パチュリー・ノーレッジこと陰険運動不足紫もやし魔女の朝は早い。
もっとも、愚かな彼女が生産的なことをすることはなく、やることといえばただひたすら友人の家に置かれた本をひたすら読みふけるだけ。小さな吸血鬼の善意で居候しているだけなのにもかかわらず、まるで我が家かのように一室を図書館にし、短い生涯のほとんどをそこで過ごしているのです。典型的な引きこもり。無気力でふてぶてしく、それでいて無駄にプライドだけはある。いつか本気を出せばと思っているくせに、本気を出して失敗した時のことが怖くて本気を出せないチキン野郎。実際は、今の現状こそが本気そのものなのだから救いようがありません。馬鹿の典型例。愚か者のステレオタイプ。いつの日か歴史の本にその名が刻まれることになるでしょう。世界で一番ずぼらな女だと。
「そんなどうしようもない魔女に召喚された私の気持ちも少しは考えてくださいよ」
相も変わらず机上に広げた本を読む我が主に、私は少しの敬意と多大な侮蔑を込めて彼女の紫の長髪を指でなぞってさしあげました。
「慰謝料をもらってもよいと思いますが。いや、もらうべきでしょう。もらわなければなりません。さあ早く対価を」
「うるさいわよ、コア。あなたは黙って本の管理をすることもできないの?」
「おやおや。まさかこの私より本の方が大事だとでもいうのですか?」
「当然でしょ」
ぱたり、と読み終わった本を閉じた倒錯者は、眠そうに半分ほど閉じられた紫色の瞳で私を見つめてきました。いつ見ても面白みのない顔です。左右均等で、肌は白く、唇は薄い。死に化粧をしていると言われても納得できるほど歪なまでに整っています。フランス人形ですらもう少し人間味のある顔をしているというのに。これだから魔女は嫌いなんです。
「あなたは悪魔よ。私に呼び出されて契約した使い魔。主である私の命令を聞くことは絶対でしょ」
「おっと。立場を弁えてくださいよ。悪魔は命令されなければ行動することができないだけで、別に命令されたからといって何でもすると思ったら大間違いですから」
「私、あなたに呼吸を許可した覚えはないのだけれど」
「この私が呼吸を必要としているとでも?」
本の虫である我が主がいるこの図書館。まあ、図書館といっても利用するのは馬鹿一人だけなので、実際には書斎と言った方がいいかもしれませんが、とにかく。友人宅の一室であるこの部屋には想像を絶するほどの本が無駄に保管されているのです。広さも尋常ではなく、本棚を撤去すればフットボールくらいはできるでしょう。いつの日だったか、運動不足の我が主の身を案じた私が、実際に本棚を撤去してフットボール場を作ろうとした時もありましたが、その時には契約やら何やらで止められてしまいました。この私の好意を無下にするなんて! あまりにも傲慢です。
「まったく。図書館の掃除もできないなんてね。『英国の絶望』の名前が泣くわよ」
「何ですかそのダサい名前」
「あなたが最初に名乗った名前よ」
そんなことは分かりきっています。が、それをこの愚か者が口にした途端、酷く滑稽で幼稚に聞こえるのだから不思議です。どんな言葉も、彼女にかかれば低俗な戯れ言に変わってしまうのでしょう。ある種の才能かもしれません。
「そんな変な名前を自称するだなんて、恥ずかしくないのかしら」
「おっと。自己嫌悪はよくないですよ」
「どういう意味よ」
それはもちろん、自らを『知識』と名乗る傲慢さを嘲笑したのですけれど、最新の緩衝
材より密度の低い脳みそしかない知識人もどきには当然のように伝わりません。嘆かわしいですね。
これだから魔女はいつだって嘲笑されるんですよ。私は胸いっぱいの侮蔑を口に含み、そう吐き出そうとしました。が、途中でその高尚な試みは断念されることになります。魔女のちんけなプライドに配慮した訳でも、角砂糖の角より甘く脆い彼女のメンタルを慮ったわけでもありません。この館の当主が「お前らなあ」と横やりを入れてきたのです。
「この私を無視するとはいい度胸じゃないか」
