どんな存在でも必ず慢心はある。楽観的に考えてしまう。いかに危機的状況に陥っていようとも、きっと大丈夫だろうと信じてしまう。私もそうだった。いくら私が失敗しようが、いくら紅魔館の連中が愚かであろうが、あの程度の悪魔共にそう易々と負けはしないだろうと、そう思っていた。
だから、私が紅魔館にたどり着いた時の光景も、きっと夢に違いないと、そう信じたかった。信じていたかった。が、私は嫌というほど知っている。残念ながら、夢はいつだって儚く、現実はいつだって残酷だ。
紅魔館は酷い有様だった。私が最初に来たのは応接間だったのだが、もはや部屋と呼ぶことすらおこがましい。屋根も天井も壁も、その全てが吹き飛んでいた。それは何も道具だけではない。そこにいたであろう連中も含めてだ。
「無様な格好だな、レミリア」
ため息をつきながら、床に転がっている友人に声をかける。「お前があんな奴らに負けるとは」
「……負けて…ない」
意地か根性か、直射日光にあたりながらもレミリアは不敵に笑おうとしていた。左半身が焼けただれ、翼は半分ほどもがれている。回復が追いついていないのか、傷口からは血が噴き出していた。自慢の立派な翼もへし折れ、赤白い骨が突き出している。
「ただ、油断しただけだ」
「それを負けたと言うんだ」
「今のコアには言われたくないな」
一度二度深呼吸をしたレミリアは「随分とお怒りだな」と逆方向に折れている足を無理やり使って立ち上がりながら言ってきた。「お前のそんな口調、久しぶりに聞いたぞ」
「舐められれば誰だって腹が立つ。そういうもんだろう」
「侵入者が誰か、知っている口ぶりだが」
「あの出来損ない共はどこへ行った」
レミリアは首を振る。その顔には忌忌しさがにじみ出ていた。「逃げられた」
「逃げられた? 冗談ではなく? 門番やメイドはどうしたっていうんだ」
「あいつら、五匹で攻め込んできたんだ。悪魔のくせにやけに腕が立って。まあ、一人一匹であれば押さえられると思ったんだが、油断した。まさか本命がパチェだとは」
「我が主は!」
声に出したが、レミリアの反応を見れば結果は分かる。が、それでも身体は勝手に動いた。応接間とは違い、廊下は比較的元のままだった。飛び跳ねるようにし、図書館へ向かう。まさか心配しているのか? 我が主のことを気遣っているのか? そんなことはない。あんな出不精、死んで当然だ。私が心配しているのは、己の契約主を殺されるだなんて、この輝かしい私の経歴に傷をつけられることを畏れているから。ただそれだけだ。
図書館の扉を開こうとする。が、鍵がかけられているのか開かない。迷っている暇はなかった。魔力を振り絞り、鍵を壊してこじあける。力が有り余ったからか、想像より強い勢いで扉が開いたが、そんなことはどうでもよかった。
図書館そのものはいつもと何一つ変わっていなかった。綺麗に整頓された本棚。無駄に高い天井。異様なまでに柔軟性に富んだ絨毯。そのどれもが見覚えがあり、見慣れたものだ。
が、我が主の様子だけが違った。
一見すると外傷はないように見えた。服装にも変化はないし、顔や手足にも傷はない。が、だというのに彼女は目を閉じていた。
「コア、戻るのが遅いですよ」
そんな情けない我が主は、門番とメイドによって看病されていた。いや、看病というほど出来のよいものじゃない。メイドも門番もよく見ると血塗れで、それぞれ治療が必要なのだろうが、それよりも我が主が重傷だということだろうか。笑えない。本当に面白くない。
「まさか、ニャプさんが責めてくるなんて驚きですよ」我が主の頭を膝に乗せながら、美鈴があははと乾いた笑いを浮かべた。
「私たちも幻想郷に来て平和ぼけしてたんですかね」
「我が主は」
「今は眠っているだけです」
メイドは意味ありげにこちらを見てきます。
「心配してるのですか?」
「吠えるなよ負け犬が。鳥肌が立つ」
