「ねえコア。本当に勝算があるんですか?」
図書館のソファに我が主を運んだ門番は、心配そうに尋ねてくる。侵入者が紅魔館に入ってからまだ小一時間しかたっていないというのに、随分と館は綺麗になっていた。咲夜の頑張りによるものなのだろう。怒りや不安を仕事でしか発散することができない。難儀な性格の人間だ。
「あいつら、結構なやり手ですよ」
「愚かしい。あんな雑魚に負けるほど落ちぶれていない」
「その口調やめてくださいよー」
出発の準備を整えていると、美鈴は縋るような目で言ってくる。
「レミリア様みたいでなんか怖いんです。怒ると口調が荒れる癖、直した方がいいですよ。いつもの敬語に直してくださいって」
「気が向いたら」
「それ、絶対向かない奴ですよね」
それを言うのであれば、美鈴のその取り繕った笑みを浮かべる癖もどうにかした方がいいに決まっていた。窮地に陥るほど冗談を言いたがる。悪い癖ではないが、少々癪に障る。
「まあでも、嫌でも口調は変えることにはなる……でしょう」
「おお、大人な対応ありがとうございます」
「内心の怒りを外に出さない方法だって身につけてはいるつもり…です」
それで? と図書館の床の埃をつまみ上げながら、美鈴は心配そうに訪ねてくる。
「いったいどうするつもりなんですか」
「どうするって」
「もし私がニャプの立場だったら、その魔道具はそう易々と見つからない場所に隠しますよ。いえ、隠すのも不安ですから自分で持っておいて、逃げます。まあ、時間をかければ容易に見つかるでしょうが、タイムリミットがあるんですよね」
「だから?」
「何かいい方法でも思いついているのかなって」
いい方法。内心で彼女の言葉を繰り返し、思わず笑ってしまう。案はある。成功する可能性も高いだろう。が、これはいい方法では間違いなかった。どちらかといえば悪い方法だ。
「奴らの目当てはあくまでも我が主。となれば、もし万一我が主が一人で夜道でも散歩していたら、接触を図ってくる。そうは思いませんか」
「パチュリー様を一人で? それは危険すぎでは」
「何も本物の我が主を歩かせる必要なんてない。偽物でよいんですよ。我が主に擬態した誰かがやればいい」
「擬態って、変装ってことですか? そんなの誰がやるんですか」
私は答えなかったのだが、察しのよい美鈴は「もしかして、コアさんがやるつもりですか!」と声を大きくします。「無茶ですよ」
「まあ、たしかに聡明な私があの愚鈍な魔女を真似るなんて難しいと思いますが」
「だって、あなた変化できないじゃないですか」
別に変化できなくたって、やり方はいくらでもある。適当に化粧をして、あの目立つ魔女の恰好をしておけば、まずはばれない自信があった。
「ああ、そうそう。一つだけお願いが」
「なんでしょう」
「私が出発したら、すぐに皆で魔理沙の家に行ってください。もちろん、この馬鹿も連れて」
「……わかりました」
美鈴の良いところは、こういうところで「なぜ」と聞いてこないところです。理由をいちいち説明するのは、それは例えば、再び紅魔館に連中が来ることを警戒しているだとか、罠をしかけていったかもしれないだとか、そういうのを説明するのは面倒だ。
一度大きく息を吐いてから、人の気も知らず、すまし顔で横になっている我が主の頬をつねる。いったいぜんたい。どこまで従者に迷惑をかければ気が済むのだろうか。いつの日かこの手で殺してやろうと決意する。それまでは。どこの馬の骨とも分からない奴に手を出されていいはずがない。そうだ。これは私の所有物なのだ。私の領域に踏み込んだことを死ぬまで後悔させてやる。そう決意しながら、私は主の服を全部脱がした。
「ちょっと、なに、してるのよ」が、間の悪いことに我が主が目を覚ましてしまう。魔法で眠っていたにしては随分と早い起床だ。「なぜ、服を」
「おやおや。少し黙っていてください」
「あなた、何、考え」
「何って色々ですよ。どこかの馬鹿の後始末のこととか、小馬鹿にされた報復のこととか、どこかの馬鹿への報復のこととか」
「そう」
短く零す我が主は明らかにおかしかった。違う。これは絶対に睡眠魔法によって引き起こされた意識障害ではない。もっと別の何かだ。
「ねえコア」おそらく我が主は、この状況を理解できていないのでしょう。呂律の回らない声で訊ねてくる。「あなた、怪我してるじゃない」
「え」
「治して……」
そこまで言った後で、我が主は動かなくなった。目を閉じ、電池が切れた人形のようにぴくりともしなくなる。耳からは血が流れ、青白い肌には血筋が浮かんでいた。
「何だって言うんですか」
我が主様が黙った後、図書館には信じられない静寂が訪れていた。私が望んでいたはずの静寂だ。清々しく、何の不満もない時間だ。だというのに、どうして私はここまで苛立っているのだろうか。
「なんで、そんな状況で私の怪我を気にしているんだ、こいつは」
鈍感で愚かで、筋金入りの馬鹿だ。こんな怪我、私であればすぐに治ることくらい知っているだろうに。出来の悪い母親のようなことを言いやがって。私をいったい何だと思っているのだろうか。
「これ、少しまずいですね」
己の苛立ちをいかに晴らそうか考えていると、美鈴がぽつりと呟く。少しと口にした割には随分と深刻そうな口ぶりだった。
「気が酷く乱れています。何かに必死に抵抗したのでしょう。ぐちゃぐちゃですよ」
「ぐちゃぐちゃとは」
「血の巡りも内臓の動きも全てがめちゃめちゃです。このままだと」と早口で言った後、彼女は口をつぐんだ。このままだとどうなるのか。そんなこと、考えるまでもない。
「別に、あなたを助けたいと思ったことなど一度もありませんが」
私は横になっている我が主に話しかける。が、せっかくこの私が声をかけているというのに、彼女は微動だにしなかった。「まあ、コアの名に恥じぬ戦いはしますよ」
床に落ちていたくしゃくしゃの帽子を拾い上げ、被る。我が主の匂いがするそれは、たしかに血の匂いが混じっていた。