人里のはずれの洞穴。エミなる女性の秘密基地で私と向き合っている女性。それは霧雨魔理沙の見た目をしていたが、間違いなく彼女ではないではなかった。心なしか、あれだけ心地よかったはずの洞穴も、冷え冷えとした閉鎖空間に変わったような気もする。
「いつから私が霧雨魔理沙ではないと気づいていたのか」
「初めからよ。あの子、箒がないと頑なに飛ぼうとしないのよ。それに、あなたほど理知的でも冷徹でもない。全然似てないわ」
「手厳しい」と頭をぽりぽりと掻いた彼女は「にゃ」と付け足しました。そのままくるりと体を回転させる。金色の髪や白色の服が一瞬にして黒く染まり、見慣れた猫耳姿の悪魔へと姿を変えた。驚きよりも呆れが勝る。尊敬すら覚えるほどだった。
「やっぱりあなただったのね、ニャプ」
「パチュリー様も人が悪いにゃ。気づいているなら教えてくれればいいのに」
「なんで魔理沙に化けていたの?」
あー、と目線を斜め上にあげた彼女は、すぐに、にゃー、と言いなおし、両手をこすりつけた。言い訳を考えているようだったが、諦めたのか「気まずかったんだにゃ」と耳をぺしゃんこにして謝ってくる。
「ごめんなさいにゃ。本当は暴力をするつもりはなかったんだにゃ。でも、すんなりいかなくてにゃ」
「本当にそれだけ?」
「あとは、バレたら殺されると思ったにゃ」
パチュリー様が優しい人で助かったにゃ、と勘違いも甚だしいことを言った彼女は、それで? と訊ねてきます。
「前世の記憶は思い出せたのかにゃ?」
私はその場にいる連中を見渡し、己の右手を掲げてみる。ここにいる連中は全員人間ではない。それくらいのことは私でも分かっていた。悪魔。それも、上級の悪魔。紅魔館に押し入った悪魔だ。夜中、紅魔館をこっそりと抜け出そうとし、美鈴に呼び止められた時のことを思い出した。外傷を服で隠した彼女は、侵入者に対し露骨に嫌悪感を示していたし、私の身をやけに案じる咲夜はどこか殺気立っていた。そんな彼女達に、私が今その侵入者の総本山にいると伝えたならば、どう反応するのだろうか。心配のあまり卒倒するのか、それとも速攻で応援に駆け付けるのか。まったくもって馬鹿馬鹿しい。この私を心配するだなんて。お人よしが過ぎる。
「前世の記憶、ね」
「はっきり言うにゃ。パチュリー様はエミ様になれるにゃ。なってくださるにゃ。たぶん、今はエミ様の記憶が、前世の記憶のようにリフレインしてるにゃ」
「エミ様」
彼女達の気持ちはわかる。よくわかる。悪魔にとって主人は絶対だ。たしかに、基本的に悪魔は人間を見下している。主人を虫と同列に語り、ことあるごとに裏切ろうと画策する。それが悪魔だ。そうでなければならない。が、だからといって。自分以外の何かによって主人が死ぬことなどあっていいはずがない。たとえそれが病気だとしても。
私は洞穴に座りこみ、そのまま寝ころんだ。天井はそこまで高くないが、真っ暗なせいで奥行きがあるように見える。吸い込まれていきそうだ。このまま自分という存在が消えて、暗闇という世界に閉じ込められてしまう。そんな錯覚すら覚えるほどに。
「大丈夫かにゃ、パチュリー様」
目を閉じ、呼吸に意識を集中させる。耳をそばだたせ視界以外のすべての感覚を一つ残さず記憶する。汗を額から出し、息を熱くする。体が上気し、足を細かく揺する。目が虚ろになるのが自分でもわかった。ごほごほ、とのどの奥の何かを吐き出すかのように咳をする。
「い、今背中を叩くにゃ」それを受け、ニャプがばしばしと背中を叩いてきた。
「大丈夫っすか!」
右奥から男の声が聞こえる。もはやあの情報屋としての擬態はやめたようで、声の位置は随分と低くなっていた。
「死ぬんじゃないっすよね、これ」