我が主が無駄に分厚い本を開いている机の上。そこに彼女、レミリア・スカーレットは、躊躇なく座っておりました。むしろ自慢げですらあります。小さな体はクソガキのようであり──まあ、紛う事なきクソガキなのですが、とにかく。血の抜けた死人のように青い髪を撫でながら、足を組み、机上でくつろぐ姿は想像を絶するほど生意気でした。尊敬したくなるほどです。「せっかく様子を見に来てやったというのに」
「申し訳ございません。小さすぎて見えませんでした」
「誰の背が小さいと?」
「いえ。背ではなく当主としての器の話です」
「なお悪いわ」
薄桃色と朱色の混じったスカートを指で掴んだレミリアは、トレイの便器より白いその肌を若干赤くしつつ、「なあパチェ」と気さくに私の主に声をかけます。仲良しこよし。なんて気持ち悪いのでしょうか。
「なんでこんな奴を使い魔にしたんだ。こいつよりはまだゾンビの方がマシだろうに」
「ゾンビに失礼よ」
「何なら私がちょうどいいのを召喚してやろうか。なに。友人のためだ。一肌脱ぐのも吝かじゃない」
「公然わいせつですね」
「そういう意味じゃない」
「ああ。児童ポルノの方ですか」
「ジェルミ、お前はもう黙っていろ」
私の慧眼からなる適切な指摘も己の地位に固執する矮小な吸血鬼には届きません。相手の言うことに耳を貸さないのは当主の特権だとは言いますが、物には限度があります。なぜこんな低俗な悪魔もどきに命令されなければならないのでしょうか。
「せっかくだけど、今はコアで我慢するわ」
しぶしぶといった様子で我が主は首を振りやがりました。頷いてくれればこんな糞みたいな図書館に拘束されることもないというのに。何が悲しくてこの私が本の片付けをしないといけないのでしょうか。
「それに、私は天才だからね」
「突然なんだ」
「どうせ使い魔にするなら強い奴の方がいいでしょ。自分の実力で召喚できる最強の悪魔を使役する。魔女の嗜みよ」
「嫌な嗜みだな」
「外出して社交的に暮らすというのも嗜んでほしかったですけど」
「コアは黙ってて」
言論封殺反対、と小さく左手をあげるけれど、当然のように無視されます。存在封殺反対、と今度は右手をあげるけれど、これまた無視されます。
「ジェルミもジェルミだ。お前、少しは悪魔らしく主の言うことに従えよ」
「嫌に決まってるじゃないですか。殺しますよ」
「おいパチェ。こいつ、私を殺すといったぞ」
「大丈夫よ。コアは自衛しかできないから」
舌打ちが零れます。悪魔といえば対価、そして契約。相手が何かを悪魔に願えば、我々は対価をもらい、そして契約に従い履行します。まあ、その契約内容の解釈を極度にねじ曲げて悪事をなすことこそが悪魔の本懐ともいえますが。無駄に用意周到な我が主は、自分に暴力を振るった相手にしか攻撃できない、なんて。冗談みたいな枷を私に嵌めたのです。
「殺したくても殺せないはずよ」
「そんな猛獣の制御のようなことをしてるのか、パチェは」
「猛獣とは失礼ですね。ああ、私の純真で綺麗な心が罅割れてしまいました。これはもう言葉の暴力といえるのではないでしょうか。いえ、言えるでしょう。これは反撃しないと私の存在が保てなく」
「無理があるわよ」
忌々しい我が主は、私の企みを一掃した後に「無理やりそういうことをすると、契約違反で大変なことになるわよ」となぜか嬉しそうに微笑みを浮かべました。
「魔力が全部吹き飛んで、身動きが取れぬよう拘束魔法が発動するわ。そしてついでに紅魔館が爆発するの」
「おい。聞き捨てならない言葉が聞こえたんだが」
「愛嬌よ」
「悪趣味だ」
私は心の中で辟易としていました。紫馬鹿の悪趣味具合にはいい加減慣れてきましたが、ボウフラの悪趣味具合も似たようなものです。「お前だって悪趣味ですよ。この紅魔館は特にです。血のような赤い外壁も、無駄に広い部屋も、日の光が入らない廊下と妖精で溢れた厨房も、全てが悪趣味です。悪趣味世界大会で優勝できるくらいです」
「そんな大会を開く奴の方がよっぽど悪趣味だよ」
「ちなみに景品は私の髪の毛です」
「心底いらない」
手をひらひらとさせ、背中から生えた蝙蝠の羽を模した翼──私がおしゃれで模しているものとは違い、おそらくは生来のものでしょう──を小さく震わせました。吸血鬼とはまったくもって面倒な種属だと痛感させられます。中身だけでなく外見すらセンスがないとは。
