ヒフミを一度見たトモコは、忌々しそうな顔をして再びカードを見る。相手の、出方待ちである。すべてはこれに帰する。視界を彷徨わせていると、アズサが小走りでこちらへ戻ってくるのが見えた。
残り一枚。状況は変わっていない。トモコがふと片手を上げて、カードをめくろうとした。先生のカードは右端だが、まさにその右端をめくろうとしていた。ヒフミは口出しをするか悩むが、今度は黙って見ている。口に出さず、ただ見つめる。
カードを触る。
カードを掴む。
カードをめくろうとする。
トモコが素早くヒフミを見た。ヒフミは微動だにせず見返す。そしてアズサの目とハナコの目とコハルの目を思い浮かべる。そして先生の澄んだ瞳も。あの瞳をもっと近くで見たい。
「…………」
トモコの手が止まった。オーナーが無言で催促する――めくりもしないのにカードに触り続けるのは禁止事項である、めくるなら早くしろ、と。
トモコが内心で毒づくのがヒフミには聞こえた。居合抜きに時間をかけることはできない。居合抜きは瞬速でなければならない。トモコが手を離した。
「女か。虎か。女か。虎か」
トモコがいった。ヒフミにはその言葉が理解できない。トモコが言葉を継いだ。
「小説だ。主人公は四つの扉の中から一つを選ぶ。当たりなら女がいる。外れたら、虎が出る」
「私、虎なんですか?」とヒフミは訊いた。それを耳にしたトモコがかすかに顔を歪める。オーナーがさりげなく顔を背けた。そのままトモコは上を向いて十秒経つ。ハァーッと長い間息を吐いた。
「おそらく虎だな」といって、トモコはカードをめくった。
めくられたカードは右から二番目である。中身はコモン。
トモコがまじまじとカードを見た。裏表をひっくり返し、自身の行為が動きようのない事実であることを確認しているようでもある。トモコが震える手付きでカードをテーブルに置き、オーナーが「勝負あり」とカードを取り上げた。
「この勝負……阿慈谷ヒフミさんの勝利」
やった、とアズサが快哉を叫ぶ。その後ろのほうで、先生も快哉を叫ぶのが聞こえた。
《続く》