「激怒じゃないですか」まあまあ、と美鈴が間に入ってくる。おそらく、私がメイドの言葉に怒ったのかと思ったのだろう。が、見当違いも甚だしい。
「でも、ニャプはいったい何が目的だったのでしょうね。複数人の悪魔と共に虚を突いて襲ってきたかと思えば、誰も殺さず、何も奪わずに行ってしまうなんて」
「あいつは何をしていた。まさかとは思うが、金色の玉を我が主に突きつけていたとか」
「よく分かりましたね」美鈴が目を丸くする。まったくもって嬉しくない正解をひいてしまったらしい。「あれ、何だったんでしょうね。ぴかっと光っただけで、パチュリー様に特に変化はなかったんですよ。でも、なんかパチュリー様は焦ってて。自分に魔法をかけて眠っちゃったんです。混乱魔法か何かですか」
「魂を上書きされたんだ」
「はい? どういう意味です?」
「結論から言えば、我が主様は明日には死ぬ」
「それは、何の冗談だ」
いつの間にか図書館に入ってきていたレミリアは、笑い話をしていると思ったのだろう。大量の包帯を──役に立たないと分かっているだろうに、両手に抱えながら訊ねてくる。もう既に傷はほとんど完治しているようだったが、さすがに悔しさは顔に浮かんでいた。
「パチェが死ぬ? あの程度のことで? こんな襲撃、外の世界ではありふれたものだったではないか。おいコア、お前はいったい何を知っているんだ」
説明することすら面倒だったが、私はしぶしぶ、理解力の無いこの無能共へ経緯を説明せざるを得なかった。多大な不満と、私は決して紅魔館のことを心配していないということを言外に匂わせながら。それは例えば「ニャプは我が主の身体が目的だった」というような軽口を叩いていたのだが、それでも彼女達の雰囲気を暗くするには十分だったらしく、先ほどまでの浮ついた空気は完全に消え去る。
「おいコア。お前はどうすればいいと思う」
爪を噛みながらレミリアは眉間に皺を寄せていた。おそらく、私と同じ事を考えているのだろう。いや、考えているというよりは縋っていると言った方が良い。
「決まっている。術者を殺して道具を壊す。それだけだ」
「何か勝算は?」
「この私を誰だと思っているんだ」
不本意ながら、私とてこいつらの性格は把握してしまっている。全てを私に丸投げして、はいよろしくとはいかないだろう。むしろ、私は主のことなどどうでも良いと考えている上に、自分のメンツしか気にしていないと、分かっているはずだ。もしかすると余計な手出しをしてくるかもしれない。
「誰かはこの紫もやしが外出しないよう縛っとくんだな。外出されたら敵わない」
「起きるんですか?」
「起きて、普通に出歩く。この目で見た。もしニャプや他の悪魔に見つかったら最悪だからな。本当はそのまま連れ出したかったんだろうが、さすがに眠ったこの馬鹿を連れて私たちから逃げ出すのは無理だと思ったんだろう」
ため息を吐かずにはいられない。もしも、と考える。もしこのまま目を覚ました我が主が、あの吉田少年のように自我を取り戻し、ゆっくりと上書きされる人格に惑わされながら外を出歩けば、私のメンツはボロボロになり、パチュリー・ノーレッジという存在は完結を迎える。まあ、それはそれでいいのだろうが、私にとっては気に食わない展開だ。あんな下位の悪魔に一泡吹かされるなど、あってはならない。
「でもまあ、まさかレミリアがあいつらにここまでこっぴどくやられるとは思っていなかったよ」
じゅくじゅくと傷口が未だに音を発しているレミリアの傷口をつつきながら、私は意図して笑ってみせる。
「見た目だけではなく中身まで幼くなったんじゃないか?」
「これはお前のせいだ」
「は?」
「お前が私の負け方を見たいと言ったから、あんな負け方をしてやったんだ。ザ・負けの名は伊達ではないからな」
ああ、と顔を覆わずにはいられない。ここまでひどい責任転嫁を見たのは初めてだった。最悪だ。
本当に最悪だった。