「なあパチェ。その契約とやらは今からでも変えられるのか」
「私とコアの契約? まあ、変えられるけど」
「思い出したんだよ。前、こいつが酷く肩を気にしていたから、私が揉んでやったんだ。そしたらこいつ『ああ、なんという暴力。反撃せざるにはいられません』とかほざきながら殴りかかってきたんだよ」
「あなた、そんなことしてたの」心底呆れた目で我が主が見つめてきます。
「何ですか、そんなに見つめて。私が魅力的なのは分かりましたが、これ以上お前の目で見られると殴りたくなってしまいますよ」
「分かったわ。これからコアは吸血鬼に攻撃されても反撃してはならない。これは契約よ」
愚かな我が主は手をパンと叩きます。その瞬間、身体のあちこちに魔力が流し込まれ、体内で回路を作っていくのが分かりました。こんな下らないことで悪魔との契約を変えるだなんて。優秀な馬鹿ほどタチが悪い。
「まったく。パチュリー様は本当に愚かですね。吸血鬼なんぞと私を同列のように扱うとは」
「悪魔も吸血鬼も似たようなものでしょう」
「全然違いますよ」これだから目の悪い魔女は嫌いなのだ。「頭脳明晰でスタイリッシュなのが悪魔で、蚊のように軟弱で弱々しいのが吸血鬼です」
「何を言うか」逆だよ逆、とレミリアは唾を飛ばしてきます。「美しくて格好良いのが吸血鬼で、なんかちょっと臭いのが悪魔だ」
「鼻腐ってるんじゃないですか?」
「お前は性根が腐ってるじゃないか」
はあ、と妙に重苦しいため息を吐いたボウフラは「ジェルミもたまには私を見習った方がいい」と偉そうに言ってきます。「そうではないとこの先苦労するぞ」
「反面教師ですか」
「違う」
「まあでも、レミリア様の負け様には本心から感心しますよ。ただ負けるのではなく、見た目的にも、ザ・負けという負け方をしますからね。後で見せてください。あと、次ジェルミと呼んだら殺します」
「分かった。分かったからもう黙れ」はぁ、と再び息を吐き、レミリアは「パチェも私を見習って優秀な手下を揃えた方がいい」と言ってきます。その、センスのなさを存分に発揮し、くるりと机上に立ち、売れない女優のようにその場でくるりと回りました。贔屓目に見ても子供のお遊戯会にしか見えません。
「美鈴のようなね」
「あの門番よりはまだゾンビの方がマシです」
「お前が言うなお前が」
私と同じ朱色の長髪には好感を持てますが、大陸系特有のあの戦い方は最悪です。まあ、そもそも門番というにはあまりにも頼りないとしても、腐っても大妖怪の巣窟である紅魔館に喧嘩を売るような馬鹿はいないので、問題ないのでしょう。 だなんて、どこか他人事のように、というよりも他人事に他ならないのですか、とにかく。門番の無能さを苦慮していると、館の外から「侵入者でーす」と気の抜けた声が聞こえてきました。そのあまりにも冷静な、というよりも呑気な声から、この私でさえ、侵入者を確保したものだと思っていたのですが、「館の西側に向かいましたー」と続くのが聞こえ、取り逃がしたのだとようやく分かります。自然と愚かな我が当主を見てしまいました。彼女もどこか気まずそうに目を伏せています。
「おやおやレミリア様。さすがは優秀な手下ですね。私達の想像をいつだって上回ってくれます」
「あー。そうだな。うん」
ごほん、と咳払いをし、頭をわしわしと掻いたレミリアは、面倒そうに息を吐き、「これも」とらしくない小さな声を出しながら顔を背けた。「これも、愛嬌だろう」
そんな愛嬌なんぞとうの昔に捨てるべき。なんて。そんな当然のことを私はこの時考えておりました。が、今思えば。そんな考えこそが甘いと言わざるを得ないでしょう。まったくもって度しがたい。これだからお前らは駄目なんですよ、と私は言わずにはいられませんでした。
侵入者と聞けば何を想像するでしょうか。泥棒。バンパイアハンター。自分の実力を勘違いした自称大妖怪のゴミ。色々あるでしょう。ですが、そいつらに共通していることが一つあります。並々ならぬ生命力があるということです。ここ紅魔館は決して人間の居住地に近くない。魑魅魍魎彷徨う人気のない森や湖を越えなければ、決してたどり着くことができない場所なのです。普通の存在が辿りつけるはずもありません。よしんばたどり着いたとしても、出来損ないの無能とはいえ、一応は妖怪の端くれである門番が入り口を塞いでいますから、そんじょそこらの雑魚は侵入することすらできないのです。
