アズールレーン二次創作 ~ たとえただの奇跡でも ~ 作:ながやん
島風は全速力で走った。
荒れ始めた海の波濤にも負けず、ひたすらに真っ直ぐ走った。
燃える血潮で燃料が減る都度、より軽くなって疾走する。今の島風は、祈りと願いを託された希望の一矢だった。
だが、そんな島風に殺意が迫る。
不意に大火力の砲声が轟き、島風の周囲に巨大な水柱の檻を生み出す。
振り向けば、頭上に禍々しい影が浮かんでいた。
「ありゃりゃあ? 直撃させたと思ったけどなあー? ってか、まだ生きてんの、子兎ちゃん」
漆黒の艤装を広げた、ピュリファイヤーが下卑た笑みを浮かべていた。
超弩級戦艦を遥かに凌駕する火力の彼女は、知らぬ間に必中の距離に島風を捉えている。全速力を出すことだけに集中していて、敵の接近を察知できなかったようだ。
あの時と同じだ。
また、蛇に睨まれた蛙のようになってしまった。
島風の頬を、噴出した汗が冷たく伝う。
「ピュリファイヤー……今の私は、貴女に構ってる暇はないでありますから!」
「なーに言ってんだあ? 誰が雑魚に構うかっての。お前はここで死ぬのさ。私の手で!」
苛烈な砲撃が浴びせられた。
質量弾と共に、光学兵器の衝撃波が海を泡立てる。
ジグザグに回避行動を取りながらも、島風は腰の剣に手を添え……手放すなり加速する。
今は抜刀する時間さえ惜しい。
仲間のためにも、一刻も早くこの海域を抜け出るのが先決だ。
「おいおい、ウサギちゃーん! 逃げるだけなの? なーんか興覚め。それとも、手も足も出ない感じ?」
「島風には今、自分よりも大切なものがあります! そのために!」
「とかなんとか言ってー、びびってるんだよねえ?」
「び、びびってなんか! う、うう……うささっさー! 振り切ります!」
限界のその先へと向かって、島風は自分の中でトップギアを叩き込んだ。フルスロットルでさらに加速すれば、全身が軋むように痛み出す。
そんな彼女をあざ笑うように、無数のビームが浴びせられる。
その全てを回避しつつ、徐々に至近弾の熱と衝撃が近付いてきた。
まるで島風を迷路へ閉じ込めるように、ピュリファイヤーの攻撃が悪辣さを増してゆく。
「ははは! ウサギらしくピョンピョン跳ねて逃げるねえ! 兎っていういうよりカエルだよ! 井の中の蛙だねえ!」
なぶるような攻撃が続く。
だが、島風は自分のリソースを全て加速と回避に振り分けた。
次々と砲撃が擦過し、全身の艤装が破壊されてゆく。着衣も切り裂かれて、無数の裂傷が流血を呼んだ。
だが、それでも島風は前だけを見て走る。
吹き出す血さえ、赤い霧となって雲を引いた。
「私は……島風は任務を、命令を……仲間のことを勇戦します! それに!」
「それにい? ほーら、ウサギ気取りなカエルさん、お逃げなさーい? そろそろ本気で当てちゃうよん?」
「島風は確かに、井の中の蛙でした……自分の力に驕り慢心した、本当にまさに『大海を知らず』だったのです!」
「は? それ、何の話かなあ? あんま眠いこと言ってると当てるよ?」
刹那、島風の右肩を激痛が襲う。
ピュリファイヤーから放たれた一筋の光条、深々と身体を穿ち貫いていた。
今までにない激痛が走って、思わずよろけて立ち止まりそうになる。
それでも、必死に波間を蹴って前に進む。
迸る声は絶叫となって、島風の華奢な身に裂帛の意志を漲らせた。
「井の中の島風、大海を知らず! されど……されどっ、空の青さを知るのであります!」
「……なにそれ」
「蒼き航路の続く先に、必ず蒼天は広がってる……そんな未來を勝ち取るために! そう信じて戦う仲間のために! 今、島風は馳せるのです!」
「はっ、くそださ……なーに眠いこと言ってんだか。もういい、死んで。あなたみたいなの、心底大嫌い」
瞬間、突如目の前にピュリファイヤーが現れた。最速を自称する島風のスピードを、あっさりと上回って見せたのだ。
そして、零距離で砲門が死を歌う。
慌ててフルパワーで後退したが、島風に既に回避する余裕はなかった。
やられた、死を覚悟した。
駆逐艦の軽装甲では、圧倒的なピュリファイヤーの包囲殲滅攻撃は防げない。
それでも、島風は突如として踏み止まる。
時化た海を踏み締めて、逆に前へと踏み込んだ。
