アズールレーン二次創作 ~ たとえただの奇跡でも ~ 作:ながやん
霧は、出なかった。
どこまでも青く遠い空が、その下にいる友軍の命をさむからしめているようだった。
この作戦は『再現』ではない。
だが、数奇なるリフレインに島風は奥歯を噛んだ。
思い出が、記憶が、歴史が……全てが、奇跡の代価を強請ってくる。
そして、旗艦の阿武隈が決断を下した。その言葉が帰投後の島風に、何度でも無限に反響して聴こえてくる。
『帰るよ、みんな。帰ればまた、来られるからね』
判断は、撤退。
撤退作戦から撤退するという、なんとも虚しい結果になった。
そして、母港へ手ぶらで戻った島風たちに対して……アズールレーンとレッドアクシズ、両陣営の上層部から容赦のない責任追及が行われた。
今、島風はやっと憲兵の事情聴取から解放され、基地内の食堂に来ていた。
ここでは皆、平和の中で華やいで見える。
仲間のKAN-SENたちも、思い思いの時間を過ごしていた。
「あっ、島風……どう? 聴取、大変だったみたいだけど」
「こってり絞られたねー、その顔じゃ。なんにせよ、お疲れ様だよっ」
「あてたちにできることがあったら、なんでも頼ってね?」
所属を問わず、仲間たちは優しい。だが、その気遣いからついつい逃げてしまう。あまりにも成果に乏しく、それが当然のように空振りで終わった作戦。それが、過去の奇跡をなぞるようで、なんだか島風には納得がいかなかった。
濃霧の発生に紛れての、電光石火の撤退戦。
流石に天候までは、KAN-SENたちには制御できないのだ。
それができるのは、敵対するセイレーンたちくらいである。
「はあ、ダメダメでありますなあ……ヨヨヨ。島風、情けないであります」
賑やかな空気を避けるように、島風は食堂の端っこに座った。受け取ったトレイの上には、オムライスが湯気をくゆらしている。ケチャップの匂いが、香ばしく鼻孔をくすぐった。
だが、食欲はない。
本来なら、大好物のオムライスを大盛りにして、スープの代わりに麺類を追加するのが普段の島風である。だが、健啖家である彼女の胃袋は今、空腹を忘れてしまっていた。
母港に戻ってきてから、半ば拘束されるようにして根掘り葉掘り詳細を取り調べられた。
その間ずっと、救出艦隊の仲間たちとは会うこともゆるされてない。
「うう、ダメダメ、ダメです! 腹が減っては戦はできぬ、ヨシ!」
島風は頬をぴしゃぴしゃと叩いて、自分に気合を入れなおす。
そうして、スプーンを手にしたその時だった。
不意に、食堂にこれみよがしな声が響く。
「まったく! 割り当てられた燃料、使うだけ使ってこの結果とはな!」
「工面する我々の身にもなってほしいものだ」
「『再現』を気取ってるんじゃないのか? 旧大戦をなぞって、縁起を担いでいるつもりかねえ!」
将校の軍服を着た男たちの一団が、食堂の一角で食事を始めたようだ。
島風も何度か見たことがあるが、どうやら主計科の軍人たちのようである。主計科とは、主に物資の管理を任務とする兵站部隊の一部だ。
必定、今回の島風たちの出撃に使われた燃料も、彼らがやりくりしてくれているものだ。
だから、怒りと苛立ちはもっともだろう。
そう思っても、実際に響き渡る言葉は鋭い棘となって島風を貫いた。
「で、聞きましたか? 少佐。ケ号作戦実行艦隊から、再出撃の燃料の申請が出てるんですよ」
「あれか、昔のキスカ島撤退作戦は二度目の出撃で成功したんだったな」
「天候に頼るなんて、博打もいいとこですよねえ」
「『再現』じゃないとしても、初めてじゃないんだから……ちゃっちゃとやってくれないとな」
思わず島風は、スプーンを握る手に力が籠る。
拳の内に食い込む爪の痛みが、音を立てているかのように感じられた。
現状、セイレーンの大艦隊に完全包囲されたキスカ島の友軍を、一度の出撃で全員救出するための手段は限られている。
ベストな方法、完璧な作戦は存在しない。
ベターな手段の中から、最も安全性の高いものを選ぶしかないのだ。
そのことを島風が噛み締めていると、不意に声が走った。
「男がガン首揃えて、うざったい……オレの視界でさえずるんじゃねえよ」
大声ではないのに、酷く通りがよくて澄んだ声だった。
そして、明確な憤りの吐息に震えている。