「できないはずなのですが」
私は引っ捕らえた袋の鼠をつまみ上げながら、ため息を吐きます。吐かずにはいられません。もはや笑みすら浮かんできます。「まさかこんな雑魚が侵入できてしまうとは」
昼間にもかかわらず薄暗い紅魔館の廊下は、悪魔にとっては格好の隠れ蓑です。影に隠れる。羽虫に化ける。壁と同化する。手段は無数にあります。が、逆もまた然りで、能力もなければ存在価値もない。逆に鬱陶しさだけは人一倍の低級悪魔が隠れたところで探し出すのは容易です。むしろ普通に座っているより見つけやすい。岩場で迷彩服を着ているようなものです。
「そんな愚かな、悪魔とも呼べない悪魔がどうして紅魔館に入って来れてるんですかねえ」
「そんなの決まってるでしょ」
すぐ隣から鈴のような声が聞こえ、遅れて人間特有の生暖かい気配が漂ってきます。呆れざるをえません。たかが時を止められるくらいで、まるで自分が特異な存在であるかのように振る舞う彼女の傲慢さには常に飽き飽きとしていますが、それよりも。レミリアの命令なのかは知りませんが、常に一昔前のメイド服を着ているのが気に入りません。吸血鬼の従者の人間。しかもそれがメイドだなんて。本当に悪趣味です。
「この弱そうな悪魔が館内に入れた理由なんて、一つしかないでしょ」
「何でしょうか」
「可愛いからですよ」
「は?」
元々頭のおかしい人間だとは思っていましたが、まさかここまでとは。この従者にしてあの当主ありということでしょうか。まったく度しがたいです。
「あなたの目は節穴ですか? 可愛い悪魔であれば私で事足りているでしょうに。いえ、私という存在を目視した以上、この世の全ての存在が色褪せて見えるはずなのです。可愛い? このちっぽけな悪魔と名乗るのも烏滸がましい存在が? 笑えますね。滑稽です。冗談は仕える主だけにしてください。こんな醜い、獣にもなれない憐れな下等が、可愛いわけないではありませんか」
「コア。あなた、パチュリー様以外には相変わらず高慢ちきね」
「私はいつだって謙虚ですよ。この私の存在と対比するならば、この世の全ての賞賛は謙遜と同義です」
「はいはい。分かった分かった」
高々数年、または数十年しか生きていない小娘に私のことなど微塵も分からないに決まっていましたが、結局そのメイド。十六夜咲夜は私からゴミを奪い取り、自らの胸の中に抱きしめました。そのまま胸を食い破られてしまえば少しは面白くなりますが、残念ながらそうはなりません。
「ほら。猫に擬態する悪魔って珍しいじゃない。こんな真っ黒な猫なんて始めて見たわ」
「お前の腹の中よりはマシでしょう」
「コアにだけは言われたくはないですね」
「何を言いますか」偏見と侮蔑に塗れた白玉のような眼球しか持っていないからか、メイドは頓珍漢なことを言ってきます。「私たち悪魔はお前ら人間とは違って嘘を吐きません。ええ、一切、一生吐くことはありませんとも。清廉で誠実で、正直の代名詞こそが我らが悪魔です。人間にそれを馬鹿にされる謂われはありません」
ですから、と言葉を続けながら、右手で吸血鬼の玩具から悪魔を奪い取り、壁に叩きつけます。大柄な猫のようなそいつの薄汚い毛が肌を撫でるのが不快でたまりません。このまま絞め殺してしまいたいのですが、悲しいかな。我が主と交わした面倒な契約のせいで、そんなささやかな願いすら叶えることができません。度しがたいですね。
「ですから、お前も決して嘘を吐いて悪魔としての最後の誇りを捨てぬように。ああ、答えは簡潔に、そして明確に。自分の立場を弁えて発言してください」
「ミ、ミャア」
「無意味な発言は今後敵対行動と見なします」
残念なことに、優しい私が寛大な心をみせ、ここまで猶予をみせているというのに悪魔は一言も発しません。せっかくの機会を不意にするとは。笑えるほど愚かしい。暴力を振るわなくとも相手を再起不能にすることは容易いのだということを思い出させてやりましょう。
「止めなさい、コア」