ここで死すとも、少しでも前へ……救援を呼ぶため、僅かでも前へ。
決死の覚悟で群なす砲弾に突っ込み、そして柔らかな背中にぽすん! と激突する。
「あ、あれ? 痛くないであります。というか、この匂いは……すんすん、これは!」
「ちょっと、島風? 気持ち悪いからやめて頂戴。あと、よく無事だったわね」
「ま、まさか……駿河殿っ!」
信じられない光景が目の前で振り返る。
肩越しに微笑むのは、重桜の超弩級戦艦……駿河。
圧倒的な装甲で島風を護ったのは、馴染みの仲間である駿河だった。その姿を見て、ピュリファイヤーが僅かに片眉を震わせる。
確かな苛立ちが殺気となって放出されていたが、駿河は涼しい顔で太刀を抜いた。
さらには、母港の仲間たちがぞくぞくと押し寄せてくる。どうやら皆、走りながら救援を呼び続けた島風の声を受け取ってくれたらしい。
「駿河、だっけえ? 他の雑魚どももまあ、雁首揃えて……ごくろうさまー」
「ピュリファイヤー、既に先行した潜水艦隊が阿武隈たちに合流しました。貴女の負けです」
「ハッ! 笑わせるなよぉ? 紀伊型戦艦、駿河……本来は存在しない、そして開発計画艦としても歴史を持たない幻想の存在が。虚ろなる空想の竜骨、私がここで砕いてやる!」
ピュリファイヤーの攻撃は、駿河に集中した。
それでも駿河は、左手でそっと背後の島風を庇ってくれる。
回避は、しない。
圧倒的な重装甲は、まさに麗人の姿を象る黒鉄の城だ。
びくともしない防御力を見せつけて、駿河は叫ぶ。
「……あったまきた! ちょっと、島風! あいつ、超むかつくんだけど!」
「すっ、駿河殿。みんなが見てます、地が出てしまってまするぞぉぉぉ!」
「そういうのはいいの! だいたいなに? 島風、いいようにやられっぱなしでさ! あれだけ言われて、それでも頑張って……フン、恰好いいじゃない」
そして、援軍の艦隊の中央で声が走った。
それは、ユニオンの象徴的存在であるエンタープライズの命令だった。
「全艦、全速前進! セイレーンの上位個体は無視していい……もう、かたはついている!」
仲間たちが一斉に、左右を通り過ぎてゆく。真っ直ぐ、阿武隈たち救出艦隊の待つ海域へと進軍を開始した。
そして、エンタープライズの一言で片づけられたピュリファイヤーは肩を震わせていた。
憤怒の表情は、血走る瞳に大粒の涙が浮かんでいた。
「こんの、クソ雑魚どもがあ! 誰が片付いてる、かたがついてるって!? あぁ!」
「島風、私の手出しはここまで……あんのクソバカ、ブッ飛ばしちゃいな! 逃げるのやめて、戦ってヨシ! やっちゃえっての!」
「駿河殿……はいであります! ウサホラサッサー!」
既に満身創痍だったが、瞬時に島風は抜刀と同時に風になる。
空気を切り裂く風さえ置き去りに、最後の力を振り絞って走った。あまりの速さに残像が分身となって乱舞し、その全てが魚雷をピュリファイヤーへと発射する。
無論、本体以外は幻影だ。
だが、島風は持ち前のスピードで残像を無数に広げながら斬撃を振りかぶる。
「ああもう、小うるさいったらないなあ! あなたたちって本当に!」
「ピュリファイヤー殿、お覚悟っ! 海と空との、蒼さを知るアターック! ウッサー!」
ビームと砲弾で弾幕を張りながら、ピュリファイヤーが上空へと逃げる。
だが、それを既に島風は読んでいた。
黙って駿河が見守る中、空中へとありったけの魚雷を打ち上げる。勿論、魚雷はミサイルではないので、ピュリファイヤーに届く前に重力にからめとられて落下を始めた。
その時、島風はありったけの瞬発力で天空へと駆けあがる。
ばらまかれた空中の魚雷を足場に、連続ジャンプでピュリファイヤーに肉薄した。
「げっ! なに考えてんだ、この子兎ちゃん!?」
「なにも考えていません! 感じるままに想うままにですっ!」
必殺の一撃がピュリファイヤーの艤装を切り裂く。更に島風は、抜き放った拳銃の早撃ちでその傷を大きく広げてやった。
致命打の手ごたえがあって、そこで島風の意識は薄れて途切れる。
限界を超えた先の、その先の限界を超えて……たまらず逃げ出すピュリファイヤーを見送り、精魂尽き果てた島風は倒れて駿河に抱き留められるのだった。