「大丈夫にゃ」大丈夫、と断言する割にはニャプの声も歪んでいた。「実験済みにゃ。魂を上書きされたら、しばらく元の人格で動いた後、発熱と痙攣を繰り返したのち、新しい魂に完全に上書きされるにゃ。もう成功例があるにゃ。あのかき氷屋で試したにゃ」
他の悪魔も私に近づき、心配そうに見つめてくるのが分かる。人間の姿を維持しているのはニャプだけのようで、他の悪魔の気配は先ほどと大きく異なっていた。が、今はそれどころじゃない。自分自身の問題が大きい。このままでは私が私でなくなってしまう。感情があふれ出る。
ぴかりと目の奥が光ったのはその時だった。無意識のうちに体が跳ねて、上体があがる。目を開けると、そこには目に涙を浮かべながら私を心配するかわいい悪魔の姿があった。慈愛に満ちた表情をしている。怒りを忘れてしまうほどに、喜びが体を走り抜けた。
「私はずっとこの時を待っておりました」
一番手前にはニャプの姿があった。猫耳姿の人間を模した姿をしていて、移魂を残さない君3号を手にしている。私はその手を優しく包み込んだ。金色の球を自らの手に移し、そのままニャプを抱きしめる。
「え、エミ様かにゃ」
「駄目ですよ。擬態をするのであれば最後まで相手にばれないようにしなければ」
「ご、ごめんなさいにゃ。でも嬉しいにゃ」
「仕方がないからお手本を見せてあげますよ」
私は立ち上がり、ニャプの手を引っ張りあげる。悪魔の眼差しを一心に受けながら、私は手にした金色の球を高々と掲げ、丁寧に両手で支えて、
そのまま勢いよく地面に投げつけました。
ぱりん、と乾いた音が響き、球が粉々に砕け散る。激しい衝撃音の後には、水を打ったかのような静けさが残った。悪魔どもが呆然としているのが分かる。ニャプは「大丈夫かにゃ。けがはないかにゃ」と私が不注意で落とした事を心配していた。
「ええ、大丈夫ですよ」それに応えるため、私は心からの笑みを浮かべる。きっと、聖女のように神聖で柔らかい笑みになっていることだろう。
「ねえニャプ。あなたに一つだけ。ええ、一つだけ聞きたいことがございます」
「な、何にゃ」
「私の座右の銘って覚えていますか?」
突然の質問に面食らったのか、彼女は周りをきょろきょろとしていた。が、ほかの悪魔も同じようにきょろきょろとするだけで、答えは出ない。
「ごめんなさいにゃ。分からないにゃ」
「そうですか。では、教えてあげます」
「お願いしますにゃ」
「相手がどや顔で自慢していた得意分野を、圧倒して打ち負かすことこそが人生の喜び、ですよ。これが私の座右の銘です」
え、と声を漏らしたのはいったい誰だっただろうか。その間の抜けた表情を前に、私は笑いをこらえることができませんでした。ようやく浮かんでいた怒りが若干収まります。あっはっは、とただひたすらに、相手の尊厳を無視して私は笑い続けることしかできません。そうしなければ耐えられそうにありませんでした。ああ、なんて楽しいのでしょうか。この顔! この顔を見たかったのです。
「いえいえ。本当にこの時を待っていましたよ、私は」
「あなたは……いえ、お前は誰にゃ」
「口を慎めよ三流が。お前に名乗る名などもはや持ち合わせていない。私は何も説明しないし、お前も何も言う必要はない。ただ死ぬのを待てばいい」
「もしかして」
慌ててニャプが洞穴の外に逃げようとします。が、入口に近づいたところでそのまま静止しました。勘がいい下種だ。そのまま突っ込んだら楽に死ねたものを。「もしかして、ダエモン様かにゃ」
さあ、どうででしょうか。笑いを堪えながら私は自らの手に魔力をため込む。エミ様はどこにゃ、と泣きそうな声が聞こえたような気がしたが、当然私は無視しました。