島風が視線を滑らせると、一人の女性が腰に手を当て……男たちのテーブルに詰め寄っていた。長い長い髪をポニーテールに揺って、端正な横顔は燃え上がるような美しさ。そして、一見して粗野な口調の節々に、高貴なる意志が感じられた。
そのKAN-SENの名は、ジャン・バール。
ヴィシア聖座から母港へと合流した、頼れる超弩級戦艦である。
「な、なんだ貴様……KAN-SENだからといって、いい気になるなよ!」
「いい気になってんのはアンタらだろう。お天道様に頼ってでも、救わなきゃいけない命がある……それだけの話だろうが」
「我々とて、上層部から母港の物資管理を任されている! 無駄な燃料など一滴たりとも」
「無駄じゃねえよ。無駄なものか……霧が出るまで、何度でもやるしかねえんだ」
「それが無駄だというんだ! だいたい、キスカ島は今や重要な拠点じゃ……残された人員も、アッツ島から合流した者たちと合わせて、たかが数百人だ!」
その時、食堂の空気が一変した。
それは、渦巻く風を拳にまとわせ、ジャン・バールが右腕を振り上げた瞬間だった。
思わず男たちも椅子を蹴る。
だが、暴力の嵐が即座に吹き荒れるようなことはなかった。
まるでジャン・バールに連れ添うような影が、彼女の手首を握って止める。
「クソッ、なんだよマサチューセッツ! 止めるな!」
「駄目だよ、ジャン。貴女が人間を殴るのはよくない」
「マサ……でも、私は」
「貴女は駄目、人間に暴力はいけないんだ」
少し抑揚に欠く、酷く怜悧な声だった。
そして、場が収まりかけたと思ったその時……不意に周囲の雰囲気が凍り付いた。ジャン・バールと比べると、炎と氷のように対照的な戦艦、マサチューセッツ。彼女が、熱して煮立った食堂の空気を絶対零度に突き落とした。
「――ガッ、ゲファ!」
男たちの一人、少佐と呼ばれていたリーダー格が吹き飛んだ。
マサチューセッツが、ジャン・バールを制しつつ……なんと、自分でブン殴ったのだ。表情一つ変えず、どこか眠たそうな目に冷たい炎を燃やしながらのパンチだった。
「ジャン、貴女の怒りを拳に乗せていいのは……ぼくだけ」
「おっ、おお、お前ーっ!」
「ジャンが殴る価値なんてないよ、この人たち。――さて」
改めてマサチューセッツは、まるでジャン・バールを背に庇うように立ちはだかる。そして、改めて拳を掌の中でバキボキと歌わせた。
勿論、男たちも黙ってはいない。
一食触発の空気は既に、乱闘騒ぎに発展しつつあった。
これはいけないと島風も席を立つ。
当事者の一人として、今は味方同士で争っている訳ではないと思ったからだ。だが……重桜最速を誇る島風の介入を、あっさりと引き留める声があった。
「まあ待てよ、島風。だっけか? 駆逐艦が出る幕じゃねえさ、マサチューセッツの姐御に任しときな」
そこには、鋭い眼差しの重巡羊羹が立っていた。その手が、一瞬で島風の肩に手を置き制止したのだ。どうやらユニオンの人間らしく、島風には野生的な美貌に見覚えがあった。
「ミネアポリス殿……し、しかし」
「お前が出てけば、騒ぎはデカくなる。こういう時は仲間に頼るもんだ」
ミネアポリスの言う通りだった。
そして、男たちが殺気だって拳を握った、その時だった。
ずらりと無数のKAN-SENが一人、また一人とマサチューセッツたちの背後に立つ。
「卿ら、男として情けないとは思わないのか。まだやるなら、我もまた受けて立とう」
「などとグラーフ・ツェッペリンは言うけどね……どする? まだやるかい?」
「どうしてもというなら、セニョール! 次はこの私、リットリオが相手になろう」
「なにはともあれ、駆逐艦の妹たちを悪し様に言う輩は許せん。ハァハァ……許せん!」
状況は一変した。
男たちは慌てて、落とした制帽を拾うなり逃げ出す。
その背を視線で見送って、誰からともなくKAN-SENたちは昼食に戻ってゆく。
気付けば、背後にいたミネアポリスの姿も見えなくなっていた。
「皆さん……うう、ありがとうございますうううう~」
誰にともなく、島風は頭を垂れた。
やはり、国や陣営が違えど……この母港に集った皆が皆、仲間なのだ。
そのことを深く心に刻めば、不思議と忘れていた空腹感が思い出される島風だった。