と、せっかく館の侵入者に威厳をみせてやろうと意気込んでいましたのに、後ろから伸びた手が頭を、この私の頭を叩いてきました。功労者に体罰を科すなんて、あまりに理不尽で許しがたい悪行です。そして、そんな不義理を平然と働く輩など一人しか心当たりがありません。そうです。我が主です。
「弱い者虐めは駄目よ」
「おやおや。頭が空っぽだとは常々思っておりましたが、まさかここまでとは。薄っぺらい言葉ですね。ご自身の身体と同じくらい薄っぺらい」
「スレンダーといいなさい」
「それは無理では?」と声を溢したのは私ではありません。ましてやメイドですらありませんでした。私が壁に押しつけている猫が、ゴロゴロと喉を鳴らしながら汚い声で喋り始めたのです。「スレンダーというには痩せすぎじゃにゃいかにゃ?」
「お前」
「よっと」
私の手からするりと抜け出した猫もどきは、空中で身体を一回転させ、仰々しくその場にかしずきました。姿は私と同じような、人間を模したものに変わっております。が、鍛錬不足かそれとも趣味なのか、その姿は酷くいびつでした。
化け物じみた体裁になっている訳ではない。が、間違いなく化け物と分かる見た目です。真っ黒な髪は肩口までしなく、吊り上がった目と口元から覗く牙は間違いなく猫を模したものでしょう。が、あくまで「模した物」と言える程度には人間としての特徴と乖離しておりません。が、耳です。なぜか頭部に猫のままの耳がついたままになっております。これでは化け猫や狼人間の擬態と言った方が適切でしょう。ご丁寧に格好まで黒猫みたいで、なぜかフードつきの黒い上着に、スーツのような黒色のズボンを穿いています。まあ、私自身服に疎いのでよく分かりませんが、似合っていないことはたしかでした。まったく。あんな下等生物に擬態する意図が分かりません。
「いやー。こんなにも高位の悪魔様を使役されているにゃんて。噂では聞いてたけど、実物は凄いにゃ」
「その煩わしい口調を止めた方がよいですよ。心底腹立たしい」
「無理にゃ。悪魔にとって、自己の証明が、自分だけの特徴がいかに大切か、ダエモン様も知っているはずにゃ」
「次その名前で呼んだら引き摺りだしますからね」
「何を!?」
仮にも私の寝床であるこの館にこんな羽虫が存在するという事実が信じられません。帰属意識なんてもちろんありませんが、目障りな物は処理しておくのが善意というものでしょう。気が利く私はさっそく行動に移そうとしましたが、首の後ろを掴まれます。
「落ち着きなさいよコア。この子からは悪意を感じないわ。話だけでも聞いてあげましょう」
「私の知り合いには悪意無く百万人くらい殺した奴がいましたが」
「例が極端すぎるわ」
珍しく慈愛の精神を露わにした我が主は、怯えて震える猫悪魔の頭を軽く撫で「あなたはなぜここに?」と微笑みかけました。彼女の悪い癖です。弱者に甘い。おそらく本人は無自覚でしょうが、妖怪らしからぬその本性は度しがたいほどに悍ましいものです。このままではいつの日か、どこかの弱小妖怪のために自らの身を危険に晒すようなことになってもおかしくありません。
猫悪魔も、まさかここまで愚かな魔女がいるとは思っていなかったのでしょう。大きな目をさらに見開かせ、勢いよく頭を下げ始めます。「実はにゃ」と声を震わせます。文字通りの猫撫で声です。
「実は、あなたには私の主様になってほしいのにゃ!」
え、と声を漏らしたのは誰でしょうか。きっとこの場にいる私とメイド、魔女だけではないでしょう。門番やあのやかましい当主、自室に引きこもっている妹ですら、困惑していたかもしれません。
急に押し黙った周りを警戒しているのか、あたふたと周りを見始めた猫を見下しながら、私はつい手を叩いてしまいます。ぱん、ぱんと私の拍手の音だけが館に響き渡りました。
「いやあ、おめでとうございます」
拍手をしながら、私は困惑している猫悪魔に手を差し伸べます。救いの手ではありません。むしろその対極に位置するものです。「こちらが景品となっております」
「景品? にゃんの?」
「世界大会優勝の、ですよ」
言いながら、私は自らの髪の毛を無理やり猫悪魔の手に握らせます。世界大会ってどういうことにゃ、と問いかけてきましたが、私はもちろん無視しました。